投稿元:
レビューを見る
電車の中で幼い女の子と母親のやりとりを見て、大阪で起きた二児置き去り事件を思い出した。
すごくこの事件が気になって、事件をモチーフに書かれた本書を衝動的に購入。
モチーフというだけなので、フィクションですし、事件のことを深く知りたい方には向かないかもしれません。
親子3代にわたるストーリーは簡単に変えられるものではなく、根深い。
不幸を生まないためには、産まないことなのかも、という結論に至りました。
心に残った言葉、
『人にニ種類あるんじゃないかって思うのよ。親にしてもらえなかったことは自分の子にもしてやれないってタイプと、親にしてもらえなかったからこそ、その分、自分の子にはしてやろうと思うタイプと』
親にしてもらえなかったことをしてあげるには、親以外の別の人間との信頼できる関係構築が必要なわけで。それもできない人はしてあげたくてもしてあげられないという状況があると思うのです。
虐待の連鎖について深く考えさせられる作品です。
投稿元:
レビューを見る
ネグレクトの本人周りの感覚を含めた
ストーリー
何が悪いのか
ネグレクト自体も悪いが周りの援助も十分に得れずに助けの求めどころが分からなかった主人公を見ていると本当に本人だけがダメなのか。
色々も考えさせる物語。
もちろんネグレクトはダメだし
親としての責任がない
ただ本当に当事者だけが悪いのか
投稿元:
レビューを見る
蓮音は、やはり解離性障害だったんでしょう。小さいころから、過酷な環境に自分を合わせるしか術がなく、心の中の自我を奥に奥に追いやることで、なんとか耐えてきた・・・なんて思ったところで何の意味もないかもしれないけど。
巻末の対談の中で、作者が『でも、間違いちゃいけないのは、「親がああだから、どうせあの家はこどもも・・・」っていう安易な偏見でものを言うこと。そういうステレオタイプな意見を聞くと私のセンサーが反応してしまうんです。』と言われたことに対して、精神科医の対談者が『確かにその通りなんだけれど。でも、見ていると、じたばたしているのに、やっぱりいつの間にか親の生き方を反復しちゃうケースが多いんですよね。』と述べられています。その後、精神科の先生は、ご専門の経験上、このように事件化された案件の場合、周囲の援助者の心にも深く影響が及ぶ話をされていて、端から見ていると、もちろんそれが事件化された結果を事後に見ているので、誰かが止められたのではないかと言いたくなりますが、実際は『公式に「どうしようもない」ことが確定することで、援助者の迷いが払拭されるし、責任もシェアしてもらえる。』というのが現実なんでしょうね。
やはり対談の中で『「被害者意識」。蓮音が、四歳の息子の桃太に、「モモも、ママの邪魔すんの!?」って言う。あれは決定的な一言だよね。全員、自分が被害者だと思っている。被害者意識って、とんでもないことをするときのゴーサインになるから。怖いものです。』というくだりは私もプーチンも同感です。
「親がああだから、あの家の子どもも」という安易な偏見はいけないと思います。きっと、そうじゃなく育った子どももいるでしょうから。でも、「ああいうことをしてしまった人の親は、やはりああなんだ」ということは成立すると思います。
とか言っている自分は、今更ながら子どもにとってどんな親だったんだろうか、そして、子どもたちはどんな親になっているんだろうか、ちょっと不安にはなりますが・・・
余談ですが、本書を読む直前に、川上未映子さんの「夏物語」を読んでおりまして、実はこの2冊、どんな内容かも確かめもせずに同時に購入したのですが、偶然この2冊の内容が、方向性は全然違うのですが、人の親としての責任について考えさせられるお話で、同時期に出会うことができたよかったなと思っています。
「夏物語」はけっこうきつい環境で育った主人公の夏子が未婚ですが自分の子どもがほしいと思い、人工授精で子どもを授かるというお話なのですが、もちろんこんな単純なお話ではなく、いろいろな経緯があってのことで、とてもいい小説だったので、ぜひ読んでみてください。
投稿元:
レビューを見る
ネグレクト。たった一言で表していいのかと疑問に思うほどの痛ましさ。何をどう選択するかしないのか、その選択肢を増やしてあげるのが大人の役目。これが実際に起きた痛ましい事件だったという事に抉られるほどの痛みと私自身が母親であるということに恐怖すら感じてしまう1冊。
