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2019/08/20 16:19
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
ただただ大変だなと思いました。山に登るときは準備を怠らずに迷惑をかけないようにして、登らなきゃと思いました。
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美しい穂高岳。著者の宮田さんとは、会っていたかもと思う。台風が通り過ぎるまでの2日間、小屋で過ごした。シーズンオフに近い為か、泊まり客は少なく私自身も山小屋でバイトしていたので、小屋番の人と話が弾んだ。無線で死体発見の報がくると、心が普段と違う感覚になる。穂高小屋は、凄まじい所に建っている。どうしてこんな所に建てられたのか。安らぎの小屋である。
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各地にある有人の山小屋。
宿泊施設としての役割りとは別に、遭難の際の救助の前線基地という側面がある。
そんな山小屋の小屋番をされていた宮田さんの手記。
リアルな話から「いかに遭難する登山者を減らしたか?」という希望が見える。
遭難しなければ、山は怖いところではないわけですが、遭難する人はゼロにはならないのが現実。
そこをゼロに近づけたい。そういう願いが込められている。
宮田さんが亡くなられたのは残念でならない。
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図書館で借りた本。穂高岳山荘の支配人だった宮田八郎さんの穂高で小屋番スタッフとして入った10代からの自伝でもあり、遭難救助の一員としてレスキュー活動した話、仲間達の死など山好きとしては読み応えあり。山での遭難は無くならないが、人的な問題は少しでも減らすべく、どうしたら良いかなど啓蒙活動もされていたようだ。2018年の4月、山ではなく、海でのシーカヤックの練習中の水死で帰らぬ人になってしまった。合掌。
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宮田さんは どんな経緯で遭難したのであれ
助けられるなら 必ず行く
と明言されていました
遭難とは 自己責任を超えた
自分では どうしようもない状態になったことであり
それは 助ける一択しかない と
人が人を救うのは 当たり前
そして 何度も
何故 人は山に登るのか ということを
自問自答されてました
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漫画『岳』の宮川三郎のモデルとなった穂高岳山荘元支配人・宮田八郎の日記、遺稿集。
宮川氏が穂高山荘で働き始めた頃から考え続け、伝え、遺してくれたレスキューの記録。
山岳遭難に対応し続けたプロの岳人、彼が遺した記憶は、レスキューする者の立場から書かれた者ではあるが、遭難しうる側としてのアマチュアな我々にとって、危険に向き合うことについてきちんと考えさせてくれる。
それは、おそらく山の危険についての対応だけでなく、普通の生活者にとっても、考えておくべきことのように思える。
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読書前に知って読んだけど、文章を読んでいくうちに、宮田八郎さんという人、山に対する思いやレスキューに対する考えが分かって、、最後の追悼文には最後が分かっていただけに切なく熱い気持ちがこみ上げた。ずっとずっと山に携わって来た人が海難事故で命を落とすって
死と隣り合わせで生は輝く
ご冥福をお祈りします。
2019.8.8
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息子と涸沢から奥穂高へ登った翌年に亡くなってしまった。今思い起こせば穂高小屋に着いたとき外にいた男性はハチさんだったのではないかと思わずにいられない。下りのザイテングラードってそんなに遭難が多かったのは知らなかった。ゆっくり着実に下るのが肝要。
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3000メートルを超える穂高岳の山小屋支配人を務めた宮田八郎。彼の仕事は山小屋の運営、客のもてなしに加えて、山での遭難救助。本書は多くの遭難救助に立ち会った宮田氏の活動の記録。
山での遭難について、よく言われるのが自己責任論。本書の記録の中には登山者の無謀、無知が原因による遭難も多い。が、宮田氏はそんな救助活動についても決して登山者を責めないし、恨まない。関西弁でツッコミを入れて、笑い飛ばす。彼にとって、救助とは自分の役目であり、助けることができるのあれば助けるし、助けてあげたい。それだけで彼は行動する。
そんな境地に達したのは、山で彼の師や友の死に何度も接したからだろう。どんなに注意しても、経験を積んでも人は山で死ぬ。それを理解したうえで、彼は第一に自身の安全を確保することを心がけてから、救助活動をこなす。
そして、当然自分の死についても考えていただろう。2018年、彼は海で遭難死する。山で死ななかったことは彼のプライドだったのだろうか。追卓のあとがきは彼の妻が記す。
