紙の本
アニメとはまた一味違う小公女
2015/12/01 17:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:そら - この投稿者のレビュー一覧を見る
小さい頃アニメでの小公女は見ていましたが、原作は初めてでした。
日本人向けに設定されたアニメの耐え忍ぶセーラ像とは変わりこちらのセーラは怒り、悲しみを露にすることもありました。
また、当時の時代背景も所々感じられます。翻訳が現代向けであるためストーリーのおもしろさはもちろん、読みやすい一冊であると思います。
紙の本
不朽の名作
2016/01/15 22:01
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投稿者:androp - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界中で愛される所以が良くわかります。苦境にめげず、ひたむきに頑張る少女に、自然と感情移入してしまいます。たくさんの人に読んでもらいたい素晴らしい本です。
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子どもの頃は確かに好きだったのに、読みづらくてしょうがなかった。
なぜなら→
http://d.hatena.ne.jp/rolling_avocado/20141201/1417433591
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暗い冬の日、ひとりの少女が父親と霧の立ちこめるロンドンの寄宿制女学校にたどり着いた。少女セーラは最愛の父親と離れることを悲しむが、校長のミス・ミンチンは裕福な子女の入学を手放しで喜ぶ。ある日、父親が全財産を失い亡くなったという知らせが入る。孤児となったセーラは、召使いとしてこき使われるようになるが…。苦境に負けない少女を描く永遠の名作。
読むのは小学生以来ですかね、あらすじは知っているけどなぜか引き込まれるし続きを読みたくなる。やっぱり名作は色褪せない輝きを持っています。新訳は無駄にひらがなが多かったりせず大人でも読みやすい感じ。気に入りました。ただベッキーの口調はどうにも乱暴な感じで少し違和感。いくら貧しい身分でもこんな口調なのかなあ?表紙、挿絵が酒井駒子先生でとっても素敵。動物たちや人形のエミリーもかわいい!リトルプリンセスであり続けるセーラの持ち前の気高さ、心根の素晴らしさに胸を打たれた。恵まれている自分の環境に感謝して、自分にできることをやれる人間でありたいなあ。解説も「窓」の物語のくだりなど、今読んで面白かった。
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言わずとしれた海外児童文学の名作。酒井駒子さんの表紙に魅かれて購入。
訳者あとがきによると、旧来の訳が子どもに向けたなだらかな訳だったのに対し、今回は大人が読む『小公女』を意識したのだとか。私には翻訳の良し悪しは分からないけど、翻訳作品独特のクセや、古めかしい表現がなくて違和感なく読めた。
人名や展開にところどころ覚えがあって、懐かしさとともに昔読んだ記憶が蘇ってきた。話の筋が分かっているから、いつセーラが孤児になってしまうのか、逆にハラハラしながら読んだ。
セーラは子どもとは思えないほど人間として完成されていて、虐げられても優しさや誇りを失わない。でも、ミンチン先生のことが好きではないことや、飢えている時に拾った硬貨を届ける時の葛藤がちゃんと描かれていて、セーラも聖人君子ではない、一人の少女なのだということが伝わってきた。
大人になってから読むと、新たな発見があっておもしろい。
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もう何回読んだかわからない、大好きな作品。いろいろな人の翻訳と挿絵で幼い頃からずっと読んできました。辛い時や苦しい時に思い出したり読み返したりしながら一緒に育ってきた親友のような存在の作品です。
今回のこの本も丁寧に訳されていて好きです。
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子供ながらに考え方、礼節もしっかりしてるセーラ。どんな逆境だって、持ち前の妄想力もとい空想力で自分を見失わないようにしてて本当に強い子。私もリトル・ミセスを見習わなければ。
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小学生の頃、「小公子」と「小公女」を続けて読んで感動し、「小公女」の方が良かったと思ったことだけ覚えていて内容は忘れていた。境遇が反転したのに矜持を持って生活を送る少女に誰もが応援の声をあげたくなる。今なお児童に読んでほしい書である。2018.6.29
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このお話の肝はたぶん、父親が亡くなり一文無しになったセーラが、卑屈になったり生きることを諦めたりしない姿勢を貫くところ・・・だと思う。与えられた境遇の中でベッキーとふたり、課せられた仕事を懸命に行っていたからこそインド人のラム・ダスの心にひびく行いができ、それがハッピーエンドに繋がっていく。
しかし大人になったいま読みかえしてみると、その肝心な部分から私にひびくところはあまりなくて(もうピュアな心は私の中にないのだろうか・・・)、残念・・・。「秘密の花園」を読んだときはけっこう面白く感じたのだけど、あまりにもセーラができすぎた女の子だからかなぁ。
がんばるセーラ、すごいなぁと素直に思えるのはやっぱり子どものときだけだったのかも。
印象的な場面はいろいろあるけれど、メルキゼデクとアーメンガードが出会う(?)シーンなんかもささやかながら心に残る。
『あなたって変わっているわねえ――でも、やさしい』
『ええ、変わり者よ――やさしくありたいと思っている』
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なんて素敵な空想の物語!
