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本書より。
「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」
タイトルから好みです。
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これは…確かに「危険」だ。稀代の天才が唯一この世に残した著書。その思考に触れ、なにかが心に残る、そんな切っ先鋭い哲学良書。
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結局 めんどくさいこと考えんのやになってこれでもう哲学的な命題は全て証明されたってことにしたんじゃね?でもまたやっぱ違うんじゃね?ってなるのはめんどくさい哲学者体質の性なんだろか。でも経歴とか見ると圧倒的にセクシーだよなこのひと。我が家の設計してほしいよ。でも下請け業者は大変だろうな。引き渡しの前に、「後3センチ天井を上げてくれ」とか言われんだろうな。
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む、難しかった・・・の一言です。
だけど、世界の捉え方とか、物事の捉え方がおもしろいなぁと思いました。こんな風な目で世界を見てみたら、なんかものすごく面白そうな気がします。
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『戸棚の奥のソクラテス』を読んで以来、ウィトゲンシュタインが気になって仕方がない。変人で、友達がいなさそうで、でもなんだか、憎めない…そんな人物だったのだろうかと、想像してみたりする。
難解と言われる本編は、やっぱり難解だけれども、野矢先生の解説が理解を助けてくれるので、ありがたい一冊。
せっかく「大学生」になったなら、哲学のひとつも、ちょっとくらいかじっておいたほうがいい。
大人になると、生きることに必死になって、妥協して答えを出すのがうまくなってしまう。「自分とは何か」「世界とは何か」なんて、真っ正面から真摯に考えてなんて、いられなくなるから。
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世界とは言葉であり、両者は論理によって対応づけられている。世界の限界とは思考(論理領域)、私(の言語)の限界であるがゆえに語りえないものについては沈黙せねばならない。かなりおおざっぱなまとめ方ですが、本書ではウィトゲンシュタインは世界のありかたを厳密に記述しています。途中論理学に触れていない自分は読み進めるのに苦労したところがありました。ウィトゲンシュタインの世界観、とくに形而上学的主体についてと語られえないものの存在について、に自分は大いに影響を受けたと思います。
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本文は難解すぎて読む気にならず。ラッセルによる解説と訳者解説を読んで分かった気になっておこう。訳者の野矢茂樹さんは、本書とは別に解説本を出しているので、そちらを読むのがいいと思う。本書に関しては、まさに「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」ということかな。(きっとみんな同じことを書くんだろうけど)
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ウィトゲンシュタインが生前に刊行した唯一の著書。
文章をいじくりまわして世界の可能性を思考の限界まで探っていく論理実証主義と呼ばれる思想の流れは、このウィトゲンシュタインに始まったと学生のころ学んだ気がします。
ふと思うところがあって今こうして読み返してみると、一切の実存への意思を排除したかのような内容が逆にスリリングであらたな魅力を感じました。
語りうる領域と語りえない領域との境界線画定を試みたと言われている本ですが、「語り得ないものについては沈黙せねばならない」というフレーズはあまりにも有名。
当たり前ですが、これは「語り得ないもの」を排除しようとしたのではなく、そうしたものを希求するがゆえに、安易な形で「語り得ないもの」が語られてしまうことを戒めています。語り得ないものを軽視しないで、どっからが語り得ないのかを意識しろよっていう。
かくしてポスト論理実証主義や分析哲学への道がひらかれたわけですね。
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いちばん最初に読んだ時は 得体の知れない興奮を感じたけど、ひさびさに読むと色々と考えつつ読んだのか難しく感じた。でも短い言葉の数々から構成される本のスタイルは刺激的で、魅力的な言葉が突然飛び込んでくる感覚がある。
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枕頭の書に、もってこい、です。
すぐ眠れる。
最後の一行があまりにも有名だが、その少し前から、大変なものです。
恐れ入りました。
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前期ウィトゲンシュタインの著作『論理哲学論考』です。前知識なくこの本だけ買って読むと、もっと詳細な解説が欲しくなると思うので、訳者の野矢谷秀樹さんの解説本から先に読んだ方がよいかと思われます。
http://booklog.jp/asin/4480089810
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大学の試験からの逃避として読んでました。この本は「世界は成立していることがらの総体である」と始まり「語りえぬものについては沈黙せねばならない」という結論に至る。言いたい事はハイデガーが「存在と時間:第1章 存在の問いの必然性、構造および優位:第2節 存在への問いの形式的構造」で「問われているもの(存在)が、ある存在者の存在様態たる問いそのものへ、再帰的にあるいは先行的に、連関している」って言った事と似ているのかなぁと思った。問われる存在は、問う存在へ逆説的に問いの構造を作っているって言う事、そして僕らが普段「喋る」「話す」「書く」と第三者に問いているのは存在了解の上なのかなと考えさせられた。
まだ、本文を読んだだけなので、1、2割も理解出来てないだろうけれど、これから読むラッセルと野矢茂樹さんの解説から、さらに得る物があると思う。
読んでて思った事「これを逆に読んで、結論から入って演繹的に読むとまた違う発見があるかも」
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噂は聞いていたが、本当に難解。著者の思考の1割も理解できたかどうか…。用語の定義の理解が不十分なまま読み進めたのは反省。言葉の定義を厳密にし、論理学で語れることと語れないことを区別している。わからないことだらけなのだけど、読み終えた後にパラパラと見返していると、番号で整理された一連の文章が、著者が自身の思考を言葉の限界を認識しつつも苦心しながら記述しようとした跡が感じられるように思えた。
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友達が「人生で一番薦める本」的なことを言っていたので「そういわれたら読むしかねえな!」と思い手を出した本。
意味わっからーん\(^o^)/すげー直感的に感じたのは著者は「論理」を愛するあまりそれを殺してしまったんだな、的な感じ。論理が世界の中に存在していて、自身の存在を広げようと手を伸ばそうとするんだけど、世界という限界に阻まれてしまう。でも人が自分の目を見ることができないように、論理も世界を見ることができない。見ることができないというのは俯瞰することができないという意味なのだが、つまり見ることができないということは認識することができない、ということになり論理の可能性は限界がないことになる。みたいな感じがした。
ところどころ共感できる箇所もある。次に読もうと思っている「論考を読む」という本を読んで、論理哲学論考への理解をもう少し深めたいと思う。
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1921年に出版された哲学書なんだけど、IT技術者が読むと、まるでプログラミングついて語られているかのように錯覚してしまう不思議な本。
たとえば「世界が私の世界であることは、この言語(私が理解する唯一の言語)の限界が、私の世界の限界を意味することに示されている。」とか。
論理的考察の果てにたどり着く真理が実に美しい。