紙の本
価値観の崩壊
2019/05/26 10:25
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コンドル街道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大量の移民の流入で崩壊しつつある西洋社会。
移民の大量移住を招いたリベラルの問題点。指摘された問題点について無視しただけでなく、指摘した者を「レイシスト」として社会的に抹殺する。そして問題が顕在化したら見て見ぬふり。
リベラルの欺瞞をこれでもかと描く。
紙の本
啓蒙主義の行きつく先は…
2019/10/29 12:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぱぴぷ - この投稿者のレビュー一覧を見る
啓蒙主義を推し進めると、自分に自信がなくなるし、罪悪感に苛まれるようになるし、虚無的になる。罪悪感と虚無感と表裏一体に、「人道的」であるこということが、ヨーロッパ(あるいは西洋全体?)では、一種の「宗教」のようになっていた。そしてその「宗教」が導いた世界が今のヨーロッパの状況である。具体的にどういう状況か?ということは本書を是非読まれたい。
紙の本
体感的な不安・不満・恐怖と知的な不誠実さ。
2019/06/12 16:12
13人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:someone - この投稿者のレビュー一覧を見る
欧州の大衆が持つ主観的な不安と不満と恐怖を描写する一冊。
筆者は,自分たちがキリスト教を核として連綿と受け継がれてきた偉大な欧州
文化の正統な担い手であり,それが異質なイスラム教世界の侵食によって滅び
ようとしていると主張する。
しかし,そのような主張は歴史的に見て正しくない。
「連綿と受け継がれてきた偉大な欧州文化」という概念は幻想である。
「欧州」という統一された文化が存在したことは歴史上なく,地理的・階級的
にそれぞれ異質な文化のクラスタがあったに過ぎない。
「我々」の概念,帰属意識には恣意的な線引きが可能であり,民族も宗教も階
級も職種も凝集の一つの核とはなり得るが,それらはいずれも「彼ら」=外部
との対比の中ではじめて形成される相対的な意識共同体である。
筆者の論は「キリスト教」を核とした「純粋な欧州人」の実存を前提としたも
のであるが,そのようなものは「ムスリム」という外部を言わば仮想敵と認識
しなければ存在しえないものであり,論理が逆なのである。
筆者が「偉大な欧州文化」の精華と見做すもの(本書中では引用文の中でモーツ
ァルトが登場するが)の多くは,ある意味においては,今日の「欧州市民」の近
い祖先が滅ぼした,現在の彼らとは異質な階級の社会が産み出したものである。
結局のところ,本書は19世紀に欧州上流階級が持っていた大衆からの脅威を,
彼らを滅ぼした欧州大衆が21世紀になって今度は自分たちを被害者として再
演しているに過ぎない。そしてその内容も19世紀的な黄禍論の焼き直しであ
る。
筆者はバークの名を持ち出し,「偉大な欧州文化」の保守を訴える一方で,過
去の欧州人の米大陸・豪州・アフリカでの行いに対する代償を拒否する。
筆者はまた,欧州文化の南米への「移植」を称賛し,それがその地に根付いて
いた文化の滅びと同義であることからは目を背ける。
甘い果実のみを歴史から享受しようとするその態度は,単なる便宜主義に過ぎ
ず,知的に不誠実である。
だが,それが欧州の大衆社会の一面なのだろう。
確かに,「偉大な欧州文化」は滅び去りゆくようだ。ただし,内側から。
電子書籍
気持ちだけはわかる
2022/08/19 10:02
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読書メモ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書から学ぶべきことは、「移民反対派をレイシスト扱いするのは間違っている」「移民の急増はそれ以前の住民の文化を劇的に変えてしまう(のでよくない)」「移民に同化を求める合理的な根拠はある」の3点に尽きる。それ以外は、基本的に恨み言。
著者が指摘するように、近年の大規模な移民・難民受入れには、欧州人の(多分にキリスト教由来の)罪悪感があるのだろう。しかしそれ以上に、国際法と「普遍的人権」という、まさしく欧州人が築き上げてきた観念がある。人権が普遍的であるからこそ、欧州人だけでなく、移民・難民にも人権があり、受け入れざるをえないのである。
