紙の本
ドキュメンタリーをみて
2017/10/27 09:51
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投稿者:makhon - この投稿者のレビュー一覧を見る
ハンナアーレント関係のドキュメンタリーを見て著書を読みたくなり購入。著書はむずかしく、解説書のような補完本として利用した感じです。
世界史の背景やこころのありかた、人間とは。。。とまじめに読めば結構深いので、このお値段で購入できるのはなかなかないかなと思いました。このシリーズの良いところはとっかかかりを作ってくれるところではないでしょうか。ツボにはまればとっても面白い番組です。
紙の本
なんとか近づけそう
2017/09/30 19:01
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この番組は、さまざまな世界中の名著を取り上げてくれ、文字通り100分でなんとかしてくれるので、これまでもお世話になりました。今月も、たぶん自分では挑戦できないであろうハンナ・アーレントに果敢にいどんでくれました。少しは近づけたかな?自分もアイヒマンになってしまう危険性がきっとあるのでしょう。
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テレビを見て、仲正先生の解説に興味を持った。解説本読んでみてハンナ・アーレントにさらに興味を持ったので『全体主義の起原』『エルサレムのアイヒマン』はちょっとずつでも読んでいけたらいいと思う。ここに書かれている『複数性』についてワタシは考えていきたい。これからも。
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うわ、これはわかりやすい。こんなにわかりやすくていいのか?
今、「全体主義の起源」をまさに苦労しながら読んでいるところで、これはちょっと犯罪的にわかりやすい。
すでに読んだところも、これで確認すると、ぼんやりとわかったつもりのところが、しっかりと構造化される感じ。
とは言っても、アーレントは、本をわざとわかりにくく書いている節もある。
つまり、「唯一の答えはない。全ては、多数性から始まる。それこそが全体主義を避ける」という思想。
ということを踏まえつつも、これで全体を見晴らしてから、原著に進むというのは、お勧めできる。
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ナチスドイツや全体主義については、「20世紀の遺物だろう」と勝手に過去のものにしてしまっていたが、『全体主義の起原』で描かれている内容に、予想以上に現代社会とのオーバーラップを感じ、驚いた。
更に、第4回の『エルサレムのアイヒマン』においては、命令と法を遵守する平凡な人間が、その「無思想性」故に大量虐殺者になってしまった経緯を考えるにつけ、法に則って仕事をしている自分も、いつかアイヒマン側に脱落してしまうのかもしれないという軽い恐怖さえ覚える。
それを防ぐにはどうしたらいいのか。
・「複数性(多様性)」に耐えること。
・「分かりやすさ」の罠にはまらないこと。
まずは、番組とテキストで提示されたこの2点について、丁寧に向き合っていくことが必要なのだろうと思わされる。
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烏兎の庭 第五部 書評 9.28.17
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto//uto05/bunsho/kigen.html
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アーレントを100分にまとめると「こうなるのか」といった内容。100分にまとめるというよりも「テレビでやるとなるとこうなるのか」という方が近い気もする。
テキストの方は放送よりも良いので、放送は再度見たいとは思わないけど、テキストはそつなくまとめられていてよいです。
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テレビでは十分に解説されていなかったところを補っているだけでなく、さらに詳しい解説が施されていて、アーレントの思想の一端を窺い知ることができる。
