紙の本
痴漢のリアルな実態がわかる本
2019/05/01 17:19
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Lily - この投稿者のレビュー一覧を見る
痴漢のリアルな実態がわかる本です。一般的に想像されるイメージとは異なっており、興味深い内容です。例えば痴漢は「四大卒で会社勤めをする、働きざかりの既婚男性」という普通の男性だそうです。この本では再発防止のプログラムについても書かれていて、勉強になります。痴漢をした人が逮捕されて拘留、裁判を経て判決が出るまでの手続きや人件費に1,000万円以上の税金が投じられていることを初めて知りました。正直文章はやや読みにくいですが、読んでもらいたい本です。
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽぽ - この投稿者のレビュー一覧を見る
痴漢でも万引きでも、何でも病気なんですね。被害者に、それで納得しろってのは無理な話。ただの変態じゃんって思った。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
痴漢を病気というのは腹がたつけど、でも万引きなどと同じで病気でもあるんだなというのがわかりました。まあ悪人ですが。
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一気に読了しました。痴漢という性犯罪の特殊性、再犯率の高さ、その背景、加害者更生の困難さ。やはり、そうさせないための根本部分を!ということで、自分が取り組んできたライフスキル教育の大切さを感じました(^^)
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「痴漢とは依存症であり、治療が必要である」
性的満足を得るために行う者もいるけれど、実際は痴漢をすることによって、ストレスから解き放たれ、充足感を得ている者が多い。
ギャンブルや薬物依存と同じで、自力で抜け出すのは困難だと筆者は力説する。
加害者家族の心情、冤罪についても書かれており、特に冤罪については、改めて考えさせられた。
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社会に心の余裕が無さ過ぎる。
フッと疑問が湧いたのは、男性の支配欲は学習や社会の成熟と共に矯正可能なのか?ってこと。
七つの大罪ってか人間の性(さが)が現代社会でも当然作用してて、痴漢はその病理の現れなのかも、今は鉄道会社の具体策や人の善の力と努力で対処するしかないのかなぁ。
なんかまとまらんわ。
ってか女性の具体策に関して何か無いのかよ!と思ったけど何か書いたあったっけ、笑
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とにかく痴漢に特化した本。おもしろかった。
痴漢が単に性欲から来るものだけではないという認識が一般にもっと広まれば、また別の撲滅のためのアプローチができるのでは?と感じた。
しかし、女性に一切責任はないと言い切るのはどうだろう。フェミニズムが流行し、本質とズレているような理論さえも持て囃される昨今において耳障りは良いかもしれないが、誘発させないリスクを限りなく抑えるという意識も少なくとも必要ではあると思う。
2017.11.08
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痴漢を依存症と捉え、適切な治療の必要性を説く。
「性欲」は一因であり得るにすぎず、むしろ、支配欲や認知の歪み、ストレス対処法の不足が根本的原因としてある。
痴漢を正しく理解できる良書。
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■行為・プロセス依存の7つの特徴
・強迫性
・反復性
・衝動性
・貪欲性
・有害性
・自我親和性
・行為のエスカレーション
■すべての依存症の診断において,「コントロール喪失」と「離脱症状」が重要なポイントとなる。
■置換の動機は性生活の充実やセックスレスとは異なる。
■性風俗店の利用は痴漢行為の抑止とならない
■痴漢行為は彼らにとって”ストレスへの対処法”
・ストレスへの”コーピング(対処行動)”
■痴漢には勤勉な者が多い。その一方で何らかの劣等感を抱いていたり自己肯定感が低かったりするのも彼らの特徴。
■すべての依存症には,自身の内にある心理的苦痛や不安感,孤独感を一時的に和らげる効果がある。これを”依存症における自己治療仮設”と呼んでいる。
■痴漢に限らず性犯罪者は必ず心の内に歪を隠し持っている。
■痴漢で逮捕され幾度となく反復してきた加害行動に漸く歯止めがかけられたことによって彼らは”生きがい”を失ったという。
■性犯罪に走る者は元々ストレス・コーピングの選択肢が少ない傾向がある。人間関係の構築が下手で気持ちや生活に負荷がかかった時にどう対処するか,或いはどう受け流すかといったスキルが低い傾向がある。そのうえ孤立しがちな性格なので悩みを人に相談できず一人で抱え込む。
■「反省を強いてその責任性を追求し過ぎると再犯率が上がる」というエビデンスがある。これは世界の性犯罪者処遇の中で確認されているもの。DV加害者プログラムでも同様のことがいわれているので反復する加害行為においてはある程度共通する法則だろう。
■加害者は早期に加害者記憶を忘却する「加害者記憶の忘却」は,性犯罪に限らずあらゆる加害行為の加害者側に共通する特徴。
■「これが最後」とは依存症の人たちの口癖のようなもの。「これが最後」という認知の歪み。
・これが最後の痴漢であると思い込む
・これを最後にもう飲まない
・競馬に行くのはこれが最後 etc
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最後の「STOP!痴漢」可能なのか。の章がとりわけ重要。「痴漢は依存症です」「痴漢は治療できます」というメッセージこそ効果的なのだ。
認知のゆがみとコーピングの選択肢の少なさか。
