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大切な人を失ったとき、自分の足元がもろく崩れ去っていくように感じる。
寄る辺なさのような、心細さのような、痛みのような悲しみを。
あるいは失ったことが納得できず、「なぜ」を繰り返したり、後悔にさいなまれたり。
たとえば天寿を全うした最期や、病気ゆえの覚悟のあとであったとしてもそれは誰もが感じるものだろう。
だけど、もし、その死が「自死」によるものであったら…
考えただけでもその悲しみと苦しみの大きさに震える。
悩んでも悔やんでも消えることのない後悔。突然襲ってくる空虚。
答えてもらえない問い、もう二度と会えない現実と、どうやって折り合いをつければいいのか。
声優あさのますみが大切な人の死を受け入れるために必要とした喪の作業。
そのひとつひとつを自分の言葉でつづったこの手紙がいつか自分にも必要になる時があるかもしれない。
いや、多分誰のそばにもきっと、その日はあるのだろう。でもその人が生きた、その事実は消えない。
その人との思い出は消えても、その人と過ごした時間は消えない。そのことをこの長い長い手紙は私に教えてくれた。
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「大切な人の自死」という重いテーマでありながら、その人自身へ語りかけるような文体であることで、“君”への想いが心の中にスーッと染みわたっていくような感じで読みました。誰もが日常を過ごす中で意識し続けてはいない、けれど誰もが必ず経験する大切な人との別れ。そこに「残される」ということはどういうことかを教えられた気がしました。
このような形で大切な人を失うことがないように願うばかりですが、大切な人に残されてしまった後、もしも再会するようなことがあれば「あの後、私はこんな風に生きたんだよ」と胸を張って語れる、そんな人生を送りたいと思いました。
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大切な友人へ向けた手紙はとても優しい言葉で綴られていました。お友達が魅力溢れる素敵な方だなと文章から伝わってきます。そんな人でも自死を選んでしまう、人の幸せは他人が判断できるものではないのだと感じました。残されたものはただ今まで通り、でも今までとは少し違う形で日常を過ごしていくしかないというのが悲しい。
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大切な友人の自死、私は身内の自死を体験してるけど友人としての自死はこんな風に感じるのかと思った。
鬱からの発作的な死のようであったけど、他の理由の自死であっても感じ方は違うのかな?そんなことを思いました。
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大切な人を突然悲しいなくしかたをした時の、心の動きが素直に綴られているように思う。
私には今のところ、幸いにも経験がないけれど、そのなくした人と自分だけが共有していた思い出が、なくなってしまうような気がして、こわいのだろうか。
私も、いざそうなったら、文章にせずにはいられないような気がする。
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「とんでもない本に出会ってしまった」と思った。
衝撃が大きすぎて、感想を綴るのに読了からしばらく時間がかかってしまったくらい。
遺された人の悲しみ、後悔、願い。
「君」の優しさ、思い出、そして「自ら逝く」ことを選択するまでの葛藤。
どちらも痛いほど伝わり、胸に響き、共鳴した。
本書は「君」への手紙として綴られた作者の思いが形になったもの。
現実の世界に起こったことだからこそ、言葉のひとつひとつが鮮明で、香りたってくるようだった。
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自殺で亡くなってしまった友人への手紙の形式を取った随筆。友人の突然の死に直面した著者の心の葛藤は、読んでいて非常に辛くなってしまった。時間は巻き戻らない、という当たり前のことを改めて認識。
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自死で友人を失った人の心の動きが克明に描かれていて、いつかそのことすら失われてしまう前に記録しておきたいという気持ちもその意義もわかるし、その友人がとても立派で魅力的な人柄だったことも伝わってくる。しかし、だからこそ、彼のスマホに残されていたメモや日記的なものまで全て自分のスマホに転送するという行為の無神経さにギョッとなった。(現にその場にいた人でそんなことをした友人は他にいない)
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本で読んで、自分はよかったと思う。