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ボランティアの山岳救助。穂高の山小屋での多くの経験を記した一冊。筆者が不慮の事故で早逝したこともあり、命の重みや登山という行為について実に考えさせられる。
漫画「岳~ガク~」の素材にもなっている穂高の山岳レスキュー。警察とは別の山小屋の方々の献身的な努力に支えられている。
山に登るという行為、なぜ人は危険を侵してまで挑むのだろうか。著者も含め本書の登場人物の多くが亡くなっているだけに、考えさせられる。
安易な登山者にこそ読んでおいてもらいたい。登山者の安全はこのような山小屋の方々に支えられている。
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昨今、山の番組は結構あって、日本百名山とかグレート○○とか、BSでは毎日何かしらやっているので、全部はチェックしないのですが、先ごろなんとなくついていたテレビで山の番組が始まり、見るとはなしにみていると、宮田八郎という人の特番らしく、途中からしっかりと見入ってしまいました。
山を愛するあまり10代で神戸から出てきて穂高岳山荘の小屋番をされています。
小屋明けや小屋仕舞やその日常(いえ私たちにしたら大変な非日常)の中で生き生きと動き回る宮田さんにくぎ付けです。
丸いひげ面のお顔にくりくりとしたまん丸い目、人懐こい笑顔、ほっとする関西弁、誰もがそんな宮田さんを慕って小屋に通うのは納得です。
とはいえ、穂高岳山荘という小屋は、北には槍ヶ岳反対側は西穂高岳がある穂高連峰のちょうど真ん中あたり、涸沢岳と奥穂高岳の真ん中あたりのコルにあり、誰もがおいそれと行けるところではありません。
どこから行っても難所につぐ難所の連続で、一歩間違えば命がないというようなところだと思います(私も行ったことはありません)
当然、毎年遭難事故が発生します。
本書はそういう遭難事故のレスキューの話です。
遭難事故の一報が入れば、どんな悪天候でも、何をおいてもとにかく駆けつける、「自分の命はかけられへんけど助けられる命は助ける」その精神で、山岳救助隊、エアレスキュー・防災ヘリと一丸となり力の限りを尽くす姿勢には頭が下がります。
遭難者の中には、師と仰ぐ人、友人、そんな人たちも含まれていて、その心境はいかばかりかと。
2年ほど前、友人と登山口で車中泊をしているとき、さあ寝よかと横になると、スマホを見ていた友人が、「○○さんが、シーカヤックやってて伊豆で行方不明やて!知ってる?」「えっ、そうなん?知らんけど・・・」となんとも愛想のない返事をしたのを思い出しました。
これが宮田さんのことだったんだと今確信しています。
友人は山の知識も技術も豊富なので、穂高にも幾度も足を運んでいるでしょう。宮田さんとも面識があったのかもしれません。そんな彼女につれない返事をしてしまって、ごめん。
そうです、宮田さんは海の事故で無くなってしまわれました。番組の途中からこの方は今はおられないのかなという気がしていましたが。
山で自然の脅威をいやというほど知らされていたのに、海という環境は違えど、やはり自然には抗えなかったんですね。
小屋番を亡くした穂高岳山荘も穂高の山々も、今日も変わらずにその存在は偉大であると思います。
宮田さんの遺志を忘れずに、心して入山したいものです。
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これは本当に、この世かな?と思うくらいきれいな景色を見せてくれる山だけど、気を付けていようと、慣れていようと関係なくふとした弾みで命を持って行ってしまう。自然の険しさと、そこに生きる人と、またふらりとやってきて帰っていく登山者の感覚と、かなりのドラマがありました。しかし、どんな猛者であっても、自然の前には関係ないのだな、と山の恐ろしさをひしひしと感じる本でもありました。気を付けよう。
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山は、怖い。でも素敵。そんな所でレスキューにたずさわる人たち。人の為に尽くす。感謝しかない。そんな人が海で亡くなるなんて皮肉である。
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山に魅せられた人たちの本を読んでいて、ふと救助する人たちは何を思っているのかが気になり手に取ったと思う本
穂高連峰の美しさは知っていても、登るではなく見るのが好きなので各名称は知らず、1章の終盤はネットで名称を調べ、こんなところを人が歩くのかと驚愕しながら読んだ
今年も大型連休、というか山開きをしてから遭難しているニュースをよく見る
登山する人が増え、きっと山に対して畏怖を抱く濃度も範囲が増えたから救助を呼ぶ頻度も増えたのかなと思った
助けてもらっておいて荷物取ってこいって…そういう粗暴な人だから遭難するんじゃないのと思ってしまった私は短気
救助を呼ぶということはその人の命を危険に晒すということ
たとえ救助隊員側に命をかける意識がなくても、山は誰にでも牙を向く
登山する前に一読し、再度装備やルートを検討するのがいいのではないかと思った
山は美しい、その分恐ろしい
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高所恐怖症なのに山が好きです。ドキッとしたことも何度かありますが、あの達成感は何物にも変え難いと思います。だけどやっぱり怖い。"岳"よりもずっと怖さのリアリティがありました。そんなに生き急ぐことはなかったのに。残念です。