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なかなから挑発的な題名である。
「いい子」であろうとするとそれは大きなストレスになる。子育てにも自分の生き方にも「遊び」が必要だよ、という事。
人間は一人では生きていけない。
上手に人に頼り、甘え、助けていく事が生きやすさにつながるということ。
パーフェクトな人間なんていないんだから。
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妻に勧められ、読んでみる。
インパクトの有るタイトルだが、読んで納得。いい子になりなさい、真面目な子になりなさいと抑圧された子供は、感情を上手に外に出せなくなり、またそうではない人を許容出来なくなり、爆発し、犯罪者となってしまう恐れがある。
前半は受刑者や酒井法子さんを例にケース紹介。後半はでは我々はどういうことに気をつければ良いかが描かれている。
少年院が私語が出来ないことや、旧態依然とした考えに則り運営されていることは驚いた。
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「いい子に育てると」というよりは、「いい子であることを押し付けると」などとした方が適切だと思います。
要は、子どもを抑圧してはいけない、という内容。
犯罪者のほとんどは、子ども時代に抑圧された経験を持っており、そのことに気付くことで、ようやく本当の意味で人生をやり直せる、そんな内容です。
そして、子どもだけでなく、大人についても、抑圧はよくない。
犯罪者の再犯の多くは、初犯後の抑圧が原因であり、しかも、犯罪の根本的な原因である「子ども時代の抑圧」について振り返りをしないことも影響が大きい、とのこと。
ただ、「抑圧はダメ」については、「言うは易く行うは難し」だとも思っています。
とりあえず、できる範囲で、「抑圧はダメ」を心掛けたいと思います。
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刑務所で更生教育に携わった 岡本氏。
受刑者には、意外と、幼少期に「いい子」だった者が少なくない。
親のしつけや刷り込みにより、素直な感情表現を封印され、期待されるいい子 を演じてしまう。そのストレス、寂しさが、負の方向へ爆発し、
問題行動を起こす原点になるのだと。
この本では、受刑者のほか、宮本亜門さん、酒井法子さんのケースも取り上げ、
何が彼らを苦しめたのか、
それに気づくことの重要性が語られています。
子供には、ありのままでいいよ、
と抱きしめてあげる大切さに気づかされる一冊。
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読書メモ的にポイントをまとめと
▼幼少期に何らかの抑圧で素直に感情や欲望を表現できなくなるとそれがストレスとなって蓄積される
↓
そのストレスが外に向かうと非行や犯罪に走り、内に向かうと引きこもりや鬱、自殺につながる
◎何らかの抑圧は親からであることがほとんど
◎「強い承認欲求」は幼少期の「強い愛情飢餓」が原因
◎「迷惑をかけてはいけない」という価値観は、見方を変えれば、「人の世話になることをしない」という考え方につながる。そうすると、悩みや苦しみを自分一人で抱え込むことになる。
◎幼少期に子どもに身に付けてほしいことは、親に十分に甘えられることに尽きる。親との関係で甘えることを体験できた人は、他者にも甘えられる人になる。
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2016年11月27日に開催された全国大学ビブリオバトル2016~京都決戦~奈良・和歌山地区決戦で発表された本です。
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生育環境が悪の心を増大させてしまう。厳しすぎる躾は反動を産む。甘やかしではなく十分に甘えさせ、子供の気持ちを尊重して、親の都合を振りかざして抑圧させず、本心が発露しやすい家庭環境にしてやることが親の務めか。この本が著者の遺稿となってしまったのは本当に残念。こういう人物こそが社会の澱のようにわだかまってしまっている人々を救う大きな動きを作り出せたろうに。原因を取り除かなければ、病は治らない。治療法はもう岡本氏の一連の著書で示されているのだから、兇悪犯罪が起こされる土壌そのものを改良できる時代が遠くない未来にやってくるだろう。
かえすがえすも、岡本氏には長生きして活躍して欲しかったが、命を削るような思いもしながらの活動も多かったのだろうと推測してしまう。
心から哀悼の意を表したい。合掌。
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謝らせたり、ペナルティーを与えることは実は問題の種を育てていることに他ならないのかもしれない。
この作者が一貫して伝えていることは、まず根本の部分から振りかえって、どうして今回顕在化した問題行動を起こしたのかを評価しないと真の改善には繋がらないという考え方です。
自信を持つこととは自分がそのままでいいということを認めること。
誰かと比べて優越感を持つことと勘違いしてはいけない。自信を持ちなさいの使い方、気をつけないと。
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端的にいうなら子供が「本音」をだして生きていくことができるかということなんだと思う。これは名著だと思う。
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「ねばならない」というようなドライバー(本書でいう自分を駆り立てる価値観)は、親からのしつけを受け入れたものであり、人生に役立つものでもある。ドライバーがあるから、のりピーはアイドルとして人気を得たとも言える。その点だけを見れば、成功者であり、幸せな人生を送る人、とも言える。多くの成功者は、完全であれ、他人を喜ばせろ、努力せよ、強くあれ、といったドライバーに駆り立てられているはずである。
しかし、客観的に成功していても、本人が生きづらさを抱えているとしたら、本当の幸福からは遠い。本当の意味での幸せとは、どういうことだろうか?のりピーとて、覚せい剤を使うまでは、人も羨む成功者であったはずだ。だとしたら、成功とは何だろうか?たとえのりピーのように犯罪者にならなかったとしても、成功者はどこかに生きづらさを抱えているものなのだろうか?生きづらさなく成功などあり得ないのだろうか。
「他人に迷惑をかけてはいけない」「一人で逞しく生きていかなければならない」そういう価値観に縛られて生きてきた。だから他人から迷惑をかけられることにもすごく敏感で、搾取されたり、利用されたりすることは絶対に許せなかった。でも、それを許せるようになったとき初めて自分も周囲に迷惑をかけていいんだ、と思えるようになった。お互い迷惑を掛け合って生きていく。子どものころから「迷惑をかけてもいい」「強くなくてもいい」という価値観で生きていたら、精神的には楽だったかもしれない。でも、そうだったら、極度に頑張る、ということもなかった。「がんばらなくてもいい」「強くなくてもいい」という価値観で生きた末に至った表面的な立場に満足できていただろうか?
