紙の本
本ってルックスもだいじ
2009/05/15 10:07
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きゃべつちょうちょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
角川文庫に問い合わせたのはいつのことだったかしら。
「毛皮のマリーは発売されないんですか!!」
そのときのお答えは予定はないということでした。
角川文庫の寺山修司がハナエちゃんの表紙で
とってもおしゃれにキュートに蘇ったとき
嬉しくて一気に購入。そのとき気になっていたのが
「毛皮のマリー」が入っていなかったってこと。
当時ちくま文庫の寺山全集みたいなのがあってそれに収録されていたのですが絶対にかわいらしいこのハナエちゃんバージョンの角川で読みたい!!
と思ったものでした。
本屋さんでみつけてすぐに抱きしめるように買って帰ってきました。
じつは日本が舞台の戯曲って苦手意識があったのですが
これはおもしろかった。寺山ファンということもあるのですが。
戯曲というのはもちろん、役者のイメージから始まって見せること、聞かせることを意識して書かれたものだから小説とはまったく違った趣き。
きらめくせりふの数々。そこにはただ情報としての言葉が並んでいるのではなく、生きるということを端的に表した宝石が詰まっています。
「血は立ったまま眠っている」はテーマがすこし難しすぎて読むのが遅くなりましたが、それでもせりふの煌きだけは眩しかった。
小説よりも「ひらかれた世界」がそこにはあって人間を感じられる。
そういう可能性が戯曲には、寺山修司の戯曲にはあると思います。
それと・・・・・・。最近角川文庫っておしゃれになりましたね。
ついつい欲しくなってしまう装丁。本もルックスはだいじです。
手にとるきっかけにもなるしね。
電子書籍
変幻自在の戯曲集
2020/05/08 13:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
倒錯的な世界観や、背徳感たっぷりとしたキャラクターが目白押しです。今の若い役者さんにも、挑発的な演劇にチャレンジしてほしいですね。
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面陳されていたので迷わず購入。
一番演劇として見たいと思ったのは「星の王子さま」
童話の世界にどっぷりな生活って幸せだと思うんだが。
美輪さんの「毛皮のマリー」も観にいきたい。
雰囲気に酔いそう。
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マリーさんより、星の王子様が面白かったな。芸術系の学生と話しているとこの手の感覚を受けるときがあるし、私自身も、なんていうかそういうドツボにはまってんじゃないかと。ゾッ!私は誰の代理人なんだ!って話も、アフォリズム集で読んだことあったけど、こんな流れだったのね。同じく、ゾッとするね。
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読んだので、とりあえずあげとく。
う~ん、戯曲の読み方が相変わらずよく分かってない私w
とりあえず一冊通していくつかの戯曲を読むと、寺山ワールドはいろんなモチーフが繰り返し出てくるんだなあ、と。って、リンゴ。
寺山修司と言えば私には、竹宮惠子経由でちょろっと知ったぐらいでしかないんすよね。(追悼漫画とか好きっす)
読みながら、寺山さんはジルベールの行く末をどう思ったのかな~と聞いてみたい気に。
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物語をつくる人の中には、ふたつの人間がいる。
ひとつのテーマを繰り替えし使うひと。
おんなじテーマは二度とつかわないひと。
寺山氏は、繰り返しつかう人であり、また、昔自分がつくったお約束をちょっとずつ替えていきながら、同じテーマを「完成」に近づけていくような人なのかもしれない、と思った。
いわゆるオカマのような人が登場する作品だが、風呂でわき毛を剃るシーンから始まり、それがとにかく衝撃。想像してしまう自分に、またその想像力に自己嫌悪してしまう。
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戯曲も寺山修二も初体験。想像していたより、エンタメ色のある楽しい戯曲だった。
「毛皮のマリーになんて、なるんじゃなかった!」醜女のマリーを演じてみたい。
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他の方のレビューを読んで、「さらば、映画よ」がサイコパスにて引用されていたことを知った。現代、なにもかも代理人に任せているという感覚は新しいけれど、なるほどと思った。
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1960年。演劇実験室では歴史も政治も自分自身も…この世の全てはお芝居だと。夢、まぼろしの物語だと暴く怒れる若者がいた。時代の匂いをたっぷり含ませて未だに色褪せない世界観と言葉。
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友人の紹介で戯曲集(いわゆる劇の台本)に初挑戦。
妖艶かつ淫靡な寺山ワールドが余すところなく詰め込まれた名作。
美しい表現とは対照的に醸し出される淫らな空間。
何かに酔っぱらったような感覚に襲われる表題作「毛皮のマリー」。
一方で、戯曲ならではの音楽じみた文学的表現を用いて、人の心の闇をえぐりだす技術も素晴らしい。
安保闘争を描いた「血は立ったまま眠っている」、愚かな人間家庭の堕落ぶりを神格化して描いた「アダムとイヴ、私の犯罪学」はその最たるもの。
サン・テグジュペリの名作星の王子様を独自の視点で描く「星の王子様」も魅力的だ。
戯曲集は読んだことない人も、一度は読むべき。
舞台が見たくなる。
引用:親愛なる後輩 古野
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寺山修司さんの戯曲。
≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫の引用から興味を持って。
≪さらば、映画よ≫
