紙の本
読みごたえある力作評伝
2016/11/13 22:28
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Takeshita - この投稿者のレビュー一覧を見る
「死の棘」は読み進めるのに難渋する重い小説だが読了した後の感銘は深い。この本も同様に読み終わった後、著者の長年の丹念な取材と作品の深い読みに感心する力作である。島尾敏雄、ミホそして娘はまことに苦しい壮絶な一生であった。しかし残された作品に人間と芸術の救いがある。それに肉迫した著者の粘り強い努力に敬服する。
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島尾ミホの魅力が伝わる力強い評伝
2019/07/06 00:11
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投稿者:とも - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み応えのある評伝だった。
調査の量がハンパないのだろうなと思った。
本当に島尾ミホ氏の魅力が伝わる評伝だった。
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どろどろって、いいですね
2019/01/28 17:21
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
島尾敏雄作「死の棘」で繰り広げられた夫と妻のどろどろの愛憎劇が作者の綿密な取材によって詳らかになっていく。私も島尾氏と妻・ミホの「死の棘」での罵りあい、愛人が登場した時、ミホが夫に「パンティーを剥げ」と命令するという醜い場面など、お互いに何か芝居でも演じているようにも思えることに不思議な感じがしたのだが、作者は取材を通じて「あれは島尾氏がわざと日記をミホにわざとみせるように置いていたのではないか。なぜなら、自分の人生経験には小説の題材になるようなインパクトがないと思ったからではないか」と推測する。要するに、「藤十郎の恋」なのだと。あまりにも、衝撃的な日記の内容だったために島尾氏が思っていた以上の衝撃をミホにあたえてしまって彼女は「狂うひと」となったのだが、島尾氏もかなりのというより、彼女以上に「狂うひと」なような気がする
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これまで多くの小説を読んできた自負のある僕であるが、ページを繰るのが苦痛でありながら、苦行僧のような気分で読み進めた唯一の作品、それが島尾敏雄の『死の棘』であった。島尾敏雄の不貞が原因で精神に破綻をきたした妻ミホが敏雄を何度も何度もなじる姿はミニマリズムの極致であり、明らかな夫妻の共依存関係は絶えることのない苦痛を読み手に与える。
さて、本書は『死の棘』で客体として描かれた島尾ミホを主体に据え、「書かれる女」であった彼女が処女作である『海辺の生と死』の発表を皮切りに「書く女」へと変貌していく姿を描き出していく。そして、何よりも島尾ミホの死後に残された膨大なノートなどを分析した著者が提示するのは、「敏雄は、あえて自身の不貞がミホに明らかになるように仕向け、それを題材に自身の創作をネクストレベルに引き揚げようとした」という大胆な仮説であり、その仮説の構築プロセスは非常にスリリングである。
自らの家が焼け落ち、妻と子供が苦しみながら死ぬ様を見て、自身の創作意欲を掻き立てたという「絵仏師良秀」を彷彿とさせるようなこの仮説が果たして正しいのか、我々が検証する術はない。しかしながら、『死の棘』という作品が持つ強度は、そうした仮説が正しいと思わせるだけの凄みを持っているのも事実であり、世間には理解されないであろう異常な夫婦の愛憎関係により、こうした傑作が生みだされたというのは間違いがないようにも思える。
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同じ資料を使って、書きようによって、いくらでもきれいごとにできるのに「きれいごとにはしないでください」と言ったご子息。きれいごとだけで感動させようとする世の中の流れに逆らっている。
私はこの本を読んでものの見え方が変わった気がする。立派な仕事をした人も、一生立派なだけで生きたわけではないなら、自分のことも周りのことももっと許さなくてはと思う。
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作家島尾敏雄の妻ミホの評伝。彼の、狂った妻との生活を描く私小説「死の棘」が有名だが、その神話と実像をミホ本人や関係者や日記などの資料から浮き彫りにする。曖昧なままの愛人の正体や小説の内容はどこまで実際のことかなど。敏雄の作家の業やエゴがむき出しで痛々しい。
島の旧名家の一人娘と赴任した27歳の島尾特攻隊隊長は恋に落ち、極限状態のまま出撃を待つが終戦を向かえてしまうという、神話のような出会いはどこまで本当なのかが知りたかった。労作。良作。
