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2017年に読んだ本でものすごく好きだった本を3冊選ぶとしたら、そのうちの1冊がこの著者の『雪の鉄樹』でした。これもきっと好きにちがいないと手に取りました。
大阪のとある町、殺風景な居酒屋を営む主人公・藤太。そんな愛想の悪い独身の四十路男が、25年ぶりに訪ねてきた友人・秋雄から小学生の女の子を押しつけられる。これだけ聞けばコメディ映画にありそうな話。けれどもそんな話とは対極にありそうな、とてつもなく重い物語。
藤太と秋雄、そして少女・ほずみの母親いずみの3人とも、ろくでなしの親のもとに生まれました。3人をめぐる恐ろしい過去。『追憶』にも似た話ながら、こちらのほうが絶望的。絶望のなか、このうえなくいい子のほづみとガラの悪い常連客にしばしば泣かされます。
生粋の大阪人のくせに標準語を貫こうとする藤太。その理由はもっともだと思えるもの。だから最後がたまらない。この著者は私のツボ。
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遠田さんの書く主人公て、こうも救われない人ばかりかと言いたくなるくらい破滅型の人が多く。
自暴自棄になって、救われての繰り返しで、読んでて辛くなるが、最後まで読ませちゃうのは、小説としては、素晴らしいのでしょう。
ほずみちゃんがいて、何とか少しは未来が切り拓かれたのが救いですね。
どなたかも書かれてましたが、最後のアクション?みたいなドタバタは余計な気が。
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こんなに辛い話に引きずり込ませるなんて
遠田さんひどいです(TT)
藤太、秋雄、いづみ、ほずみ。みんな幸せであったと祈ることしかできません。
ほんとに辛くて酷すぎる内容だけど、本物の思いやりとしあわせを教えてくれたお話でした。
ひさしぶりに読書できたけど、読んでよかった!
おすすめの作品だけど、だいぶエグイのでご注意ください!
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救いが殆どない哀しい話だが、圧倒的な描写力にどんどん引き込まれる。とても女性の作家さんが書いたとは思えない骨太さ。罪人の末路と言えばそれまでだが、運命に抗う藤太の最期が眩しい。藤太は竹原ピストルさんをイメージしながら読んだ。
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はっきり言ってこれは、読むのがかなりつらい話でした。
つらいというのは、内容が悲惨だということで、小説としての完成度は星5です。
一人で、居酒屋「まつ」を大阪で営む藤太のところへ、中学校の同級生だった40歳になった佐伯秋雄が25年ぶりに訪ねてきます、
秋雄は小学校4年生の女の子、森下ほづみを連れています。
「この子はいづみの子なんや」といいしばらく預かってくれと、置手紙と500万円を残していかれ、藤太はとまどいながらほづみの面倒を見始めます。
藤太、秋雄、いづみは中学の同級生で、三人の親たちは賭け麻雀をする仲間で、三人は親たちに虐げられていました。
でも三人は、三人でいるときだけは明るく、リコーダーの練習をしたり、「まつ」に集まってポーランド人のカレル・アンチェル指揮の「遠き山に日は落ちて」の元曲である「新世界」の楽曲を聴きながら、将来の話をして、心を通わせていました。
しかし、親たちの虐待が酷く、いづみの父は麻雀の負けたかたに、いづみを三人の男たちに差し出します。
それを知った藤太と秋雄は、いづみに知られれずにいづみの敵討ちをとんでもない方法でします。
その事件のあと、三人の交流は途絶えます。
25年後、秋雄の連れてきたほづみは秋雄の子供ではありませんでした。
弁護士になっていた秋雄は、担当していた少年犯罪に巻き込まれて行方不明になります。
いづみの行方も全くわかりません。
そして藤太のところにほづみの父親を名乗る人物が現れますが、何ともいけ好かない人物で、藤太は強い不信感を覚えます。
藤太、秋雄、いづみの置かれた中学のときの家庭環境は考えられない劣悪な状況だったと思います。
特にいづみの環境は悲惨すぎるものでした。
藤太と秋雄の起こした犯罪は同情を禁じ得ないと思います。
そして、最後の秋雄の告白も読んでいてつらかったです。でも秋雄を責めることもできないと思いました。
藤太も死ぬほどつらかったと思いますが、ほづみと一緒に生きていってほしい。それしか言えません。
いづみの残した最後の、藤太との密やかな笑顔を向けているツーショット写真。ほづみはそれを選んだのですから。
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小学生の仲良し3人組。
そして、その親父たちも毎日、賭け麻雀・酒に明け暮れ、時には暴力も振るう毒親父。
とにかく重すぎる。
『不幸』『幸せになってはいけない』…
そんな言葉が私の精神をも落としていく。
とにかくホッとする間もなく、切なく・重い。
(唯一、ハンチングの人間性がいい!)
