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みんなのレビュー6件

みんなの評価4.6

評価内訳

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6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本

モンゴル帝国のことがよく分かる良書です。

2017/09/06 09:07

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、13世紀初頭に突如築かれたンゴル大帝国について詳細に解説した歴史書です。チンギスハンの孫であるクビライハンの世界帝国の構想を探り出し、我が国で一般的に呼ばれている「元寇」や「タタルのくびき」などといったイメージを一掃する発想の大転換をもたらしてくれる良書となっています。

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紙の本

通商を中心にした近代国家の成立

2015/10/25 10:04

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:okadata - この投稿者のレビュー一覧を見る

1説によると4000万人を殺したというチンギス・カンや元寇からモンゴル帝国・元は「文明の破壊者」という野蛮なイメージがある。最も悪者イメージを持つのは中国史においてだ。科挙の廃止なども文化の破壊として取り上げられている。しかし、どうやらこのイメージは多くが清の時代に作られた様なのである。満州族の清は漢人から夷狄と呼ばれるのを嫌がり少しの批判でも処刑した。その鬱憤が元の悪口に向かったと言うのだ。

1260年チンギスの孫の時代、第四代モンゴル帝国皇帝モンケの弟フレグがシリアに侵攻中にモンケの崩御の報せが届いた。兄クビライの即位を聞いたフレグはイランにフレグ・ウルス(国)を立ち上げた。アフガンあたりにはチャガタイ・ウルス、中央アジアからロシアにかけてのジョチ・ウルスそしてモンゴルから華北に広がり南宋を滅ぼすクビライの大元・ウルスと書くとモンゴル帝国が分裂した様に見えるが元々遊牧民族は緩やかな連合国家のようなものでクビライは大元・ウルスのカンでありモンゴル帝国のカアンとなったのだ。

クビライについては37才で表に出るまで目立った記録が残っていない。しかし帝国を代表する姻戚集団と譜代集団の長が義兄にあたりこの集団を代表する形で力を持ったらしい。クビライは科挙を廃止する代わりに実力主義でアラブ商人や江南の水軍、中華の官僚制度と何でもとりあげ世界貿易システムを作り上げた異才である。モンゴル騎馬軍団の武力、直轄する当時最も豊かな中華特に江南の経済力、そしてその富を循環させるムスリムの商業力がその力の源泉である。

大都(北京)を首都にしたのも明らかな理由がある。中央アジアと中華の接点だけであれば北京と言う場所はあまりにも辺境によりすぎている。しかし西安になく北京にあるものが水運だ。また当時世界最大の都市だった杭州を結ぶ京杭大運河を復活させたのもクビライだ。クビライの構想では海上の通商網が重視されているだから北京が首都になったのだ。同時に陸上交通網も整備され中央アジアの全ての道と駅伝網は夏の都、上都につながっている。

戦争の手段もなかなか独創的である。華北の地は北宋の時代に金と南宋の時代にすっかり荒れ果てており騎馬軍団が長期に軍をおける場所ではなくなっていた。さらには黄河、淮河、長江が横たわりこれを越えるのも大きな問題である。華北地域の荒廃が万里の長城以上の大きな壁になっていた。クビライは黄河沿いの開封を根拠地として漢水上流の襄陽を包囲、しかしまともに城攻めはせずやっているのは土塁を築いて少数を残し、籠城側が攻めて来たら飛び道具で追い払うという黒田勘兵衛の様な戦だ。

元寇自体が南宋攻略の一環であり、実際に主力となったのは江南の水軍である。当時人類史上最大の外洋大艦隊でありもし元寇が成功していたらと想像してみるとおそらく日本の自治は大元の統治の元で守られていただろう。役立たずと見られた制度は廃止されたかも知れないが博多が大元や世界との貿易港として栄えイスラム商人もやってきていたことだろう。

クビライの政策が受け継がれていればモンゴル帝国による大航海時代が生まれており、日本の姿も大きく変わっていたに違いない。モンゴルを追い出した明は紫禁城を造り北京を引き継いだが、鄭和の大艦隊は長続きせず北京を攻められた影響もあり万里の長城にエネルギーを注いだ。そしてモンゴルが活用したイスラムの海商ルートはルネサンスを経たヨーロッパが跡を継ぐことになった。

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2012/01/04 19:26

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2013/01/24 19:08

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2011/10/27 00:24

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2014/09/04 17:23

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