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ちょっと古い本です。古本屋さんで発掘しました。第二次大戦の司馬氏の実体験が書かれていて、彼が小説を書くきっかけになった事実に触れられています。一読の価値はあります。おそらく今は別の著作の形で内容はまとめられていると思います。
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坂本竜馬の死因と話は本当に面白かったです。
一貫して、「日本」という国を浮き彫りにしていると感じました。変な言い方かもしれないけれど・・この人視点がとてもまともだなと思って読んでました。
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・5/15 まさか戦車の話しとは思わなかった.でもこの人も従軍経験があったんだ.それがために「坂の上の雲」が臨場感に溢れていたのかもしれないな.確かに日本陸軍の戦車って、イメージ湧かないもんな.
・5/18 読了.いろいろな時代のいろいろな人々のエピソードで、なかなか面白かった.
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表題の通り、作家司馬遼太郎が日本史上の様々な事象について考えをまとめた本作品。
戦国時代のある下級士族から、戦後日本の社会まで、考察が加えられる。
いわゆる蛸壺化が進んでしまったと言われて久しい学問の世界。本書はそのような現状に対する無言のアンチテーゼのように響く。
時代、領域を越えてみれば、普遍的な何かが見えてくる。
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司馬遼太郎は大正時代生まれだったんだ。ますます遠く感じる。
でも彼のエッセイはいま読んでもそれほど色褪せてはいない。古くさい人だなぁとは思うけども。
戦争は過ぎ去ってから振り返ってみれば、まるで絵空事だ。
なのに今でもまだ、その悲しみや苦しみが癒やされないまま耐えている人がいる。
あんないかがわしいことのために殺し合う必要が本当にあったのか。
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短編エッセイ集。昭和四十九年刊行。
「長州人の山の神」が面白かった。
……山県有朋はひとびとにとって信じ難いことだが、この酔漢(白井小助)の到来を知ると、礼を失せぬように袴を着けた。呼ばれたとき、むろん袴をつけている。小助の前に手をつき、「なんなりとお言い付けください」と言った。……
まさかあの山県がと思わず笑ってしまいました。
足軽だったというのと併せて、山県像に一色加わりました。
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風変りな視点から時代を切り取るエッセイ集。戦車兵の目線から第二次大戦を考察したり、女だてらに城主代行を務めた尼僧の目線で戦国の世を考察したりする。明治政府の大官となった後輩たちをイビりまくる田舎の先輩白井小助の物語「長州人の山の神」も秀逸。
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司馬氏の人生にからめて雑多に歴史について書かれたエッセー。日本の戦車がいかに使えないものだったかを述べた章や、天皇を神だと思っていた日本人はいないのではないかと述べた章は痛快であった。
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歴史と視点 司馬遼太郎
戦陣訓
…兵力の分散を避けるというのは軍事の初歩だが、かれら(昭和の陸軍)は足腰の立つ国民を総ざらいにして日露戦争程度の装備を持たせ、中国から北太平洋、南太平洋の諸島といった、地球そのものにばらまいてしまった。
ばらまいたあと、どう始末するつもりもなかった。
いかなる軍事的天才でもこれを始末できるような戦略を考えられるはずがない。
結局は「戦陣訓」である。
「生きて虜囚のはずかしめを受けるな」
と、説教するのみである。
この一手しかなかった。
太平洋戦争には戦略というものはなかった。
横井庄一氏のような兵隊を汽船に乗せ、地図にある限りの島々に配ってまわり、配るについては海軍がその護衛をし、まるで棄民のように島々に捨て去りにしたあとは、東条英機という集団的政治発狂組合の事務局長のような人が、東京の大本営で「戦陣訓」というお題目をひたすらに唱え続けただけの戦争であった。
そして横井庄一さんが戦後二十八年してグアム島の密林から出てくるのである。
太平洋戦争というのは、それだけの戦争である。
この戦争からひきだせる教訓などなにもない。
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司馬遼太郎による表に出てこなかった歴史の数々を彼独自の視点で描く。なにより、彼自身が所属した戦車第十九連隊のことを描く「戦車・この憂鬱な乗物」は興味深く、実体のない戦略や兵站を直視せず、空気の支配による幻想を作り上げた日本陸軍についての考察は、今の僕らの活動にも非常に参考になった。気合いとマネジメント。このどちらも必要である。
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前半、戦争、戦車に対する怨念がすごい。
半分を割いて当時の話をかきつらねる。
天皇は神である、とは当時も思っていなかったという著者。
そう思っているのは以外にも、マッカーサーしかり外国人だったという。
