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身につまされる。「抵抗」感。
このもやもや。
わかってるけど、けど、けどってなっちゃうのよ。
この「わかってる」も相当曲者なんだけど。
久しぶりにしみじみと読書した。
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文中にあった 『夢も見ずに眠った。』
なぜこれがタイトルになったのかを思考中です。
結婚と離婚を経ての、一番近くて一番遠い微妙な関係を、真剣かつ爽やかに読ませるのは流石ですね。
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絲山秋子さんの小説はいつもそうだけど、ずっと読んでいたいと思う。静かに人生を受け入れることの高貴さに憧れながら。美しい文章に心奪われながら。一行も読み逃したくないと思う。ふとしたところで泣きそうになるけど、いつも泣く準備ができていないところでその感情が襲ってくるので、驚いてしまう。うれしい、驚き。知らない地名はとても興味深く、知ってる地名は親しみがわく。不思議な縁も感じてしまう。人と人が離れるとき。または歩み寄るとき。そうだよな、と思う。その瞬間を見失いたくないよな、と思う。今回もまた、私にとって絶対外れのない、絲山作品。
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小さな違和感、とか、かすかな嫌悪感、とか、分かり合えなさ、とかそういうことをのみこめるかどうか、なんだろな、夫婦って。
で、夫婦を卒業したあとの、関係。元友達、元夫婦、あるいは現友達、そんな微妙な距離だからこそ作れる関係もあるわけで。
絲山さんの小説は土地とヒトの関係、というか、その土地の「空気」とか「温度」とか「湿度」とか「風」とか、もっと言えば「雰囲気」みたいなものが大きく関わってくる。
そこから離れない者、流れていく者、流れてくる者、の違和感みたいなものがじわじわと染み出してくる感じ。
今回、夫婦という一番小さな対人関係の単位について、色々と考えさせられたなぁ。なんていうのかな、感情の深度って、コントロールするのが難しいよね。
『海の仙人』や『ばかもの』や『薄情』やそのほかたくさんの小説に出てくる主人公たちの、べたつかない、もたれあわない、けれどお互いに必要としあう関係、というのは一般的な「夫婦」という形では成り立ちにくいものなのかもしれない。
土地に縛られない、気分屋というか気楽な人、のように見える高さんが鬱になり、生真面目で融通のきかない沙和子の方がバリキャリとして外へと自由に飛び出していく、一見逆なんじゃないか、と思える人生こそが、二人の行き辛さのポイントだったり。
それにしても、最後、いいなぁ。なんとなく絲山さんにはめずらしくからりとした初夏の空のような光景。ちょっと泣いちゃったけど、いいなぁ。
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いかにも絲山秋子らしい男女のキャラクター。
過去は修復できない。抱えていくしかない。
計画なんてうまくいかないことの方が多い。
未来に流されていくしかない。
この結論を書けるのが、本当に清々しくて嬉しい。
またひとつ大切な読書体験ができました。ありがとう。
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わかり合えないことを、こんなふうに言語化されると、わかり合えなくていいんだよねぇ!と妙に納得してしまう。
湿り気あるけど爽快、という謎の読後感(個人の肌感です)。
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誰もが誰かの子供である以上、刷り込まれている「子供がいない夫婦」のロールモデルを、大部分の人は持っていないんだよなぁ。
法的な夫婦関係を終わらせても、沙和子と高之が時間をかけて「自分たち」の関係を作り上げていく(物語の最後、私はこの二人は関係を続けていくような気がした)ところがよかった。
翻って、現実にいる子供がいない夫婦たちだって、沙和子と高之をモデルにする必要はないのだ。
ただ一切は、自由。
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いつも絲山作品を読むと困ってしまうのです。
良いのだけど、どこが良いのか掴めない。言いたい事は掴みきれないのだけど、しっかり読まされてしまう。
この作品は。。。
出版社の紹介では「新たな夫婦像を描く傑作長編」とあります。
夫は非正規で働く能天気な自由人、妻は柔軟性に欠ける上昇志向の会社員。お互いに相手が嫌がる事を判って居ながら自分を押し通すところがある。それでもさほど仲は悪くないのだが、どこに惹かれるのか読んでいてもどうも判り難い。妻の単身赴任、夫の鬱発症によって一旦は離婚するのだが。。。
「そりゃ、無理だよ」と、どうも共感できなのです。様々な場面を丁寧に描きながら二人の関係を積み上げて行く作品ですが、どうも最初に掛け違えてしまったのか、物語に入り込めず。。。
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ずっと親の期待に応えようと走り続けてきた妻・沙和子。どこかのんびりして、無頓着、そのため沙和子をイライラさせ怒らせてしまう夫・高之。二人は、沙和子の札幌への単身赴任を契機に別居するが、妻の実家に残された高之は鬱病にかかり職を失う。大事な時一緒にいてくれない妻を思う夫、心配しながらも札幌へ戻るとホッとする妻。すれ違う気持ちを持て余し、夫は妻に別れを切り出す。
絲山作品といえば群馬を描く作品が多い中、今回は珍しく日本全国旅巡り的な風情。
倉敷、琵琶湖、遠野、函館、青梅、横浜、奥出雲へ・・・光や風を感じる風景と、その土地の地理、歴史まで網羅した描写はまるで紀行文のよう。
