紙の本
真の対話力を強化するためには、どうしたらよいのでしょうか?
2020/03/22 10:36
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、日本人の多くが苦手としている「対話」というコミュニケーションの在り方について考察した興味深い一冊です。私たちは、常日頃、会話をしたり、雑談で笑いあったりしていますが、これらは、実は対話とまでは言えないと著者は言います。対話とは異なった価値観や文化をもった人なども含めて、異なったコンテクストで相手と議論することを言うのだと主張しています。こうした真の対話能力を高めるにはどうしたらよいのでしょうか。同書では、「話し言葉の地図」、「電脳時代の対話術」、「単語で喋る子供たち」、「コンテクストのずれ」、「ネ・サヨ運動とネ・ハイ運動」、「顔文字は世界を救うか」、「半疑問形の謎」、「日本語はどう変わっていくのか」、「フランス人との対話」、「悪口言い放題社会」、「対話という態度」、「21世紀、対話の時代に向けて」などといったテーマで、議論が展開されます。非常に刺激的な一冊です!
投稿元:
レビューを見る
向かい合う人を理解し、
異なる考えを楽しめるように生きたいと感じた。
オリジナルは約15年前の発表ながら色褪せない。世の中が変わっていないというよりは、人生の本質にかかわる鋭絵院のテーマであるからではないか。
投稿元:
レビューを見る
1997年9月から2000年9月まで雑誌に連載された、平田オリザの日本語に関するコラムを集めたもの。「対話と会話の違い」にスポットを当てた文章に始まり、日本語の様々な特性や問題点、その背景にある日本社会や日本文化について論じている。15年以上前の文章なので、さすがの平田オリザもまだ若く、最近の文章に比べると若干の硬さや性急さが感じられるのが面白い。逆に言うと、最近の彼の文章や発言は、昔よりも肩の力が抜け、ますます達人の域に到達していることが分かる。意地悪く言うと、この頃よりも毒気が薄れている印象もあるが。
内容については、極めて新しい視座は少ないものの、漠然とした概念を実に理路整然とした言葉にまとめている点に感心させられる。すでに述べた「対話と会話の違い」をはじめ、「コンテクストのずれ」に関する文章など、痛いほどよく分かる。平田が全編で最も言いたかったであろう「日本社会/日本語は対話のための言葉を持ちえなかった」という主張にも納得。ただし「対話の言葉」を獲得するレッスンのために演劇が必要だという話は、いささか我田引水の感を拭えない。もちろん演劇も確実にその一端を担うことになるだろうが、この問題は演劇以外の様々な芸術やメディア、そして何よりも教育が、根本から少しずつ変わっていくしかないだろう。なお「少しずつ」と加えたのは、言葉の急速な変化が生み出す弊害も、この本を読むことでよく分かるからだ。15年以上前の文章なのに、問題は今日でも全く変わっていない…とつい言いたくなるが、15年程度で言葉の問題が一変するようでは、確実に何らかの弊害が生じる。言葉も、その背景にある社会や文化も、少しずつ、しかし着実に変化していくしかない。そのための指標として、この本は大きな役に立つだろう。学校の国語の教科書に収録したい(もうされているのかな?)。
投稿元:
レビューを見る
ええ本でした。
最近、色々なニュース(東京五輪のエンブレム問題とか、夏休み明けに自殺する中高生が多いこととか)を見ていて思う。
「いいね」を押したり、批判したり、ネットというツールがあれば、自分の意思が表明できる。自分の意思をすぐに出力できる環境は、出力する前に
考えること、自分がどう感じているかを観る機会を奪っているのではないかと思う。(そういう環境に疲れている・・。)
もっと言葉にならない、いいとも悪いとも言えないことはたくさんあるのではないかと思う。言葉にならないことを言葉にならないままでいい時間、余白がないことが、世の中の様々な問題の元にあるのではないかと思う。自分の心の中にある言葉にならないことに色々な角度から見せてくれるのが、本と対話する時間、本と対話して、自分と対話する時間だと思う。
そうやって自分も生きてきたし、そうした場や時間を子どもにも大人にもつくりたいのだと思う。
下記、引用。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「人は、たとえば誰かを好きになったときに、その言うに言われぬ気持ちを言葉に託したくて、はじめて詩を読むものだ。
あるいは愛する者を失った悲しみを、そのままにはどうしてもしておけなくて、小説を読んだり芝居を見たりして、その気持ちを表すのに、何かぴったりの言葉や表現を見つけて、かろうじて精神の均衡を保つのだ。
21世紀のコミュニケーション(伝達)は「伝わらない」ということから始まる。この連載で何度も繰り返してきたように、対話の出発点は、ここにしかない。
私とあなたは違うということ。
