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結構良かった。読みやすかったのもあるけど、物語がとてもいい。
突然の仲間との絶縁。その謎を抱えたまま年を重ね、16年経った今、つくるは過去をたどる旅に出る。
読み終わっても謎が残る作品だけど、なぜか心のどこかでこうやって終わることがわかってた気がする。なので物足りなさはない。
物語の中にフィンランドの描写が出てくる。とても綺麗な情景。村上春樹の世界にはとてもフィンランドが合ってる(行ったことないけど)。
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村上さんの本はだいたい読む前の印象を裏切られるところが好き。
ミスターグレイと年上の彼女との決着、オチが付かなかったのだけが心残りかなぁ。
主人公の幸せを祈りたい。
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な…泣いてしまった……。
村上春樹先生ってすごい……
エリとつくるの再会シーンが大好き…というか、心に残ります。
もう失ってしまった何か、でもかつてはあったはずの完璧な何かを想うと切なくて、気付いたら泣いてました。
つくると沙羅がどういった答えを出すのか。
できたら幸せでいてほしいと思うけど、私の中では別れのフラグが立ちまくってます……。
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2015/12/11? 読了
つくるって名前素敵だなーとまず思った。
色彩を持たないって言ってたけど、色んな色の人たちを調和するつくるは、光の三原色が混じったみたいに白のようになって、色彩を欠いたように見えたのかな、とか思ったり。
帯にもあった、
自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ。
ってセリフが素敵だった。
そして沙羅の気がわからない、、
でも、沙羅とどうなるかわからない結末だけど、かつてあった五人の調和体と同じように、つくるにとっていい出会いだったんだろうなー
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明確な解を用いない作風は相変わらずともいえるし個性とも捉え得る。が、真に少なくとも色彩を持たない者は何れかという皮肉さよ
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続きが気になってさくさく読み進められる。
おもしろかったけど、あれ?ここで終わり?と思ってしまった。
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以前、単行本を読みました。
この作品では、主要な登場人物には色の付いた名前が多く付けられています。
けれど、うまいなぁと思うのは、色彩の入っていない登場人物の名前。
まず多崎つくる。
彼は特定の色彩を持っていないけれど、「多い」という字を付けられている。
つくる自身は最初から最後まで一貫して、自分のことを個性も何もない空虚な存在だと思っているにもかかわらず。
それから彼に順礼を勧めた女性である、木元沙羅。
彼女の名前である沙羅からは、「まっさら」という言葉を連想しました。
色の付いた名前の登場人物のことを取り上げている場合が多いけれど、この二人の人物の名前の付け方に、著者の多崎つくるという人物についての思いと二人のその先の関係がどうなっていくかの予測が含まれているような気がします。
謎が謎のまま残されているというのも印象的でした。
つくると沙羅の関係がどうなるかということも作品の中では触れられていないし、灰田くんはどうしちゃったのかな、とか、白根さんはどうしちゃったのかな、とかその辺りのことは作品の中に記述がありません。
小説を読むときにどうしても、謎が全て解決してそうだったのかすっきりした!!
というのを求めてしまいがちだけど、現実には、わからないままになっていることの方が多い。
だから、謎のままにされている方が自然なのかもしれない。
そうしてある方が空想する隙間も多いので、それが作品の魅力の一つだろうと思いました。
哲学的な部分も多く、示唆に富んだ作品でした。
色彩の描写が多いので、それを追うだけでも面白かったです。
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氏の数ある作品の中でも、安定した起承転結のある内容。
親友だった仲間たちに裏切られ、死のうと思い始め、やがてその辛い日々を乗り越えた主人公つくるは、別人のように生きていく。だが、彼は忘れたくても時たま過去を思い出す。どうして自分だけこんな辛い思いをしなくてはいけなかったのか。その不安を晴らすために、つくるにある提案をするガールフレンドの沙羅。
氏の作品は、短い方が面白いままの姿で終わりを迎えられると思うのが個人的な見解だ。「ノルウェイの森」「1Q84」を例にしている。この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、一冊の中にかなりゆっくりと場面を描いていて、主人公であるつくるに愛着を持たざるを得ない構成になっている。約400ページあるが、中盤あたりから彼がどうしてこんな仕打ちを受けたのか、読者も気になってしまうことだろう。
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たぶん、表面のストーリーだけではない、深いものがあるのだろう。記憶と意識とか、社会的な関係とか、人生にとって時の経過が持つ意味、とか。
