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ソクラテスの死のかたち。
魂の不死を証明し、
平穏なこころで肉体の死を受け入れ、
生物的生命停止のときをむかえる。
ソクラテスの死をクライマックスとした、気品漂う哲学的叙事詩―。単に哲学書というよりも、このほうがふさわしく思う。
「ソクラテスの弁明」
や
「クリトン」
に続けて読むと、
文学的な感動はより一層深まります。
美そのもの、
善そのもの
が存在する。
プラトンの著作中「イデア論」についてはじめて述べられる書。
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ソクラテスがその刑死(毒人参の汁を飲む)の間際に、彼の死を哀しむ人たちの前で対話をした内容。
正しい、あるいはあるべき生とは、魂を徳によって磨くことにあり(人生はそれ自身が終着や唯一のものではなく、過程なのだという認識)、それは肉体の死によって妨げられないという考え方――ゆえにソクラテスは死を恐れず、最後まで徳を重視した人生を終えることでの、魂の完成を喜ぶという――が述べられる。
プラトン、ソクラテスの人生観は、現代ではなかなか受け入れがたいものが多くあり、この本のテーマは相当に顕著に現れる性質のものでもある。魂の不死だとか、死後の世界だとかいう前提を否定するのであれば、素直に読むのは難しい。
そうした前提はさておくとして、生きる上での基準とは何か?という疑問点を持って読むのであれば、この対話は、実りある文章になるだろうと思える。
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授業で扱わなかったら一生読まなかっただろう思う本。
人間の魂ははどこからきてどこへ向かうのか。
人間はずっとこのことについて頭を悩ませ続けるんだろうな。。。
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ソクラテスと論客の丁寧な対話は二千何百年の隔たりにもかかわらず新鮮に見えるものだなーと。
結論はさておき、死を目前にした状況でなお、愉快そうにかつ真摯に議論するソクラテスを見、その死の描写を見た後でも、何か余韻によって生きていて、何かを語っているかのような錯覚があった。
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中期プラトンの代表作。魂の不死が中心的に議論されておりますが、愁眉は、言語嫌いが人間嫌いへと傾いてしまうことをじゅんじゅんに若者に諭すシーン。
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2010.11.1
・魂と肉体は別々である。
・魂は不滅である。
・哲学者の魂は、神の近くにいけるはずである。
・ゆえに、ソクラテスの死は悲しいことではない。
・でもやっぱり悲しい。
魂ってなんだろうか?
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【2011年_3冊目】
哲学演習の教科書だった.
論理的に考える,論理的に説明する.
今まで私の中にない世界を見ました.
そうは言うけど,やっぱりソクラテスが死んじゃうのは寂しいよ.
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魂は不死である。一見非常識なこの命題を鋭く論理的に証明してくれた。彼らの対話の中に、日頃見逃しがちな思想が多いな影響を与えてくれるのもパイドンの魅力の一つであると思う。
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死の合理性/不合理性、ソクラテスのみが〈死への訓練〉という点で真の哲学者であるということ、哲学は己への配慮であるということ。
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肉体を不要とし、思考を重視するこのソクラテスはレンズマンのアリシア人を思い出させた。竪琴とか上衣から持ち主を想うのはフェチズムで、誰もが生まれつき持つイデアを想起するのは集合的無意識か。仮説演繹法によりロゴスを基礎に置くのはデカルトの自我に当たり大陸合理論はプラトン哲学の継承なのだろう。
美そのものが不変なもので存在するのなら、ある人には美しく見え、ある人には美しくなく見えることのはなぜか。
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『だまされない議論力』吉岡友治 の巻末の読書案内に出ていたもの。そのうち読む予定-「言わずと知れた古典中の古典。会話による弁証法のお手本」 高校のころに読んどくべきだったか。
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人間のうちにあってわれわれを支配し,イデアを把握する力を持つ魂は,永遠不滅のイデアの世界と同族のものである.死は魂の消滅ではなく,人間のうちにある神的な霊魂の肉体の牢獄からの解放である-ソクラテスの最期のときという設定で行われた「魂の不死」についての対話.『国家』へと続くプラトン中期の代表作.
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プラトン三冊目。ソクラテスが毒をあおいで死ぬ日にみなと対話したのをパイドンが語っていく。
内容としてはソクラテスの死を嘆き悲しむ弟子たちに対して、死が一切の消滅ではなく、イデア論によると魂はむしろ不死であり、悲しむものではないことを諭していく。しかし、ソクラテスの言葉に対し、シミアスとケベスが徹底的に、素朴に疑義を呈していく。最終的にはイデア論による魂の不死を認めて死を看取るわけだが、死に行く師に対し、あれだけ率直に言葉を交わして対話して行くことにまさしく哲学の本質が見えるように思える。しかし、死に対して持っている感覚がやはり自分のものとはずれている気が拭えない。とは言え、これらに反論するだけの哲学的技量もない。期せずして自分の寄る瀬のなさを再認識させられたような気がする。
単純にソクラテスの最期自体は感動的でもあるので、ぜひ読むべき一冊。
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この書の主なテーマである魂の不滅についての証明は、少々ややこしかった。
それよりは、(プラトンの書く)ソクラテスが死に対してどのような態度で望むか、哲学者として生きるということはどういうことかを述べているところが面白い。
「(哲学者とは)純粋な思惟それ自体のみを用いて、存在するもののそれぞれについて純粋なそのもの自体のみを追求しようと努力する人である。その人は、できるだけ目や耳やいわば全肉体から解放されている人である。なぜなら、肉体は魂を惑わし、魂が肉体と交われば、肉体は魂が真理と知恵を獲得することを許さない、と考えるからである。」
いわば哲学とは死の練習をすることで、それでいてこそ、死んだ時に魂は肉体から離れて、自分自身になることができる。神の国に入ることができる。
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古代ギリシアで普通に「魂」という事柄が当たり前のように使われているのに驚きました。
魂は死後も存続するのか、あるいは死後肉体とともに雲散霧消してしまうのかという議論から、
想起説、魂の不死の証明が試みられます。
まるで謎解きのような議論についつい引き込まれてしまいました。
「知をもとめること(哲学すること)とは、まさに死の練習である」