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国境なき医師団の名前を知っていても活動内容を理解していなかったです。紛争地帯の仮設病院のイメージでしたが、フィリピンの貧困地帯の支援にあたるなど活動は多岐にわたることがわかりました。活動にあたりきれいな水や電気の供給も欠かせず医療従事者のみならずインフラ整備を担当する方も含めて国境なき医師団でした。
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名前は有名なので、知っているように勘違いしていたMSFを少しだが理解することができた。50歳・60歳から(ある意味でリタイアしてから)MSFに参加する方々のインタビューに心動かされるものがあった。世界中で日々このような活動が必要な現状に改めて考えさせられた。
著者の砕けた表現でのレポートも好感がもてたが、1人称を「俺」と書くことに最後まで違和感があった。
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<目次>
プロローグ
第1章 ハイチ編
第2章 ギリシャ編
第3章 フィリピン編
第4章 ウガンダ編
<内容>
MSF(国境なき医師団)を取材した本。大変重く、「人道」の意味を問われる。安全、平和な側にいて、何をせずに彼らを批判する人々がいる。でもMSFの人々は、自分の使命の下で自分を信じて、文句言わず毎日コツコツと困った人々に救いの手を差し伸べている。いとうせいこうの押さえた筆が、その事実をきちんと伝えてくれる。
学校図書館
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誰かの為に働く素晴らしさ。やってみたい気もするが、一歩が踏み出せない。それが出来るか出来ないかが大きいのだろうな。
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Report of Medecins Sans Frontieres by Seiko Ito
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062208413 ,
http://www.msf.or.jp/
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どんな活動状況かわからないが響きで、娘を国境無き医師団にしたいと思ってことがあったなぁ。本書を見つけて読んでみる。いとうせいこうさんの文章は彼の興味と私の興味のポイントがずれていて少し読みづらく感じる。それでも、危険な状況下で国境無き医師団(MSF)が情熱を持って仕事をしている事が伝わる。ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダなど。私の行ったことの有る場所もいくつか出てくるのだが、以前はそんなこと感じなかったのになぁ。世界の移り変わりを感じる。
身を捧げて、生きることの素晴らしさ
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「いとうせいこう」 さん
「国境なき医師団」
どちらも
興味深く思う人と単語なので
迷わず 手に取ってみた
MEDECINS SANS FRONTIERES
略してMSF、邦訳は「国境なき医師団」
当たり前のことですが
様々な国の方が
このMSFに所属しておられる
いとうせいこうさんが
訪れた国は
「ハイチ」「ギリシャ」「フイリピン」「ウガンダ」
の国々
そこで
出逢った 難民の人たち スラムの人たち
そしていうまでもなくMSFの人たち
さまざまな事情が語られ
さまざまな人たちのこれまでが語られ
さまざまな人たちの思いが語られ
さまざまな人たちの理由が語られ
さまざまな人たちのこれからが語られる
MSFのお一人
アメリカ人のレベッカさんの言葉
「わたしの地図は
どうしてもアメリカ中心なの。
あなたなら日本中心ね。
わたしはクリスマスイブにラオスで
そんな話をしてみんなで笑ったわ。
六か国の人間が集まっていてね。
フランスからしか見ていなかった人間、
ラオスからしか見ていなかった人間と、
それぞれにこりかたまった視点で
生きてきたとわかったんです」
これに対する
「では地図はどこから見られるべきか」
(いとうせいこう さんの)その答えの一行が
興味深い。
それは、ぜひ本書にて。
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ハイチ、コンテナで造った巨大病院。ギリシャ、押し寄せる難民への医療・心理ケア。フィリピンのマニラ、スラム住人の女性を守るプロジェクト。ウガンダ、南スーダンからの半年で80万人を超える難民。人のために活動するスタッフ、活動を支えるロジスティック。
ジャーナリストとしてではなく、普通の人として。だけど、共感と表現を生業とし、貧しかった頃の経験とともに伝えられる、絶妙な書き手です。
