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著者は自身では犬を飼わず、もっぱら「借景」ならぬ「借飼」によって、近所の犬と触れ合う。普通の犬の話は飼い主と飼い犬の特別な紐帯が主題だけど、そうでない視点はおもしろい。
50女の僻み目を前景化させた日常雑記的なエッセーだから、グラビアの件などゲラゲラ笑いながら読むのがよいのだけれど、飼い猫との痛切な記憶の話などはグッと来るところ。それで自分では飼えずにいるのかもな、などと想像したりもする。
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犬が大好きなので楽しそうと期待して読み始めたけど、私には向いてなかった。
全然引かれず内容が頭に入らないし、進まない。
2/3まで頑張って読んだけど、どうしても読む気がしない。
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私小説、ということですがどの部分が創作なのかが分かりません。
確かに「ツ、イ、ラ、ク」を思い出す描写はありましたが、私はエッセイとして読みました。
さて。
犬が大好きながらも犬を飼えない作者がしているのは借景ならぬ「借飼」。近所の犬達を愛でています。
犬を目にした時、触れた時、犬がこちらに関心を示した時、それが好意だった時のあの何とも言えない気持ち。それが見事に伝わってきます。
ただ犬が可愛いというだけではないのが著者の魅力。
例えば、かつて著者が子供であった頃に飼っていた猫・シャアとの記憶が書かれたくだりでは彼女がいかにシャアに心を寄せていたか、そしてシャアとの離別をいかに悔やんでいるかが伝わると同時に子供が非力であるが故のもどかしさが思い出され、きゅっと切なくなります。
また大人になった著者が仕事で猫・ミーと出会ったとき、それがシャアとの記憶と重なり、かつてシャアに頼っていた気持ちに戻る描写は文体の変化もあり、読む者を引き込みます。
はたまた、著者は犬が大好きにも関わらず犬にはあまり好かれないらしいのですが、そこから派生して「若くない女は商品価値がない。これが世の中の事実だ。しかし言っていく。金のない男は商品価値がない。これも事実だ。で、かかる世の海を漕ぎゆくうち、『商品価値』と『己にとっての価値』とのちがいが分かることが、大人になる楽しさである。」という文章が生まれているあたり、ほほぅと感心させられます。
犬から得られる癒しを著者は「尾てい骨のあたりにホカロンを貼ったように、じーんとする」と表現しています。
とても共感する、賛同すると同時に似たような「じーん」を得られる一冊です。
2014年49冊目。
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『昭和の犬』を読んだならこちらも!と読みました。笑った笑った。
著者によると、『昭和の犬』は自伝的要素の強い小説で、『近所の犬』は私小説でよりエッセイに近い感じで読めますよ、と書かれてます。
とはいえ、小説なので、あくまでもフィクション部分が含まれています。と。
『昭和の犬』でも著者の趣味?としての【犬見】について説明されてたけど、
犬が好きだけど飼わない。その分近所の散歩中の犬気が合えば散歩に同行したりして仲良くなる。
犬それぞれの性格や飼い主の人生まで、楽しく書き綴られています。
同じ犬好きとして、犬の気持ちを通訳したセリフがめっちゃわかる〜そんなこと言うよね〜犬って!と、おおいに盛り上がって笑いまくりました。
著者がこの作品を出した頃の年齢も今の自分の年齢とほぼ同じこともあって身体的な感じ方もいちいちわかる〜!と共感。
たのし。
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面白かった!
名前聞いたことあるから昔から有名な作家さんだと思ってたんだけど、意外とニッチな作家さんなのかな。