紙の本
ショウペンハウエルさんもかなり過激?
2015/12/03 20:13
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投稿者:森のくまさんか? - この投稿者のレビュー一覧を見る
読書についてなのに
ショウペンハウエルさん、
読書について 否定的!
自分の頭で考えろ と。
でも ショウペンハウエルさんは
めっちゃ 本を読まれているそうです。
めっちゃ読んだからこそ 本書ができたのか?
案外楽しく読めましたし、面白かった。
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【引用】
・読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを考えてもらうことである
・大量に、またほとんど一日じゅう読書する人は、自分で考え能力をしだいに失ってゆく。
・反芻することによってのみ、人は読んだものを身につけることができる。
・もともと天分として本人に具わっていることが前提条件となる。それが、読書による人格形成によって作家になる唯一の方法である。
・図書館の書架には、過ぎ去ったいくつもの時代の誤った見解をあらわした書物が並べられ保管されている。
・書籍見本市の分厚いカタログを眺めて、十年後にはこれらすべての書物のうち一冊も生き残っていないであろうことを慮るとき、だれが涙せずにいられようか。
・著者・出版業者・批評家は強固に結託している。社交の場で話題とするために、いつもみなが同じもの、最新のものを読むように調教された。
・良書を読むための条件は、悪書を読まないことである。
・本物の文学は真摯に、静かに、そしてことのほかゆっくりとわが道を行く。うわべだけの文学は、あたふたと駆け抜けてゆく。
・書物を買うのは良いことだ。ただしそれを読むための時間もいっしょに買えるならば。だがたいていは書物を購入することで、その内容までわがものにしたと勘違いする。
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ショウペンハウエルは祖国がオランダ。オランダはスピノザやデカルトなどもいた。
たくさん読書すればするほど、それだけ読んだ内容が精神にあとをとどめることが少なくなる。実に多くの学者がこの例に当てはまる。彼らは読書をしてバカになってしまったのである。
書くための天賦の才能は読むだけで出てくることはない。書かないとダメ。
読書に費やすことのできる限られた時間をもっぱら、あらゆる時代と民族の医大な、他の人間からはるかに傑出した精神の生み出した作品に充てよ。
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以前、学生朝活で紹介させてもらった『読書について』の本です。
デカンショで知られている、哲学者、ショウペンハウエルの読書につての本です。
タイトルもそのまま『読書について』。
ショウペンハウエルが読書についてどのように捉えていたのかがよく分かる本です。
そして、時代を越えて、読書とはどうあるべきなのか、どう捉えておくのが良いのか、
そればかりでなく、読書、本を読む姿勢はどうあるべきなのかを教えてくれる本です。
特に、読書好き、読書中毒と自覚のある方に読んで貰いたい一冊です。
自分も含めて、本を読む事に対して、考え直させてくれます。
一つだけ、本の中の言葉を紹介すると、
『大量に、またほとんど一日じゅう読書する人は、自分で考える能力を次第に失ってゆく。』
本来のショウペンハウエルの言葉の一部ですが、これは本当に同感です。
本を読み進めていくうちに、何も考えずにいると、著者と同じ考えに陥ってしまっていて、
そして、それを自分の考え、意見と安易に思ってしまっていることに気づく時があります。
著者との対話、自分との対話を忘れずにするようにし、
疑問を抱いたり、反対意見を考えたりしつつ読みます。
そうしないと、噛み砕き、消化し、自分の考えにならないからです。
時には、時間をおいてから、また考えたりするようにしています。
読書好きな方も、また読書自体に疑問を思った方も、一度読まれると良い本です。
きっと、自分の読書に対する姿勢を見直すきっかけになりますよ。
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新訳とついているが、訳した本ではない。ややこしいが、この本は『読書について』の要約で、一つの言葉について、渡部さんが(これはこうゆうことだ、これはそう思う)などの解説や意見を書いている。
それでもこの本はが価値があると思うのは、ショペンハウエルの生涯や、基本的な考え方が書かれており、初心者や、ショペンハウエルの感覚がわからない人に掴みやすい。
も一つ、渡部さんの意見として書かれていることに(これは、そうとも限らない)や具体例が、哲学を触れるにあたって盲目的に囚われないストッパーになっている。
もちろん原著の方が読み応えがあるが、こういった本も改めて噛み砕くのにいいと思う。
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何点かふと我に返り考えさせられることばもあった。私も無駄なプロセスは必要だと思う。
■無知は富と結ぶつくことによって初めて人間を堕落させる。貧しい人は貧困と辛苦によって躾けられる。
■読書とは自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうことである。
■大量に,またほとんど一日中読書する人は自分で考える能力を次第に失っていく。私たちが自分の思考への従事から離れて読書に移るとき,安堵感を得られるのはそのためである。読書中の私たちの頭の中は,他人の思考の遊び場であるに過ぎない。
■たくさん読書すればするほど,それだけ読んだ内容が精神に跡をとどめることが少なくなる。実に多くの学者がこの例に当てはまる。彼らは読書して馬鹿になってしまったのである。
■反芻することによってのみ,人は読んだものを身につけることができる。
■読んだ内容について後から再び思索することなく絶えず読書を続けると根を下ろすことがなく,たいていは失われてしまう。摂取したもののうち,殆ど五十分の一も吸収されない。残りは蒸発や呼吸などによって排出されてしまう。
■紙の上に書かれた思考とは,決して砂の上の足跡以上のものではない。
■作家の作品を読むことによって,その作家の特性まで身につけられるわけではない。けれども私たちが同様の特性を既に素質として,つまり可能性として所持している場合には,読書することによって内部のその特性を呼び起こし,意識へと登らせることができる。
■悪書は単に無益であるばかりでなく,実際有害でもある。著者・出版業者批評家は強固に結託している。