このネガティヴ感、私は苦手だな〜…
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再読。カレル・アンチェルとチェコ・フィルの9番を聴いた後で、改めて読みたくなったのだが、前回読んだときとは、また異なる思いを抱くことになりました。
藤太、秋雄、いづみ、この三人の人生は再読でも、とても痛々しく、思わず目を覆いたくなるような、筆舌に尽くしがたい悲しみに加えて、その要因が、それぞれの親なのだから、余計にやるせない。
しかし、それでも私は、アンチェルのあの出来事と、彼らの悲しみを比較するのは違うと思うし、それは、どちらがより辛いとかの概念ではなく、そもそも比べる事ができるような、そんな単純で軽いものじゃないでしょ、人生って。
ただ、それを生きる為の希望と感じられる事も、本書から読み取れて、おそらく、彼らの青春時代は、アンチェルの音楽(ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》)で表現された、まさに『新世界』を夢見ていて、今はどれだけ悲惨な思いをしていても、いつかきっと、そんな世界に辿り着けると思っていたことでしょう。
前回の感想で、私は、藤太の最後の場面について、「僅かな晴れ間がのぞいたのだろう」と書いたのですが、今回の再読はそうではなく、実は誰よりも、潔く覚悟を決めていたのではないかと感じました。
そこにあるのは、その行為が、どれだけ人生に影響を与えるのかということで、それは、『どこにも行けず、袋小路を虚しくさまようだけの人生になる』と、藤太自身感じているように、そんな思いを、ほづみにだけは絶対にさせてはいけない、ここに、これまで逃げてきた彼の、償いを為さんとする、剥き出しの覚悟が窺えた気がしました。
新世界は、藤太たちにとって、『あの頃の俺たちのすべて』だったのが、次第に苦痛へと変わっていき、終いには『たどりつけない世界』へと感じられたのかもしれない。
しかし、私は、タイトルの「アンチェルの蝶」には、『新世界へと旅立つ蝶』の意味があると感じており、無事そこに辿り着けるのかは分からないけれど、それでも最後の蝶の旅立ちには、藤太、秋雄、いづみ、それぞれの夢がやっと動き出してくれた、そんな風に感じられたことが、本書を読んで、最も嬉しかったことでした。
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重い。
前半は藤太がぐずぐず言っててなかなか進まなかったけど、過去のことが明らかになるにつれて目が離せなくなっていく。
悲しい話。でも最後はなんとか持ち直す方向で終わって良かった。
余談だけど、遠田さんの下ネタはエグくて苦手。蓮の数式は冒頭で挫折した。
[ストーリー]
藤太の営む居酒屋まつに、秋雄が、いづみの子どもだというほづみを預けて失踪する。3人は仲が良かったが、3人の父親たちが焼死した火事の後、中学卒業をしてから25年疎遠だった。
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父親が営む居酒屋「まつ」を継ぎ、客とはほとんど口をきかない藤太と、幼なじみで弁護士の秋雄の二人がずっと想いを寄せていた、いづみ。
中学を卒業以来、音信不通だった秋雄が、小学生の少女を連れて現れた。
その少女は、ほづみ。いづみの娘だった。
時代や環境もそうだが、やっぱり子は親を選べない。
いづみは、藤太との淡い思い出だけを大切に辛い環境を生きてきたのかと思うとやりきれなくなる。
ほづみが来てから、まつの常連客も、店の中も何より全てに壁を作ってきた藤太が、少しずつ変わっていくのが良かった。
数年後は、小綺麗になったまつで、忙しく手を動かす藤太と、ハンチングや常連客に、バレエの話を聞かせているほづみが居て欲しい。
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子供は親を選べないやりきれなさに打ちのめされるも、一度は世を捨てた男が人間らしさを取り戻していくさまは遠田作品の根底にある優しさを感じずにはいられません。男親達のあまりの非道ぶりに吐き気さえ覚えたので読むには少しだけ覚悟を決めてください。
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う~ん。ウ~ン。
小説は本当に起こりそうなことを書くフィクションだというけれど、この小説に出てくる、“酒”“暴力”“ギャンブル”に溺れ、子供を子供とも思わない最低な親は世の中に沢山いるかもしれないが、いずみちゃんほどひどい目に合い続ける子は本当にいるのだろうか。そう思う時点で、私は葉山和美弁護士のように世間知らずなのかもしれない。
舞台は大阪の南のほう。暖簾も壁も何年も掃除していない油ギトギトの場末の居酒屋<まつ>。店主は足を引きずり、客は堅気かどうか分からないような最低の客ばっかり。店主であり主人公の藤太は「どうせこんな店」「自分はいつ死んでもいい」と思いながら、生きるために、ずっと店をやり続けている。
そんなある日、店を閉めてからひと目で“負け”を感じてしまうような、小ぎれいな男が小5くらいの女の子を連れて訪ねて来た。「藤太、久し振りやな。」という。よく見るとそれは、かつて親友であったが25年間一度も会わなかった秋雄であった。
25年前に何かがあって一度も会わなくなったということは、彼らは60歳くらいなのかと思った。だけど「中学卒業以来一度も会っていない」という。そして、連れていた女の子は同じく彼らの同級生で25年間会っていない“いずみ”の子供の“ほずみ”だという。今や少年犯罪の件で有名な弁護士となっていた秋雄は何故かほずみの保護者となっており、「今俺は危ないことに巻き込まれているから、ほずみを預かってくれ」と言ってきた。
たった15歳の時に彼らに何があって25年間も会えなくなったのか。そして、それでも仲間の子供を預かるほどの彼らの絆って何だったのか?