投稿元:
レビューを見る
山田詠美作品を初めて読んだ。
この作者は、「ちょっと大人びた女子高生か、女子大生が読む作品」というイメージで、私が読むにはちょっと遅すぎかな?とは思っていた。
が、そうでもなかった。
作者が芯を持って描きたいものを描いたのだと思う。
その筆力は間違いない。
が、長い。長すぎる。
この長さを持たないと描ききれなかったのかもしれない。
だったら、もっと他に書き方があったと思う。
力量のある作者でなければ、はっきりと「駄作」と言ったと思う。
それでも最後まで読みきれたのは、先に述べた通り作者が描きたいものを信念を持って書き切っているからだろう。
頑張って読み切った人は、巻末にある対談まで読んでほしい。
投稿元:
レビューを見る
一気に読むとかなり疲れるが1日でも空けるともう読めなくなりそうで息継ぎしながら読み切った。
主に3人の目線がかわるがわる描かれていくが、息子・桃太の章では突如として「ですます調」になる。母・蓮音と過ごす哀しい日々が子どもの目線を通すとおとぎ話のようなきらきらしたもののように思える。
蓮音のしたことは赦されない償いきれない罪。
しかし罪を犯した人物は蓮音だけではない。
投稿元:
レビューを見る
山田詠美さんの「書く力」にただただ感心するばかり。これを小説にした意図が見えない、という感想も散見されるが、ひとまずは、この重たい事件を、複数視点から、このボリューム感で書ききったという点が賞賛されるべきだと思う。最後の対談でご本人もおっしゃるように「いちいち言わなきゃわかんない」一つ一つの出来事、心情を。
読んでいておぞましい気持ちのする箇所が多々。と同時に、どこか他人事で、自分の身には決して起こらない出来事であるかのように傍観している自分に何よりもゾッとする。誰もがみな最初から自身の不幸を願うことなんてなくて、むしろ幸せになりたくて、それは自分も例外ではない…それなのに、物語の主人公たちはどうしてか気付いた時には奈落の底へ転落している。彼らと自分とを断絶された存在として捉えてはいけないと感じる。
投稿元:
レビューを見る
暴力、虐待、ネグレスト、親から十分な愛情を与えられずに育つと、自己中心的な行動をとる大人になるの?この行動の結果がどうなるのか想像力に乏しくなるの?とても、重たい内容でした。読み終わってホッとしながらも疲れがどっとくる。途中で投げ出すことのできない本でした。
投稿元:
レビューを見る
2010年に起きた「大阪2児放置餓死事件」がモチーフとなった物語。
この事件は記憶には残っていたものの、詳細を知らなかったので読み終えたあとに少し調べた。事件を起こした若い母親については、生い立ちや職業など、かなり事実と近づけて書かれていることが分かった。
親子関係の問題は連鎖する、とはよく言われる。必ずしもそうではないけれど、虐待を受けて育った人間がまたその子を虐待してしまう確率が、そうでない人と比べると高めになるという意味で。
物語は、事件(自宅に子どもを残したまま放置して餓死させた)を起こした20代である若い母親の蓮音と、その母親である40代の琴音の語りが中心になって進んでいく。そしてその合間に、犠牲となった2児の描写が挟まれる。
蓮音は複雑な家庭環境で育っているのだけど、その母である琴音もまた、幼い頃から家庭内で苦痛を受けて育っている。あくまでも小説なのでその親子関係までが事実をモデルにしているのかは分からないけれど、こういう連鎖はきっと現実にも…というか、身の回りにもたくさんあるのだと思う。
逃げた琴音と、逃げられなかった蓮音の対比。
そして結果的には逃げてしまった蓮音と、逃げることをやめた琴音の対比。
そしていちばん罪深いのはその「母親たち」ではなくて、それを周りで見ているだけだった「父親たち」なのかもしれないとも思った。
鈍感で人の気持ちを解ろうともしない父親たちの姿が、恐らくは極端な姿で描かれている。善良そうに見せて実は不干渉な人間が、いちばん罪深いのかもしれない。
「生きたいのに生きられなかった人」や「子どもが欲しいのに授かれなかった人」の叫びも端々に感じる。世の中はつくづく不平等だと思う。
事実がモチーフだと知っているだけに読んでいて苦しい物語だったけれど、山田詠美さん特有の文章の美しさも感じられて、とても読み応えがあった。
投稿元:
