紙の本
サラリーマンの倫理と資本主義の精神を考える
2011/03/31 21:17
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
組織における人間、日本ではそれはサラリーマンと総称するが、この問題は近代資本主義諸国において共有された「悩み」ではないだろうか。「困難」というほど、深刻なものではないだろうが。専門職業人として一匹狼で生きて行けるほど強いわけではなく、かといって日雇い労働者のような不安定な身分と収入に踊らされているわけではない。そして、このふらつきのすき間をねらって、実にさまざまなビジネス書が投げ込まれる。
本書もそんなビジネス書の1冊といっていいだろう。多くの著作を上梓している経営学者による一般向けの書である。「会社制度」について、法制度やさまざまな事例をもとに解説するのが主旨である。いろいろなところで書かれたものを集めたらしく、雑然とした感じもしなくはない。また、何か即効性(資格試験など)が目指されている訳でもない。しかし、本書はサラリーマンの「すき間」に確かに入ってくる。
本書、またこの著者がさまざまな書籍で一貫して主張していることは、実にシンプルである。私なりに整理させてもらえれば、資本主義とは「金儲け」が目的なのではなく、「天職」を追求できる社会だ、ということである。「なんだウェーバーそのままじゃん」となるわけだし、実際、本書の最終章はそのまんまである。しかし、著者は大上段にふりかぶって、からまわりしそうな主張を、親しみやすい語り口やエピソードをもとに、日常レベルでの「腑に落ちる」感覚にもっていく。
たとえば「株」というものの役割については、映画「タッカー」の紹介からはじめる。私も一度だけあった地上波放送を、とても面白く見ていたのよくわかる。著者が注目したシーンとは、「新車発表会」でタッカーが売ろうとしたのは、新車ではなく「新車をつくる会社の株」であったことである。株とは「投資」なのである。あるモノを実現するために夢を共有することなのである。また、「会社は誰のものか」という大所高所の議論に対し、ペット愛護の事例をもってきて、「所有権」の問題を考えさせる。「所有」しているから、といって何でもできるわけではない。所有には責任がともなうのである。
天職を追求できるといっても、それを続けられるのはごく限られているはずだ。しかし、それを描く余地のある社会を維持し、一方で、自らの仕事になんらかの手応えが得られるようなものとする。彼が言っているのは、実はそんなごくごく平凡なことにすぎない。
国難ともいえる状況の中で、日々の仕事に追われざるを得ないサラリーマンの我が身を顧みて、疑問に思うことも少なくない。そこには大いなるすき間がある。そのすき間を考え続けるきっかけとなる一書になろう。
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妙に口語表現が多いであるとか、議論が一貫しないであちこちにふらふらするというか。ヤオハンの再生の時の話など面白かった。
確かに、生産性の高い経営者を科学的に再現性高く生み出す手法があるわけでもないし。「アニマルスピリッツ」「資本主義の精神」の涵養は結局はブラックボックスのまま。
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最初読み始めて、後回しに。
つまらなそうと思ったからだけど、読むものなくなり、こないだ手にしました。結論。意外に面白かったです。
かなりくだけた書きぶりですが、それだけに建前捨てて本音がそのまま。
そして、なんとエンロンやら内部統制がらみの話題が豊富。
一度原稿取りに研究室まで行って、30分くらい話したことがありますが、そのずっと前に、会計検査院の研究員などもしていたことがあったようです。
そこまでは当時リサーチしてなかったな〜。本を何冊か読んで原稿の企画ネタについて、引き出そうとしてました。
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学術的で面白くない。経営者はモラルのある人間を選べ…ってのが主張なのか?ただ、経営史を学びたいかたにはお勧め
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タイトルに興味を持ってこの本を手に取ってみたのですが、ダメになった会社の原因を解説しているというよりも、資本主義を支えてきた会社とは何か、ということが詳しく触れられていると思います。特に会社法の歴史的な変遷については興味深く読むことができました。
破たんする直前まで格付けで最高ランクを取得していたエンロンや、同じく破たんする5年ほど前は大きな利益を上げていたGMは、なぜダメになったのか、この本にはそれほど詳しく書かれていませんでしたが、今後はこの原因についても研究してきたいと思いました。
以下は気になったポイントです。
・借金でも贈与でもなく、企業家が負担するリスクを少しでも軽減する方法や仕組みが「会社」であった(p32)
・有限会社の既得権として、1)決算公告義務がない、2)取締役任期がない、である、有限会社法は2006年に廃止されたので、これから新しく有限会社を設立不能(p55)
