紙の本
カルピス
2020/08/22 15:16
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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
カルピスは、誰もが知る国民飲料と言っても良いと思います。その産みの親について考えたことがある人は、それほど多くはないだろう。私も、何も考えずに飲んでいた一人でした。
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カルピスと言えば知らない人はいないと言えるほどの国民的飲料かと思います。カルピスと聞けば、自然と子供の頃の夏の風景が目に浮かびます。
本書は、そのカルピスの生みの親である「三島海雲」氏の生涯を書いています。
三島海雲は1878年に大阪で生まれました。やがて日本語教師として中国へ渡り、その後商社を立ち上げ、モンゴル高原を行き交う中で、乳製品に出会います。
その味が忘れられず、帰国後の1919年、日本初の乳酸菌飲料カルピスが誕生します。
著者の山川さんは、執筆にあたり、各種文献に頼るだけでなく、三島海雲の足跡をたどり、モンゴル高原に足を運び、文献を参考に同じ足取りを歩みます。
そのため、大変中身の濃い、充実した内容仕上がっており、ノンフィクションとしても素晴らしい内容だと思います。
ぜひ読んでみてください。
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まあよくここまで調べきったなあと思った。しかし取材の経緯をここまで細密に、もっと言うと愚直に記す必要ってなかったと思う。読みにくいのだ。
三島海雲という人をどれだけの人が知りたいのかということよりも、カルピスが出来たエピソード、カルピス社の命運について特化して記すべきだった。
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【初恋の味に恋して】「初恋の味」,「カラダにピース」といったキャッチコピーと共に,誰もが知る国民飲料として名高いカルピス。その知られざるルーツを探るとともに,カルピスの生みの親である三島海雲の経営哲学に迫った作品です。著者は,大学在学中からフリーライターとして活躍する山川徹。
一風変わったノンフィクションとしての魅力はもちろんですが,実際に著者がカルピスのルーツである内モンゴル自治区を訪ね歩く旅パートが白眉。また,「国利民福」を唱えた三島の思想については,経営学の観点からも非常に興味深いものだったように思います。
〜三島は一九六三年の社員に向けた講演で,カルピス人気の要因である四つの柱として「美味」「滋養」「安心感」「経済性」を挙げてこう続ける。
<今後,誰が社長になっても,この四つを繰り返し,繰り返し宣伝すればよい>〜
カルピスを飲みながら本作を読むのは至福☆5つ
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現在放送中の朝の連続ドラマ「まんぷく」のヒロインの伴侶のモデル、チキンラーメン、カップヌードルの開発者、安藤百福の言葉に「食足世平(食足りて世は平らか)」という言葉があります。本書で取り上げられているカルピスの開発者、三島海雲の言葉は「国利民福」。企業活動は、国民の幸せや豊かさのためにこそ必要だ、という意味だとか。世代を超えて持続しているブランドの生みの親は単なるビジネスではなく、誇大妄想とも言えるような大きな使命感を背負っていたのだと思います。そういう意味では、朝ドラ同様、そうとう回り道の末の成功が日本初乳酸菌飲料なのだと知りました。その回り道のスケールのでかさ!仏教徒としての想い、大陸の遊牧民への憧憬、そして金を儲けることに対する執着、その三つが矛盾なく重なりなってカルピスに繋がっていったのでありました。国家としての青春と青年たちの青春が重なり合っての外向きのパワーであり、日露戦争が日本人に与えたメンタリティはとてつもなく大きなものだったのでしょう。作者もその大きさを受け止めるべく、内モンゴルへ赴き、自分のモンゴルの女性との想い出の青春の1ページを開陳し、奮戦していますが、本書のユニークさは「書く必然」を強調しなくても十分だったのでは…とも思いました。もうひとつ、自らの青春の地、ヘシクテン(克什克騰)旗から名前をとった長男、克騰との物語も興味深かったです。最期に「カツ、すいません!」と不在の息子に言葉をかけたエピソードも、強烈な昭和文化の体現者の重要な要素なのだと思いました。またカルピスの水玉模様が、草原から見上げる満天の星から来ていることにも驚きました。そういう意味では、カルピスがカルピスウォーターとしてペットボトルにはいって清涼飲料水の一ブランドになったことが、カルピスの持つ神秘性を失わせてしまったのかもしれません。でも、読んでいる間、カルピス久々に飲みました。物語の分、おいしかったです。