もっと幼いころに出会っていれば、わたしもこんな風になろうと思えたのだろうか?
今からでも遅くないと思って、ちょっとだけセーラを見習いたいと思いました。
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中学生の時、眠たい数学の時間に電子辞書で書見。
今まで読んできた中で一番好きな本かもしれない。
たぶん50回は読んだと思う。
セーラのような人間になりたいと常に思う。
どんな境遇にあっても拗ねず、腐らず、人に優しい人間である。これがとても難しい。
この本で教えられたことが私の基礎になっている。
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父を亡くして孤児になった少女が、生徒だった学園で働きながら暮らしていく様を表現。 手のひらを返すという用語が、ぴったりの学園の対応。 逆境にもめげない主人公。 最後は、父の知人からの遺産の授与で幸せになる物語。 ps. 川端靖成が翻訳にかかわっていることを、角川書店版で知りました。
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父の元を離れ、寄宿制女学校に入学したセーラは、裕福で不自由ない生活をしていた。しかし父が全財産を失い亡くなってしまう。孤児になったセーラは、召使いとして寄宿制女学校に身を置くことになる……――
聡明でつよく、やさしいセーラが愛らしい。
彼女は想像力が豊かなだけでなく、ないものを在るように物語る表現力や伝達力が高い。聞くものは思わず夢中になり、物語を信じてしまいたくなる。
そんな彼女の、信じる"ふり"をすることで本当のような気がしてくる(p41)という考え方が素敵。"ふり"によっては、物事を前向きに捉えることができるのかもしれない。実際、苦境に立たされた彼女は、信じる"ふり"をすることによって、苦痛を和らげようとしている。
彼女は自分の境遇のために友達が哀しまないよう、友達が屋根裏部屋へ訪れると空想を物語ってくれる。苦痛を和らげるためではなく、誰かのために物語るその時間は、彼女自身の慰めにもなっていたように思われた。
苦境に立たされた際、彼女は泣かなかった。弱音を吐かなかった。それがとても心配だった。しかし、自分よりもひもじい思いをしているベッキーのために泣いた。誰かのためとはいえ、少なからず自分と重ねていただろうし、何より誰かの、アーメンガードの前で泣いた。溜まっていたものを吐き出すことができた。彼女の重荷がすこしだったとしても軽くなったことに安心した。
お人形のエミリーに対して泣き叫んだ場面は、心が痛く、涙が出そうになった。彼女はエミリーを信じる"ふり"ができないくらいに余裕をもてなくなってしまっていた。
エミリーのことで落ち着いた彼女が言った「……憤りは最強だけれど、憤りを抑える意志にはかなわない。……」(p168)という台詞に感心させられた。自分を抑制しようとする考えを持ち、制御するための方法(想像)を知っている彼女だからこそ、つよい。この台詞は、胸に刻んで大切にしたい。
セーラが苦境を耐え、乗り越えた先にあった物語よりも物語らしい幸福な結末に、大満足であった。彼女のための魔法は、夢のようで、しかし現実で。こちらは計画を知っているので、セーラがどのような反応をするのか、いつ魔法が解けるのか読んでいてわくわく、はらはらした。彼女の仲の良い子たちも幸せそうで嬉しかった。
幸福な結末を好むバーネットとは、相性が良いのかもしれない。
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物語は知っているが、活字できちんと読んだことがなかったので手にとった。
セーラが賢く、兎に角できた子である。
多少気になるところがあったが、訳の好みの問題なのか
原文がそうなのかはわからない。
急転直下にならないことには物語が始まらないとは言え
実際気の毒なセーラを見て、戸惑い徐々に態度が変わり
というなら兎も角として、急に掌返しで奴隷のように扱う
というのが謎。
あまりに不条理な監督官というのはありがちな役回りではあるが、多少引っかかる。
逆にパン屋のおかみさんは純粋に良い人でほっとする。
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子どもの頃世界名作劇場をちらっと観てとても印象に残り、原作を読んだ本。ミンチン先生や料理長の壮絶なイジメに耐え、心の醜い同級生に嘲られても、自分をプリンセスと信じ清く貴い心を忘れないセーラが立派すぎて眩しい。隣人のかけた魔法や乞食の少女にぶどうパンを恵んであげるシーンが印象的。
訳者が大人向けとして翻訳したとあるとおり、大人にこそ手に取ってほしい一冊。優しさに満ち溢れていて、とても心が温かくなる。こんな小説、もう現代では書かれないし書けないのでは。
酒井駒子さん画のセーラもイメージぴったりでとても愛らしい。