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グループサウンズ「ザ・タイガース」の一員だった
俳優岸部一徳が初主演で映画賞を受賞した作品の
原作となったのが『死の棘』島尾敏雄 著
作家島尾俊雄は少年時代より、日記をつける癖があった。
どのようなことも日記に記録するのだ。
それはのちに作家となる島尾の作品の源泉でもあった。
『死の棘』は、ある日夫の日記を読んでしまった妻が
半狂乱になり、夫に食ってかかり毎日時間を問わず
詰問し、追いつめ、夫もその狂った日常に
子供と共に深い淵に陥るという内容。
この本の作者梯久美子は
夫の死後も20数年喪服をまとい、
夫の骨壷と共に添い寝をする彼女に(彼女が死ぬまで続く)
インタビューを申し込み、叶えられた。
そのインタビューはあるとき、ミホの一方的な拒絶で終わるのだが
ミホの死後、その膨大なメモや島尾敏雄の作品の草稿や、
ミホの日記、作品の草稿など、
失われていたと思われたものが発見された。
そこで、日記などを作品を年代ごとに照らし合わせ
順序を追い、事件の裏をとるような緻密で地道な努力で
このドキュメンタリーを書くことになる。
二人の出会い以前のそれぞれの出自も詳しく説明され、
それぞれの環境、育てられ方が彼らの人間性を培った。
それは、彼らの両親の人となりにまで及ぶ。
たまたま読まれてしまった、、、浮気の日記
だけではなかったのだった。
それは、作品を描くにあたりあまりに平凡で
劇的な境遇をことごとく外してしまった自分に
何か劇的なストーリーを作るがために?!と
思わせる節も見えてくる。
だが、それだけでは終わらずに、二人の性格を持って
地獄でありながら、痛めつけられながらも
神に許されていくと感じる、
普通では簡単には共感できない
二人だけの世界があの作品を生むということがわかってくる。
長編だけに、なかなか読むのが大変だったが
今、注目の作品だけに読んでみた。
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[愛,それまでも愛]夫の不貞に狂った妻,そしてその先に見える夫婦愛を生々しく描き切ったと評された島尾敏雄の『死の棘』。島尾が日記に書き記した十七文字を目にしたときに「私はけものになった」と語る島尾の妻・ミホの実像,そして夫婦の想像を絶した間柄について克明に記録したノンフィクションです。著者は,『散るぞ悲しき』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した梯久美子。
ノンフィクションでありながら神話を読んでいるような気持ちに陥った紛うことなき名作。一組の男女の間で,愛というものがここまで清廉で,そしてときにおどろおどろしく変貌を遂げるものなのかと胸を貫かれる思いがしました。「書く・書かれる」を軸にした島尾夫妻の関係は,もはや生血が流される「決闘」と言っても過言ではなく,それ故に互いが互いを完全に,ときに完全以上に理解し合えたのかなと感じます。
〜天秤量りの片方の皿に,あの十七文字が載っている。それと釣り合う重さの言葉をもう片方の皿に載せるために,あの長大な小説を,島尾は書き続けなければならなかったのである。〜
凄まじいという言葉の極点を示した一冊☆5つ
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死の棘。かつて読もうと思い手にしたものの、あまりに暗く、苦しく、とても読み続けることができずに早々にあきらめた。
今なら、読めるかもしれない。
島尾敏雄とミホ夫妻の尋常でない夫婦関係に驚くばかり。
また、梯さんの徹底した取材、膨大な日記を読み解く根気、評論を書くことを決して諦めない姿。
あっぱれだ。
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梯久美子の超労作。ご苦労様でした。今回も女性ならではの着眼点が光っている。新たな「死の棘」文学論にもなっているが、ノンフィクションとはこういうものであるということを教えてくれる素晴らしい教科書のような存在だと思う。著者がこれ以上の作品を今後残せるか心配になってしまうほど優れた作品。圧巻!必読です。
酷ですが、次回作も超期待しております。
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死の棘を読んでなんの感動も共感もなくて、この本を読めばもっと理解できるのでは?と思ったけど、全然だった。なぜこの死の棘が有名になったのかも理解できない。
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序章 「死の棘」の妻の場合
「戦時下の恋」「二人の父」「終戦まで」「結婚」「夫の愛人」「審判の日」「対決」「精神病棟にて」「奄美へ」「書く女」「死別」「最期」
島尾敏雄とミホ夫婦についてなんの予備知識なしに読み始めたせいか、最初からふたりの生い立ち、ドラマチックな出会い、結婚生活、その成り行きにいちいち驚いてしまう。「死の棘」って実話?それとも小説?