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筆者は刑務所施設での更生支援に携わっており、内容では殺人を実際に犯した者との対話や生い立ちなどが書かれてある。
日本の刑務所や少年院の実態について、愕然としたしメディアもほとんどまったくその内容について報じることはないのでこれはもっと知られた方がいいと感じた。
筆者は犯した殺人への反省、ではなく加害者の根本的な問題に焦点を絞って本当の意味での更生を目指している。
(今は亡くなってしまったそうで本当に残念です)
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日本人なら誰もが口にするようなたくさんの当たり前の価値観が、子供たちを追い詰めている。
大切なのは、「本音」を引き出してあげること。自発性を求めるならそれはその後の話で、まずは子供を理解し、支えてあげる。
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昔は親が厳しくても、周りにたくさん人がいた分はけ口はあったかもしれない。でも今は核家族化しはけ口がない状態なんだろうな。それならそれで、きちんと親が考えてあげないといけない。
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これを読んで、日本人は特に全員が右なら右、というような形があるが、左でもいいんだよ、と言ってあげられるような親になりたいと思った。
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生きづらいと感じる大人の方にもおすすめの一冊です。特に男性はいいかも。
じわじわと心のわだかまりが溶けていきます。
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「いい子に育てると」ではなく、「本音を隠し、言いたいことは言わず、親に従順、親の希望する針路に頑張って従うような子供」が比較的犯罪者に多い、ということを言いたいらしい。説得力はそれほどないと思える。
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犯罪者が犯罪者になった原因は、ほぼ子どもの時の体験にある。
その子をそのまま受け入れてあげる
嫌なことは嫌という
助けて欲しい時に助けてという
うれしい、ありがとうという
問題行動があれば、なぜそんなことをしたのかを考えよう。
なにが嫌だったのか、どうしたかったのか。
感情抑えて、常にいい子にならなければと思っていると、そこまで苦じゃなかったとしても、いつか良くないことが起こるかも、と自分自身も思った方がいいかも。
嫌なことは嫌と言おう。
本書は極端な例だろうけど、可能性はゼロではない。
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受刑者に問題の根をさかぼって話を聴いていくと、最後は幼少期の育ちの問題に辿り着く。無意識の抑圧で、問題認識されていない。愛情を求めていい子で頑張ったり、暗い雰囲気を明るくするため笑っていたり、厳しいしつけに親の前でだけいい子を装ったり。ストレスに耐え切れず起こした問題行動は糾弾される。
我慢とか頑張れとか、指摘されると確かに問題のある声かけ・働きかけだと理解できるのだけれど、あまりに普通に自然に行われていることじゃないかと思う。どんな子なら、もしくはどんな環境があったら問題児にならずに済むのか、もしくは表出していないだけなのか。
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親はいろいろ気にせず、今までどおりにやっていればいい、というのが感想。
問題が起これば、放置してればネグレクトで愛情がなかったからだというし、愛情をかけすぎて過保護すぎたとなるし、事後で、あれが悪かった、これが悪かった、とどのみちなってしまう。
しかしながら、もしも、できることなら、子どもにさみしい思いをさせないこと、話をして心を通わせることだけ。
人それぞれ、家族のかたちもそれぞれ、しあわせもそれぞれではあるけれど、もし、できることなら。
社会的なものさし(ピラミッドの位置や座標)ばかりで判断する端末にならないように、人間としての価値そのものを認め、生まれてきたこととその存在を祝福すること。
刑務所での、型にはめよう(いい子)とする更生プログラムに異議を唱えるために、本書はこのようなタイトルになっているのだろう。更生を受けているときに、こういう先生がいるのは救いになるだろう。
生まれつきの性質はあるけれど、子どもの個性そのまま受け入れる努力をし、後天的な環境や育ち(親の養育)を検証し、今後に反映させようという試み。
シャバである社会自体が監獄なのだから、型にはまらないアウトローたちに、マニュアルの下、監獄の中の監獄の従業員に教えることのできるのは、シャバに設置されているちいさなヒトガタカプセルの形ぐらいなのは、いたしかたないようにも思う。
シャバ側が先に自由で個性を受容するがんじがらめでない社会でなければ。もし、愛に満たされた更生教育を受けてきた受刑者を作ることができても、ラボの実験生物のように瞬殺されてしまう。