紙の本
シゲマツさんの限界
2008/11/16 10:46
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
重松清という書き手は、嫌いではない。
好きと嫌いを十度の目盛りでいえば、好きによった、六か七ぐらいだろうか。
その重松がこの夏五輪に沸いた中国の街の表情をルポタージュしたのが、本書『加油(ジャアヨウ)…! 五輪の街から』である。
重松自身が「これは旅行記でもなければ五輪観戦記でもない。オヤジの漫遊記である」と書いて(投げ出して?)いるが、「いまのオレは、ただの役立たずのダメオヤジである」(213頁)という著者に付き合わされた読者の方が惨めになる。
そもそも、そんなつもりだったはずはなかったにちがいない。
「一党独裁国家が威信をかけて開催するオリンピックの―そして、それにまつわる報道の、隙間や塗り残しを探したいのだ」(278頁)という気概で、さらにいえば開高健の名作『ずばり東京』(1964年)を意識しながら、朝日新聞という大新聞をバックに事前準備も重ね、勇躍北京に乗り込んだはずなのに、書かれた作品はちっとも面白くないのだ。
北京入り直前の痛風の発症はお気の毒だが、むしろそれがあればこそまだ重松らしさが表現できたかと思えるくらいなのだ。
要は、五輪は、北京は、重松の文体では表現できなかったということである。
出版元の朝日新聞は重松に何を期待していたのだろうか。
昭和39年の東京オリンピック当時の、日本の風景を意識しながら今の中国を描いてもらいたかったのだろうか。
重松が得意とする親と子の原風景が残る街を描いてもらいたかったのだろうか。
重松の数多くの作品は確かに感動をくれる。
親と子、夫と妻、過ぎ去った日々、去った友。そういう関係性を巧みな文章力で装飾することで、読み手に忘れていた感情を喚起させてくれる。
物語としてはそれでいい。
しかし、重松の今回のルポタージュを読むかぎり、現在進行形で動いている街や人々を描くのは無理なのかもしれないと思えてしまう。
あげくの果てに「好きにならせてくれよ、と思ったのだ。いまの中国で<勝ち組>候補になっている若者たちを少しでも好きになりたい。頼むぜ、と願ったのだ」(294頁)とまで書かれると、重松好みの人にならないと書けないのだろうかとあ然とする。
重松が好きになろうがケンカしようが、そんなことが今の北京に必要なのだろうか。
つまり、重松清自身が自身の世界からはみ出せないでいる。これはどうしようもないことなのだ。
重松の文体では<現在>は描けないのだ。
人々の視線はいつも涙で潤っているわけではない。呆然と遠くを見ているわけではない。乾いていることもあるし、やけになっていることもある。
日本的なものだけが正しいのでもない。
「父ちゃん」と呼ぶことだけがいいのでもない。
少なくとも、重松が本書の題名を『ずばり北京』にしなかったのは賢明であった。もっとも、安岡章太郎の、これも名作である『アメリカ感傷旅行』(1962年)にあやかるのもやめて欲しかったが。
頑張らなければならないのは、著者自身だろう。
加油! 重松清!
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北京オリンピック前や期間中に著者が現地で見た、
「報道の、隙間や塗り残し」を綴った本。
日本から見た中国の偏見が、著者の中にもないわけではないはずだけれど、
それを著者本人も自覚している上で、オリンピックに関わる中国の人たちの
一人一人を、肯定的に見ているのがいいと思った。
痛風やらパンツの話がやたら出てくる、一オヤジの漫遊記でもある一冊。
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2008/12
北京オリンピックの取材を通して、現代中国についてのルポタージュ。作家としての文章術で軽快に読みやすく綴られていためか、中国の現実について、だいぶ甘め感じてしまう。
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近頃新書ばかり読んでいたので、読みやすさに最初少々驚いた。小説家ってこういうことでした。しかししばらく読み進めると、恐らく「小説家だから」かイイ話にうまくまとめられすぎている・感傷的すぎるのが気になりだす。比べるレベルではないが自分の作文を思い出した。文章としてうまくまとめようとする結果自分の思いと文章が微妙にずれたりしていたなぁ・・・。ルポではなく、重松さんの「物語」として楽しめばよいのかな(あとがきにもそうある)。実際彼の小説の中身そのままという感じ。090428
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■重松清さんの全作品を感想文にしてブログで挑戦中です。
重松清ファン必見!
http://wwjdkan01.blog68.fc2.com/
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今のところ、2/3くらい読み終わった。
おもに、北京五輪中の中国の一般市民にスポットをあてている。
後日、感想追記します。
追記
重松さんいわく、「僕の中国の旅についての本」
まさにその通り!
思いっきり主観的で、言葉が分からなくて想像で書いているところもあって笑ってしまった。
かなり癖が強いので、人によってはクドイと感じるかも???
だけれど、自分も重松さんと一緒に中国に旅にいったような、そんな感じで読めた。
笑ったり、腹を立てたりしながら、 読ませてもらいました。
印象に残ったところはたくさんあって、紹介しだすとキリがないので、
一つだけ。
閉会式の時に行った、李さんの家での話。
これがホントに日本でも普通にありそうな感じで笑ってしまった。
これを映像化したら面白そうだなと思いました。
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ホントにあの重松さんなの?と、ちょっと驚きました。
そしてがっかり。
本人も分かっているくせに、期待したり求めすぎたり、ちょっと主観的すぎている気がしました。
でも、現実の中国がよく見えて来ます。そういう点ではおもしろいです。
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小さい頃から親の仕事の関係で、中国が何かと近い存在でした。
幼稚園の頃、まだみんなが人民服を着ている時代に北京に行ったこともあります。
そして昔から、はっきり言って中国という国が好きではありません。
あの男尊女卑、あの図々しさ、自分は!っていう態度。
重松さんも同じようなところが頭にきたりしていて、でもそれを違う角度から納得したりもして、自分の考えも変わるような気がしながら読んでいました。
「人間というのは、ビシッと決めようと思ってもなかなか決められるものではない。情けなくて、カッコ悪くて、だからこそ愛すべき存在なのだと、僕は信じている」
そんなシゲマツさんの目から見た中国。
なかなか愛嬌があっていいものでした。
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[ 内容 ]
五輪開催の一年前から取材を重ねた作家の目をとおして見えてくる、生まれ変わろうとする北京、そして中国のもうひとつの姿。
四川大地震の被災地から、2010年に万博が開かれる上海まで。
国家が演出した「素晴らしき北京五輪」の隙間から覗いた、それぞれの今を生きるフツーの人々の物語。
[ 目次 ]
序章 「五輪」はまだ始まらない
第1章 北京には、いろんなひとがいる
第2章 取材の旅は天津から始まる
第3章 四川の被災地で笑顔と涙を見た
第4章 オレは中国が嫌いだ。でも…
第5章 北京にて、はじめてのおつかい
第6章 青島でキレた!
第7章 盧溝橋で再びキレた!
第8章 国旗と老人と八月十五日
第9章 北京には、やっぱりいろんなひとがいる
終章 祭りのあと
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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重松清の小説は2,3しか読んだことがなく、もっぱらミステリーばかりの私としてはそれでお腹一杯だったんだけど、彼のエッセイは大好き。
これなんて途中思わず笑っちゃった個所があって、通勤途中の車内でなくてよかったとつくづく思ったくらい。単なるオヤジだよね、好奇心の旺盛な。彼の人間観察での文章には、観察対象に対する愛というかリスペクトがあるように感じる。