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カルピス社の創業者であり、カルピスの発明者でもある三島海雲氏の評伝。
1878年にお寺の息子として生まれた三島氏は、24歳の時に教師として中国大陸へと渡る。当時の背景としては、極東の小国であった日本が中国やロシアを戦争で打ち破り、イケイケの時代だったのである。教師だった三島氏も時代の波に乗り、日本本土を相手とする貿易会社を起業する事となる。
当初は繊維を販売していたのだが、軍に卸す馬を買い付けるため現在のモンゴルへと旅をする。その際にモンゴルの遊牧民が食していた乳製品がヒントとなり、牛乳を原料とした健康食品の製造を思いつくのだった。もともと三島氏自身が健康に不安を抱えていたこともあり、国の発展と国民の健康増進を願う気持ちがカルピスを産み出したのである。
本作を読む限り三島氏は発明者としては超一流だったが、現代の目線で見ると経営の才覚は???と言わざるを得ない。しかし、熱心な仏教徒らしく国民全体の健康と幸福を真摯に願い続けた結果、カルピスは100年間も人々に愛されるロングセラー商品となったのだ。
かつて三島氏が旅をしたモンゴルは、今では近代化と資本主義の波に飲み込まれつつあり、カルピスの原風景である遊牧民の暮らしや広大な草原は減少しているらしい。なんか最近カルピス飲んでなかったけど、急にありがたく愛おしい飲み物に思えてきた。
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同志社設立に刺激をうけ、西本願寺が、大学林普通教校をつくる 文学寮と改称
浄土真宗 本願寺 大谷探検隊
岸田吟香 楽善堂 卵かけご飯をつくった
東文学堂 日清戦争後、中国人が日本語を学ぶ -1910まで
西本願寺 日露戦争に協力 従軍布教使
関東大震災 救援でカルピス配る
三島海雲 軍馬 大倉財閥が抑えていたので、モンゴルへいく
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図書館で借りた本。カルピスをつくった三島海雲の履歴を追ったルポルタージュ。あれもこれもと取材や参考資料を詰め込みすぎて、かえってまとまりがなくなってしまったのが残念。カルピスの起源はモンゴルの乳製品。戦争時代に入り軍事品と認定された歴史もある。味の素に買収されたり最後は朝日飲料になってしまったが、今でも愛されるカルピス。名前の由来も音の響きを重視したそうだ。創業者は寺生まれ僧侶で大陸で商売、モンゴルで乳製品に出会いカルピスを作るきっかけを得る。国民の健康最優先を目指したカルピス。
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活字が大きいので簡単に読めると思ったがそうではなかった。モンゴル人の留学生が来るための準備として読んだ。しかし、カルピスが日本で発明され、日本だけの飲み物であり、モンゴルにルーツを求めるものであることは初めて知った。
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★2018年10月13日読了『カルピスをつくった男 三島海雲』山川徹著 評価A
1919年にモンゴルの遊牧民から学び取って健康乳酸飲料としてカルピスの商品化に成功した三島海雲の一生を追った作品。
フリールポライターである山川氏が、明治~大正~昭和と三島海雲の足跡をたどり、直接知るもしくはその子孫に会い、現地を訪ねた丁寧な取材が印象的。
その結果として、カルピスを作った明治男の骨太な生き様が脈々と蘇るとてもよい作品に仕上がっている。
歴史の教科書を読むだけでは分からない当時の中国、朝鮮への若者の渡航熱。日清戦争以降の中国での日本語学習熱など。これまで全く知らなかったアジアの息づかいが熱く感じられるのがこの作品の一番の売りではないだろうか?
