江戸時代末期の我が国の開国当時の真の事実を提供してくれる貴重な一冊です!
2020/03/26 10:31
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、学校の歴史の授業で学んだ江戸末期の開国の常識を覆し、改めて開国当時の真の我が国の実情を教示してくれる画期的な一冊です。私たちは、黒船の軍事的圧力に屈して、不平等な条約を強いられたと信じ込んでいますが、実は、日米和親条約は一門の大砲も火を噴かず、平和的な交渉によって結ばれた世界でも稀有な条約であると著者は言います。そして、そこには、江戸幕府の高い外交能力と平和的交渉があったと言います。私たちが知らない近代の歴史を、著者が膨大な史料を読み返し、その真実の姿を私たち読者に伝えてくれる貴重な書です!
江戸幕府は無能ではなかった(日米和親条約の真実)
2013/03/29 20:04
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
「もういちど読む山川日本史」(山川出版社)に、「ペリーの強硬な態度におどろいた幕府は、アメリカの開国の要求に屈服して、日米和親条約をむすんだ。」という記述があります(210ページ)。
このように、学校では、無能な幕府が強大なアメリカの軍事的圧力に屈し、極端な不平等条約を結んだと教えていますので、私も「鎖国により平和ぼけした無能な幕府」という印象を抱いていました。本書を読んで、全くの間違いだと分かりました。
本書は、ペリー艦隊浦賀来航から下田追加条約調印までの約1年間について、現存する史料を丁寧に分析し、事実に迫っていきます。
つまり、幕府が外交に不可欠な情報の収集・分析・政策化の三拍子を組織的に駆使した結果、平和的な交渉によって日米和親条約が結ばれた。交渉にあたり、老中阿部正弘をはじめ林大学頭ほか奉行・与力・同心にいたるまで、交渉相手のペリー一行に対して格別の偏見も劣等感も抱かず、熟慮し積極的に行動しているのです。つまり山川日本史にあるような「ペリーの強硬な態度におどろいた幕府は、アメリカの開国の要求に屈服して、日米和親条約をむすんだ。」わけではなかったのです。「日本外交史のなかでは、幕府の高い外交能力は特筆される(260ページ)」との結論に、十分納得しました。
とにかく、先入観なく歴史を追及していく加藤氏の姿勢に感銘を受けました。また、精選された良質な日米双方の一次史料を丹念に読み、さらに英米競争の資料や中国情報、オランダ情報などを総合的に読み解くことで真実に辿りつくという歴史の醍醐味を味わうことができました。
通説と言われる歴史観を見直す
2021/02/20 09:21
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投稿者:絵馬さん - この投稿者のレビュー一覧を見る
幕府→旧態の無能集団、明治新政府→近代化を目指した有能集団というステレオタイプの歴史観(教科書やこれまでのメディアで語られてきた歴史観)を見直す良いきっかけになりました。NHKの大河ドラマとかは罪深いですね。
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日本の最も重要な出来事のひとつだったにもかかわらず、正しい評価がなされていないペリー来航&日米和親条約締結。
阿部正弘をはじめとする幕末の政治家と役人は改めてすごいと感じた。
彼がいなかったら、日本はイギリスによりアヘンが社会に蔓延して欧米列強の餌食になっていたであろう。
当時、新興国であったアメリカを選択した先見性はすばらしいと思った。
前から思っていたが、阿部伊勢守正弘は日本を救い、そして日本国の発展のレールを敷いたという点で、幕末期における究極のヒーローだ。
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当時の幕府の役人は無知無能でもなんでもなく、実の堂々とペリー達と外交交渉を進めていたのだった。自分たちが知っている歴史というのはその後の人々によって都合よく語られているということを改めて感じた。
