紙の本
普遍的なのか、人は変わらないのか
2013/05/05 23:28
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投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人である著者がNHKの「視点・論点」で語った内容をまとめたもの。
17年間の集大成という事だが、言っている事には、全く古さを感じない。
中には最近の事を言っているのかと思って、章末の放映日付を見てみると、5年、10年前だった、という事もしばしば。
例えば「受信力の回復を」という章。
「一方的に発信する言葉だけが容易に手に入る今の世に、確実にうしなわれてきてしまったのは、他者の言葉をきちんと受信し、きちんと受けとめられるだけの器量をもった言葉です。」
という言葉があった。
てっきり最近の事を言っているのかと思ったが、章末の放映日付を見てみると「1998年7月2日」
他にも、「手に入れる」だけの文化から、「使い方」の哲学を持つ文化への転換を、という「使い方の哲学」は「2001年3月14日」の放送。
我を絵に見る心、つまり全体と細部を同時に見渡すような心を持つべきと論じた「風景が主人公」は「2008年1月23日」
著者の論点の鋭さ、深さのためか、人は、そんなに変わらない事の証明なのか。
詩人だけあって、言葉やモノの見方(感受性)をテーマとしたものがほとんどで、考えさせられるものが多い。
個人的には新書は「入門用」のもので、繰り返し読むものは少ない、と思っているのだが、これは数少ない例外。
・・・というより、1回目では消化不良になってしまった。
紙の本
なつかしい時間
2016/06/14 23:18
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投稿者:ケンケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
新聞の書評を見て購入しました。
思っていたよりもよい内容でした。なんども読みたい良書です。
紙の本
詩人のエッセイ
2022/06/04 18:08
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投稿者:三才 - この投稿者のレビュー一覧を見る
○詩人のエッセイは、言葉が選びぬかれていていいなあと思い始めた本。
○「人生というのは人の、日々の時間に対する態度のことだ」「わたしたちの一日の時間をゆたかにしてきた、ゆるやかな時間、そして一瞬という特別な時間…」…ミヒャエル・エンデ『モモ』の登場人物の「ゆっくり」に惹かれるわけに気づかせてくれた。
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付箋が山のよう…
レビューがうまく書けないので、読書の記録としてフレーズ機能を使用中。
読みながら気になった個所に付箋を挟んでいき、読了後登録。
長田弘さんの著作にはいつも山のような付箋が…
もはや全文付箋の勢い。
2013年発行の本書であるけれど、現在の情勢にリンクするような深く鋭いまなざしは没後5年たった今なお新鮮に感じられる。
ひとつ引用する。
”いまは、何事もクローズアップで見て、クローズアップで考えるということが、あまりにも多いということに気づきます。クローズアップは部分を拡大して、全体を斥けます。見えないものが見えるようになった代わりに、たぶんそのぶんわたしたちは、見えているものをちゃんと見なくなった。”
当事者でなくとも、まるで見てきたかのような錯覚を覚える発言を、誰もが気軽に発信できる世の中は長田さんの憂う「クローズアップで見て、クローズアップで考える」ということではないだろうか。
いま、目の前にあるものを大切に。
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言葉にこだわって、言葉を大切にする。
やさしさとリズムのある詩がとても好きです。
エッセイも詩を読むような文章。
福島出身の長田弘。
とてもたくさんの著作があるのですね。
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詩人、長田弘の「なつかし時間」(岩波新書)を
読みました。
この本は、NHK「視点・論点」の17年間の原稿をもとに
集成されたもので、短いエッセイが綴られています。
その中の一篇、「使い方の哲学」を紹介しましょう。
『わたしたちのあいだに日々の活力を生んできたのはつねに、
何かを「手に入れる」ということだったのだと思います。
知識を手に入れる、技術を手に入れる、
職業を手に入れる、地位を手に入れる。
そして、そのあげく、その豊かさを削いできたのは、
手に入れたものをどう使うかという
「使い方の」の哲学の貧困、「使い方の」の哲学の乏しさだった。
「手に入れる」というのは、
「市利朝名」(※西郷隆盛の詩の文言で地位名誉などを指す)が
目的なのではなくて、本当は自分の時間を
「手に入れる」ことだという考え方、
感じ方だったのではないかと思うのです。
忘れられたのは、よい時間、自由な時間、わたしたちの時間を
「手に入れる」、しれが社会の豊かさだ、という価値観です。
たとえば、「手に入れる」哲学しか持たなかったバブル経済が
結果したのは、「使い方」の哲学の欠如を
象徴するような不良債権でした。
ただただ「手に入れる」だけの文化から、
「使い方」の哲学をもつ文化への、
価値観の転換。いまという時代は、
何より「使い方」の哲学を必要としています。』
寝起き眼だった私の顔面に冷水をあびせられ思いがしております。
そして、何より、咀嚼し、反芻し、噛みしめ、味わい、一文字づつ
文字をていねいに文字を置いておられるのが手をとるようにわかります。
本屋でこの本を立ち読みなさって見てください、お薦めしますー
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よい!!