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「ハンナ・アーレント『全体主義の起原』」仲正昌樹著、NHK出版、2017.09.01
109p ¥566 C9498 (2017.10.09読了)(2017.08.28購入)
Eテレの放送テキストです。
ハンナ・アーレントについては全く知りませんでした。アメリカにトランプ政権が誕生したことによって、その著作である『全体主義の起原』が読み直されている、ということのようです。日本語版も、新訳が出版されています。全三巻で各巻5千円前後なのでちょっと手が出せないですね。さらに『エルサレムのアイヒマン』も紹介されていますので、四冊そろえれば、二万円ほどになります。近くの図書館にはアーレントに関する本は一切ありません。
ボリューム的にも、簡単には読めませんけど。
テキストの内容の話に入れば、読んでも心に引っかからずにスーッと流れてしまいます。戻って読み直すと少し引っかかって来ますけど。ちょっと不調ですかね。
本のテーマは、以下の通りです。
全体主義は、いかにして起こり、なぜ誰も止められなかったのか。(6頁)
ハンナ・アーレント 略歴
1906年10月14日、ドイツで生まれる
1924年、マールブルク大学入学、ハイデガーに学ぶ
1925年、フライブルク大学でフッサールに学ぶ
1926年、ハイデルブルク大学でヤスパースに学ぶ
1929年、ギュンター・シュテルンと結婚
1933年ころ、ナチス政権下で、逮捕され釈放後フランスへ亡命
1937年、ギュンター・シュテルンと離婚
1940年、ハインリッヒ・ブリュッヒャーと結婚
1941年、アメリカへ亡命
1951年、『全体主義の起原』刊行
1958年、『人間の条件』刊行
1963年、『エルサレムのアイヒマン』刊行
1975年12月4日、心臓発作のため死去(69歳)
【目次】
【はじめに】今なぜアーレントを読むか
第1回 異分子排除のメカニズム
第2回 帝国主義が生んだ「人種思想」
第3回 「世界観」が大衆を動員する
第4回 悪は「陳腐」である
●第一巻「反ユダヤ主義」(15頁)
近代的な国民国家の誕生によって「反ユダヤ主義」が次第に深刻化・先鋭化し、全体主義の母体となっていく過程を考察しています。
●「人種」(38頁)
国民国家が展開した海外帝国主義―なかでもアフリカにおける植民地争奪戦は、ヨーロッパの人々に「人種」というものを強く意識させる契機となりました。
●「人権」(56頁)
フランス革命以降、ヨーロッパの知識人や民主主義者は、誰でも人間であれば、そのこと自体が人権の源泉になると信じてきました。
しかし、戦争や革命は、人間でありながら「人権」を持たない人々を大量に生み出しました。
人権を実質的に保障しているのは国家であり、その国家が「国民」という枠で規定されている以上、どうしても対象外となる人が出てしまいます。
●第三巻「全体主義」(62頁)
何百万人もの人間を計画的かつ組織的に虐殺し続けることが可能だったのはいったいなぜなのか、また、なぜナチスにはそこまでする必要があったのかという問題を提起しています。
●ドイツの世界支配(70頁)
陰のユダヤ人ネットワークが世界を支���しているのだとしたら、その仕組みを乗っ取れば自分たちが世界の支配者になれる―。
●法に従う(90頁)
人殺しが「罰」せられるのは、それが「法」に反する行為だからです。しかしアイヒマンは、自分は法による統制を尊重し、法を守る市民の義務を果たしたと主張しました。
☆関連図書(既読)
「アドルフ・ヒトラー」ルイス・スナイダー著・永井淳訳、角川文庫、1970.06.30
「わが闘争(上)」ヒトラー著・平野一郎訳、角川文庫、1973.10.20
「わが闘争(下)」ヒトラー著・平野一郎訳、角川文庫、1973.10.20
「ナチス追及」望田幸男著、講談社現代新書、1990.08.20
「声の狩人」開高健著、同時代ライブラリー、1991.01.14
「ヒトラーの抬頭」山口定著、朝日文庫、1991.07.01
「ナチス裁判」野村二郎著、講談社現代新書、1993.01.20
「ヒトラーとユダヤ人」大澤武男著、講談社現代新書、1996.05.20
(2017年10月11日・記)
内容紹介(amazon)
悪は凡庸さのなかにある