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黒船来航と聞くと『泰平の眠りをさます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず』という狂歌などから、幕府には寝耳に水でアメリカが大砲突きつけホールドアップを迫り、それに怯えて相手の言いなり。というイメージを持たれがちですが、鎖国(これも海禁と言う方が的確でしょう)政策の中、幕府は事前に可能な限り情報を収集・分析し対策を練り、外交の経験がほぼ無いながらも立派に交渉をやり遂げています。日米双方の史料を採用しているので、当時まだ新興国だったアメリカの思惑とハッタリも見えて日本史のちょっとした誤解を解いてくれる良い本です。
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江戸幕府は突然来航した黒船に周章狼狽、ペリーの砲艦外交に屈し不平等条約を締結した…かつてはこのような歴史観が支配的だった。それに対して著者は、幕府が当時の世界情勢を冷静に分析し、周到な準備をして堂々たる外交交渉を行っていたことを明らかにする。幕府が「徳川の祖法」たる鎖国政策に固執し、社会秩序を維持するために洋学を弾圧、結果として軍制改革が進まなかったのは確かだ。しかし、幕閣たちはアヘン戦争が勃発するやその戦況を注視し、彼我の戦力差を目の当たりにして穏健外交政策に転換している。それだけではなく、開国は必至と見て最初の条約締結国を慎重に検討、列強「新興国」であるアメリカを与しやすしと考えて交渉を開始したのである。それは、攘夷イデオロギーに固執した朝廷にはなしえない、軍事的識見と外交的熟慮に満ちた判断であった。その幕府が国内では攘夷イデオロギーを利用した薩長との抗争に敗れ、対米交渉の成果も明治政府が創出した冒頭のような歴史観に埋もれてしまった。戦争と植民地支配の時代にあって、戦争を回避しつつ交渉による条約締結を実現したことは、もっと称揚されて然るべきだろう。
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2012年(底本2004年)刊。著者は横浜国立大学名誉教授、都留文科大学学長。不平等な条約を外交失敗の結果として結ばされたというステレオタイプな日米和親条約評を、根底から覆すことを意図した書。ペリーの思惑を含む米国の国内情勢、条約締結の必要性から、日本の海外情勢認識、認識が生じた経緯、交渉の実像まで広範に検討。かつ、江戸期の、外交に関わる政治制度の変遷、対外方針の変遷、鎖国制度の変遷等、前史にも目配せが効き、簡明なのに奥が深い。慎重な史料引用と相俟ち、濃い情報密度に比して非常に短く論じられている点は凄い。
当時の老中筆頭阿部正弘はもっと評価されていい政治家である。修好通商条約時に阿部が生きていたら、と思った人も多かったのでは。
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歴史的事実をバイアスなしにフラットに見る。
とっても難しいことかも知れません。
しかしながら、極力、歴史的事実に関わった人物が書き残した情報を多角的に分析する。
それは原点であろうと思います。
「幕末外交と開国」
ペリーが書き残した情報、徳川官僚が書き残した情報、双方を極力バイアスなしに分析してみる。
とっても大事なことだと思います。
私たちが歴史の時間で習ったものとはまったく違いました。
徳川官僚が国法を原則守りながらも、当時の世界情勢とどう折り合いをつけるのか、お互いの意見をぶつけ合い、妥協点を見出す。
ペリーも居れるところは折れる、当時のアジア情勢を考えれば、大変よく出来た条約だと思いました。
GHQ史観、自虐史観、ノーサンキュウであります(笑)。
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言葉のセンスがツイッターとは桁違いである。その圧縮された情報の濃度は流行歌をも軽々と凌(しの)ぐ。更には遊びの精神が横溢(おういつ)しながらも単なる駄洒落に堕していない。
https://sessendo.blogspot.com/2019/07/blog-post_7.html
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何となく無策っぽいイメージの有る幕末の対欧米外交について、当時の幕閣が講じた様々な努力を中心に、外交について解説している。
オランダを通じたアメリカ艦隊来航情報の事前入手や、お互いの最適解を探る幕府とペリーの交渉など、先人の玄人と工夫が偲ばれる内容で面白かった。
また、幕閣は情報の入手と判断は相応に頑張ってはいるものの、情報を秘密にしがちだったので、武士や町民にとっては相当不安なものになっただろうなという気がする。