「映画なら上手も下手もないですよ」
「映画もつまんない。ハンフリー・ボガートが死んでしまったもの」
「そうね、俳優がほんとに死んじゃっちゃいけないなあ。俳優は映画の中で死ぬべきですよ。ストーリーの中で死ねばいいんだ。そしてまたべつの映画の中で生きかえる。歴史の反復性……輪廻。それなのにハンフリー・ボガートは映画の外で死んでしまった。何てわがままな人だろう」
「『誰も私に話しかけてくれない』って遺書を残して死んだソビエットの養老院の老人の記事を読んで、母は薄笑いをうかべて『自分で自分に話しかければいいのに』って言ってました。むろん、私もそう思っていた……」
「『吃り対人赤面恐怖は治る』って研究所へ入ってたでしょ?」
「ああ、あそこ。あそこにだって、『他人』なんかいやしませんでしたよ。あそこはまるで納豆の糸のひきあいみたいなもんだ……『万有引力とは引きあう孤独の力である』ですよ。あそこにいるのは、みんな私だ。他人なんかいやしないんだ」
「どこへ行っても私がいる。どこへ行っても他人がいない。畜生。ハンフリー・ボガートめは、うまいことしやがった。あの人は映画の中でも死ぬことが出来た。映画の外でも死ぬことが出来た。地球を二つに割って、その片方に腰かけて、もう一つの片割れがスクリーンの中をゆっくりと浮游するのを見ながら自分で自分の他人になることが出来たんだ……。だが、私は私自身の他人にはなれない。私にはスクリーンがない。私が映画の中で死ねると思いますか?」
「何もかも……何もかも、ありとあらゆる問題は、すべて『代理人』のせいなんです」
(いささか白んで)「だれです? その『代理人』ってのは?」
「それを……(と考えて)私も知りたいんです」
「だが、ある日私はふと考えた。どいつもこいつも『代理人』の世の中だ……私もきっと誰かの『代理人』なのではないだろうか? だとすると、
私は一体、誰の代理人なんだろう。
どこかの町の片隅に、私を『代理人』にえらんださみしい中年男がいて、私は、その男のさみしさを、代りに味わっているのじゃないだろうか?」
≪アダムとイヴ、私の犯罪学≫
「ああ!と俺は思った……俺は自分の幸運を食っちまったんだ。それからというもの、俺は林檎を食わない……林檎なんか見るのも嫌だ。本当のことを言うと、林檎がこわくなってしまったのさ」
≪毛皮のマリー≫
「どうして、殺したの?」
「これ以上長生きさせると翅がボロボロになって、きたなくなるだけだから」
「ジーン・ハーロウの映画、観たことある? ジーン・ハーロウはとてもいい女でしたよ。百万人に愛されて、映画の中でも何度も死んだ、そう、何度も死んだ。おまけに映画の外までも酔っぱらって、自動車事故で死にました。死に方はぜんぶまちまちで、それぞれべつの名前がついていた――すてきね、何度も死ねる人は、何度も生きられるんですもの」
「詩人���、ことばで人を酔わせる酒みたいなもんです。ときには、ことばで人を傷つけたりすることもできる。ようくみがいたことばで、相手の心臓をぐさり、とやる」
「場合によっては、ことばで人を殺すことだってできますが、」
「雨だけは、だめです。あいつばかりにゃ、ことばは勝てぬ」
≪血は立ったまま眠っている≫
≪星の王子さま≫
かの有名なサン=テグジュペリの≪星の王子さま≫について、つとつとと。
≪毛皮のマリー≫は、美輪明宏さんが、舞台で演じたこともあるから、知っている人は、知っているでしょう……。
以前、寺山修司のなんだのといった、ちいちゃな個展みたいなものがね、ありましてね、ポスターだの、なんだのが、ざあと置いてあったのです。
わたしは、≪カリガリ博士≫の文字に惹かれて、見に行ったわけですが……
あのとき、わたしは、≪毛皮のマリー≫の存在も、知っていた……
このたび、アニメ≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫で寺山修司をまた見ることになった……
嗚呼、なんの因果か……
サン=テグジュペリも、そう……
≪星の王子さま≫を知らない人は、殆ど、いない……
わたしは、箱根にある、≪星の王子さまミュージアム≫にも行ったことがある……
重すぎて持っていけない……
嗚呼、嗚呼、巡り巡ってふたたび……
同性愛が、そこかしこ。
≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫の槙島聖護は、そうさね……
ひとりぼっちの、淋しい……
全編通して……
…………。
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戯曲は面白い。小説と異なり物語の情景が、観客席から舞台を観ている視点と状況として目に浮かんでくる。大きな劇場ならば豪華なセットを想像できるし、小さな小屋を想像するならほとんどが見立てとなる。奥行きだけは曖昧にならざるを得ないし、想像と実際では上下は異なるかもしれないが、たぶん想像する動きは違わないだろう。この本には5編の有名な寺山戯曲が収められているが、最も好きなのは「アダムとイヴ、私の犯罪学」だなぁ。
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舞台を観に行くので予習。「血は・・・」は1960年初演だそう。安保闘争激しかりし時代の空気を思い出します。寺山修司がもっと長生きしていたら、今、どんなものを書くのでしょうね。とは言え、年月が経っても古くならないのはさすが。好きかどうかは別として。
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寺山ワールドはドクドクしてていい。
いつでも焼けて無くなってしまいそうな怪しさ。
今度舞台を観に行くので楽しみです。
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森田剛くんの舞台に行く前に読んでおこう、と思って購入したんだけど、「毛皮のマリー」を読み終わった時点で、これはこのままにしておいて、舞台を観終わってから読もうかな、と気持ちが変化。
不思議なこの世界がどんな感じに表現されるのか楽しみにしておこう。
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どれもこれも名作。劇みてみたい。
台詞とナレーターで、こんなにも情景を思い浮かばせるってすごいことだと思います。
小説とも本当の劇とも違った、不思議な味のある作品。素敵。