鬱で心療内科に10年以上かかっていたから、読んでどうにかなることもない。
著者のしたスマホのメモを全て転送したことは、彼との関係性によるものではないのかな、とても感じた。
身内をあっという間に失った自分は、交友関係も含め、全くわからなかった。
だから読んでごめんね、と思いながら読んだ。兄弟は内容を転送した。
それは身内だから許されるのかもしれないが。
そしてやっぱり、自分宛の遺書のようなものがメモに残っていた。
苦しみも悲しみも。
読んでいて、辛くなったが、読んでよかった。
同じ感情ではないけど、わかる部分もあって。
私も文章にすると、この気持ちが落ち着くところに落ち着くのかな、とも思った。
ちなみに心療内科に通っていた時、カウンセラーには、文章にすること、亡くなった相手に対して返ってこないけど手紙を書くことは、とてもいいから、と何度も勧められた。
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大切な人をなくして、自分の過去、現在、未来に向き合って想いを綴った本でした。一人一人が人生に向き合って過ごしているのを感じました。
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手紙の形を借りて
私小説の形を借りて
言葉をつむぎ
思い出を振り返りながら
一冊の本を書いていく
君のために
私自身のために
言葉にして書き出さなければ
頭の中を心の中をぐるぐると回っていくものに
一生懸命に
言葉という形を与えてあげる
言葉という形があるおかげで
私自身も私の言葉に、私が本当に考えたことに
改めて気付ける
そんな時代があった
どれだけ記憶が薄れたとしまっても
思い出は絶対に忘れない
思い出を思い出すことは少なくなってきている中で
一気に思い出に引き摺り込まれそうになる
逝ってしまうと言うことは
その思い出に
今の私が囚われて離されなくなるから
言葉として書き出すことで
少しだけ
今の世界を見ることができるようになる
言葉の力を信じてくれた人に
言葉の力を形に
生きている
逝ってしまった君は
今生きてはいないけど
確かにここに
生きていた
今はいない
君はそちらにいる
誰もがいつかはいく
そちらにいる
何も変わらない
全ては変わっていく
昔を知っている人
今を生きている人
先を見ている人
全て同じで
みんな違う
事実と表現の力
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わたしも大事な大事な友人に手紙を
書きたくなった。
あさのさんが綴った言葉も
もしかしたら
吐き出したに近いかもしれない言葉も
その1つ1つが
ずしんと重く重く響いていく。
でもそれは、決して苦しいものじゃなくて
わたしの中でぐるぐる回る
沢山の感情と思いが
いいんだよ、それで
そう肯定されているような感覚だった。
「死んじゃだめだった」
そう言えなかったし言いたくなかった。
いなくなってしまったことは
悲しいしさみしいけれど
その事実を、その選択をした彼を
わたしは受け入れたかったから。
届けるすべは持っていなくても
わたしも手紙を書きたくなった。
ううん、きっと届けられる。
届いているよね、きっと。
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大切な友人を失くしてしまった作者が、ていねいに、ていねいに、その時々の状況と悲しみを記した物。亡くなった友人は、すごく魅力的な人だった事が文章の隅々から感じられ、深い悲しみに私自身も押しつぶされる様だった。 うつ病を発症する人は、周りにもいて、その苦しみを初めて気づかされた本だった。
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「君」は著者であるあさのさんの古い友人であり、初めての恋人であった人で、その人がある日自死を選びこの世を去る。
その「君」への手紙として本文は綴られる。出会った頃、付き合っていた頃、そして亡くなったあとの葬儀、遺品整理。
作中に「君」のメモの内容が出てきたりして、どんなうつ病の本よりもリアルだと思った。
鬱がどんなものかわからないけれど、身近にそういう人がいる人の場合は知る一助になるのではないかと思う(もちろん個人差はあるので同じじゃないけど)。
>続き
https://strawberry-heart.org/diary/10946.html
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読んでいて胸が苦しくなり、読了するのが辛かった。この気持ちは、著者の友人が自死したことや著者が感じた苦しみに対してではなく、私自身の経験がフラッシュバックしてしまったことから。近しい人の自死やうつ病のことは、当事者にしか分からない部分が多いと思うので。