してみると、著者のように考えることは、まさしく欧州人のアイデンティティである罪悪感と人権概念を放棄することにつながる。これこそまさしく西洋の自死にほかならないだろう。つまり、どちらに進んでも西洋は死ぬ。
そうでなければ、というよりもそうでないのだが、そもそも著者の頭にある「西洋」は空想でしかないのである。
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投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
欧州リベラリズムが移民たちの流入によって崩れ落ちる、というのはいかがなものか。崩れ落ちるべくして崩れたのでは? と思います。考え方のひとつとしてはアリなのかな。
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欧州の移民問題を取り上げている。日本も対岸の火事ではない。日本は移民に厳しいと書かれているが、それは違う。難民の審査も厳しいと言われているが、法の抜け道があるので、それも違う。それに、50年以上も前から日本は移民大国だ。移民の多くが見た目が日本人と変わらないのでそう感じるたのだのだろう。それにしても、欧州の移民問題は、日本と比べると改善しようがないほど、深刻だとういうことがよくわかる一冊だ。日本人も読んでおくべきだと思った。
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みんなで仲良くは戯言で、現実はかなり厳しい事柄に満ち満ちている。
社会は壊れて戻るの繰り返し、その息遣いとその中で私たちはどうやって生きていくべきか、示唆が深い。
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社会とアイデンティティの融解を自死という表現にこめている著者の危機感はこれからの日本人にもっと共有されるべき
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日本でも徐々に移民受入の議論が本格化する中、人道的立場から移民を受け入れてきた欧州で何が起こりつつあるのかを生々しく描き出した論考。
本書の内容は「西洋の自死」というタイトルが、恐ろしいほど端的に示している。その多くがイスラム教徒である移民を欧州が受け入れることにより、欧州が自明視していた価値観とは、決して普遍的なものではないことに欧州は気づき始める。そして、次第に問題はメタフィジカルな領域からフィジカルな領域へと移行する。例えば、それは欧州で移民を受け入れた地域で小児犯罪やレイプ等の犯罪率が顕著に増加したことに示されている。そして本書で看破されるのは、左翼的イデオロギーに染まった既存メディアは、移民と犯罪の問題を結びつけることを拒否し、その真実を報道しなかったという恐ろしい点にある。
本書を読んで明らかに痛感したことがある。私が暮らす日本という国は紛れもなく、西欧的な価値観が染まった国だ。よって、私は西欧社会がその思想的伝統のベースに据えた普遍的な人道主義というものが存在するのだと思い込んでいた。しかし、相次ぐISISの暗躍や本書に示される問題提起を通じて、そんなものは存在しないということは明らかである。そして当然、そうした価値観が異なるということ自体は非難させられるものではない。
それでも女性やLGBTへの蔑視を彼らが持ち続けるのであれば、私は喜んで中指を立てなければならないのかもしれない。それをpolitical correctnessの観点から野蛮だとうのであれば、そんな社会にどれだけの意味があろうか。
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書き出しからして衝撃だ。
「欧州は自死を遂げつつある。少なくとも欧州の指導者たちは、自死することを決意した」
日本は、移民に対して閉ざされた国であると考えられてきた。しかし、OECD加盟国35カ国の外国人移住者統計(2015)によれば、日本は2015年に約39万人の移民を受け入れており、すでに世界第4位の地位を得ているのである。さらに、2018年6月、日本政府は、一定の業種で外国人の単純労働者を受け入れることを決定し2025年までに50万人超を想定しているという。そして、新たな在留資格を創設する出入国管理法改正案が閣議決定された。