私とあなたは違う言葉を話しているということ。
私とあなたが分からないということ。
私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないこと。
そして、それでも私たちは、理解し合える部分を少しずつ増やし、広げて、ひとつの社会の中で生きていかなければならないということ。」
投稿元:
レビューを見る
伝わらないという前提で語りかけ、1度のミスマッチで断念せずに継続して相互理解に挑む、という姿勢が対話である。この定義にいたく感動。会話はできても対話はできてないことをようようと自覚するに至る。日本語ならではの隠しの文化も、対話を避ける一因とも説明。これも納得。演劇関係者の視点で、この対話についての分析を試みているのがおもしろい。若干冗長なところもあるが、連載記事ということもあり、こんなもんなんだろうと。
レッスンねたもちゃんと記されており、試しはじめたところであります。
投稿元:
レビューを見る
いつものオリザさん。コミュニケーションというふわふわしたものをつかもうとしている本、ということで、なかなかこれに書いてあることをすべて飲み込む、というのはむずかしいんですが、それでもこういう本は読めば自分のどこか奥底のほうまで染み込んでいくことがあるのでは、と思う。それが自分のこれからのコミュニケーションを変えていく、そういうもんやと思う。
投稿元:
レビューを見る
対話のできる人になれ。
平田オリザが主張する「会話」と「対話」の違い。そう,中身のないことを口にしてなんとなくやり取りするのはできるけど,コンテクストの違う人と情報をやり取りしていく,そして何か目的にたどり着こうとするコミュニケーションはなかなか難しいのだ。私たちはこれからどう変わっていくのだろう。日本語はどのように変化するのだろう。でも,言語は必要に応じて変化するのだ。もっとも使われる形へ。
投稿元:
レビューを見る
そもそも会話と対話とは異なる概念であり,日本語には対話の概念が存在しない,という視点から話が展開する.対話の概念が存在しないことから生じる日常のひずみを列挙するとともに,近代演劇を成立させるには対話の概念を導入する必要があり,そこから日常に対話の概念を産出する方法論を詳らかにする.日本という文化とグローバル化という概念との齟齬が浮き彫りになる.改めて,グローバル化とは英語が喋れることなどではなく,日本文化を見つめ直し,その中で他者との対話を通じた自らの立ち位置確認に他ならないことが理解できる.
投稿元:
レビューを見る
20世紀末に書かれたものを再編した本。フランスワールドカップの話題や、ニフティサーブの話題が懐かしい。「対話のレッスン」とあるが、最初は日本語の変遷、日本人という民族性、コミュニケーションのことについて書かれている。これはこれで面白い。
そして後半はいよいよ対話について書かれている。2500年前のギリシャの民主制からの対話の始まり。哲学、演劇。日本での対話の位置づけ。
ハウツー本ではないが、対話やことばに興味を持たれた方は読んで見ても良い本と感じる。
投稿元:
レビューを見る
20年前に書かれた連載をまとめたものなので、スマホなどなくてIモードが登場してびっくり。
しかし平田オリザの感覚は全然古くない。
2500年前にギリシャで生まれた演劇や、250年前のルソーの社会契約論に比べたら、平成から令和の20年なんて同じ時代のくくりかもしれないけれど。
日本人には対話が必要ってことだけは、変わってはいないと思った。
投稿元:
レビューを見る
ギリシャで生まれた「演劇」あるいは「哲学」は、この「対話」の訓練であり、シミュレーションに他ならないのだ。
投稿元:
レビューを見る
参考になる部分も多いけど、どうにも鼻につく文体。「レッスン」という名の雑記帳。書かれたのが20年前だということを考えれば仕方がないかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
少し前に連載された記事を編集した内容ですが、平田オリザ氏が提言されている対話と会話の違いを事例も含めわかりやすく紹介されています。違いがある人と対話を通して繋がること大切さを確認できる一冊です。
投稿元:
レビューを見る
難しい、高橋源一郎の書評がわかりやすい。
対話、自分でもよく言葉にするが、何のために?違いはと聞かれるとうまく説明できないだろう。
言葉と時代背景、行動とのリンクも納得。
考えは伝わらないをスタート地点にし、価値観の違う人にわかってもらうことが対話。納得。ここにかける説得力の必要性
現代語版ハムレットは爆笑
投稿元:
レビューを見る
対話とは、異なる考えを持っている他人と話をし、自分の考えを変えていくこと。
なぜ、それが必要なのか、日本人はどうしてそれができないのか、が詳しく書かれていた。
どうしたらそれができるようになるのか、ヒントのようなものは書かれていたが、普通の人は演劇をやる機会はあまりないし、なかなか難しいと思った。