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最近は
2020/05/11 13:01
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投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
コメンテーターとしても、活躍されている哲夫さん。コメントも、どこか心があって良いなと思う。
その心は、やはり仏教の考えから来ているのだろうか。前から哲夫さんの本は読んでみたかったので、この本から入っていきたい!
紙の本
ほっとする
2021/08/03 09:00
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
仏教がわかりやすく解説されていて、興味深く読むことができました。笑い飯の哲夫さんの言葉に、ほっとしました。
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みんな、忙しすぎませんかね?しんどい時は仏教で考えるー「友達って必要?」「苦手な人」「努力は報われる?」「運を考える」「孤独について」「家族について」「心を強くする」
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【刺さった内容】
受験勉強は孤独であることに気づきました。哲夫さんの努力はその努力自体が報われるという内容に励まされました。
執着こそ苦悩を生み出す原因であることに気づかさました。
しがらみに苦悩する場合はむしろそのしがらみに関心を持ち修正していくことに気づきました。
【糧になったこと】
仏教の考え方は気づきが多いと思いました。
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19/09/19。
2冊目買ってしまったorz。ま、でもお二人のサイン貰ったから良しとする。
20/2/21読了。釈さんの語り口の優しさと分かりやすさに加え、哲夫さんの生真面目な可笑しさ(?)が存分に発揮されていて、さらにそれを真摯に受けとめる釈さんの返答がこれまた面白い。
いい本を読んだ。
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この本を読んで思うことは、明確な答えを示さないのが仏教なんだなと思います。
ブッダの教えには多くのヒントがあり、また訳や解説も様々です。読むこと、教えられることで何かに気付き、フッと楽になることもあります。
・仏教は“運”という概念に拠らない
・「犀の角のようにただ独り歩め」だけど、仲間がいたら共に歩めという件
・認識と現実のズレに気づき、感情を捨てるということ
・苦手を克服できない人を避難しない、しがらみから逃げようとするんじゃなくて、しがらみに関心を持ち向き合うこと
など役に立ちました。
同じ方向に向かう仲間を見つけるのって難しいですよね。
いつか出会うんだろうと期待せずに独り歩んでいきたいと思います。因縁生起ですから。その他自己分析するところはやっぱり仏教は科学だなと思います。
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2020年 2冊目。
仏教を通して新しい視点があり、笑い飯・哲夫さんのコメントにはほんと笑ってしまった。
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久しぶりに肩の力が抜ける本。
高齢化社会になって、死とは何か、考える人が多くなった。
やはり、殆ど宗教について考える事がない日本人は、最期に惑うだろう。孤独死、とは言うが、死とはそもそも孤独であり、それとどう向き合うか。
考える契機にどうぞ。
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僧侶で宗教学者の釈徹宗さんとお笑い芸人の哲夫さんの往復書簡。人生に行き詰まってどうしようもない人が答えを求めて読む本というよりも、お気楽に、暇つぶしに読むといいかも。そもそも人生の悩みに明確な答えはないのだし、お2人も、そんな大風呂敷を広げるのではなく、考え方を提供するというスタンス。これが縁なのか、哲夫さんは後日、釈さんの勤める相愛大学の客員教授に就任した。攻めるな相愛大学。
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釈氏が書かれてますし、仏教を扱ってますが、 全く堅苦しくなく、生活のこんなところも仏教と結びついているんだな、としみじみ思える本。なかなか生活の中で仏教を感じることはありませんが、ほんと、タイトルのようにしんどい時仏教で考えてみるのもいいかも、と思えてきます。別の道を開かせてくれそうです。
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この本も哲夫さんの人柄がよく出てたなぁ〜〜。
ええ人やなぁ。
ええ人って何❓
自分に素直な人。。。かな❓
わからんけど。
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仏教とはほとんどの日本人においてきっても切り離せない生活の一部として根付いているのではないだろうか?私自身は、仏教徒ではないが仏教が文化や言語にとても強く関連していると答えている。一周忌などの供養などは必要ないと思うけれど、もうそれが当たり前のことのようになっているから私自身ではどうすることもできない。私たちのような新しい世代はきっとこういった供養というのは今後もう省いていくのではないかなと思う。
さて、本の中に自殺は罪だとか育ててくれた親や家族に対する冒とくだとかいったページがあったが、私はそうは思わない。精神疾患を患っている人たちの苦労を傍で仕事をしていて何よりも知っているし、人は考える余裕や時間がなくなると自分たちの考えられるキャパシーも偏ってくる。だから、その時点でそういった機関に助けを求めることもパワーがなくできなくなっていることもある。最近亡くなった、三浦春馬さんもきっとキャパシーを超えて頼りたくてももう頼る力がなかったんじゃないかなと思う。寂しいし残念な気持ちはあるが、決して命を無駄にしてなんて怒りの感情は持つべきではない。カトリックはまた別ですが、ほとんどのアメリカ人やましてヒンズー教の人たちもこういった自殺でなくなった人に対しての怒りの感情というのは全くありません。親からいただいた命ではあるが、自分を生かしているのは誰でもなく自分自身であり、自分が決めること、誰にも指図されたくない。
他にも、頭をかしげるようなページがあったのですが、それは仏教徒やヒンズー教の人たちはクリスチャンやムスリムのように報復などはしない。これは、ちゃんちゃら嘘もいいとこですね。昨今では、ミャンマーのロヒンギャ族がいい例でしょう。仏教徒がムスリムに対して行っている殺人を見ていて、それでも報復はないといえるのでしょうか?それにインドでもムスリムとヒンズー教徒との反乱や暴動はめずらしいことでもなんでもない。普通に起きていることです。例えば、ヒンズー教のお嫁さんがムスリムの旦那さんと結婚するとなるとお嫁さんもムスリムに宗教を変えます。彼らの結婚式では、ヒンズー教のプロテストがきて暴動を起こします。それは逆の場合にも同じ。一つの宗教がより良くて他の宗教が悪いなんてのは絶対にありえないし、そんなことをいう宗教人を私は認めません。
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皆さんが一度は考えたことがあるテーマ「死んだらどうなるのか?」「地獄ってどんなところ?」など24にも及ぶテーマを対談方式で述べています。その中には、あなたを納得させる一説があるかもしれませんよ。
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案の定、程よいゆるさ(なお哲夫だけじゃない)で肩の力が抜けた。
仏教寺院がイスラム教徒から攻撃を受けても報復をしなかった、という話が好き。成熟してるという表現もなんとなく悦に浸れた。
偏ったら逆方向に、引っ張る。まさに中道をいこうとする姿。お手本だなぁとしみじみ。バランスをとることが個人的には好きなので、中道はあらためて大事にしたい考えだと思った。
ああ、1番刺さった話を忘れてた。
「他者がやったことと、他者がしなかったこと」ばかり見るのではなく、「自分がやったこと」「自分がしなかったこと」に目を向けること。
他者ではなく、自分が人生の主人公。