ついに日本政府は、本格的な移民の受け入れへと舵をきった。はなはだ遺憾ではあるが、我々日本人は、本書を「日本の自死」として読みかえなければならなくなった。
(解説より)
欧州各国がどのように外国人労働者や移民を受け入れ始め、そこから抜け出せなくなったのか。
マスコミや評論家、政治家などのエリートの世界で、移民受け入れへの懸念の表明が、どのようにしてタブー視されるに至ったのか。
エリートたちは、どのような論法で(それが非論理的だとしても)、一般庶民から生じる大規模な移民政策への疑問や懸念を脇にそらしたのか。
今後日本が直面するであろう問題について書かれた本。
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リベラルな良心や原罪だけでは移民問題や難民問題(、と難民を偽った不法入国の問題)を語れず、この本にある負の側面も含めて考えないといけないと感じた。
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欧州で右派が台頭する状況の背景がこの本を読むとわかった。少なくとも欧州で極右政党が一定の支持を集めるのを一部の経済的に恵まれず、情報が限られた人たちが煽られた反動だと感じていたことが、それほど単純ではないことがわかった。この本が欧州を含めて世界中でも比較的売れていて、トンデモ本のような扱いではないことから、ここに書かれた数字や発生した事件などの事実についてはおおよそ正しいことが書かれているのだろう。おそらくは著者も強くそして感情的でもある反論にさらされる可能性を強く感じていたからであろうか、事実については非常によく調査をされているし、現地にも足を運び実情を捉えようとしている。日本を含む海外にも比較的広く報道された2015年大晦日のケルンでのイスラム系移民による集団性犯罪事件が実際に起きていることを考えると、多くの小規模だが類似する事件が起きていると想像するのは、スウェーデンなど実際にいくつか事件が報告されていることと併せても間違いではないだろう。
大衆の感覚もそれに合っているにも関わらず(67%の英国人が過去10年間の移民を「英国にとって悪いこと」だったとみている)、政治的には移民の流れを阻止する方向には動くことができなかった。なぜなら、それは現在の欧州の分化によって倫理的にはそうすべきではないということになっているからだ。そして、著者に言わせると「現状を維持して、それに不平を言っている方が、短期的な批判を甘受して社会の長期的な幸福を測るよりも楽なのである」ということだ。いずれにせよ、欧州の政治家は、自らを反移民とし、政治的に反動的であると見られたくないという思いが強かった。
それほど遠くはない昔は、人種は違うものであった。その上で、いかにその差を埋めるのかを考えた。今は人種の差はまずないことが前提となり、その差が表れているところは正しくない状態であるとして放置することは許されないようになった。それは、性差でも同じことであり、男女は同じであることが一切の前提となった。さらにはその性差にはLGBTも包含されるようになった。それが、正しいことであるとする前に、その考えを適用し、移民を同じ権利を持つものであるという前提に立って政治を行うことが、逆説的に欧州の社会で維持することが難しくなりつつあるということだ。少なくとも欧州の文化というものがそれによって大きく変わりつつあり、そのことに対して打つ手さえ失いつつあるというのが、本書に書かれていることだ。
欧州の移民問題は、2011年の「アラブの春」やシリア問題が深刻化し、周辺地域の政情が悪化してから大幅に深刻になった。地中海の小さな島に来たアフリカから難民が押し寄せる事態になった状況や、小型船の難破による死を避けるという人道的な理由により、船舶の救助のための監視が行われて、「難民」たちは欧州に連れていかれることになった状況などがつぶさに描かれる。難民申請の数はドイツでは2010年で約5万人だったものが、2015年には150万人にも急増した。この流れをとどめるための政治的言葉を人道主義のもとで持たず、一方でこの変化に対して実際的に打たなければなかった対策はほとんど打たれなかった。
こと欧州において、本書で問題にされている移民に関しては、政治家やリベラルな経済学者は、最終的には経済的利益をもたらすものとして正当化しようとした。しかし、それはもはや現実的なものではないということが示される。端的に労働力の問題で言えば、スペイン、ポルトガル、イタリア、ギリシャの失業率を見れば、移民による労働力人口の増加は欧州全体で見るとおそらくは必要ではないことがわかる。
