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西洋型の現代社会と、国家成立前の「昨日までの」社会を比較して、その得失を考察する。
『銃・病原菌・鉄』のような目を瞠るほどの驚きはなかったが、それでも著者のニューギニアでの実体験も含めた豊富な事例で、一つ一つ確かめていくように論を進めていくのが面白い。
とくに多言語文化の利点と失われつつある言語の保存を訴えた第10章。この部分だけやけに熱がこもっているように感じたのだが。
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パプアニューギニアでの伝統社会を主とはしているが、まだ首長制の名残が残っているアフリカやアジアの国々はもちろん、かつての日本における社会の成り立ちを考える意味でも面白かった。特に自然が豊かで狩猟採集から始まった社会では、同じような成り立ちから現代に至っているのではないか。伝統社会やコミュニティがまだしっかり残っている社会に急激な貨幣経済や資本主義が流入している中で、今後の地域や精神社会にどのような影響を来すのか、非常に興味深いところである。
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伝統的社会と近代国家社会という二つの軸に照らして育児、家族、教育、戦争などについて論じてる本。
戦争ってそもそもなんなのかとか、社会ごと子育ての差異とかすごく詳しく書いてあって非常に興味深い。
高齢者の扱いが近代→伝統へ回帰してく想定とかもかなり頷ける。
下巻も楽しみ。
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鉄病原体銃はクソだけど、これはすごく面白かった。
昨日までの世界
•平均寿命短い
–そもそも平均寿命が短く、現代の定義での高齢者に達する人はほとんどいなかったし、当時の定義での高齢者になる人も少なかった。
•高齢者殺し
–資源が限られ、頻繁な移動を伴う生活において、食べるだけの人間を養う余裕があるとは限らない。放置して死に追いやる、自殺の手伝いをする、積極的に殺す、など部族により差があるが、高齢者殺しは広く行われていた。
•高齢者尊重
–一方で高齢者を尊ぶ部族もある。食料に禁忌をもうけ、高齢者しか食べられないということにしたり、中には食べ物を噛み砕いてあげてから食べさせるような部族もある。
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『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』のジャレット・ダイヤモンドの新作。
著者が文化人類学者として実地でのフィールドワークをしていたことを初めて知った。特に鳥類学者でもあったとは。本書は、クロード・レヴィ・ストロースにとっての『悲しき南回帰線』と同じような位置付けなのだろうか。前二著とは趣がやや違い、特徴であった壮大な論理的な推定はやや影をひそめ、その代わりに著者の実体験のエピソードが出てくる。もちろん「昨日までの世界」についての文献を広く確認し、単なるエッセイではない。『銃・病原菌・鉄』の重要な結論 ― 文明の発展は地理的な条件がたまたまそのように恵まれていたから ― の元になる経験はここにあったのかと知ることができた。
タイトルにもなっている「昨日までの世界」とは、いわゆる伝統的社会 ― 人口が疎密で、数十人から数千人の小集団で構成される ー のことである。紀元前9000年ごろになって始まった食料生産以前には国家は成立しえなかった。初めて国家らしきものが成立したのは紀元前3400年前後で、それまで少なくとも人類は「昨日までの世界」を生きていた。どちらかといえばそちらの方が本来的なものである。WEIRD = Western, Educated, Industrial, Rich, Democraticな社会は人類の歴史の中では奇妙(weird)なものなのである。「昨日までの世界」のことを知ることで、現代の世界でも役に立つことが出てくるのではないのか、というのが著者も目的のひとつでもある。
社会は、その規模により、「小規模血縁集団(Band)」、「部族社会(Tribe)」、「首長制社会(Chiefdom)」、「国家(State)」に分けられる。この分類は学術的にも一般的らしい。この社会構造の中で、他人は、「友人」、「敵」、「見知らぬ他人」に分類されるが、この中で見知らぬ他人に対する態度が伝統的社会と現代社会の大きな違いだという。また、もちろん食料調達と分業にも違いが生じる。"Size does matter"なのだ。これにより、紛争解決の方法、戦争、子供、高齢者、危険(リスク)、宗教、言語、健康、などが異なってくる。現代の司法制度と刑罰というものが特殊なものであることもわかる。本書では、それらの違い、「優劣」ではない、を丁寧に解説している。
