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現代思想の流れをたどる…そんな副題にしたかったと筆者。 確かに、哲学に無縁な僕も、比較的読みやすかったです。 が、さすがに厚い。
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正直、わかったようなわからないような。確かに平易に説明しようとはしている。現代思想の外枠だけを掴むのにはいいかもしれない。結論だけ取ってしまうのが私の欠点かもしれないが、この本を自分なりに解釈し、結論を導くとすると、「どうやって繋がるか」というのが根底にいつもある“もんだい”である、ということだろうか。
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現代思想が難解なのは、現代に生きる私たちの直面する問題に直接かかわりがあるからだ。それは、絶対的な価値基準がない『相対主義』の問題である。
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現代思想の流れが展望できる一冊。口語調で分かりやすい書き方をされているので、抵抗なくすんなり読めてしまいます。話がいろいろ変わるので、何の話かこんがらがる部分もありますが純粋に読み物として楽しめます。
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その名の通りです。読んで思ったのは「そうだったのか!」の連続で。これほどわかりやすく現代思想についてまとまっている本もそうないと思う。普通にハイデガーとかドゥルーズとか読むとどつぼにはまってしまって、ポカーンの連続になって、全然ページが進まないけれど、この人の語り口で咀嚼されたものを読むと、非常にわかりやすい。わかりきってはいないけれど、わかったつもりにはなれる。そんな簡単に「わかる」わけがない。「わかる」というのは深いんだから、そもそも。でも、面白かった。現代思想が面白いのは、現代に真に立脚して成り立っているから。それは現代思想に限らず。現代アートも。現代音楽も。読んでて考えさせられる本は、読んでて楽しい。(07/12/10)
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<メモ>
ヘーゲルを境とするそれまでの哲学に対して、ニーチェ、フロイト、ソシュールを三大源流とする現代思想。現代思想の流れ全体を追う内容。現代思想の大まかな全体像がつかめる。登場人物はニーチェ、フロイト、ソシュール、ハイデガー、サルトル、レヴィ=ストロース、デリダ、バルト、ボードリヤール、フーコーなど。朝日カルチャーセンターの講座を原型として文章に仕立て上げた本。だから、比較的分かりやすい(よく分からないところもあるけど)。全体の流れがつかめるところがいい。
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最近「寝ながら学べる構造主義」という本が流行っているらしいが、本書はそういった「構造主義」にも言及し、それを形作っていった「現代思想」の源流を分かりやすく解説した本である。
特に筆者の思想形成に大きく影響させたサルトルについて、造旨深く述べられていると感じた。
ただ、分かりやすく教授するという理念の下で綴られた文章にしては難しかったかなとは思った。
それは「現代思想」が経営学や経済学とは違い、あまりにも抽象的な議論を強いられるからであろう。
入門書としてはお薦めであるが、どれほど興味を湧かせるものであるのかは未知数だと考える。
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非常にわかりやすく、面白い。ただ、ある程度哲学の語彙がないと厳しいかも。
専門書への架け橋的印象。まあ専門書読むのは専門家の仕事だし。
他の本ではあまり扱われないデリダやドゥルーズ=ガタリ、ロラン=バルトの思想なども扱っていて、勉強になった。
もちろん構造主義にもしっかり触れていて、その説明は他書に比べ随分明快である。
現代思想をかじりたい人にはまさにうってつけの一冊。
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やるおで知ったんですけどねwwww
こういうのに興味あるなら面白く読めるはず
専門書を読んでみようかなーって気になった
なっただけです
個人的にはソシュールと最後の相対主義の章が特に面白かった
経験則ってそのまま哲学になりがちですよね
講義をそのまま文字に起こしたので
読んでてわかりづらいのがマイナス
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そういえば、デリダの「脱構築」とかってよく聞く割には意味が分かっていないなぁと感じて新書コーナーにでんと積まれていたのを手に取った一冊。
著者曰く「市民のための語りおろし現代思想」ということだそうだけれど、なるほど文体は講義調で比較的平易な言葉が使われているにも関わらず、あまり説明がうまくない(あくまで個人的な感想だが)せいか若干の消化不良感の残る一冊ではあった。少なくとも、これを読んでタイトル通り「現代思想ってそうだったのか!」とピンと来るような人は少ないと思われる。哲学にはままあることだけれど、分かりやすく説明するために用いられる図というのがまず分かりやすくないし、文化人類学に関してはそこそこ前知識があるはずの自分でさえよく飲み込めない部分が度々あったので(まぁ、結局は自分の勉強不足によるものが大きいのだが)ましてやこれまで哲学や思想やらに全く触れたことのない完全なビギナーにこれを読んで現代思想を理解しろと言っても土台無理な話だろう。