そもそも治安の問題は少なくとも控え目に言っても短期的には大きく悪化した。その上で、経済的利益を得られるのは移民のみで、以前から住んでいる欧州人にとっては移民は彼らの生活を豊かにするものではない、そう欧州の大衆は感じつつあり、そして行動にも表しつつある。
ここで根深く大きな問題となるのが宗教の問題だ。自らはたいして宗教など信じていないのに、相手の宗教は尊重しなくてはならない。その宗教はある意味では欧州の社会に対して敵対的ですらあるにも関わらず。欧州で宗教が再び政治的な問題となるとはしばらく前には思ってもいなかったのではなかったか。『シャルリー・エブド』の襲撃殺害事件の前、すでに『悪魔の詩』が出版されたとき、翻訳者も含めて関与した人々は暗殺の対象になり、そして複数の方が実際に殺害された。その後、パリで何度も死傷事件は起こり、コペンハーゲンを含めて欧州各所で同様の事件は起こった。リベラルな「正しき」人々は、彼らは真のイスラム教徒ではないのだという論理を用いる。本来、イスラム教は平和を希求し、暴力を否定すると。それは正しいかもしれないが、事件を起こした多くのものはイスラム教徒を自認し、イスラム教を主な宗教とする国から来たのだ。彼らはテロを信奉するものではないにしても、イスラム教徒ではあるのだ。そして、彼らを受け入れる側は宗教的な支えを失いつつあるコミュニティであり、そこが問題の核心となっている。欧州は、宗教を手放す代わりに多様性を受け入れることで穴埋めにしようとした。一方の側は、その多様性には価値を置かない。ここに埋め難い対立がある。
「戦後の文化となった人権思想は、まるで信仰のように自らを主張し、あるいは信奉者によって語られる。人権思想はそれ自体がキリスト教的良心の世俗版を根付かせようとする試みなのだ。それは部分的には成功しているかもしれない。だが必然的に自信を欠いた宗教にならざるをえない。なぜなら、そのよりどころに確信が持てないからだ。言葉は隠れた秘密を明かす。人権を語る言葉が立派になり、その主張が執拗になるにつれて、このシステムにその大志を果たす能力のないことが誰の目にも明らかになっていく」
彼らは人権思想がこのような形で脅かされるなどとは思わなかったのではないだろうか。
それでも欧州は難民を受け入れ続ける。そこには欧州人が犯した過去の原罪が影響しているのではないのかというのが著者の見解だ。東欧と西欧の難民施策に対するあからさまな違いは、その国の経済力の差だけで説明できるものではなく、過去の行動に対する罪悪感ともいうべきものが影響をしていると言ってよいだろう。世界を武力によって征服し、原住民を制圧し、奴隷制度を作り上げ、ホロコーストを実行した、様々な過去の欧州の歴史を原罪と��て西欧の大国は刻み込まれているのだ。そして、一方では自分自身ではない誰かが犯した罪に対する謝罪的行動が甘い自己陶酔となっているのではないかとも問われる -「つまらない人間が、いっぱしの人間になるわけだ」。日本でも一時期、自虐史観としてレッテルを貼られて批判もされたものと似ている。しかし、それは似てはいるが、決して同じではない。欧州のそれは、より深く、そして抗いがたい。
欧州が20世紀前半に自らの行動の結果から受けたものは、自分たちが想像するよりも深く広く染み至るものなのかもしれない。その態度は先進的であると見做され、自負されながらも、その特性のゆえに脆さを孕むものであったのだ。
「もしまだすべてに優先する思想というものが残っているとしたら、それは「思想は問題だ」という思想である。もし何らかの価値判断がいまだ共有されているとしたら、それは「価値判断は誤りである」という価値判断である。もし何らかの確信がいまだ残されているとしたら、それは「確信への不信」という確信である。これは哲学にはつながらないかもしれないが、間違いなく一つの態度にはつながっていく。浅薄で、執拗な攻撃を受けたら生き残れそうにないが、取り入れるのはたやすいという、そんな態度である」
こうした価値観を持つ欧州の社会の中で、その文化には同化することのない移民が大量に入ってきた後に何が起きるのだろうか、というのがこの本を貫く問いとなる。
「結果として、現在欧州に住む人々の大半がまだ生きている間に欧州は欧州でなくなり、欧州人はホームと呼ぶべき世界で唯一の場所を失っているだろう」ー この本で語られたこの予言を、数十年後読んだときにわれわれはどう感じるのだろうか。