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昨日までの世界が一世代も経たないうちに現代化され、ほぼ世界中からなくなっていこうとしている。このことは、近代化の時期が早かった地域は、その土地形状と生息生物にたまたま恵まれていただけである、という著者の『銃・病原菌・鉄』での主張につながっているように思う。また、現代化が非可逆的な過程であることも結果的に示されてもいる。
上巻は、紛争解決、戦争、子供、高齢者、まで。どれも現代社会でも重要な問題である。もちろん、昔はよかったなんてことにはならないので、安心を。
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読みながら脳裏に浮かんでいたのは、時代も文脈も違えど悲しき熱帯だった
数千年の人類史に匹敵する数十年のパプアニューギニアの数十年に立ち会った著者の稀有で数奇な体験の書
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文明社会の今日に至るまでの流れを、伝統的社会の生活・経済・法・諍いなどの例を多く挙げ、広く人類としての未来を計るという壮大な一冊。
「銃・病原菌・鉄」の時に感じた震えるような衝撃は味わえなかった。
口絵もまとまってしまっていたので、見にくいし。○○族の顔といった画一的な案内では膨れ上がる知的好奇心は満たされない。
手元に 下 は無いけれど、内容によっては斜め読みになってしまうかも。
星四つをつけたのは第3部の「子どもと高齢者」が興味深い内容でぐぃと引きつけられたから。逆ピラミッドの年齢構造の今、考えなければならない内容だ。
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上巻を読んだだけでの感想は、文明崩壊や、銃・病原菌・鉄に比べると駄作では?というもの。退屈なお説教話という感じ。
下巻は未購入だが、どうしようか?と迷う。
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『文明崩壊』、『銃・病原菌・鉄』の著者ということで期待したが・・・これはあまりお勧めではありませんね。
下巻を読んでいないので、評価が変わるかもしれませんが・・・
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ニューギニアの空港で、チェックインを待つ著者の視線から、長い人類史への旅が始まります。ほんの数十年前までそこに存在していた〜現在は失われつつある〜「伝統的社会」を通じて、文明がどのように始まったのか、人間の社会はどのように進化してきたのかを広く、深く考察するのは「銃・病原菌・鉄」で知られるジャレド・ダイアモンド。もともとは鳥類の研究のためにニューギニアの奥地に通っていたそうです。そこにあった先住民たちの風俗習慣は、我々の住む世界のそれとは全く違うものでした。
本書では大きく「空間の概念」「戦争」「子供と高齢者」「危険に対する対応」「宗教、言語、健康」という章立てとなっていますが、もっとも重要なのは「戦争」についての考察でしょうか。
数十人から数千人規模の小さな集団の間での関係は、国家という概念が出来る以前の文明の姿を我々に教えてくれます。敵と味方という概念が生まれ、あるいは交易が始まり、そして戦争が起こります。少なくともニューギニアにおいては小規模な戦争は日常的に起きていたようで、死因の大きなパーセンテージを戦争が占めていました。「野蛮な文明人と平和を愛する原住民」というケースはここには当てはまらなかったようです。隣接する部族の間では常に戦闘と報復が繰り返され、戦士だけでなく女性や子供もその対象になっていました。その一方でより遠方の相手とは平和的に交易が行われたりもしています。これはどういうことなのでしょうか。戦争の原因は様々で、食料や水、あるいは生活空間そのものといった「資源」の奪い合いなどが考えられます。しかし最も多いのは「報復」だといいます。個人間の揉め事、女性や奴隷の収奪、家畜の盗難、偶発的な殺人などに対する報復です。当然隣り合って接触する頻度が高い地点でそれは起こりがちです。そのあたりは現代の国家間の関係でもあまり変わっていません。著者は「パールハーバーを忘れる」という項を立てて、人間が復讐心をコントロールすることで戦争を防ぐことが必要だと説きます。ここに通底しているのは「被害者意識」なのでしょう。人間は自分が被害者である、虐げられている、と思うときに最も攻撃的になるし、残酷になれるという一面があるのです。
伝統的社会から、文明を発達させてきたはずの我々ですが、世界中で続く戦争や暴力の連鎖を観るに付け、まだまだ成長していないのではないかと思うのです。果たして人類の未来は明るいものに見えるのでしょうか?どこかに希望を見つけたいと願います。
