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失われた言語を探し、人々はそれぞれ集い離れまた集う。
『地球にちりばめられて』から再読、通読。
ここ数日、一緒に旅をしていた。
さらなる展開の幕負け。楽しみ。
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3作目が今から楽しみだ。
第1章ムンン(とヴィタ)から始まるのだが、ちょっと私には入りにくかった。
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失われた母国の言葉を探すHirukoの旅、第二部。
ヨーロッパ留学中に自分の母国(日本)が消滅してしまい、それにより自分の母語(日本語)も消えつつある。
母語を話したいのに話せない。
言葉の意味を理解してくれる人はどこにもいないからだ。
このままでは母語が自然消滅してしまう。
それはどんなに辛いことか。
それに対して「消えてしまった国の言葉を取り戻してどうするつもりだ」と問う人もいる。
言語って母語って何だろう。
国によって使う言語が異なることについてつくづく考えさせられた。
いよいよHirukoの、世界から消えてしまった島国を探しに仲間と共に旅立つことに。
次回第三部で消えた島国(日本)がどのようになってしまったのか、母語と外国語を巧く合わせた新しい言語パンスカは完成するのか、とても楽しみ。
第一部『地球にちりばめられて』を読んだ時(1998年)、島国(日本)が大きな自然災害により消滅した、とあっても特に何も感じなかったけれど、今回は笑えない。
ここ最近の自然災害の多さとそれによる被害の大きさを考えると、日本消滅が近い将来現実化しそうで怖くなった。
これはドイツ在住の多和田さんから日本へ向けての警告なのだろうか。。
それにしても、多和田さん独特の皮肉が今回も面白い。
"マイナンバー"を"ドンマイ・ナンバー"なんて巧すぎて笑ってしまった。
戸籍が"ドア・ドキュメント"かー。日本人は"個人"よりも"家の扉"に拘っているという。
さすが多和田さん、言葉遊びが相変わらず冴えていて好き。
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『「どこからラ出らラれる?」「わからラララない。おいらラも遠くから来たララ。」「星ラは?」「星ラはこちらラに来ララない。あちらラにいらラして、そのまま語らラる。」』―『第一章 ムンンは語る』
「地球にちりばめられて」は、エクソフォニーというか、ともすると駄洒落のような言葉を介して、言語間の差を超えて「音」に付随する共通の何かに対する多和田葉子のこだわりがよく表れていた作品だったと思うし、こちらもそのつもりで読んでいたのだ。もちろん、物語の(それが出版社の言う通りに、サーガ、と呼ぶようなものになっていくのかに関しては意見保留だが)背景にあるものは、地球温暖化の結果を悲観的に予測した場合のディストピア風の世界であると想像することは容易ではあったけれど。それがまさか「指輪物語」風の物語のプロローグであって、「第二部」とされる本書でいよいよ物語が始まる気配が漂ってくるような展開になるとは想像していなかったといのが正直な感想。
グローバル化という幻想によって世界中は切っても切れない電子的結束で繋がってしまったにも関わらず、人々の絆はリアルからバーチャルに拡散した結果、脆弱になったように見える。そこかしこで分断が問題となりつつ、誰もかれもが居心地の良い自分自身の殻の中に幸福を求める。物理的に必要な食料や必需品を得る努力も、足を一歩も踏み出すことなくクリック一つで手に入れる。もちろん、それを動かす為に労働する人々はいるけれど、やがてドローンが配達をするようになれば、その感覚すら希薄になるだろう。フィリップ・K・ディックの「エレクトリック・ドリームズ」のエピソード「Autofac」のような世界を人類は志向しているのか。多和田葉子が描くのは、そんな世界に対する一つの警鐘でもあるような気がする。そしてそんな暗黒の時代に必要なのは、ディックの短篇もそうであったように、英雄譚なのかも知れない。
『この広い地球の上をためらわず移動していくアカッシュと、一度自分の住んでいる町を離れると方向感覚を失ってしまう私。アムステルダムなどと予想外の地名を急に言われると、とんでもない方向に連れて行かれてしまうのではないかと心配になって、とりあえず今乗っている電車にしがみついてしまう私は、たとえそれが錆びついてこの先十年は動かない車両だと知っていても、すぐには降りることができないだろう』―『第四章 ノラは語る』
そう考えると、この物語には確かに「指輪物語」のような古典的な英雄譚の骨格が存在するように見えて来る。すなわち、キャンベルの「千の顔をもつ英雄」が教えるところの「英雄の旅」のように「冒険への召命」に始まり「試練の道」を経て「帰還」へと至る物語。一作目は旅へ召喚される者たちのプロローグ的物語に過ぎず、本作では集まった者たちに漸く冒険の旅が示されたに過ぎない。となれば、もちろんここで物語が終わる筈もなく、作家自身の現代社会に対する批評的価値観を主人公たちに代弁させつつも、更なる展開を見せるのだろう。
召喚された旅の一行が船に乗り目指す先は「鮨の国」として知られる今は存在しない筈の国。神話的伝統に従うなら、そこに至るにはこの世とあの世の境界���越えて行かなければならない筈だ。そう書くと黄泉の国へ落ちたイザナミ(伊耶那美命)をイザナギ(伊耶那岐命)が救おうとする古事記の物語を思い出すけれど、登場人物に、Susano(須佐之男命。アマテラス(天照大御神)、ツクヨミ(月読命)の次に生まれた神)とHiruko(蛭子命。イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神)がいることは何やら暗示的である。この流れからすれば確かにサーガと呼ぶに足るような長い物語と成っていきそうだ。
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神話,童謡などが散りばめられた言語の旅はどこへ行き着くのか.失われた国とその言語,語ることの虚実が混ざり合って醸し出す独特の世界観に酔いしれた.次のキーワードは織姫彦星か,次巻が待ち遠しい.
