紙の本
磯崎憲一郎氏の小説に内在する無限の可能性を示した傑作です!
2020/06/24 11:09
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『肝心の子供』(文藝賞)、『終の住処』(芥川賞)、『赤の他人の瓜二つ』)(ドゥマゴ文学賞)など次々に傑作を発表されている磯崎憲一郎氏の作品です。同書には、幼少の頃に川の対岸に観た「黒くて巨大な機関車」、公民館の池に泳いでいた「マグロのような大きさの鯉」、そしてある日を境に消えてしまった友人Aといった、一見お互いに関係のないものたちが描かれています。そして、こうした意味付けなどいっさい拒否するただそれが起こったままにしか語れない不思議な出来事を経験した私はやがて、ナイジェリアに赴任することになるといった物語です。同書は、小説に内在する無限の可能性を示した傑作と言われています。
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流れるようなストーリー展開ではなく、唐突に、著者の思いつきかのごとく脈絡もなくストーリーが展開されていく。最初は慣れないけど、この整理されていない感じこそ、ほんとの人の心理・感情に近いんだろうなと。けれど、1回読んだだけでは、この小説が何を言おうとしているのかわからなかった。けど、なんか深そう。
芥川賞作家の第3作目。文体や話の作りが変わっているので、1作目から順々に読んでいった方が、慣れて良いかも。私も1作目から読んで、この作品をもう一度読んでみようかと。
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紀伊国屋書店本店の
ほんのまくらフェアで購入。
最初の1文だけ見て選ぶのを楽しむフェア。
最初の1文は、
『いまではまったく信じかたい話だが、私たちはついこのあいだまで花は花屋で、肉は肉屋で、服は仕立屋で買う世界に住んでいた。』
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2つの短編集。
『世紀の発見』
話が飛ぶ飛ぶ...!
だからって置いていかれるわけでなく一緒に飛ぶんだけど。
終始ふわふわしてて、落ち着かない話だった。
『絵画』
不思議。
これもふわふわ。
地に足着いていない感じ。
どうも著者の世界観に馴染めなかった、2作品だった。
けれど、解説にあるように、著者は最初の1文を書いてから、その後のストーリーを決めるらしい。
書き方まで不思議な、その最初の1文に引き付けられたのは事実。
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やっぱりこういった、俗にいう純文学のカテゴリーに該当する作品は、好きにはなれない。何書いてあるのか結局全然わからないし。もっとも、途中から読む気無くしてほぼ流し読みだったけど。
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ある印象的な出来事とかではなくて、なんでもない日の肌寒い感じとか、窓から日が射して明るい感じとか、なんてことないのによく思い出す記憶ともつかないものがある。磯崎さんの小説はそういうのをよく思い出させる。
同時に思うのは、わりとどれも「習作」という感じがすること。いろいろ試しながら書いているような。デッサンとでもいうのかな。
淡々と説明口調が続いたと思えば、ところどころはっとするような表現がある。いつも読みたいわけではないが、なんとなく無性に読みたくなることがある。
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表題作は、彼がみてきた風景(特に幼少期)の描写が読者にもどことなく懐かしい感覚を思わせるようで秀逸。
そして結末は、そうきたか…!と思わせる場所になっている。
おもしろい。