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UCLA医学部生理学教授を経て、主に生物学畑を修めるも、その後鳥類学、人類生態学へと研究領域が多岐に渡った著者による一冊。
タイトルの通り昨日までの世界すなわち、著者が主なフィールドとして再三渡っているニューギニアの文化をはじめ、オーストラリア周辺からはクナイ族、ヨルング族、ユーラシア大陸からはアイヌ民族、キルギス族、アフリカ大陸からはクン族、ピグミー族、北アメリカからチュマシュ族、カルーサ族、南アメリカ大陸からはヤマノミ族、シリオノ族などを「伝統的社会」として主にアメリカ文明との違いについて展開されている。
特に、印象深かったのが、ニューギニアの紛争解決と、所謂アメリカ等の国家が提供する民事司法の差異についてだった。
子供を轢き殺してしまったという痛ましい事件において、ニューギニアでは被害者家族の葬儀に加害者が参加し、葬儀に食物を提供し、弔辞を述べる。こうした儀式が目指すところは「許す」というプロセスを社会的に支援しているというところだとして紹介されている。一方、民事司法の目指すところは、私的な暴力をやめさせる国家の権威とされている。
こうした紛争解決プロセスの他に高齢者社会との付き合い方、組織知の形勢プロセス等のテーマが展開されている。 どちらがいい悪いではないのだろうが「昨日までの世界」には、今日我々がぶかっているテーマに対する解答例が存分に詰まっている、と感じさせる一冊。
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伝統的な社会(西欧的の反対)と、我々の社会(西欧的)を、その良いところ悪いところを比較しています。伝統的な社会も、我々が通ってきた世界で、タイトル通り「昨日までの世界」。現代の我々が、何を得て、何を失ったのか、冷静に見ることができます。
上巻は、自分以外の他人への対応、戦争、子育て、高齢者への対応について。
今までの著作よりも、冷静な視点から書かれているのを感じました。
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1.ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界 文明の源流と人類の未来』日本経済新聞出版、読了。『銃・病原菌・鉄』の著者による新著。「今日の世界」とはヨーロッパ化された世界。前著でその経緯を辿った。本書では工業化以前の「昨日までの世界」と対比する中で、文明の危機への処方箋を提供する。
2.J・ダイアモンド『昨日までの世界』日本経済新聞出版。「今日の世界」の根幹は国家の成立だ。しかし600万年に及ぶ人類の歴史の中で、国家の成立は5400年ほど前に過ぎないし、ここ百年で「今日の世界」となった事例も数多くある。歴史的にも人類は「昨日までの世界」で長時間過ごしてきた。
3.J・ダイアモンド『昨日までの世界』日本経済新聞出版。豊富なフィールドワークと人類学的調査から著者は、子育てや介護といった現代社会の岐路となる問題のヒントを「昨日までの世界」に求めるが、その論証は説得力に富んでいる。しかし、著者は同時に「過去への憧憬」も手厳しく否定する。
4.J・ダイアモンド『昨日までの世界』日本経済新聞出版。ヨーロッパ文明のおごりも否定する。成功は文化的に優れていたからではない。安易なイデオロギー批判とロマン主義趣味を柔軟に退け、叡智を学び未来へ開くこと。著者の文明論の集大成の本書は柔軟な思考と公平さの指標となるだろう。
5.J・ダイアモンド『昨日までの世界』日本経済新聞出版。なお9章は「デンキウナギが教える宗教の発展」(下巻所収)。文化人類学的宗教の役割変遷論のまとめ。7つの項目で検証した図表があるので紹介しておきます。
https://twitter.com/ujikenorio/status/340477492215291906/photo/1
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おもしろい!
部族間で争っていた時代には敵を殺すことは称賛に値していたんだ。なんで殺してはいけないかといえば、めぐって自分も殺されたらいやだから。殺してはいけない。命を長らえることはよいこと。食糧の確保、危険の回避、医療の進歩。人類は命を長らえるすべを手に入れてきた。ちっぽけなようでやっぱり凄いな。そうして地球上にひしめき合っている命。今のテーマは欲望をどのようにコントロールするか。人間が頭でっかちになると結局自分を滅ぼしてしまう。70億の人口は多いようにも思うけど、実際のところ母なる地球にとってはどうなのだろう。自分と、隣の人と、母なる地球を大事にしたくなる。
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現代社会の1つ前の世界として、独立した生活様式を維持していたニューギニア高地人との比較を通して、戦争・宗教・社会的つながりについて考察した本