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内容(「BOOK」データベースより)
生きることは難しい。けれど人間には仲間がいる。大地震後のハイチで、ギリシャの難民キャンプで、マニラのスラムで、ウガンダの国境地帯で―。日本の小説家がとらえた、世界の“リアル”と人間の“希望”。
いとうせいこう氏の敗北からの記録だと、誤解を恐れずに言いたいです。50才オーバーで様々な事に触れ見識も豊かで、社会的な地位も非常に高い。そんな男が「国境なき医師団」を見に行った記録ですが、冒頭のハイチ篇のなんと自信無く心縮こまる卑屈な文章で有る事か。貧困や戦争に立ち向かう光り輝く彼らや、それでもどんどん増え続ける不条理に対し、自分の卑小さでおろおろするいとうせいこう氏。その姿が次第に回を重ねるごとに力溢れ、指先に足先にジンジンと血潮が通い、その表情も(文章なので見えませんが)目も輝きを増していくのが見てとれるようでした。
支援される彼らも、支援する彼らも、そしてそれを「見ている」俺も、誰も彼もが、入れ替わっていたかもしれない。そう繰り返す氏の文章は、次第に彼らの存在に対して胸を張って、最終的にウガンダでの取材で爆発するような熱さを放ちます。
そこには取材する意味を見つけた訳では無く、ありのままの自分では何も出来ない事を卑屈になるのではなく、皆の仲間になって共感の輪に入りたいという終わりの無い旅を始めたように見えました。
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ハイチ、ギリシア、フィリピン、ウガンダ。現地で活動している国境なき医師団を見に行く話。門外漢である著者が、俺なんかが見に行って良いんだろうかというような罪悪感に似た気持ちを持って、援助する人たちと自らをなるべく一体化させようと試みる。
彼が行った場所は紛争地ではないためが、情勢は急変しない。その分、行動は定型化している。入れ代わり立ち代わりさまざまな関係者(患者も含む)が熱意を持って自分たちの活動について彼に語り、彼は悩む。その繰り返し。
さまざまな場所へ行けば行くほどに彼は自信を深めていき、取材している人たちと俺との心理的な一体化するまでの心理状態が描かれ、かつ、読者とも一体化してみせる。そこまでの心境の変化が大変興味深い。
だけど、傍観者はやはり傍観者でしかない。しかも限られた日程だってことで、出てくる関係者が多い。フォーマットとしてたいへん取材っぽいところも白ける。その点で大変弱い。
手術室看護師の白川さんがインタビューに答えている記事のほうがドシリと胸に来るものがあると思う。
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国境なき医師団の、ハイチ(地震および貧困)、フィリピン(スラムでのリプロダクティブ問題)、ギリシア(シリア等からの難民)、ウガンダ(南スーダンからの難民)のプロジェクトルポ。被害地に第一に入って医療を提供する同団だが、各地でオペレーションの質は異なる。人は各プロジェクトを回っていくが、意思だけではない、看護師、ロジスティックなども重要な役目として描かれる。また各人が冷静かつ熱い志を持っており、最初からやってくる人や一般的なキャリアを終えてから参加する人がいる。
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「たまたま彼らだった私」への想像力
今朝、一服吸おうとバルコニーに出た途端立っていられないくらいの大きな揺れがあり慌てて部屋に戻る。さいわい揺れは10数秒ほどでおさまり小さな食器や置物が倒れる程度で安堵したが、23年前の阪神淡路大震災の恐怖を思い出してしばらく動悸が止まらなかった。TVニュースを見ると、大阪北部が震源で壁の崩壊などで数名死者も出ている。平穏な日常がいつ暗転するかもわからない人の世の無常。そして、今を生きることが大事だと、あらためて思う。
人の世の不条理は自然の災害だけではない。我々が生きるこの地球には、内乱や戦争で家や土地を亡くし家族を虐殺され難民になっている人たちが何百万人も存在する。着の身着のままで何百キロも歩いて紛争地を脱出する彼らを襲うのは、レイプなど性被害や病気、溺死など不条理な苦難の数々。
そういう難民の人たちをできるだけサポートしようと多くのNPOグループが世界中で活動している。「国境なき医師団(MSF )」もそんなNPO団体のひとつである。作家のいとうせいこう氏がハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダでの国境なき医師団の活動を現地取材レポートした『「国境なき医師団」を見に行く』を読んだ。
パリに本部があり世界数箇所に支部を置いて活動するMSFのスタッフは医者、看護師、助産師など医療従事者だけでなく物資搬送担当、電気技術者、建設技術者、ドライバーなど職務も国籍も多岐にわたるが、一般社会で仕事をすれば恵まれた生活を送れるスキルも意欲もすぐれた人たちである。一般社会で味わえる恵まれた生活をひとまずヨコに置き、彼らは過酷で危険な地で難民をサポートして活き活きと生きている。
なぜ彼らはそのような生き方ができるのか?