男である自分を省みる格好の機会となった。
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今の業務とはほぼ無関係ですが、私の中長期的な関心分野である司法と福祉ないし再犯防止といったあたりの関係で、先日クレプトマニアについてのお話を聞きに行ったときに講師の先生から著者割引で購入。
自分が刑事事件を扱う中で受けてきた印象とかなり重なる加害者像がわかりやすく書かれていて、実態の理解にはとても役立つ本だとおもいました。
逮捕や示談金(や短い実刑)だけじゃ認知のゆがみは治らない、、、ということからは、「治療をやってみないとだめだよね!!」という認識が、加害者本人にも警察や司法関係者にも広まることが必要なのかなと認識を深めました。
トリガーの把握とそれに対する対処方法を中心とした、リスクマネジメントプラン。それで再犯防止になるかはわからないけれどちょっとずつでも試していくことの意義はあるということですよね。
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痴漢は性依存症。この観点から、一貫して加害者(場合によっては加害者家族も含む)の治療の必要性を説いている。
共感性の低さ、認知の歪み、ストレスコーピングの選択肢の少なさ、などが痴漢の特徴・キーワードとしてあげられている。
治療計画や取り組みなどが興味深く、これは広く知らしめたほうがいいのでは?と思った。
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徹底して被害者の側に立った上で、痴漢行為を依存症として治療の必要と治療法を解説する。痴漢をしてみたくなる気持ちが理解できなくはないため読んでいて苦しくなる。満員電車に乗る環境になくて本当によかった。前から『それでも僕はやってない』の、普段はやっているけど、その時だけは本当にやっていなかった痴漢冤罪事件の話を作ってみたいと思っていたのだけど半端じゃなく大変そうだ。
著者がその立場になく、分析したり解説したりするのが仕事とは言え、ここまで書くならあなたはどうなのだ?というのが気になった。痴漢は性欲とも実は密接ではないという論もあるのだが、それでもなお性欲を持っていること自体に後ろめたさを感じさせられる。
先日映画にもしていただいた『チェリーボーイズ』がまさに認知の歪みをベースに作られた物語であるので申し訳ない気持ちになった。
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日本でもっともありふれた性暴力の形態である「痴漢」。おそらくだからこそ、世の中には、その問題性を頑なに認めようとしない物言いがあふれている。痴漢よりも「痴漢冤罪」こそが大きな問題であるとか、女の側にも問題があるといった言説は典型的だ。多数の痴漢加害者と接してきた依存症クリニックの精神保健福祉士による本書は、痴漢にまとわりつく神話の雲を吹き飛ばす知見に満ちている。
痴漢に限らず、性犯罪は、「男性がもつ自然な性欲」を妻か風俗で発散できない男が抑えきれずに起こしてしまうものとされてきた。そういうジェンダー非対称的な解釈枠組みを刑法システムが創り上げ強固に維持してきているわけだが、著者によれば、痴漢はアルコールやギャンブル依存などと同じ依存症。適切な介入がなければ自力で脱出するのは困難という。なかでも衝撃的なのは、「痴漢は生きがい」という加害者たちの発言だ。会社などでのストレスと、痴漢という発散の手段がいったん結びついてしまった者たちは、「自然な、抑えきれない性欲」に衝き動かされているどころか、捕まらないよう、準備や逃走に入念に気をつけながら、徐々に加害行為をエスカレートさせていく。
ジェンダー非対称な性犯罪理解のひとつの帰結が、たとえ捕まっても悪質でなければ刑事罰よりも示談、という司法判断だが、せっかく捕まっても罰金や示談で済ませることは、「まだ大丈夫」という認識をあたえてしまうことになる。刑事罰も再犯防止にはつながりにくい。逮捕を医療介入につなぐチャンスにすることが大事だという。
基本的に医療アプローチを主張する本書だが、とはいえ、完全に個人の病理として理解するのは過ちだ。ストレス発散の手段として女性に対する性暴力を多くの男たちが選んでいるという現実は、社会における女性の人権軽視の蔓延と切り離すことができないからである。他の男性が痴漢をやっているのを見て自分もやるようになった、日本に来てから痴漢をおぼえたという加害者がいるのは、日本社会の性暴力への寛容さを反映するものといえるだろう。
痴漢がアルコールやギャンブル依存症と違うのは、そこに必ず被害者が存在し、たとえ加害者にとっては問題行動からの脱出という「解決」が訪れても、被害のトラウマはそこで終わらないということだ。性差別が蔓延するなかで育ち、女性を対等な人間と思っていないからこそ、ストレス発散の対象として性暴力を選んできた加害者は、いくら反省の言葉を述べても、その実、被害者の存在がほとんど意識にないことが多いという。この点の気づきを加害者に絶えずうながすことが治療の重要なポイントのひとつだという指摘には深くうなずける。その意味で、加害者の行為に対する妻、母親、父親それぞれの異なる反応という話も示唆に富む。
安易な治療アプローチをとることなく、社会構造としての性差別と個人の行動がどのようにリンクするのか、さらに探求が必要だろう。
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痴漢という犯罪を世の中から如何になくすか?という観点に立ち、
痴漢の実態・真実を詳細に説明している内容。
依存症であるということは改めて理解できるものの、
やはりあくまでも自分本位の身勝手な論理に裏打ちされている事実。
やはり許されるものではないということが改めて理解できた。
ただ、この依存症を直すために取り組んでいる著者・その加害者家族の存在。
こうした人達のこうした取り組みが不要になるようにするには、
やはり、個々人の意識が大事。これは人に教えてもらうものじゃないと思う。