■私たち読者の側に関して言えば,非読書術が極めて重要である。
■良書を読むための条件は,悪書を読まないことである。人生は短く,時間と労力には限りがあるのだから。悪書は知性にとって毒である。
■書物を買うのは良いことだ。ただし,それを読むための時間も一緒に買えるならば。だが,大抵は書物を購入することで,その内容まで我物にしたと勘違いする。
■誰しも自分の関心に合うもの,即ち自分の思想体系や目的に合致するものしか留めておけない。
■「反復は習得の母」と言われる。とにかく重要な書物はいずれも,間を置かずに二度読むべきである。二度目にはテーマを文脈に沿ってよりよく把握できるし,結末を知ることによって初めて冒頭部分を正しく理解できる。
■文学史上の少数のうまくいった出産は,陳列室に探す必要がない。彼らは不死の者として,永遠にはつらつとした青春の姿で悠然と歩いている。
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上智大学名誉教授、渡辺昇一による書。
「渡辺昇一・編訳」とあるので、ショウペンハウエルの「読書について」の訳本かとおもったら、見事に渡辺昇一の本だった。
第一部はショウペンハウエルの障害と哲学についてを30ページで概要するという荒技。そして、第二部はショウペンハウエルの「読書について」の新訳引用と解説。
しかし、解説と言っても、純粋にショウペンハウエルの言葉を解説するのではなく、渡辺昇一がどう思うか/考えているかなど、時にはショウペンハウエルを批判しながらの面白い構成になっている。
内容の「読書について」なのだが、ショウペンハウエルと渡辺昇一の二人の読書観を味わうことができるので、楽しい。
読書について、批判的な部分や、読書における工夫など様々あるが、しかし、これは「読書」のみならず、原題では「メディア」と置き換えてしまってもよいと思う。
そういう視点でもって以下の言葉をみてもらいたい。
「読書する人は、自分で考える能力をしだいに失っていく」
「多くの学者が読書して馬鹿になってしまった」
メディアに対するリテラシーを鋭く指摘した本だともいえる。
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【内容紹介(amazonより)】
書籍、雑誌、新聞、ネット……。現代社会はまさに情報が氾濫している。ショウペンハウエルが憂いた、良書を見つけるのが極めて難しい時代である。
「読書する人は、自分で考える能力をしだいに失ってゆく」
「非読書術」まで説いた、ショウペンハウエルの真意はどこにあるのか。
稀代の読書家であり、現代の碩学が、ショウペンハウエルの人生と考え方からその真意を解説し、自らが身につけてきた「知的読書法」を紹介する。
本書は、考える力を養うための、書物との付き合い方である。
若人よ、恐れるな。本は頭脳となり、生きる指針となる。
【内容(「BOOK」データベースより)】
考える力を養うための知的読書法とは。書籍、雑誌、新聞、ネット…。情報が氾濫する現代社会をどう生きるか。血肉となる書物との付き合い方。わかりやすい新訳で読む古典の名著。
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編訳しすぎじゃね?元の本を読んだことないからなんとも言えんけど…
でもそれなりの学びの整理になったのでまとめておく。
本を読むことは人に考えてもらうこと/自分で考える努力を/質の読書の前に量の読書が必要/自分の専門の古典に触れてみる/
でもなんだか内容が薄められてる感は否めない。
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新訳ショウペンハウエルの『読書について』ということで
新訳で読書についてという名著を読めると思って
買いましたが。。
全く意図の違う内容でして、訳者の渡部昇一氏の完全な
自作で、ショウペンハウエルの『読書について』は訳者
の言いたいことや書きたいこととこじつけた一文程度が
のせてあるだけ。。。
また訳者の言いたいこともあまりにも陳腐でほとんど
読むに値しないものになっているような気がします。
これって詐欺じゃないかと思ってしまいます。
これは本当にひどい内容であると思いました。
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後半の名言集のようなところを斜め読みした程度だが、
『多読によって悪書を見抜けるようになる』『90%は読まなくても良い本だ』のようなことを述べている言葉に勇気づけられた
平均以上に読書をする人は一度目を通して損はない、と思う
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よくある「古典を抜粋して良いとこだけ集めました」系の本。抜粋するだけして解説もそこそこに結局筆者の意見展開ばかりになりがちなのが…
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本を読むとバカになる,とあるが.これは本を読むことは
他人に思考を委ねる事で自分で施行するということ
を放棄するという事から言及している.
そうならないためにはショウペンハウエルは反芻して読むと語っている.
ある一部分に対しての約と著者の意見が多い.
著者の主張とショウペンハウエルの主張が異なる場合もあり,訳された一文について考える手助けをしている.
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ショーペンハウエル著というフレーズに思わず手に取りましたが、
渡辺昇一さん著ってな感じの本でした。
ショウペンハウエルの読書についての言葉2~3行に対し、
渡辺昇一さんの解説(というより自分の体験談)が2~3ページ。
とてもわかりやすいと思える部分もあれば、この解釈は違うのでは?みたいな部分もあり、
まるで自分も加わってディベートしているような楽しい読書時間でした。
でも、でもでも、ショウペンハウエル著ってのは無いんじゃない?
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名言と格言に、編訳者の解説が書かれてる本。
二部構成で、第一部は、ショウペンハウエルってどんな人?みたいな内容で
第二部は、「読書について」の感想文みたいなものが書かれてる。
あと書きのような物もなく唐突に本が終わってるので、この本ってこういう物なの?って疑問符が残ったままで終了した。
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解説?がうざかった。ショウペンハウエルが書いた文章の部分だけを立ち読みすれば十分だと思う。解説というよりも解説者の感想で、その感想も自分のことばかり書いてあって面白くなかった。