原題は、”The Strange Death of Europe”。「自死」は本書の内容からして意訳的に誤りではない。しかし、原題に現る”Strange”という形容に著者が込める意図には深い意味があるのである。
イスラム教とイスラム教社会は、最終的にはキリスト教がそうなったように、世俗化されることになるのだろうか。現状において、イスラム教の存在が彼らイスラム教徒のレゾン・ド・エートルとなり、対抗すべき非イスラム社会に対する心理上での絶対的優位を支えるものとなっているように思われる中では、その信教としての位置づけは過去のキリスト教社会におけるキリスト教の存在とは異なる意味を持っていると考えるべきなのかもしれない。そうだとすると、この根深き問題は欧州を、引いては世界をどのように行く先に導くものなのだろうか。その問いは、21世紀において目をそらさずに考えるべき問いのひとつであることは間違いない。本書は、この問いは語られるべき問いである、と語ることができる状況を作ることに貢献するという意味で重要性を持つと言ってよいかもしれない。
リベラルと自らを任じている人にこそ読まれるべき本である。
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(以下、蛇足)
一方で、中野剛志氏が書いた序文の内容はおよそ望まれるものではないと感じる。中野氏のマレー氏への称賛については賛同するところである。また、移民問題が日本でも重要な問題であり、新しい入国管理法や移民政策が大きな議論がなく進められることに対して問題であるということには同意できる。しかし、この序文は、まず移民の恐怖をいたずらに煽るようなものであってはならないはずだ。
まずこの本は、いわゆる移民排斥を進めようとする右派が書いたものではなく、自身の主張はそうではないにも関わらず事実こうなっているという所作が非常に重要なものとなっている。著者は、いわゆる極右勢力に与するものではないことを再三表明している。本書を通して、この本が届けられるべきリベラルなエスタブリッシュメント層を意識し、彼らに対して受け入れられるようにとても繊細に筆を進めている。
なによりも、日本の状況は欧州とは類似よりも異なる点の方が目立つ。単純労働移民を受け入れる法案を通したことに対して先見の明なき愚かな策であると鬼の首を取ったかのように批判をするが、そもそも入管法の対照は移民労働者であって、難民ではない。これはおそらくは大きな違いで、移民労働者であれば問題を起こしたものに対しては強制退去を命じることができるが、難民はそうではない。もちろん制度の抜け穴となってしまうリスクもあろうが、実のところこの違いは大きい。欧州でも問題になっているのは(自称も大量に含むが)難民の話であることは読めばわかる。また、安倍政権が人道主義の立場から受け入れを決めたわけでも、拒否することが政治的に危険であるからやむなくそうしたわけでもない。さらには宗教の問題も欧州とは大きく異なる。
「そして日本もまた、欧州の後を追うかのように、自死への道を歩んでいる。もっとも、一人のマレーも出さぬままにだが…」と自らの筆に酔ったように書いて序文を締めくくる。それは当然だ。欧州ほど日本は状況がひどくないからだ。なんとなれば、中野氏がそう言うのであれば、中野氏が日本のマレーになればよいではないかと。
なお、本書の中では「日本は移民をせき止め、居残りを思いとどまらせ、外国人が日本国籍を取ることを難しくする政策を実行することで、大量移民を防止してきた。日本の政策に賛成するかどうかは別にして、この高度につながり合った時代においても、現代の経済国家が大量移民を防止することは可能であること、またそれが「不可避」なプロセスでないことを日本は示した」とその政策を紹介されている。冷静には、この問題に関しては、まず欧州と日本の類似ではなく、その相違に注目して論じるべき問題であるように思う。
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・欧州では長年,中東やアフリカからやってくる大量の移民を受け入れすぎた結果,負の側面が見えてきた.
・これはうちうちには懸念されていたことだが,移民の排斥は人種差別主義者や不寛容さの現れであると評される空気がば長く続き,真正面から向き合うことを避けてきた.そういう人はひどいレッテルを貼られ大きなバッシングを受けた.