人との関係、対話について、場づくりについて、とても共感できる。
視点論点のまとめだそうで・・・そんなの出演していたなんて、知らなかった・・ショック。。。
長田弘は大学生の頃に出会って、当時は鬱々すると、詩をよく書き写していた。
内田樹、外山滋比古などの言っていることに通じるなーと、思い出した。
日々の中で、学びと気づきと生きる力、指針を見出す感性と思考を持つことを思った。詩人なので、言葉がとても美しい。
下記引用
「この世界の子どもたちである私たちに必要なことは、一か八かといった一発勝負ではなく、創造というのは再創造であり、発見というのは再発見なのだという考え方、受け止め方を、毎日の生活のなかに、自分の生き方、感じ方のなかに、蘇生させてゆく努力なのではないでしょうか。」
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清水眞砂子さんの本を読んだ後だけに、余計に、懐かしむ弱さ=現実を肯定する、変革する視点の弱さを感じた。
最後の方に出てくる、長田さんの詩五編、訳詩の楽しみ、使い方の哲学、遠くを見る目(これは繰り返し出てくるテーマでいささか、その後、飽きてきたが)は良かった。
私も紙としての本を偏愛するのものであるが、おおきな共鳴は本書から得られなかった。
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新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、1階文庫本コーナー 請求記号:914.6//O72
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やはり、人本来の力は経験でのみ蓄積する。外部記憶は人間を違う生き物にしてしまう。この流れは止めなければならない。日本人気質が消えてしまう。
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長田弘は詩人である。ともすれば難解なイメージをもたれがちな現代詩の書き手の中で、難しい言葉を使わず、易しい言葉を使って、言うべきことを短く語る、そんな詩人だ。
その詩人が、NHKテレビ「視点・論点」で毎回語った元原稿に手を入れた四十八篇に、同時期に別の場所で話した三篇を加えたものである。もともとが放送原稿であるため、いつもの文体とは異なる「です・ます」調で書かれていることに若干の違和感を持つものの、内容はいつもの長田弘。
『深呼吸の必要』という詩集を行きつけの書店で見つけ、買って帰ったのが、この詩人とのつきあいの始まりだった。ありふれた日常の風景に眼をとめ、吟味された日常語を駆使して、たしかな思考を紡ぐ、その詩篇をことあるごとに読み、口の端に上せた。
その方向性に、いささかの変化もなく、言わんとすることは同じなのだが、番組視聴者の年齢層を配慮してか、詩人自身の年のせいか、インターネットその他現代の諸相に感じる違和感の表明が多くなり、挨拶言葉など失われつつあるものに寄せる愛惜の言葉が増えているのが気になった。
また、古今東西の文献からの引用や、世界を旅して見てきたことの紹介に、いつも新鮮な驚きを感じさせられたものだが、引用は日本近代の文人、露伴、杢太郎、龍之介などよく知られた文人中心に選ばれているようだ。テレビ番組ということもあり、耳で聞いて覚えやすいものが選ばれたということもあったのかもしれない。
十七年、四十八回という長きにわたっているのに、言葉の大切さ、本というもの、読書の持つ意味、と言いたいことに全くブレのないのが、いかにもこの人らしい。
忙しく動き回っているときには忘れていても、何かがあって立ち止まることを余儀なくされたときなど、ふと思い出されて、読んでみたくなるような言葉があふれた一冊。本のもつ質感までも大事にする詩人ではあるが、そんな時には、新書という手軽さが生かされていい。
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1995年から2012年までの17年間、NHK「視点・論点」で著者が担当した48回分と同じ時期に話した別の3篇をあわせて収録したエッセイ集です。
現代において「時代の影」へと追いやられてしまった尊いものに目を向けるような問題提起のエッセイ集といったふうでした。「そこが問題なのではないですか」にいたるまでの分析や感じていることが細やかです。だから読んでいて「うん、たぶんそうなんだろうなぁ」とこちらが思えるという、理解する上での納得という土台に乗っかるような問題提起なのです。少なくない章でその具体的な答えを探し実行するのを読者に委ねていましたが、その問題提起に至るまでのなかで、近代の古典などを引いたり紹介したりしながらですから、読んでいてもなかなかおもしろみがあるのです。文学世界の碩学の話を聞いている気分になります(著者は詩人です)。
