紙の本
頑固一徹職人肌のテクノクラート武将の名誉回復本
2006/11/14 11:10
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
藤堂高虎といえば,知ってる人は知ってるとおり「豊臣秀長に取り立てられた身でありながら,その死後急速に家康に接近,かつての主家滅亡に尽力して大名になった世渡り上手」である。こいつのコシマキにもある通り,何の本だか忘れたが司馬遼太郎がこの人を酷評してるのを読んだこともある(正直言うとそんとき「功名が辻」の山内一豊とたいして変わらんだろうが,と思ったんだけどさ)。
本書はその,まぁ日本の歴史上あんまり評判のよろしくないヒトの生涯を丹念に辿り,彼の実像が世渡り上手どころか,頑固一徹職人肌のテクノクラートであったことを解き明かした本である。確かに彼は豊家滅亡の急先鋒となったが,それは彼が変節漢だったからではなく,自らの政治観に誠実だったからである。彼は中世の旧弊を色濃く残す秀吉の中央集権政治に限界を感じ,地方分権を旨とする幕藩体制を構想,その実現のために家康についた。
恩知らずだの裏切り者だのと感情論で彼を断罪するのは簡単だ。しかし戦後の60年足らずで地方行政に行き詰り,やれ首都移転(つうのは結局どうなったの?)だ道州制だと思いつきみたいなことをやいやい言ってる我々に,約300年持った体制を頭ごなしに否定することなどできようか。日本の政治家には司馬さんのファンが多くて,だからみんな高虎が嫌いらしいんだが(オレも司馬さんは好きだがそういう「毛語録」みたいな読み方はしない),それはそれとしてこういう本もたまには手に取っていただきたいもんである。
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世渡り上手と呼ばれる武将、藤堂高虎。その人生の軌跡には戦国から大平の世へといたる足掛けとなったことを本著は強調している。自分としては高虎の国づくりと現代の国づくりを照らし合わせた分析や提言を期待していたがその辺はあまり充実してなかった。かなり専門知識がないと読み解けない難解の文章と興味がないととっつきにくい詳細な歴史、築城術など正直途中読み飛ばした部分のほうが多い。(2006/4/15読了)
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一般書なのに萌え系(※あくまで個人的感想)。後半部分は津に行って実際に街を歩きながら読んだほうがいいと思います
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それまでの伝統的な国や郡とは違った藩を創出して、また幕藩体制の創出にも参加する。文字どうり江戸時代の設計者としての藤堂高虎。現在においても、その国づくりの方法は、学ぶところが多いだろう。
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高虎の政治的な感覚は合理的でなお理想主義で現実主義で…うーんまだよくわかってませんが、なんだかカッコいい。江戸初期の藩の概念が確立されていない時期からすでに先のビジョンまで見えてるような。頭の回転が遅い私には読み易い本ではないけど、とても興味深い内容でした。
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私が言いたいことが詰まった本。高虎さんに対して悪い感情を抱いている方に読んで頂きたいのです。ゴマすり風見鶏はひど過ぎる!確かに、と頷ける点がいくつもありました。某大御所の小説の影響だろうと書かれてましたが、そうなのでしょうね…物書きの影響力は良くも悪くも強いですからね。確かこの人にあまり好かれてないだろうとある武将の実際のところを最近知ったのもありますが、とても強く感じます。この本では特に短いですが牢人から秀長へ士官する部分がオススメ。
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[ 内容 ]
徳川家康に天下を取らせ城を、藩をつくった近世のプロデューサー。
[ 目次 ]
第1章 立志伝―渡り奉公人から大名へ(織田政権下の近江―主君を求めて;豊臣秀長に仕える―参謀との出会い;直臣大名への抜擢―戦乱から復興へ)
第2章 大坂の陣―国家分裂の危機(要塞群の配置―豊臣恩顧大名の監視;実像の大坂包囲網―西国支配を固める;キリシタン禁令―大坂の陣への序曲 ほか)
第3章 豊臣体制の克服―藩(くに)を創る(城づくり・町づくり―合理性の追求;画期としての今治築城―新型城郭の創造;藩領の形成―流通構造の転換 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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藤堂高虎がどう考えて都市を作ったか、城の建て方の変遷、高虎の城の特徴、藩ができていくまでとかとか
ちょっと読みにくかった
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駿府時代に家康が高虎と語り合った幕藩構想でも聞けるのかと思ったら、むしろ「江戸時代の藩の設計者」でした。天主構造の推移や家康のキリシタン弾圧から豊臣殲滅までが同じ戦略上にあったことなど発見もありました。藤堂高虎の関ヶ原から大阪落城までの立ち回り方は際立つ有能ぶりの証です。行動原理は現代人なら納得できるでしょう。でも、豊臣にシンパシーがあって、好きになれないですね。鳥羽伏見での振る舞いにDNAを感じます。
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前半の幕府創成期の話が興味深い
近年の研究で秀頼の支配は慶長年間も大きく
1)豊臣蔵入地(直轄領)小豆島ほか継続支配
2)官位は慶長13年には左大臣
3)家康も慶長8年まで秀頼に拝謁
家康の支配固め(秀忠への継承)
慶弔16年:家康が諸大名に誓詞を提出させた
1)岡本大八事件:本田正純にダメージ
2)長安の死後反撃して大久保忠隣失脚
3)キリシタン禁令(大坂の陣のきっかけ)
4)忠輝事件(義父は政宗)将軍家確立
藤堂高虎は支配がまだ流動的な時代、豊臣方と
徳川方をつなぐことができる唯一の大名であり
家康との信頼関係が心地よく、戦国の香り残る
時代に涼風を感じさせる