『「彼らがあなたであってもよかった世界」
もし日本が国際紛争に巻き込まれ、東京が戦火に包まれれば・・・
明日、俺が彼らのようになっても不思議ではないのだ。だからこそ、MSFのスタッフは彼らを大切にするのだとわかった気がした。スタッフの持つ深い「敬意」は「たまたま彼らだった私」の苦難へ頭を垂れる態度だったのである。・・・それは「「たまたま彼らだった私」への想像力なのだった。上から下へ与えるようなものではない。きわめて水平的に、まるで他者を自己としてみるような態度だ。・・・時間と空間さえずれていれば、難民は俺であり、俺は難民なのだった。』
『前に、苦難をこうむる彼らは俺だと書いた。そう考えると、自然に彼らのために何かをしたくなるのだった。今回の「彼ら」はMSF側の人間のことだった。
彼らMSFのスタッフたちもまた、自分たちと「苦難をこうむる人々」を区別していなかった。つまりそれぞれが交換可能で、彼は俺で、俺が彼らで、彼らは彼らなのだ。
「たまたま彼らだった私」への想像力が、彼らをの行動の原動力である。』
そう、難民は「たまたま彼らだった私」なのだ。そういう他者に対する想像力こそが、人と人を結びつけ寛容で平和な社会を築く第一歩である。そのような想像力が持てれば他者に共感することもできる。
『彼らは水を待ち、食料を待ち、心理��アを待ち、愛するものに会える日を待っている。
そして何より、「共感」を待っているのだった。自分の人生の状況に、解決よりまず先に「共感」して欲しいのだ。』
想像力と共感そして仲間。
『みんな普通の人間だった。それが力を合わせて難局に挑んでいる。挑んではうまく行かず立ち止まり、しかし目標を高く持って諦めずにいる。・・・彼らは困難を前にするとたいてい笑う。そして目を輝かせる。そうやって壁を突破するしかないことを、彼らは世界のどん底を見て知っているのだと俺は思っている。』
『生きがいのある人たちだった。その分、満足はしていなかった。世の不条理に下を向くことも出来たが、なぜかそれをしなかった。おそらく仲間がいるからだ。下を向いていればその時間が無駄になる。我々は出来ることをするだけだ。そういう先人からの教訓みたいなものが、彼ら自身を救っているように思った。』
『この国(難民が生きる地)が平和で、人が豊かに暮らせるといい。と、俺はごくごく単純な願いを持った。そして、願いが単純であることを嘲笑させたくないと思った。達成は実に難しく、人が苦しみ続けることを、俺は「国教なき医師団」の活動を見ることで身にしみて知っていた。以下の事実を教えてくれたすべての人に俺は感謝する。人生はシンプルだが、それを生きることは日々難しい。けれど人間には仲間がいる。互い互いに共感する力を持っている。それが素晴らしい。』
普通の人間でも想像力をもち共感し仲間がいれば、お互いに助け合い寛容で平和な世界を目指すことができる。それを偽善だ理想論だと嘲笑することはたやすい。しかし、こうして「眼前のリアルな困難から目をそむけず、無力であるという人間存在の条件を受け止めながら、しかし未来がよりよくなるという信念の方向へと活動を続けている」人たちが世界のあちこちで現実に活動している。
毎日タバコを吸いコーヒーを飲み晩酌し本を読み昼寝し、奥方のご機嫌さえ麗しければ世はこともなしでゆるゆると生きている私でも、この本を読むと少しは想像力と共感をもつことができる。国境なき医師団には年一回、ここに書くのも恥ずかしいが大海の一滴ほどのサポートをしている。齢70歳で過酷な地域へ行き体を張ったボランティアサポートができないのは歯がゆいが、大海の一滴を今年からせめて二滴にしようと思う。私のこの拙文で、たった一人でも難民の人たちへの想像力、共感を持っていただけたら嬉しい。そして、できればこの本を読んでいただきたい。
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MSF(国境なき医師団)の理念と具体的な活動内容、活動に賛同し関わっている人たちを、もっと日本で知られるようにしたいと現地取材に行き、Webで連載していたのをまとめたもの。上から目線で正義を振りかざすことも変にへりくだって褒め称えることも慎重に避けて、どこまでもあくまでもご自身に素直に正直に潔く綴っておられます。MSFの取材をするということは裏返すとこの世界の現状を取材するということに自然となっており、特に近年の独裁政権や紛争により増え続ける難民の状況について、真摯に向き合っっておられました。とてもいい作品です。読んで良かった。
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国境なき医師団の、医療に限らず、多岐にわたる活動(と、それらに従事する人々)に光を当てた書。400ページ弱からなり、それが多く感じて、途中からはカギ括弧の中身だけを読んで、興味を持てばその前後も読むことにした。
「せいこう節」と評したくなるような独特な書きぶり。
「リプロダクティブ・ヘルス」を「女性を守るプロジェクト」と称していたのはわかりやすく感じた。
MSFで活動しようとしたのはなぜかという質問に対する個々の答えに心揺さぶられるものがあった。
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深刻な現場の仕事をしている人々の様子を取材しているわけだだが、いとうせいこうさんのタッチが軽い為、中々胸に響いてこない。でもそれがいいのかも?
何年もまともにお風呂に入っていないウガンダで会った男性に一緒にお風呂に連れて行って欲しいと言われて断る場面が切なく感じた。