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昔読んだ本を読み返して、参考文献として紹介されていて気になってので読んでみました。写真がたくさん掲載されていて、文章も読みやすかったのですがイマイチ物足りなさを感じました。
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『ヒジュラ』とはウルドゥー語で 、両性具有者を意味する。 (といっても今は去勢して『ヒジュラ』になるものがほとんどだが。) 男でもない、女でもない。シャーマンではあるが、時には呪いをかけたり、売春もする。 ますますインドに興味が湧いてきた一冊。
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LGBTQの本棚から
第43回「ヒジュラ インド第三の性」
今回も少々お古い本……。
といってもよくみたら1995年であることに驚く……。
だって、いまとなったらものすごーく古く感じるんだもの。
「ヒジュラ インド第三の性」……。
ということは、1990年代までは、LGBTQはたいして問題にされてなかった、ということになるね。
この本で、男でも女でもない人たちが存在する!
ということに、当時は少なからずショックを受けたのだから……。
(結構話題になったような記憶がある)
この人たちがなんなのか……はいまもって私にはよくわからないのだが、インドには昔からいて、みんなとは別の場所で集団で暮らし、普段は蔑まれているが、祭りのときには神になって、みんなに祝福を与える、のだそうだ。
(生殖に関係できない者は僧侶になる?
という萩尾もとの「11人いる」は1975年なのだから、それよりはるかに前だということになる。凄いねぇ、漫画家さんは。知識が半端でないよ)
たぶん、ゲイの人や肉体的に半陰陽だったり、トランスだったりする人たちの、ゆるい集団なんだろうな、と……。
西原理恵子のコミックエッセーのなかで、インドのヒジュラの人たちのことを、とてもとても優しい人たちなのだ、と描いていた。
英語にはHeとSheしかなくて、ということは(言葉がないということは)はじめからいないことになっている、ということだから、それに比べるとインドのほうが、人間をよく観ていた、ということになるのかな。
1995年はウィンドウズ95が出た年……つまりコンピューター元年だ。
このあたりから、宝島がレズビアン特集をしたり、だんだん解き放たれていったような気がする。
でもいま思い出すと理解されてきたといっても、当時はダサくてどんくさくて、本当に何十年も大昔のように感じる……。
本当に、それがたった20年前とは思えないくらいだ。
そう思えば、理解と解放も格段にされてきたんだよね、と思える。
まだまだ、まだまだ、なところも凄くあるけれども。
言葉がある、というのは本当に強いことなんだな、と思う。
2018年04月02日