そしてもう一つ謎だったのが、このような店でちょっと場違いに思われるような(失礼)、ドヴォルザークの「新世界より」……それもカレル・アンチェル指揮、チェコ・フィルのが彼らの拠り所になっていて、特に「家族全員がナチの収容所のガス室で虐殺された」というアンチェルの人生がキーワードになっていて、ますます訳が分からなくなった。
舞台は彼らが小5の時に飛び、藤太、秋雄、いずみの父親は麻雀仲間で酒とギャンブルに溺れ、子供に暴力をふるう飛んでもない親たちだった。その共通項で寄り添いあった彼ら三人は親友というより恋人というより家族のような絆で結ばれていた。
彼らとドヴォルザーク交響曲「新世界より」の出会いは、小学校の時の音楽のリコーダーのテストだった。一緒に「遠き山に日は落ちて」(「新世界より」第二楽章)を練習していた彼らは
「“遠き山に”って大阪には山なんかあらへんし、分からへんやん。」
「天保山があるやんか。」
「やっぱり本物聞かな分からんのちゃうかと思て、お母さんのレコード持ってきたわ。」
といずみの持ってきたレコードを秋雄の家のステレオで三人で聴いたのが、カレル・アンチェル指揮、チェコ・フィルのドヴォルザーク交響曲 第9番「新世界より」。
聴きながら、いずみは解説に載っているアンチェルの経歴を読んだ。ユダヤ人であったため、家族全員をナチの収容所で殺されたが、戦後チェコ・フィルの音楽監督となり………。
「すごいな。こんなつらい���に合ってもこんな素晴らしい演奏ができるんやね。」
「俺は、決めた。俺は新世界に行く。あんな親父に<まつ>を任せられへん。おれは、もっと料理を勉強して、店をきれいにして、<まつ>を一流の料亭にするんだ。」
「私も、一緒にやる。」といずみ。
アンチェルの「新世界より」は彼らにとって希望の音楽だった。
でも、まさかそれが彼らを一生苦しめる音楽になるとは…。
ちょっと書きすぎました。
貧しさ、苦しさ、悪い大人、純粋な子供、友情、愛、絆、希望、絶望…そんな色んな要素が“アンチェル”と“蝶”に反映されてうまく盛り込まれていたと思います。けれど、“盛り込まれすぎ”感もありました。あと登場する大人たちがどうしてこうも劣悪非道な者たちばかりなのかという点とその子供たちが良い子過ぎることと、小説を盛り上げるために、登場する子供たちを不幸にし過ぎている感に違和感を感じてしまいました。
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大阪が舞台の小説。どん底に陥っている男が、昔好きだった少女との交流により前を向き始めるストーリー。死や罪といったものが、胃の腑にどじりとのしかかってくる重さを感じた。軽はずみな気持ちでは耐えられない読後感。
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飲み屋を営む藤太の元に中学まで仲の良かった友人、秋雄が少女を連れて訪ねてくる。短い会話の後説明もなく少女を置いて去っていった秋雄。過去に何かあったはずだが最初はまだ明かされない。
ただ生きてるだけ、投げやりな生活を送る藤太。少女と過ごす共同生活を経て少しづつ心に変化がおき少女の為に生き方を改善しようと明確に決意したときは安堵の声が漏れるほど藤太に感情移入していた。
そして少しづつ明かされる過去の凄惨な出来事。
藤太と秋雄といずみ、毒親の元でも3人 心寄せあって生きようとしていたのに、、その父親たちのあまりの人でなしさに言葉を失った。読み終わった後もずっと考え続けてる。なにかもっと救われる方法が他にあったのでは、と。いずみに起こったことは筆舌に尽くし難いほどに惨たらしい。いずみの生涯を思うと読み終わってしばらく経つ今も心が抉られるようです。
何か少し違ってたらまた違う未来があったのかもしれない、とも。
秋雄の最後も辛い。親を手にかけた時から、いやその前から救いきれない傷みをひとり抱えてたのではと、思うといたたまれない。救われて欲しかった。
藤太の打たれ強さが救い。最後はどうとでも取れる幕切れだったけど2人のもとに光が差した、と思いたい。
ちょっと忘れられない読書体験となった。
かなり引きづり感想書くまで時間がかかったし遠田潤子さんの描き出す世界は重くキツいけど、また他の小説も読んでいきたいと思った。
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人生を諦め切った人間が、一人の女児の存在により再生していく姿を、見事に描いている。とても感動しました。
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ドヴォルザークの新世界を思わず聴きながら読みました。辛い内容でしたが、過去に何があったかが明かされていき、読むのが止まらなくなりました。