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同じ場面での登場人物がそれぞれどういうことを思っているのかを別の角度で描かれた作品。最後の終わり方が難しかった。
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消滅したらしい母国と、その自分の国の言葉を求めて旅に出たHirukoとその一行。それぞれの立場の者たちが語り手となり、第二部が進んでいく。
登場人物の個性と関係性がより明確になってきた第二部だが、言葉を失ったかに見えたSusanooが悪意を以てみんなの心の内をこじ開けようとする終盤に、物語は大きく動いて何やらより大きな船出を予想させる。
続刊が出る頃には前作を忘れてしまうから、二冊同時に図書館で借りたのに、どうやらまだまだ続きがあるらしい。
野田秀樹の舞台にも通じる皮肉混じりの軽妙な言葉遊びもさることながら、古事記の神話をなぞった名前をつけられた登場人物たちがいったいどこまで進んでいくのか、楽しみだ。
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日本と思われる母国を留学中に失い、手作り言語「パンスカ」を話すHirukoと、奇妙な縁で次々つながる仲間たちが母国語を話す同郷者を探す旅の第二章。
海外文学のような雰囲気で、英語、ドイツ語、フデンマーク語が飛び交う。「パンスカ」も日本語で翻訳されたもので、実態がないのに翻訳されている感じがなんとも不思議。マイナンバーならぬ「ドンマイナンバー」や、戸籍のことを「ドアドキュメント」と説明するあたり、楽しい皮肉な言葉遊びがたっぷり。
ノラとアカッシュが旅するあたりの、アカッシュの楽観的さ、行動力に憧れた。
ナヌークとクヌートが度々頭の中でごっちゃになるんだけど、この表記の違いが混同するのは私が日本人だからなのかな。
ラジオで著者がこの本についてインタビューを受けた中で、この話の舞台は近未来ではなく、パラレルワールドのようなものというようなことを言っていた。第三章について「コロナになったので船旅が出来なくなった。飛行機も現実的でないしもしかして徒歩の旅になるかも」と答えていて俄然楽しみ!
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地球に住む全人類を順番に宇宙船に乗せて、外から地球を、この青い地球を眺めさせたら、いま起きている内戦や紛争はほぼなくなるのでは、とワタシは思っている。いや、本当に。
そして、本書の最終章である第十章は、そんなワタシの思いをさらに確固たるものにしてくれた。多和田葉子さんにはただただ敬服するしかない。
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神話や民話が幾重にも折り重なって作品を彩っていく様に引き込まれて、一気に読み進めた。名前に隠された謎や含みがストーリーをグイグイと牽引していく。
第一部『地球に散りばめられて』は、「母国」「母語」という外部にあるボーダーが鍵になっていた。第二部にあたる本作では、アスペルガーや産後うつ、トリソミー、トラウマといった内部にあるボーダーが鍵になっている。ばらばらの性格をもった登場人物たちをダンス(身体の言語)が結びつける展開が興味深い。そしてそれをもたらした人物が今後の展開の鍵になりそう。
次の舞台はおそらくアフリカ、アジア。続編が楽しみだ。
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まずは失語治療のSusanooを見舞わんと、あの多国籍の仲間たちが集結する。仲間といっても縁あって日も浅く、にわかの結束ならば互いの心を伺いつつだ。そもそもHirukoの亡国と母語の探索が発端で、なぜか彼女の行動に皆が従う。今回はアカッシュのニュートラル思考が最も頼もしく、ノアの道中を助け、最後に本性を現すSusanooの暗示攻撃から皆を守ってくれる。Susanooが沈黙を生産している、すなわち経済活動を生んでいるという大局観の持ち主なればこそ。そして純真な心で皆を融和に導いたのムンンとヴィタ、お疲れ様。
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第一作でHirukoと繋がった人たちの言語を巡る旅。この旅はいったいどこへ私たちを連れていくのだろう。
日本神話のアマテラス、ツクヨミや星座の例え、性格を交換する2人。突然話しだすSusanoo。障害者のムンンとヴィタの独自の会話。
何かを暗示してるの?
意味を探らずに言葉遊びを楽しんでいればいい?
不思議だ。こんな本初めて。
読んでしまうのは、言葉や文体、表現のおもしろさだろうか。
旅はHirukoの失われた故郷へと向かいそうだ。
この後どうなるのか気になる。
最後まで彼らの旅に同伴させてもらおう。
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アカッシュが一番好きだ。
性の引っ越しの途中だという不安定な身上なのに、一番聡明で健全で美しい。
性悪な「ちっぽけな悪魔」Susanooにより登場人物のことごとくがカオスの渦に引き込まれていってもアカッシュは決して揺るがないのが、とても好ましい。
おしゃべりが好きだから、会話することによって言葉と自分が常に同じ位置にあるんだろう。隠すこともなく、嘘をつく必要性もない。
これからHiruko達はまた旅に出る。謎はあるのか?
答えがあるのか?
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凄い。
三部作の2作目とのことですが、社会の矛盾をてんこ盛りにしたような前作に続くストーリーながら意表を突く展開で飽きさせません。
そして自分の深層を掘り起こされるような抉るストーリー。
タイトルの「星に仄めかされて」が深い意味をもちます。
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この作者はずっと連想ゲームをしているような本を書く。この作者の本を読むと害のない夢を見ているように現実から離れられるから電車にちょうど良い。