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「人間は弱い。死ぬのは僕もこわいです。」105歳の医師、日野原重明氏が、死の直前まで語った、希望と感謝の対話20時間越。最後の力を振り絞り伝えたかった言葉とは。生涯現役、渾身最期の一冊。 「死ぬのは僕でも怖いんだよ。」だからこそ、朝起きて自分が生きていることが、心から嬉しい。105歳になっても尚、僕にはまだ自分でも知らない未知の自分がたくさんあると感じているのです。 今、最後の力を振り絞って私がしたいのは、あなたとの対話です。人生の中で、いつも私と共にあったのは言葉でした。 私が言葉によって支えられてきたように、迷い傷ついたあなたへ、私の最期の言葉を伝えたいのです。(本書より抜粋) 2017年7月18日この世を去られた日野原重明さん。2016年年末からはじまった本書のインタビューは、亡くなる直前まで、時にはベッドに横たわりながら20時間以上行われました。言葉を軸にしながら、死と生、病と健康、出会いと別れ等々、人生の深淵について語ります。 【本書の内容】 第1章 死は命の終わりではない 第2章 愛すること 第3章 ゆるすことは難しい 第4章 大切なことはすぐにはわからない 第5章 未知なる自分との出会い
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お亡くなりになってから日野原先生に関心を持ちました。
信念を持っている人は強い。
自分はここまでだ、と決めつけてはいけませんね。
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「これだけはやりたい」と応じたインタビュー、最後の言葉。
読んでいるだけで、日野原さんの温かさ、クリアさが伝わってくる。喜びと感謝、大切なものは目に見えない、というメッセージ強く受け取りました。
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命とは「使える時間」のこと。
子供のうちは自分のために命を使い、大人になったら、自分だけでなく誰かの為にも
命を使う…という言葉に共感。
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本書は東京の聖路加病院長、理事長を勤められ、今年の7月に105歳で亡くなられた日野原さん最後の作品です。
日野原さんは1911年に山口県に生まれ、1937年に今の京都大学を卒業、1941年に聖路加病院の内科医として着任し、その生涯を聖路加病院で勤められました。
医療だけでなく、その人柄などから多くの人に慕われ、講演や執筆活動も精力的に行っていました。
2016年12月から1月にかけ、日野原さんが望んだ対話の形式で、多くの問いに対して、日野原さんの思いや信念をもとに丁寧に回答が記されています。
私は日野原さんのことは知ってはいましたが、著作を読むのは初めてでした。本書を読んだ率直な感想は、素晴らしい内容だと思ったことです。
高齢化社会とはいえ105歳まで生きているだけでもすごいのに、これだけの問いに対して、慈愛に満ちた回答ができる心のあり方、精神力の強さに感動を覚えました。
とても心に染みる言葉の数々に、心が洗われる思いでした。
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全体的に宗教にからんだ説教にちかい。日野原先生の過去の話は驚いた。本の最後に編集していない日野原先生の言葉があるが、そこが良かった。
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105歳の元医者の方が書いた本。105歳で亡くなった。
この方はクリスチャン。死生感を語るとどうしても宗教感が出てくるなぁ。
以下、引用。
死ぬときに、自分のために生きた時間と、人のために生きた時間を天秤にかけてみる。
必ず別れは来る。幸福感が大きいほど、別れの喪失感も大きくなる。出会いの中に別れはすでに存在している。悲しみが和らいで来ると、出会って良かったと思うよ。
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私みたいな清くない心の持ち主が読むには、日野原先生のお言葉はあまりにも清く透明すぎた。だから神とか、愛とか、全てが腹落ちしたかというと、やはりそうはいかないのだけとれども、というか失礼ながら中盤まで、斜に構えて読んでいたのだけれども。でも、先生はそんなひねた私にもどうやら一つのメッセージをくださったようなのです。
先生は本書の中で「ゆるす」について「許す」でも「赦す」でもなく「恕す」という漢字に本質的な意味を感じると語られています。
それはかつて若かりし頃、まだ多少の純粋さを持ち合わせていた自分が、感銘を受けた一節に使われていた漢字。
其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿(な)かれ。
かの賢人の有名すぎる言葉なのだけれど、この「恕」に人として大切なことが集約されているよなぁ、なんて当時の自分も思ったわけでして。
まさか先生の著書の中で再び出会うとは思いもよらず。
これはもう、「初心に帰りなさい。」
先生がそう仰ってるに違いない。
というわけで、この一冊が、今年一年の締めくくりに相応しいエンカウンター(出会い)となりました。
追記
死ぬことが恐ろしい、と先生が仰ったことについて深く考えた。
初め読んだ時には、私には、全てに達観してらっしゃる先生らしからぬ言葉だなと違和感を持ったのだけれども、