レビューを見る
「坂の途中の家」は辛すぎて読めなかった。なのに本作はさらっと読めてしまった。なんか、本人たちがずっとあきらめてるというか、最後の会話も「なんやそれ」が読了後の感想でした。
母と娘、周りの環境が最悪やったのは不幸やけどあまりに自分勝手。殺された子どもの回想が切なすぎる。ここで私がママの悪口言うと桃はかばうのかな。
投稿元:
レビューを見る
胸が苦しくなる小説。誰でも、幼い子供がアパートの部屋に置き去りにされ亡くなるというニュースを耳にすると、亡くなった子供の冥福を祈ると共に、その子供の親の身勝手さに強烈に腹が立つだろう。その親自身も幼少期にネグレクトの被害者だったとしても子供をこんな形で死なせた言い訳にはならない、多くの人がそう思うだろうし私も同感。
でもこの本で、登場人物それぞれの心の叫びを知ると、私たち外野の怒りの矛先は親だけに向けるべきではないのかもとも思えてくる。
投稿元:
レビューを見る
これは小説だが、育児放棄(ネグレクト)で二人の子供が亡くなった実際の事件をもとにしている。どうしてこのような事件が起きてしまったのか、母である蓮音とその母の琴音の生い立ち、それに並行して、真夏の室内に置き去りにされた幼い子たちが死に至るまでの思いを代弁するような描写が優しく、読んでいて何ともやり切れない気持ちになった。
蓮音は幼い頃、母琴音が家を出てしまい、幼い弟妹の世話を強いられる。好きな男性と幸せな家庭を築くが、それは長くは続かない。
蓮音はどうすれば良かったか。周囲に助けを求めれば良かったのに、と言うのは簡単だが、なぜ母親だけが当たり前のように育児の一切を追わなければならなかったのか。蓮音の夫も父も蓮音の意思を尊重したといえばそうだが、あまりに無責任に思える。
琴音の人生もまた壮絶である。義父に性的虐待を受け、やがて精神を病んでいく。生き延びるため何度か「逃げる」という選択をするが、後に彼女を受け入れてくれる存在に支えられ、再生していく。
ラストでは、罪を犯した娘から逃げずに向き合おうとする。
逃げても逃げても最後は自分の背負ったものと向き合うことでしか、変わらない。でも、琴音の兄や信次郎さんのような存在が琴音を回復させ、さらに蓮音の再起をも想起させる希望が見える結末が良かった。
投稿元:
レビューを見る
2児置き去り事件をモチーフとした小説。
「つみびと」というタイトルだが、つみは個人に紐づくものではないと感じた。
罪の元となるウイルスが人に感染する中で変異していき、環境により様々な罪として発症するように見えた。
第三者が介入することで、この元となるウイルスを駆除したり、発症しない環境を整えられたら、このような悲劇は起こらなかったかもしれない。
山田詠美さんの他作「マグネット」を再読したくなった。「マグネット」では、罪と罰が等価ではない事が書かれていたが、罪を負うまでの経緯にも着目したい。
投稿元:
レビューを見る
もっと周りが手を差し伸べられていたら…。いや、その手に気付けなかっただけなのかもしれない。気付こうとしなかったのか。やっと気付けた母のように娘もいつか救われるかもしれない。生きていれば。小さき者たちにはその日はやってこないけど。こんな過去があったらそうなるか…と同情しそうになる度、小さき者たちの叫びがどんな過去があってもそうなってはいけなかったことを思い出させる。
投稿元:
レビューを見る
2児置き去り事件から山田詠美が想像した、あり得そうな話。
事件だけ見ると、母親を鬼だとか言いたくなるかもしれないけど、そこに至った経緯を想像してみようよというメッセージのように感じた。
いつも登場するような、ちょっと痛い上から目線のおばさんは、ほぼ出てこない。どうしてそうなった?をどんどん追い求めていくような、そんな構成。
それなりの水準以上の家庭に育った人たちには、あまり実感出来なくて気分が悪くなるだろうなぁとも感じた。どうしてそう転ぶのかって共感できないだろうなぁ。
でも、現実問題こんな世界に生きてる人たちはいっぱいいる。そして思考回路も、そういう人たちのそれ。よくここまで表現したなぁと思う。
ただ、そういう風に育った人たちには、そんな語彙力はつかないよとは思った。まぁ山田詠美の小説なので、登場人物から語彙力取っちゃったら山田詠美じゃ無くなっちゃうけど。
男性側の視点もあると面白かったなぁ。
札幌市の図書館