紙の本
いつまでも
2016/06/10 11:16
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投稿者:とぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
伊三次もお文もかっこいい。作者、宇江佐真理さんが亡くなってしまったので物語の続きを読む事ができず残念です。こんなにも素晴らしい人たちを世に出してくれて感謝します。ありがとうございました。
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この巻で本当に最終なのですね・・。
伊三次や、その家族、不破家の方々等、彼らの日々をずっと見守ってきたような感があるだけに、寂しい思いでいっぱいです。
江戸情緒あふれる、このシリーズが大好きでした。
宇江佐さんに感謝いたします。
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「月夜の蟹」「擬宝珠のある橋」「青もみじ」が収められている、髪結い伊三次シリーズ最後の最後の本。久し振りに伊三次が沢山出てきて嬉しかったが、「青もみじ」で終わってしまったのかと思うと悲しくてたまらない。
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髪結い伊三次シリーズは、『竈河岸』が最後かと思っていたら、本作が出版された。直ちに購入したが、これが最後の最後かと、読んでしまうのが惜しい気持ちのまま、今になった(笑い)
伊三次やお文他、登場人物たちにもう会えないかと思うと、愛おしい気持ちで一言一句を味わいながら読み終えた。
「月は誰のもの」は、文庫本で既読だが、これもじっくり再読。
文中、伊三次の述懐は、著者の思いでもあるだろう。「肝腎なことは苦難に直面しても焦らないこと、騒がないことである。徒に嘆き悲しむだけでは何も始まらないのだ。」
著者の冥福を祈る。
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本当のホントに終わってしまった。
なんとも寂しい。
(お話自体も、なんとも寂しい感じで終わってるし)
過去作とのニコイチ的な本の作り方は賛否両論あるところだと思いますが、どんな形でも世に出してもらったことを、とりあえず感謝かな。
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【惜しまれつつ亡くなった作家の、人気シリーズ最終巻】宇江佐真理氏がデビュー以来書き続け多くのファンを獲得してきた「伊三次シリーズ」最終巻。文庫書下ろしの「月は誰のもの」も収録。
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正直、もっと突っ込んで書いてほしいと思うことありましたが、著者も記すように、あえて余韻を残す書き方で、もう新作は出ないけれど、読んだ者の心の中で、どんどん登場人物が成長していくのを想像するのも楽しいかなと...
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L 髪結い伊三次捕物余話
悲しい。もうこのシリーズの新作を読むことができないのが。
表題、擬宝珠のある橋。みんないいよ。そして泣ける。不破家よりも伊三次一家が染みるのは何故だろう。不破家もいろいろあって人柄がでてる家族だけど、なんだか思い入れがない。やっぱり伊佐次。月は誰のもの、はすでに既読の文庫書き下ろし作品。こうやってハードカバーで出るなんて粋だなぁ。ファンは嬉しいはず。 私は文庫が出るより前に読んでしまうので文庫のあとがきを読んだことがなかったけど、心に吹く風の文庫刊行時に書いたという宇江佐さんのあとがきが、作品を彷彿とさせる宇江佐節全開でうれしい。
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亡くなられた宇江佐先生の最後の一冊。読み終わるのが寂しくてゆっくりゆっくり噛み締めながら読んだのにとうとう終わってしまった。また伊三次たちに会いたくなったら、これからどうすればいいんだろうと途方に暮れるばかり。
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「月は誰のもの」他短篇3編。「月夜の蟹」「青もみじ」「擬宝珠のある橋」。亭主は出て行ったが優しくしてくれた舅を見捨てられない、昔親切にしてくれた年上の友達の不幸を放っておけない、など今だったら考えにくい人々のつながり。情といってしまうとひとくくり過ぎてありふれたものに聞こえるけど、市井のちっぽけな人たちの優しさと強さで世の中は成り立っているのだと信じたくなる話だ。一方「月夜の蟹」のように人たらしに翻弄される理不尽さも今の世に通じる。これからも何度もこのシリーズを再読するだろう。物語は不滅。だいすき。
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表題作が好き
お年寄りが幸せになる話は、読んでる方も幸せになる
この後皆どうなるのか、どう成長するのかが読めないのが
本当に残念
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2015年に「オール讀物」に掲載され絶筆となった3話に、2014年の文庫書き下ろし「月は誰のもの」、2014年のシリーズ10作目の文庫化に当たっての所感を追加した単行本化で、シリーズ15作目の最終巻。
表題作の第2話「擬宝珠のある橋」はいかにも宇江佐さんらしい、人情味あふれる話。
伊三次が得意先にしている店の改築を請け負っている大工の棟梁は、幼い子を抱えた者どうしで再婚し仲むつまじい所帯を持っていたが、その連れ合いの”おてつ”が二昔も前の伊三次の得意先にいた女中だった。前の亭主に駆け落ちされ、蕎麦屋を営んでいた義父母に説得されて今の縁を得たが、義母を亡くして店をたたみ気落ちして甥の世話になってなっている義父を案じていた。
それを知った伊三次が屋台の蕎麦屋をやらせてみたらと勧め、一人前の大工になっている孫たちが屋台を作ってやると、義父は元気になってそばを作りだしたので、伊三次はお文と娘のお吉を連れ祝儀を持って食べに出かけた。愛想のない義父だが、伊三次を見詰める目が違っていたことをお文は見て取っていた。
著者にとって、デビューから書き続けてきたこのシリーズにはやはり特別な思い入れがあるようで、「髪結い伊三次」を書いただけで満足だという。「人が人として生きていく意味を追求したい」のだと語っていて、つきあい続けてきた読者にとっては、感慨ひとしおの言葉である。
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ああ、終わってしまった。
きちんと収まるところに収まった気もするし、伏線のままになってしまったこともあるのだけど。まるで連れ添った夫が、はたりといなくなったよう。
いや別に所帯じみているわけじゃないのだが。市井の暮らしを細やかに書いているからか…。ゆれる伊三次さんだけでなく、お文さんの気持ちも私は読みたかった。
女って。男って。
人に惚れて添うってなんだろうってことや…。時代小説の面白さを教えてくれたシリーズでした。読めてよかった。
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伊三次シリーズ最終作。
もうこれで、宇江佐版の伊三次は終了。
グイン・サーガのように、後継者が後を書き継ぐということもないだろうし、それを望んでるわけでもないのだが、やっぱり寂しい気持ちである。
改めて、作者である宇江佐真理さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
表題作「擬宝珠のある橋」は市井人情もの理想形と言ってもいいのではないか?江戸前の噺家さんに落語として語ってもらいたような味わい深い1作だと思う。
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今になってこの髪結い伊三次の最終編が出ているのを、、読んでいる。
「月は誰のもの」は、再読。
「擬宝珠のある橋」 江戸では、日本橋と新橋だけと。
頭痛のおまじないの願掛けの話も面白い。
宇江佐氏の江戸時代の人情話から、色んな知識を得たことを思い出す。
伊三次の子供伊与太が、お文の父親である海野のご隠居に「月は誰のもの」と、尋ねるシーンで「月は誰のものではない。独り占めしたのでは、世の中の人々がこんがるがるから、、、」と、説明するところなど、、、自然の物との関わり合いを、子供に教えている。
宇江佐氏の江戸への執着は、この時代の現実を目の前にして、皆仕事や、生活を全うする姿に、努力している人間の精神が、好きであったのだろう。