死に対して人間が本来持つ感情って、やはり「恐ろしい」とか「怖い」が正しいあり方なんだよなと、ふと。
実は生と死の境界線なんて、意外と曖昧で、むしろ簡単に飛び越えられるものだったりして、それは若いと尚更、命の重みなんて感じる経験が少ないから、尚更簡単に自ら命を絶ってしまう子達が少なくない数いて、でも先生は105歳まで現役で命の重みってやつに真剣に対峙してきた。
だからこその畏怖の念、命に対するリスペクトなのだなぁと。医師という職業に就かれれば、ともすれば「死」に慣れてしまってもおかしくないのに。人に対しても、命に対しても、全てに対して軽んじることのない態度を貫かれているのだなぁと。今考えてみるとやはり先生らしい言葉だと思う。
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この本を知った時すぐに読んでみたいと思いました。
そして、一気に読みました。
一言一言が心に染みるようでした。
この本は迷った時や何か行動起こしたいときなど、読み返したら良い本だと思います。
日野原重明先生が100歳になられる少し前に講演会でお話を聞く機会がありました。
1時間以上立ったまま大きく手を振りながらエネルギッシュに話される様子を拝見して、感動したのを覚えています。
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昨年、105歳で亡くなった聖路加国際病院の名誉院長の日野原先生。
「生活習慣病」と言う呼び名を普及されたり、地下鉄サリン事件の時には、どの病院よりも患者を受け入れたなど、数々の偉業が残る方。その一方で第二次世界大戦を経験し、日本初のハイジャック事件「よど号事件」の被害者でもある、大変貴重な経験をした方と言う印象も強い。
その日野原先生が病と闘いながらも、亡くなる寸前まで受けていたインタビューをまとめたのが、本書と聞いて、どうしても読んでみたくなった。
自分はクリスチャンではないので、信仰的な部分はすんなり受け入れられないところもあるけれど、全体的に優しい人柄が伝わる一冊。号泣するほどではないけれど、読んでいて、心がじわじわ温かくなる感じがした。
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聖路加の日野原先生の遺作は、インタビューを書き起こす形で行われた。
自身の経験、医師としての経験から、多くの苦難、死と向き合って行きてこられた先生。それでも死ぬのは怖いですよと、さらっと書き残す。
奥様を亡くされ、多くの別れを経験してきた105歳の先生から、生と死はセットで誰もがその運命から逃れることはできないとか、先生のお好きだった「星の王子様」を引かれて「悲しみはいつかは和らぐよ。いつかその悲しい気持ちが和らいだら、僕と出会ってよかったって思うよ」と言われると、いつかそんな日が来るのかもしれないなと、ほのかに希望を抱くことができる。
そんな、愛を貫かれ、生を全うされた先生の言葉の数々。
自分に何か迷いがあるとき、落ち込んだ時など、開くことができるように手元に置きたい一冊になりました。
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素晴らしの一言だ
キリスト者として生きかみに仕えた人生を全うした先生が我々に残して言った言葉が書きつくされている。これから何度読み返すだろう。
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生きておられる時から、何て素晴らしいお方だと思っていたけど、遺された言葉を読んだら尚のことその稀有な存在感がわかった。キープオンゴーイング!
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生きるとは他人のために時間を使うこと。
大人に近づきつつある自分にはこの言葉が刺さった。
人の知性や懐の深さは歳をとってから分かってくるものなのだなと思った。
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日野原先生の真摯な生き方に感銘を受けました。
慈愛に満ちた共感の姿勢が伝わり、例えば斜に構えながら読みはじめた人でも胸に響くものがあるのではないでしょうか。
「人生の午後をどう生きるか。選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の羅針盤を持たなくてはならない。午後は午前よりも長いから。」
本当にそうだなあ、と思いました。
私の人生はまだ半分なんです。
残り少ない時間をめいっぱい使って、人のために捧げ、その過程で未知なる自分と向き合い、自己発見をすること、それを最期のその時まで絶え間なく続けていくこと、それが先生の生き方でした。
また、そうやって日々を大事に過ごしていく過程で、耐え難い悲しみに出逢うことがあります。例えば愛する人の死・・・
でも先生はこうおっしゃいます。
「死ぬということは、まるでとかげのしっぽが切れるように終わるものではなくて、亡くなった後の方が、むしろ生きていたときよりも、その人の姿が鮮やかになっていくのです。」
そして、辛い経験をし、本気で泣いた経験のある人は人の痛みを知ることが出来るそうです。傷ついている人にただ寄り添ったり、励ましの言葉を掛けたり、そんな慈愛の心が育まれるのです。
先生の言葉にはキリスト教の教えが根底にありますが、説教じみていたり宗教臭いということはなくて、人間としていかに生きることが幸せなのか、生きる目的はなにか、素晴らしいお話を聞くことが出来ました。
ご冥福をお祈りいたします。。