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本書を読んでいて一貫して感じたのは、なんというか、等身大とでもいうのか、「ねじまき鳥」とか「カフカ」とか「1Q84」とは違って、いつ自分の身の上に起こってもおかしくないような話だということだ。高校生のときの友人グループ5人がまず最初の登場人物。シロ、クロ、アカ、アオ、そしてつくる。女2人と男3人。僕自身印象に残るのは高1のときの6人。Oo、Y、K、Ok、U、そして自分。6人一緒にいたことが多かったような気がする。その後、仲たがいがあったとかではないけれど、僕は1年休学をしたため、学年が1つ遅れて卒業。しかも、大学附属高校出身で他の5人は内部進学だったが、僕は他大学へ進学。自然と関係が切れてしまった。次に1つ下の後輩Iと仲良くなった。Iも他大学に進学したため、結構気が合った。数年後、フリーターをしていたIに声をかけ、僕が就職した会社に来てもらった。けれど、うまく合わずしばらく来て辞めてしまった。それ以来会っていない。気になっているけれど音信不通のまま。これは、灰田との関係を思わせる。沙羅と同じように、僕が好きになった女性(いまのパートナー)には当時好きな男性がいた。聞きたくはないけれど、聞かざるを得ない、そういう気持ちに僕もなった覚えがある。多分、つくると違う点は、僕には学生時代に寮生活で出会った、いまも関係が続く親友Sがいるということだ。1人でもそういう人物がいると、会社や近所付き合いの中でそれほど深い付き合いを必要と感じなくてすむ。僕は人付き合いが得意ではない。誰とでも気軽に話ができる方ではない。人に話が合わせられない。自分の興味と重なる人が身近には少ない。そういえば、会社の中で60人ほどの人の前で話す機会があり、自分の読書遍歴を披露した。村上春樹を続けて読んでいる人とたずねたら、1人しかいなかった。めったにそういう人とは出会わない、貴重な人物だった。さて、沙羅とはうまくいくのだろうか。何度も夜中に電話なんかするんじゃないよ、もう36歳にもなるんだし、相手の重荷になるようなことはするなよ、とつくるに言いたくなった。(でもよく考えると、僕も毎晩のようにいまのパートナーに電話をしていた時期がある。30歳の頃のこと。)それから、文体がいままでとは違う気がして、気をつけていたのだけれど、結局「やれやれ」は沙羅が発した1回だけだった思う。その一瞬、村上春樹を読んでいるという感覚になった。登場人物は限られているが、実は最も印象深かったのは、クロの家を案内してくれた老人だった。もし映画化するとしたら、誰が似合うだろうか。リスト「巡礼の年」ベルマン演奏のCDを購入した。クロとの会話を読みながら聴いた。ヤナーチェクと違って、BGMとしてフィットしていた。僕は第3年のエステ総の噴水という名の曲が気に入った。
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自分の気持ちに重なるところがあった。
死にたいということ、好きな人に対する想い、抑えることの出来ない感情、取り残された自分。
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タイトルの言葉に意味を感じるながら読みふけっていける一冊。何処かに周りの人とは違う自分なりの欠点、欠陥を常に感じながら、自分が犯した過ちを過去に遡って振り返ること、そこで感じるむなしさ、決して過去に戻ることができないなかで、自分同様大きな十字架を背負いながら未来を歩もうとしているかつての友人達。ある一時をその振り返り=巡礼の年として物語が展開されている。自分も故郷を離れかつての友人達との思い出だけを残して今を生きている人間として、過去に置き去りにしてきたものを取り返すべきかを考えさせるものになった。
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村上春樹の小説にしてはファンタジーさが足りなかった。
最後沙羅さんに振られるのか振られないのかわからないのがもどかしい。
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いまひとつだなー舞城の「淵の王」に似てるかなーやっぱり「海辺のカフカ」以降はいまひとつなんだなーと思いつつ読んだが、
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である
http://sonhakuhu23.hatenablog.com/
というHPを読んで自分の読みの浅さに愕然。
HPを読み込んで、整理して、読み直すこと。
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大学時代のある日、突然に仲間から絶縁を申し渡された主人公・多崎つくるが、16年の時を経て、その時の事情を知るためにかつての仲間たちを訪れる物語。
切り捨てられた時の苦悩と内省。ひとつの山を越えた時の静かな思い。新しい段階へ足を踏み入れようとするときの痛み…。他者の個性が彩り溢れたものに見える一方、自分はとみるとそれらと比べて何も持たない凡庸な人間と思えてしまうという心情は、私みたいな平凡な人間にはよく分かる。
一方、他者から見える自分は自分が知る自分とは違うということもままある。その内に、どれが本当の自分かというよりも、歳を取ればそれもこれも含めて自分だということが分かってくるのだけれど、そうした人生の途中にある人の心情をベースに語られるお話は、読む者に自分の人生をなぞらせる。
主人公があの時何が起きたのかを探る旅は、事情を明らかにするとともに今までの人生に方を付けていくという意味で、正に“巡礼”というに相応しく、エリと再会し別れる場面の切なさに、私には日本から持ってきたプレゼントを渡す場面が何故か一番心に沁みたのだけど、人がひとりで生きていく儚さを感じる。
本を読むのは大半が通勤電車の中の私は、どちらかと言えば暇潰しに読んでいるみたいなものなので、いつもはライトなものを読んでいるのだけれど、たまにはこういう本も良いものだと思った。本物の香り、格が違うという感じ。