また、今の財界人とは一線を画す、人の大きさはどうだ?!司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも感じた人のスケールの違いを強く実感させられる箇所も大変多かった。
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行商としてモンゴル高原を行き来していた三島海雲は、遊牧民から振る舞われた乳製品の未知なる味に心が躍り、やがてその感動は海を渡る-。日本初の乳酸菌飲料カルピスの産みの親の知られざる生涯を辿る。
史実や対象人物の著作からの引用は正確に、著者の推測なら推測と明らかに、ノンフィクションの基本に忠実な作者の姿勢は好ましい。来年7月7日に誕生から100年を迎えるというカルピス。試作品を与謝野鉄幹・晶子夫妻や小学生だった岡本太郎が愛したという逸話に感心した。
(B)
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カルピスは知っていても三島海雲は知らなかった。
三島海雲の伝記と思って読んだが、「山川徹、惚れた三島海雲の人生を語る」の方が正しそう。不正確なことは書きたくないという筆者らしい本なのでしょう。
後書きで書かれていますが、なんとか三島を知る人への取材が間に合ったというところが本書の価値を高めていると思います。
平成も終わらんとしている今の時代では三島海雲は生きづらいのではないかと思いました。昭和までの、ある意味いいかげんさも許される社会だったからなのかもしれないと思いました。
でも彼のおかけで今日もおいしいカルピスを飲めるという幸せがあります。
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現在では1年に1000種以上の清涼飲料水の
新商品が発売されるらしいです。
その中で生き残るのは、わずか2〜3品程度
なのはご存知と思います。
しかしカルピスは絶対に消えません。間もなく
発売から100年が経とうとしている「国民的
飲料」なのです。
考えてみれば乳酸菌飲料はアジア以外では
見かけません。モンゴルが発祥の地と言わ
れるカルピスがどのように生まれて、国民
的飲料へ育ったのか。
国民の健康を願った「利他」の精神を学び
取れる経営者にとって必読の一冊です。
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三島海雲はお寺の子。モンゴルで出会った乳酸菌食品を日本でカルピスにした人。奇しくも今年・2019年はカルピス誕生から100年だ。ひと夏を米国某大学で過ごした時、「カルピスのない夏休み」だなあと思ったのを思い出す。
しかし、カルピスが出てくるのが第3章。そこまでが結構面白かったりする。西本願寺の戦争協力(従軍僧侶にポータブルミニ仏像)とかモンゴル紀行とか明治・大正期の人物達とか(偉い人がゾロゾロ出てきます。しっかり取材されてます)。まあでも、カルピスがコンバットレーションとはビックリだなあ。飽食の現代では想像し難いけど、身体に良いモノだったのね。
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(天声人語)カルピス七転八起
2019年7月7日05時00分
ちょうど100年前のきょう七夕の日、乳酸菌飲料カルピスは世に出た。考案したのは事業家三島海雲(かいうん)(1974年没)。驚くほど波乱に満ちた経営者である▼大阪府内の寺に生まれ、日露戦争の直前、中国へ渡る。いまの内モンゴル自治区で軍用馬を買い、日本の銃を売る商いに成功。綿羊改良の難業も軌道に乗せるが、清朝から事業を没収され、無一文に▼帰国後は、大陸で親しんだ飲食品に想を得て開発に打ち込む。試行錯誤の末にたどりついたのがカルピスだ。脱脂乳を乳酸菌で発酵させた。成分の一つカルシウムの「カル」と、良い味を意味するサンスクリット語を組み合わせて「カルピス」と命名する▼「この一杯に初恋の味がある」という広告で大々的に宣伝した。大正当時としては刺激の強いコピーである。「色恋は公序良俗を乱す。ポスターや看板は自粛を」。当局からそんな指導も受けたようだが、譲らなかったという▼「とにかく新商品や新事業を編み出しては試みることに熱中する人でした」と懐かしむのは三島海雲記念財団の今関(いまぜき)博理事長(80)。創業者のすぐそばで若手社員として8年間働いた。「ライ麦で菓子を」「アユを養殖で」と盛んに指示を飛ばしたそうだ▼米寿の記念に刊行した自伝『初恋五十年』を読むと、まるで映画か小説のような浮沈が続く。空襲で工場を焼かれ、一時は経営が傾き、社長の座から追われる。それでも飽かず、90代まで新事業に情熱を注いだ。まさに天性の起業家であった。