ナチス・ドイツによるユダヤ人問題の「最終解決」。それはある時期のある地域に特有の問題だったのか? それとも──。ナチスの迫害を逃れた一人のユダヤ系ドイツ人の著書を通して、排外主義的な思潮や強権的な政治手法が再び現れつつある今、「人間にとって悪とは何か」「悪を避けるために私たちはどうすべきか」を考える。
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ユダヤ人の学者アンナハーレントの思想を解説。
なぜ全体主義がうまれナチスによる迫害がとまらなかったのか?について向き合った生涯。
まず彼女は全体主義の起源を以下のように定義する。
ヨーロッパにおける大衆の誕生は19世紀の末くらいから。そこで強調されたのは市民との違いであった。
市民とは大衆社会以前の概念。自分たちの利益やそれを守るにはどうすればいいかがクリアだった。
理由は階級社会。
労働者は労働者階級、貴族は貴族階級、資本家は資本家階級でわかりやすかった。
しかし選挙権が普通選挙に拡張されることによって、階級意識が希薄化していき階級ではなく大衆が誕生。
大衆は自分の利益がなになのか?を明確に意識することもすくないしわからない。
階級社会の時代は同じ階級に属するだれかが自分の利害をさししめしてくれる。階級に束縛されるわずらわしさはある一方でシンプル。これがなくなることで、束縛から自由になる一方で選ぶべき道を示してくれる人も利害を共有できる仲間もいなくなりすべてを自分できめなければいけない状況に放り出される。
そうした状況の中で全体主義政党が、「排外的な政策をかかげて世界観を提示」。ナチスとロシアが成功した。
現在でも大衆がとびつくのは完全に武装蜂起とか核武装とか完璧に規制緩和といったわかりやすい政策。しかし世界はそれほど単純ではない。ちょっと待てよと現状認識を俯瞰することが大事。わかりやすい説明や唯一無二の正解を求めるのではなく、試行錯誤をつづけることが全体主義を避ける重要な姿勢だと示唆。
上記は「全体主義の起源」の主張。
そのあとで彼女はナチスのホロコーストを指導したアイヒマン裁判についてかいていく。
なぜアイヒマンか?
彼はわたしは法に忠実にしたがったからだ、だから正義はわれにありと主張。とくにカントにしたがって生きたと強弁。
カントはむしろ人は法にしたがうだけでなく法の背後の精神と同一化しなければならないと主張しているのだがそこが欠落し、法律=ヒトラー、法を遵守してなにがわるいのかと。
アイヒマン裁判のあとにアメリカでミルグラムの実験がおこなわれた。
学生が先生役と生徒役にわかれる。で、生徒が間違えると電気ショックをあたえる。
でふつうだとそんなひどいことはしないはずだが先生役の学生のそばに権威者を置いて命令をさせると、6割の先生役の学生が躊躇なく電気ショックをあたえるようになり、生徒がもだえくるしんでいても続けていく。
これはアイヒマンと同じ状況だ。つまり人はだれもがアイヒマン的な部分をもってるという実験。
つまり権威者の命令に服従し、善悪の自己判断を超越して残酷なことをしうるということをしめした実験になる。これを克服するには、考えることを放棄しないにつきるがこれが難しい。全体主義は常に絶対的な悪を設定し考えることを放棄させていく。
だれにがアイヒマンになる恐ろしさを秘めている。そうならないための処方箋は、「自分とは異なる意見」をきく耳を自分のなかにもちつづけることだと彼女は語る。
人は���分を支持してくれる意見をききたがる。しかしそれではダメだ。自分が理解しにくい意見をちゃんときき深く考えること。これがアイヒマン化しないポイントだと。
マネジメントでいくと、アイヒマンはもっとも忠実な部下とも言える。
こういう部下をたくさんもってると統率のとれたマネジメントをしてるといわれるだろう。
しかしそれは善なのか?というとそうではない。
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ナチスの全体主義がなぜ起こったのか。全体主義とは何なのか。ユダヤ人虐殺に至った経緯と、なぜそのような「悪」が起こってしまったのか、アイヒマンを通して考察している。
印象に残ったとこと現状を箇条書き。
文化的アイデンティティをベースとする「国民」という概念は島国である日本は理解しやすい。一方国境と異なる広義の「民族」という概念は日本に当てはまるか?在日の排斥などは当てはまるか?