高之と沙和子がそれぞれに、あるいは二人で巡る旅の行程で、自分のことや相手のことを見つめる姿が静かに描かれる。
どこか高飛車で、夫を斜め上から見下しているようで、嫌~な感じしかしなかった沙和子も、母とのわだかまりから自分の本当の心に蓋をして生きてきたことに気が付き、これからの生き方を悩むあたりでやっと人間らしくなってくる。
当初は物足りなかった高之の性格も、ラストに向かって、どんどん逞しく、魅力的になっていくのも嬉しい。
昔からのロールモデルが絶滅した今を生きることは、自由な反面、初見演奏のようにお手本なしで人生を選んでいくことでもある。途方に暮れるようでもあり、なんだってできるっていう爽快な感じもある。
最終章、離婚した高之と沙和子の奥出雲旅行では、第1章の夫婦だった二人の岡山旅行の時よりずっと、関係性がよくなっているのが嬉しい。これからも二人が最高の友人のようないい関係を続けていけるような気がして、明るいラストでした。
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夫婦になり、離れ、巡り会い、たどり着く境地。
ラストの描写は、それまでの全てを腹に落とす強さ。心に残る。
絲山さんの描く世界が、どうしようもなく好きだ。
そして行間からにじむメッセージが、すごくいい。
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===qte===
夢も見ずに眠った。 絲山秋子著
離れては出会う男女の軌跡
2019/4/20付日本経済新聞 朝刊
絲山秋子はこれまで、男女雇用機会均等法が制定された1985年以降、女性の働きかたにどのような変化が起きたかを、悲哀も含め、さまざまに描いてきた。本作ではさらに、夫婦の問題が横たわる。勤めをまっとうする妻とその夫との、約四半世紀の物語だ。
冒頭、休暇で訪れた旅先で、高之と沙和子は些細(ささい)なケンカから別行動をとる。夫は突発的にカブトガニ博物館へ、妻は予定通り倉敷へ。岡山市で無事に落ち合うが、離れては合流する軌跡は、この夫婦を象徴するものだ。
ある日、管理職として働く沙和子に、札幌転勤の命が下る。埼玉県熊谷にある妻の実家の離れで結婚生活を送っていたが、非正規で働く高之はそこに残ると決め、別居状態へ。2年後、夫にうつ病の気配が忍び寄る。
お互いを思いやる気持ちはあれど、妻は経済的にもライフプラン的にも仕事を辞めはせず、2人は次第にすれ違っていく。「どうしてこんなに離れてしまったのだろう」。しっかり者に見える沙和子もじつは精神的なもろさを抱え、「高さん」に甘えてきた。
しかし「どうしようもなく、生きるスピードが違う」との実感がつのり、沙和子の出張に合わせたお台場でのつかの間のデートで、妻は札幌での出向を夫に告げ、やがて離婚が合意されるのだ。
男女の出会いから別れまでを描くのが恋愛小説なら、本作はその先をも描く、円満離婚後小説でもある。別れてからも、彼らはつかず離れず、相手を想(おも)う。長い時間をかけて、ロールモデルなき男女関係を模索しつづける2人。同居期間の短さゆえか、彼らは夫婦で、また1人で、よく旅をしてきた。岡山を始め、江差、琵琶湖、盛岡と、日本各地の風景が物語に織り込まれ、卑小なる個人のままならなさと、土地の雄大さがコントラストとなって一編を彩るのだ。
並走する京浜東北線と山手線。飛行機と自家用車。奥出雲のトロッコ列車とレンタカー。スピードの差や、経路の違いがありながら、折々で出会い直す2人を見ていると、人生は旅であり、道であるとの、よく言われる比喩の意味が腑(ふ)に落ちる。読後の感触は暖かい。とりわけ人生の折り返しを過ぎた中年世代にお薦めの一冊だ。
《評》書評家
江南 亜美子
(河出書房新社・1750円)
いとやま・あきこ 66年東京生まれ。作家。06年「沖で待つ」で芥川賞。著書に『逃亡くそたわけ』『薄情』(谷崎潤一郎賞)など。
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単身赴任を決めたキャリアウーマンの沙和子。鬱の兆候を示し、妻に養ってもらっている夫。結局、離婚することにはなるが、男と女の終着駅について、考えさせられる作品ではある。
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初出2016〜18年「文藝」
初読みの作家さん。
学生時代の同級生どうしで、一人娘の家に入り婿となった高之を残し、銀行勤めの沙和子が札幌に単身赴任しているうち、高之はうつになり仕事を辞め離婚する。
高之は友人に呼ばれ、青梅でコミュニティ作りを兼ねた何でも手伝う仕事を始め回復していくが、沙和子は不倫旅行で交通事故に遭い退職、やがて独立し事務所を開く。
高之が事務所開きの祝いに行くと、なぜか一緒に出雲へ旅行することになるものの、豪雨でスケジュールが狂い楽しみにしていたトロッコ列車には乗れず、翌日サプライズで沙和子を逆方向から乗せて、高之は手を振る。
こういう男と女もあり、というのは卒婚の私には分かる。
うつの時の思考、回復の様子は、私が気づけないだけにちょっと目新しかった。でも、最後まで共感、感動はなし。
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岡山に始まってまた岡山から出雲にかけての旅で終わる,この旅の中で訪れる土地の中に想いを残し,時はめぐり二人の関係性も変えながら,人生は過ぎ行く.同じ場所にいることはかけがえのないことだと思う佐和子さんにしみじみ共感した.
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ロードムービー(小説だけど)でなら、『逃亡くそたわけ』の方が上だなあ、なんて、偉そうなことを思いながら読んでいたのだけれど、最後がすごくよかった!あのラストで☆は五つ。