・これが移民受け入れのさらなる緩和と対策検討の遅延を招いた.
・移民により社会の高齢化の抑止,労働力供給,多様性の実現など様々なメリットをもたらすという主張が絶えないが著者はいずれも否定している.
・その結果,欧州のアイデンティティ,文明が失われつつある.為政者含め欧州の人たち自ら招いたこの自体を筆者は「西洋の自死」と表現している.
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本書の舞台は欧州であるが,最初の解説にある通り,これはいずれ日本にも起こりうることだと思う.
そういう意味でいうと未来の一パターンを見ていると思った方がいいかも,
目先の綺麗事は表面化しづらい緩慢な悪影響を置き去りにしてしまう.
民族,宗教,生活習慣の違うもの同士が相入れるというのは綺麗事であり衝突する部分が少なからずある.
移民側の視点はあまりないがそれでも壮絶なバックグラウンドがあると改めてわかる,
移民にならざるを得ない人,移民になることを選択した人に比べれば日本で時に不満を垂れながらぬくぬくやってい流自分は世間知らずだなあと感じる.
移民が大量に押し寄せた結果,その地域の雰囲気の激変,治安悪化,宗教的衝突があるのもすごい話.今の日本ではあまりないように思えるがいずれそういう町がでてくる?
ブレグジットに至ったのも移民問題が市民の感情を動かす一つの理由になっているんだろうなあ.
それにしても異教徒達の衝突はいつの時代も絶えない.宗教が救った人の数と葬った人の数,宗教によりもたらした幸福と失われた幸福どちらが多いんだろう?
主義主張背景が異なるもの同士が同じ空間にいると衝突が発生する.己を通すために様々な意見が表出され最終的には党派が生まれる.あると党の躍進には何かしらの利益が伴うため,ステークホルダーが纏わりつく.そうして利権を奪取したり守る動きが生まれる.
異なる人種・宗教・国家間の衝突はいつの時代も不可避,どちらも一長一短の押したり引いたりの状態が延々続く.欧州の移民問題もそうだけど日本での諸問題も同じことが言えそう.これらの問題の円満で最終的な解決というのは不可能かもしれない.〜〜の解決とかいう綺麗事には注意した方がいい.左右どちらの主張でも.もはや解決不能な政治エンタメと割り切って感情の煽られることもなく自分ごとに集中した方が良さそう.
宗教対立,流血不可避だ.
マイノリティの意見が徐々にマジョリティに浸透していく,という話がSkin in the gameにあると聞いた.そちらの話も面白そうだ.
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原著は2017年、翻訳は2018年末の刊行、欧州における移民問題の本質を、円熟のあまり虚無化した精神文化と、行き過ぎたあまりに半回転してしまったリベラリズム(主に政治家とジャーナリズムの)に求める。
日本ではまだ移民問題はそれほど問題視されていないが、1991年には「悪魔の詩」の邦訳者が勤務先の大学内で殺害されるなど著者が「警告音」と呼ぶ事件はすでに起きている。欧州の奇妙な死ではなく、広くリベラリズムの奇妙な死あるいは日本の移民政策の未来を示す黙示録として読まれるべき一冊だろう。
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・イスラム教には、教義上、西洋で自明の価値観(両性の平等、表現の自由、LGBTの尊重等)を認めないところがある。
・西洋では、リベラル思潮及び過去の植民地政策等への反省から、他人種・他宗教を批判することに極端に神経質である。
・上記2つの帰結として、イスラム教移民について、難民ではなく経済移民であっても拒否することができず、移民先において同化しようとしなくても同化を求めることができず、テロが頻発する事態になっている。
以上がこの本の主な論点です。一つ目は重要な問題提起であり、「娘に(必要ないとして)体育を学ばせることを拒否する移民の父親」にどう対応するかは、日本も考えなければならない問題だと思います。
事例の羅列を繰り返すスタイルの本であり、論が深まらないように感じ少し退屈するところもありますが、読む価値はあります。