全体主義は単なる政党ではなく「運動」である。政治に対して全く無関心、無責任だった人たちが危機感の中で急に政治に過大な期待を寄せるようになると強力な単純な力に容易く傾く。
誰でもアイヒマンになりうる
⇒そうならないためには、「複数性に耐える」ことが必要。つまり、物事を他社の視点で見るということ。
複数性が全体主義の急所である。複数性が担保されている状況では全体主義はうまく機能しない。
悪というのは善の対極というより、哲学的に思考することをやめた人が陥るもの。哲学的に思考するとは、そもそも人間とは何なのか、何のために生きているのか。
複数の視点がないと自分では考えているつもりでも数学の問題を解くように処理しているに過ぎない。
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「誰しもアイヒマンになり得る」
なかなか衝撃的でした
当時の環境でこのように思いついて且つそれを実際に言及したハンナ・アーレントの客観性と視野の広さに感銘を受けました
近年世界でポピュリズムやナショナリズムが跋扈し始めている中,彼女が言っていた言葉の重みを思い知らされます
単純明快な答えを求めず,「複数性」に耐えられる人にならなければ「悪」に拍車がかかる危機感を今後持ちます
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「100分de名著 ハンナ・アーレント『全体主義の起原』」。仲正昌樹。NHK出版。2017年8月出版。
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世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。
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強烈な「共通の敵」が出現すると、それまで仲間意識が希薄だった人々の間に強い連帯感が生まれ、急に「一致団結」などと叫ぶようになる。
それを維持・強化するために、つねに新たな「敵」を必要とします。身近にいる誰かを仲間外れにしないと、自分たちのアイデンティティの輪郭を確認できないからです。
自分たちは悪くない、と考えたい。それが人間の心理です。異物を抱えているせいで問題が発生しているのだ--と考えたい。
自分たちに、自分に、根本的な問題があると考え、それを直視しようとすることには大きな痛みが伴いますが、異分子に原因を押し付ければ、それを排除してしまえばよい、という明快な答えに辿りつくことができます。
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国民国家と帝国主義は、そもそも相容れないものだった。
「ここは我々の土地だ」「なぜ異民族に支配されなければいけないのか」
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民族的ナショナリズムの特徴は、自分の民族が「敵の世界に取り囲まれている」「独りで全てを敵とする」状態に置かれているという主張である。
いずれのキーワードも戦後70年を経て右傾化が見える現代の日本にぴたりと符号するのではないでしょうか。
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全体主義は砂上の楼閣です。常に立ち止まることが許されない「運動」だったということです。
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「大衆」の存在が浮上したのは19世紀の終わり頃。「市民」と異なり「大衆」が自分たちにふさわしいと思ったのが全体主義です。
大衆は共通の利害で結ばれていない。資本主義経済の発展により、「労働者」「資本家」などの階級に縛られた人々が解放されることは、大勢の「どこにも所属しない人々」を生み出す。
てんでバラバラに、自分の事だけを考えて存在している状態。大衆の「アトム化」。19世紀末から20世紀初頭にかけて、西欧世界全般で見られました。
そもそも大衆の多くは、政治に対する関心が極めて希薄でした。その人数が多すぎるか公的問題に無関心すぎるがゆえに、政党、利益団体、自治体、組合などのかたちで自らを構成することをしない人々の集団。
投票率で言えば、日本人の半数は「投票に参加せず政党に加入しない生活で満足している」大衆だということになります。
求めるのは安直な安心材料や、判りやすいイデオロギーのようなものです。それが全体主義的な運動へとつながっていったとアーレントは考察しています。
ヨーロッパ大陸でもっとも人口が多かったのが、ドイツとロシア。実際に大衆を動員して政権を奪取できたのは、ドイツとロシアだけだった。
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人間は、アナーキーになっていく状況の中で、偶然に身を委ねたまま没落するか、一つのイデオロギーの狂気を帯びた一貫性に己をささげるか、という二者択一の前に立たされたときには、常に後者を選び、死��すら甘受するだろう。愚かとか邪悪だからということではなく、カオスの状態では、こうした虚構の世界への逃避こそが、最低限の自尊と人間としての尊厳を保証してくれるように思えるからなのである。