どういった事柄を問題として提起しているか。たとえば、発信力ばかり叫ばれる今、受信力だって同じくらいいやそれ以上に大切ではないか、というようなことを述べていらっしゃる。これは98年の時点でこう考えておられるのでした。受信力については、リテラシーを磨こうという言説が今、これに対応しだしていますが、本書の後半で著者もリテラシーについてしっかり書いています。
また、風景の中で自らの小ささを感じる経験がとぼしいから、尊大な人が増えたのではないかという説にも、そうかもしれないと思いました。「風景の中にいる」ってことをしないですよね、なかなか、自分も含めて多くの人がそうなのではないでしょうか。
といったように、本書では言葉や記憶や風景や対話、そして時間といったものを、温故知新のように、かつての在り方を知り今また再び確かめることの大切さを問い、訴えたものだと言えるでしょう。とはいえ、説くとか訴えるとかの言葉を使ってでは本書の感想としてはズレてしまいます。もっと、解きほぐされた言葉で、言葉にならないものがあることを見据えた上で語りかけてくれています。
著者自身の豊かな世界観から発せられる数々の考察は、現代人の貧しい世界観を自問するきっかけとなるものだと思います。世界観なんてものを俎上に載せると、正しいか正しくないかでの二択で世界観が語られたり、散文的に乱立する世界観をイメージしたりしがちかもしれません。でも、この本から学べることはそういった種類の見方ではなく、その世界観が豊かなのか貧しいかです。
僕がそこから感じたのは、まず豊かな世界観を持つようになってから、たとえば経済を考えてみてはどうなのだろう、ということでした。多様性といわれますが、多様性の前段階に豊かであること。そうした豊かさの基盤が、多様性だって根付かせてくれるのではないか。同じフィールドで共存しうるというのはそういうことなんじゃないでしょうか。
……などなど、きっと何度も本書を読み返せば、いっとき豊かな気分になったその効果が板についてきそうな気がするのでした。
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私の詩人長田弘のイメージは、いつも大きな樹と寄り添う物語の人があります。樹はその人の原風景であり、自然とのつながりでもあります。NHK視点・論点で長い間語られた物語の終結として、今の時代を深く振り返る鏡でもあるようです。
一人一人の生きてきた証としての原風景、良き時代という安易な表現ではなく、人と人、人と自然が相対して寄り添ってきた記憶をもう一度手に入れたい。
3.11以降に人々の中に生まれてきた、本来の繋がり、人と人とのつながる社会への思索として、読み返してみたいと思う。
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著者が言葉を大切にする詩人のゆえか、心に響く、あるいは留まる箴言、名句等々、が散りばめられており、じっくり味わいながら読みおえた。
例えば「読書というのは、振り子です。たとえ古い本であっても、過去に、過ぎた時代のほうに深く振れたぶんだけ、未来に深く振れてゆくのが、読書のちからです。P31」
例えば「『退屈』こそ、じつは万物の母なのではないでしょうか。『退屈』を、ゆっくりした時間、ゆったりした時間としてすすんで捉えかえすことができれば、『退屈』のない多忙、興奮のみをよしとする日々の窮屈さに気づくはず。P56」
例えば「本を開くということは、心を閉ざすのではなく、心を開くということです。・・・本に親しむという習慣を通して、わたしたちは、言葉を大事にすること、本を読むということへの信頼を、自ずから手にしてきたし、これからも手にしてゆきたいというのが、わたしの希望です。P106」
本書を読んでいる間は、表題通り「なつかしい時間」を過ごしているようであった。
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日々の風景と時間と読書を愛した詩人が、NHKテレビ「視点・論点」で毎回語った元原稿が中心になっています。▼わたしたちは風景の中で生き、そして暮らしています。しかし、現代は、大切な風景の感覚が失われてゆき、クローズアップの時代。部分を拡大して、全体を退けます。風景の中に在る自分というところから視野を確かにしてゆくことが求められなければならない。▼自然が作り出すのは、懐かしい時間です。▼読んでいて、ふと懐かしさを感じ、大事なことを思い出したような気持ちにさせてくれる本です。