敏雄の日記、関係者の証言、ミホ本人からの聞き取り‥今回初出の資料もたくさんあり、「死の棘」未読(!)の私でもこの本の凄さや面白さが分かる。順序が逆になったが「死の棘」を読まなければ。
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愛と狂気は表裏一体・紙一重…。文学はフィクションでノンフィクション…。明かされていくミホとトシオの愛と狂気はまた筆者の二人に対する愛と狂気かもしれない。
3人の心が織りなす凄まじい世界…。ただ、こんな愛はまっぴらゴメンだ!
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島尾敏雄の「死の棘」は結局読了できずに、
この島尾ミホの評伝書を読む。
梯久美子さんの書かれる人と書く人という二人の関係の視点を通して、私が「死の棘」を読了できなかった理由や、読んでいるときに感じたいろいろな疑問が解明されたように感じた。
作家の業(ごう)も重過ぎたのかもしれないな…
ミホ本人や息子、親戚、関係者へのインタビュー、また著作や関係の記述、膨大な資料を調べ、
「死の棘」等多くの作品で描かれるミホとトシオと、実像のミホと敏雄に様々な角度から迫った力作。
終戦記念日も近い読了の8月13日、読売新聞の日曜版にミホの出身地であり、二人の出会いの地の加計呂麻島の特集が出ていたのは印象的だった。
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あまりのぶ厚さに手を出しかねていたが、読み出したらやめられなかった。これは労作にして傑作。「死の棘」の妻島尾ミホの人物像に迫ることで、従来の作品観に敢然と異議を申し立てている。筆者の論は、長期にわたる地道で粘り強い取材に裏打ちされていて、圧倒的な説得力がある。
「死の棘」が他の私小説から抜きんでた評価をされてきたのは、その前日譚があったからこそではないだろうか。特攻隊長として南の島にやってきた男と、村長の娘である美しい少女との恋。それは予想されていた「死」では終わらず、二人は結婚し、やがて修羅の日々を迎える。
著者は、そのほとんど神話となった二人の出会いから、事実はどうであったのか、島尾敏雄やミホ、そして周囲の人々が何を思い、どう行動したのかを丁寧に検証していく。まずここが非常に刺激的だ。このときミホは二十五才、東京の女学校を出た後島の代用教員をしていて、決して「南の島の素朴な少女」などではなかった。
ここを皮切りに、従来定説となってきた解釈に疑問が呈され、語られることのなかった時期の実像が掘り起こされていく。島尾敏雄の愛人のこと、ミホの実父のこと(ミホは実は養女でそのことを語ろうとはしなかった)、養父母への愛着、中断されてしまった長編小説…。次第に浮かび上がってくる姿は、「求道的な私小説作家と、そのミューズ」というイメージからはかなり隔たっている。
感嘆するのは、そうして二人の実際のありようを(特にミホは書かれたくなかったであろうことを)明らかにしながら、筆致がまったく暴露的ではないことだ。雑誌での著者インタビューなどを読むと、これを書くことにかなりためらいがあり、出版後もなお葛藤があるそうだが、これはやはり「書かれるべき物語」だと思う。本書ではしばしば、「書くこと」「書かれること」についての言及があり、書いたり書かれたりすることで人生が変わっていくことへの、懼れに似た気持ちが述べられている。私はここに「書く人」としての著者の覚悟と誠実さを強く感じた。
「死の棘」とこれに関連する小説のほとんどすべての内容は実際の出来事であり、島尾敏雄がずっとつけていた日記が「ネタ」だったそうだ。それを知ると、考えずにはいられないのが、当時六歳と三歳だったという二人の子どものことである。「死の棘」に書かれた地獄のような狂態は、幼い二人の目の前でのことであった。小学生のときしゃべることができなくなったというマヤさんは、若くしてガンで亡くなったそうだ。胸が詰まる。
(私は「私小説」が好きではないが、その理由の一つは、私小説にはしばしばこういう、「自分」だけにかまけて庇護すべき弱いものに無頓着だったり、むしろ進んで害を与えたりする人が描かれるからだ。それが人間の「業」だとは思えない)
長男の伸三さんは、この本のために取材を申し出た著者に対し、「書いてください。ただ、きれいごとにはしないでくださいね」と言ったそうだ。どうしたらこういう言葉の出る人になれるのか。頭を垂れるしかない。