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人間は、何が真実なのか分からない、自分だけが真実を知らされていない状態というのは落ち着かないものです。秘密結社に入っても、トップシークレットを知り得るのはヒエラルキーの階段を上り詰めた一部の人だけです。自分も知りたい、教えて貰えるポジションにつきたい。と思わせるヒエラルキーを、ナチスは構築したわけです。
いじめの第1歩は、仲間外れを作り出すことです。任意の人物を、集団の意思決定のネットワークから排除する。するとそれまで無関心だった人も、身近に意思決定のネットワーク、いじめっこグループがあると分かる。分かると気になって、自分もそのネットワークに加わり、なるべく中核に近いところに行こうとします。それが自分を安心させ、満足させるもっとも手近な方法だからです。
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強制収容所は死そのものをすら無名なものにする。死という物がいかなる場合にも持つことが出来た「意味」を奪った。
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政治においては、服従は支持と同じだ。
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良心の呵責に苛まれることなくユダヤ人を死に至らしめた人々のメンタリティも、全体主義支配を通して形成された。全体主義支配が人間の「自己」を徹底的に破壊する。
全体主義は、単に妄信的な人の集まりではなく、実は、「自分は分かっている」と信じている、思い込んでいる人々の集まりなのです。
人間は、自分とは異なる考え方や意見をもつ他者との関係のなかで、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができる。
閉鎖的な環境において、その場の権威者の命令に従う人間の心理、どこまで残虐になれるか。そうならないためには「複数性に耐える」ことがカギになる。簡単に言うと、物事を他者の視点で見るということ。複数性が担保されいてる状況では、全体主義はうまく機能しません。
全体主義は絶対的な「悪」を設定することで複数性を破壊し、人間から「考える」という営みを奪うのです。
「悪」のない人間はいないといっても過言ではないでしょう。むしろ正義感の強い人、何か強いこだわりをもって、それに忠実であろうとする人ほど、実際は悪の固まり、ともいえます。
そもそも異なる意見、複数の意見を受け止めるというのは、実際には非常に難しいことだからです。
(以上全て本文より)
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ハンナ・アーレントの主著『全体主義の起源』(全三巻)と『イェルサレムのアイヒマン』についてNHK『100分de名著」シリーズで紹介された内容の書籍化。トランプ大統領の誕生で、アメリカでも時を超えてベストセラーになっているという。手っ取り早く理解したかったので購入。
20世紀の前半を暗いものにした全体主義について歴史的に考察したのが『全体主義の起源』である。なぜあのようなことが起こりえたのかを理解することは現在においても重要な課題でもあるといえる。全体主義に関して階級に属さない「大衆」の発生が大きな影響を与えたとしている。反ユダヤ主義は、敵を必要としていた国民国家において、「大衆」に提示された「世界観」だったのである。ナチスは国家政党というよりも「運動」であった。その状況に関しては現時点でも同じことが言えるのだ。
アイヒマン裁判を傍聴してまとめた『イェルサレムのアイヒマン』は、絶滅収容所におけるユダヤ人協力者の存在を隠さなかったり、アイヒマン自身を極悪非道な人間と描かなかったことにより、ユダヤ人社会含めて批判を受けたという。冷静になると、アイヒマンが凡庸であったことの方が空恐ろしい。
「アーレントのメッセージは、いかなる状況においても「複数性」に耐え、「分かりやすさ」の罠にはまってはならない ー ということであり、私たちにできるのは、この「分かりにくい」メッセージを反芻しつづけることだと思います」
「分かりやすさ」というものに対しては警戒を続けなければならない。ネットとモバイルが隅々に広まった現在においてはさらに重たいメッセージなのかもしれない。
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もっともらしく、受け入れやすい「悪」についてのストーリーを設定して、いつの間にか、人びとから考える力を奪い去ってしまう全体主義。
対抗する鍵は、「複数性に耐える」こと、すなわち、物事を他者の視点で見ることだという。
自分の頭で考えることの大切さを再認識させてくれた。