・商法改正で株式額面が引き上げられた、20→50→500→5万円の額面変更となった、額面総額が5万円となるように、最低取引単位が決められた(p57)
・1990年の商法改正までは、最低7人の発起人が必要であり、額面5万円なので最低35万円が資本金として必要であった、それが改正により1000万円となった(p61)
・1996年4月に最低資本金を満たせなかった会社を解散したものと見做されていたので1997年に廃業率を倍に押し上げた、そこで2003年2月に最低資本金を1円にした(p63)
・1993年の商法改正により株主代表訴訟が一律8200円になった、それまでは、95万円程度であるとされていた(p69)
・三井などの財閥では、出資者の一族がその財産のすべてを保有する「総有制」を採用した、資産を総有してその利益をすべて自分のものにできるかわりに、資産を売却することができず、途中で投げ出すことは許されなかった(p92)
・破たんするまでの間、エンロンの姿勢を正すべく機能するはずだった仕組み、特に外部の第三者機関である者たちはただの共犯者であった、フォーチュン誌は、1996~2001年まで6年連続で「米国で最も革新的な企業」に選んだ(p106)
・JPモルガンチェース、シティは証券取引委員会と和解して、事実上の罰金として、1.3億、1.2億ドルを支払っている、エンロン株主集団訴訟では、22億ドル、20億ドルの和解金を払った(p106)
・大和銀行では、2001年12月に大阪高裁で、被告側の旧経営陣49人が、総額2.5億円を銀行に返還するという内容で和解した(p118)
・生存競争をして適者生存で生き残ったものは似てくる、環境の淘汰圧力によって進む同型化のこと(p128)
・GMは2004年2月~2005年3月において、GMI評価(ガバナンス評価)で満点の10点を獲得していた(p145)
・日本、英国、カナダ、オーストラリアは米国的であるが、中南米は家族所有、ドイツ、フランスは金融機関や政��による所有形態である(p148)
・ドイツでは従業員500人未満の中小企業を除く、すべての資本会社の被用者に対して、監査役会で企業レベルの共同決定の権限が与えられる(p150)
2011/3/14作成
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成功したはずの会社がなぜ失速するのか?その原因は経営者の精神にある。 大切なことは、まともな人間を経営者に選ぶということなのだ。
会社とは何か。根本的な事を考えさせられた本である。弱肉強食の社会ではあるが、世の中にはスポーツマンシップというか、ジェントルマンというか、世間様に申し訳ないというか、モラルが無いといけないのであろう。
ところが、今の世の中では度を超えて利己的な社会になってしまっていている気がする。
牛肉に限らず、市場に流通させてはいけないものが流通してしまう世の中に、本書は大切なエッセンスが詰まった一冊である。
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資本主義とはなんぞや、経営者とはどうあるべきだって、正面から語ってます。言われるもなく、っていうあるべき姿。大切にしたいものです。
学生時代、ひとコマだけ講義聞いた覚えがある。
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筆者は一貫して、新自由主義的経済を忌避している。
というより、経済学そのものを疑ってかかっている。
経済合理的に動くホモエコノミクスなる者は本来この世に存在しない と私も思っている。
ユーモアを交え、人の世の経済活動なるものを著者のものさしで書いている。
読んでみて、また読みたい本ができました。
「経済学とは何だろうか」佐和隆光著。
また、マックス・ウェーバーの「鉄の檻」についてもっと詳しく調べようと思いました(笑)。
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http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480065810/
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[ 内容 ]
世間的には成功を収めたと称賛されるあの会社。
いちどは急成長を遂げて躍進したこの会社。
そうした「成功企業」が、あるときから坂を転げ落ちるように衰退することがある。
かつて増収増益で潤った会社が、ダメになるのはなぜなのか。
その原因は、経営者とその精神に由来する。
だとするならば、経営者たる者は、どんな資質を備えるべきなのか。
資本主義の水脈のなかに現代企業を位置づけ、御社のあるべき姿を考える経営論。
[ 目次 ]
第1章 託す仕組みとしての会社
第2章 託されし者、経営者
第3章 オーナー経営者から専門経営者へ
第4章 ガバナンス論の不毛
第5章 制度的同型化の果て
第6章 経営者を選ぶのは誰だ
第7章 託されし者の責務
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]