天皇の人間宣言は旗からみれば滑稽だったのかどうか。
確かに、当時の庶民の考えは後世の人間からすれば、推測すらできないのかもしれない。
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司馬遼太郎が気になる歴史人物や事柄を拾って行くエッセイ的な本かな?歴史を深く知らない私にはよく理解出来なかった部分があったが面白かった。日本のちゃちな戦車の話や天皇が神だとは誰も信じていなかった話など。
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太平洋戦争には戦略というものはなかった。横井庄一氏のような兵隊を汽船に乗せ、地図にあるかぎりの島々にくばてまわり、配るについては海軍がその護衛をし、まるで棄民のように島々に捨て去りにしたあとは、東条英機という集団的政治発狂組合の事務局長のような人が、東京の大本営で「戦陣訓」というお題目をひたすら唱えつづけただけの戦争であった。20
太平洋戦争というのは、それだけの戦争である。この戦争からひきだせる教訓などなにもない。
「日本は地理的に対外戦争などできる国ではありませんね」というふうに言ってもらうほうがよく、いわゆる、十五年戦争にわずかでも教訓がひきだせるとすれば、そういうあたり前の、小学生なみの地理的常識を再確認した、ということだけである。21
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ネジマワシは私は知っていた。しかし陸軍戦車隊ではこれをエツキラマワシとよんでいた。柄付螺廻のことである。陸軍は海軍とちがい、英語と民間語を宗教的禁忌のようにきらう風があった。ミシンはホウセンキ(縫穿機だったかな?)であり、スリッパは上靴であり、ズボンは袴であり、物干しはブッカンバ(物干場)である。アクセルのことを、噴射践板といった。クラッチは連動版であり、ハンドルは転把である。31
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儒教は行儀がよかった。行儀のよさこそ儒教のかなめであり、儒者たちは煩瑣で形式的な礼を考えだし、それを演出する専門家であった。
結局、劉邦は儒者を採用せざるをえなかった。皇帝の権威を成立せしめるのは型であるということを、儒者の叔孫通はよく知っていた。長楽宮ができたのを機会に、叔孫通は三十人の儒者をうごかしてまず皇帝に拝賀する儀式を作りあげた。194
それを実際にやってみると、その型を演技することによって皇帝はナマ身の劉邦その人ではなく、皇帝とは多分に形而上的存在であることがわかった。
孔子の儒教はこういうものではなかったかもしれない。しかしこの学問が実際に効用を発揮したのはこのときからであり、このとき以後、中国では儒教と政治が不離のものになる。195
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徳川家康は豊臣政権の欠陥をよく知っていた。家康が天下をとったとき、かつての室町幕府がもっていた殿中の儀礼をしらべさせ、高家という儀典専門の旗本を置き、江戸城を荘重な儀礼の場にした。195
徳川家の典礼というのは、諸事こまごまとやかましく、武家政権らしい簡潔さというようなものはない。この典礼からみればこの政権の本質は武断主義でなく文治主義であったことがわかる。196
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こういう西洋謁見方式でいいものかどうか、天皇の権威をたらしめるにはもっと荘重でなければならないのではないか、ということである。特に、保守家の岩倉具視や山県有朋はもっていたにちがいない。198
欧州はそれよりも先んじていた。王政���帝政はすでに歴史のかなたに去りつつあり、そのことは山県に衝撃をあたえた。
山県はこの趨勢をみて多くの明治の政治家や思想家たちが奇妙なほどそうであったように彼も、「合衆政」の徒にはならなかった。むしろ出発のときよりも熱烈に日本的君主制の基礎を確立すべく帰国した。
明治十年代のおわりごろ、伊藤博文が憲法起草と立憲政治に熱中していたときも、山県は伊藤のそういう考え方に冷淡であった。立憲政体ができあがってからも、山県はむしろ日本の体制に反立憲的要素を入れようとし、その公然たる陰謀に熱中した。
かれは陸軍と官僚をおさえ、その法王的存在になり、ついには「天皇の軍隊」「天皇の官僚」という、いわば反立憲的体制を確立することに成功した。205
昭和前期の軍閥ファシズムを生むにいたる素地は、山県が明治期において十分につくっておいたものであった。
明治期における山県は、漢の高祖における叔孫通にあたる者であったかもしれない。天皇の地位をいかに重厚にするかということは、かれの終生の宿題のようなものであった。206
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司馬さんの考察が深い。
明治維新後の長州人と土佐人の身の振り方の違い。
それにしても昭和6~7年から20年までの怒涛のキチガイのような十数年がもったいない。
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司馬遼太郎が思ったことを考察したエッセイ
内容が深く濃いため、よく調べてるなあと感心したけど、まあ当たり前だよね(笑)
あまり聴いたことない戦中の戦車についてや、妙麟尼の殉教的精神、公家が以外にも質素で、天皇が神だとは信用されていなかったことなど
なかなかに面白かった
ただ少し細すぎて多少ついていけない部分があった