個人的には、ひとまず各思想家の原著に自分で当たってみて、玉砕した後にこの本を読むというぐらいが内容把握にはちょうど良い気がする。その点では、フーコーに関する説明は分かりやすくてかなり助けになった。また、逆にこの一冊をさらりと軽く読んで、どうやら面白そうだなと感じた思想家から入ってみるのも良いかもしれない。以前自分で勉強した時には訳が分からないと匙を投げてしまったソシュールも、この本を読むと面白く思えてきたことは自分でも不思議だった。そういう、食わず嫌いというか、勝手な思い込みで理解できないと諦めていた思想を今一度興味の対象として持ってくる力はある。その意味では、思想の解説書とはいえ、あまり根を詰めて読まない方が良い一冊かもしれない。
流れとしては、終始ニーチェに始まるという「現代思想の潮流」に常に力点をおいて解説がなされていたのはとても良かった。当時性とか時代性が見えにくくなっている今、こういう長いスパンでどのように思想が変化・発展してきたかという見方は、自分もまた世界のうねりの中で生きているのだという実感を取り戻してくれる。個人的には、当初の想像以上に著者の考えが深く練り込まれている一冊というか、純粋な概説というには大分著者の解釈が強く関わってきている本だという印象を持ったので、読んだ後にはこの著者の主張を足がかりに、現代の諸問題についていろいろと自分の考えを巡らしてみるというのが本書の理想的な生かし方なのだろうと思う。あとは、私は文化人類学畑の人間なので、「相対主義」というとどうしてもすぐに「文化相対主義」が出てきて、「みんな違ってみんな良い」というような、そんなほのぼのとした幸せなイメージばかりが湧いてくるものを、著者自身が「恣意性を乗り越えていくことが現代の一つの課題だ」という風に指摘していた点は非常に興味深かった。そうは言っても、「みんな違ってみんな良い」じゃ、この世は好き勝手にされてしまうじゃない?と、常日頃疑問を感じているような人には、なるほどと一つ納得できる意見が示されていたように思う。見た目の分厚さには最初引いてしまう部分もあるけれど、気軽に現代思想の世界に触れられるという意味では楽しい一冊だった。そうして、やっぱりフーコーという人は本当に凄かったんだなぁ。
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小阪 修平さんという在野の思想家の方の、朝日カルチャーセンターの講義録ですが、明快でわかりやすいです。今まで読んだ現代思想の本の中で一番わかりやすいです。特に所々、構造を図示しているのが良いです。
例えば、P.98に出てくる図7。知、自我、という丸があり、その外部に無意識、生、私、歴史、という矢印が伸びています。基本的に現代思想の問題とは、物事の基準とか根拠はこの丸の内部に無い、というところから発している、ということです。生といっているのはニーチェ、無意識といっているのはフロイド、私といっているのがキルケゴール、歴史といっているのがマルクス。イメージが湧きます。
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講義録なので仕方ないが、思想入門には入りやすいかもしれない。が、その割に歴史的に順序が入れ替わっていたり、知らないと分かりづらいこともチラホラ登場するので、これ一冊で「分かった!」とは到底なれない。これを出発点に自分から勉強するしかない。むしろ既知の思想家については、良くも悪くも復習になったり、豆知識が増えるので面白いかもしれない。
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2015.01.20 哲学から思想へ、相対主義を超えてと言う流れが理解できたが、簡単とはいえ私にはなかなか難解でほとんど理解できていないのではないか?でも興味深いので不思議だ。
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現代思想が難解なのは、現代に生きる私たちの直面するもんだいに直接かかわりがあるからだ。それは、絶対的な価値基準がない「相対主義」のもんだいである。本書では、ニーチェ、フロイト、ハイデガー、ソシュール、サルトル、ドゥルーズ=ガタリ、フーコーら、12人の現代思想のトップスターたちの紹介を通じて、現代思想とその流れを、私たちのもんだいと照らし合わせながら、だれにでもわかりやすく解説する。
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フランス現代思想の主要な思想家たちをとりあげてわかりやすく解説している本です。
ヘーゲルで頂点を極めた近代思想は、主体・言葉・真理が一致するはずだという発想に根ざしていました。こうした主体中心主義、あるいはロゴス中心主義への異議申し立てが、現代思想の主要モティーフとなっています。現代思想の源流となったニーチェとフロイトは、自我の外部にある生や無意識の領域について語り、ソシュールは言語が恣意的な体系であることを明らかにしました。他方、フッサール、ハイデガー、サルトルらは、ヘーゲルの絶対精神に代表されるような普遍的な意味をもつ近代的主体に代えて、「実存」に基づく哲学を構築しました。
現代フランスの思想家たちは、こうした思想家たちの仕事を引き継ぎながら、主体中心主義やロゴス中心主義を全面的に批判し、そこからたえず逃れていくことをめざしました。デリダの「脱構築」、ドゥルーズ=ガタリの「ノマド」にはそうした戦略が認められ、バルトやボードリヤールも現代の消費社会にたえまない記号の差異化の戯れを見いだそうとしていると著者は解説しています。
ただし、こうした現代思想の戦略には、際限のない相対主義に陥ってしまうという問題が避けがたくつきまとうことになります。著者は、単に主体の「外部」が存在することを認めるだけでは、いまだ「他者」との倫理的な関係を築くことではないと指摘し、「内部」と「外部」とのあるべき関係について、自己の内なる不透明なものを認めつつ、それと鷹揚に付き合っていくような「倫理」がめざされなければならないと主張します。
なにを解説しても全共闘体験やサルトル体験を起点に語り出されるのが、いかにもこの著者らしいという気がします。