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海外の方は浦島太郎の物語で「竜宮城?ドラゴンが出てきて戦うのかな」と期待する。
なので徹頭徹尾意味不明なストーリー。
ここに「ゼロに戻る」という日本的ウェルビーイングの形が現れている。
日本は古来からNobody、Negativeを愛でる文化。誰でもない市井の人を描き、わびさびなど寂しさなどを重視する。ネガティブ文化が謙遜なども生んでいる。
・人間は不確実性を嫌う。赤ちゃんのときはすべてが不確実な世界で確実なものを見つけてそれを楽しむ。同じおもちゃでひたすら遊んだり。一方で歳を重ねると飽きる。
・飽きるは才能。目の前の不確実に飛び込むことで中長期で訪れる大きな不確実に対応する力を得る。
・ウェルビーイングは推し活にヒントがある。
・仕事では「ウェルドゥーイング」何をやったかで評価される。
・一方で推しを好きという気持ちの前にはただ「ある」ということが肯定されている。推しと恋愛関係になりたいとかそういう人はじつは少なくて、ただあることを認めている。
・日本では古来から天皇家との関係などもこれに近いのではないか。
・西洋は上、日本は奥を目指す。大事なものは奥にある
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日本人にとってのウェルビーイングを考える本。WHOの幸福度ランキングのような西洋基準でのものの見方ではなく、東洋には東洋の、日本には日本の価値基準に合った見方があるのではないかと話が進められる。
面白かったポイントは、昔話での個人の描き方。西洋の物語の多くは、若者が「個」を強化し、高めていくことで理想のありたい姿に近づこうというもの。それに対して日本は名無しの老人の身に起こった日常やハプニングを描き、最終的には元の日常に戻るというもの。西洋が立体的な上下の空間認識の上で成り立っているのに対して、日本は平面的なのっぺりとした空間認識の元に成り立っているんだと思った。
そうした日本の精神的な平面性が西洋的な「何かをして、何者かになる」ではなく「同じ地平に存在する」ことに価値を見いだすのではないか。
その他にも「奥」という概念や「連」と『号」という「分人主義」的な考えが古くからあり、また単純にその存在を尊ぶ心などが現在の日本人のヲタク文化へ通じる部分を感じさせられた。
日本人的なネガティブさ=自己否定による謙遜の例も挙げられていたが、「沼に落ちる・はまる」のような言葉も、平面的な空間から自己卑下して落ちる感覚がそのような表現につながっているのかもしれない。「平面の下に落ちる」感覚はあれど、「平面から上がる」感覚は持ち合わせていないのが日本人なのかしら。
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日本の昔話にはゼロに戻るということが大切。
これは新発見だけど、ちょっと意味がわからないから、自分で考えてみたい。
作者はウェルビーイングを早くから研究した先駆者であるが、ウェルビーイングは定義できないと言い切っているのがいいよね。
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日本的ウェルビーイングとはなにか。
ウェルビーイングと、深く考えずに使っている言葉を考えさせられる内容でした。
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吉田アナがアシストされるラジオにて知り、ウェルビーイングへの入門として読んでみました。
ただ「いる」事、それを認める事にこそ幸せが生まれる。現代社会をサバイブ「する」ことに努めなければならない、それこそが幸せとならってきた事を今一度考えるきっかけとなりました。
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一言。非常に面白い。けど本質的。"Being"とはなんぞや、そしてそれがいかに大切かを考えるいいきっかけになった。
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ニッポン放送の吉田尚記アナウンサーが ラジオで宣伝した本です。
日本昔ばなしは おじいさんとおばあさんがでてくるものが多い
西洋では 少年とか年若い子が主役になる話しが多い。
桃太郎は鬼ヶ島に鬼退治に行く。鬼ヶ島には 西洋のドラゴンも救しつを待つお姫様もいない。
日本昔ばなしには お金持ちになって 幸せに暮らしました という話しが少ない。
という例えで 西洋の幸福感と 日本人の幸福感には
違いがあるのではないだろうか?
というところを聞いて アマゾンにプチっしました。
まあ さらっと読んで ふぅーんという本です。
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今流行り?のウェルビーイングを学ぼう、と、読んだが、思った「学び」な本じゃなかった。
読みやすくて、柔らかな気持ちになる大変面白くて心に良い本でした。
最近は好きな文芸評論・文化考察的な話から、最後は、思いがけず、旅について。
まさに、な言葉が。
あぁ、やっぱり旅に出たい。
今、私を「いる」だけの存在にさせてくれるのは、旅と、ラグビーかな。
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ウェルビーイングは「する」「なる」や自分から離れられたときに生じます。
そして人は遠くに移動した時、孤独を感じると同時に、ただの「いる」だけの存在になれます。移動した旅先の土地では、普段の自分がまとっている肩書きや役割、役職を取っ払って、素の自分のままでいられるからです。
一人旅を好む人は、そのことが自身の心に深い安心感と開放感をもたらしてくれることを無意識のうちに理解しているのでしょう。
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#読書記録 #むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました #石川善樹 #吉田尚記
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日本的なウェルビーイングとはなんだろう?古事記、古今和歌集、日本むかし話などから探っていっている。たしかに、日本の昔話はおじいさんとおばあさんが多い!
ウェルビーイングについて書いてある本で、今のところ一番しっくり来ます。
「上より奥」「因果でなく因縁」「いるを意識してもつ」
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本のもととなった対談を聞きました。何ともゆるい感じの雰囲気ですが、ウェルビーイングを研究する石川さんとそれを引き出す吉田さんの掛け合いが楽しかったです。石川さんのお父さんの雄一さんが出てきて、さらに日本のウェルビーイング研究の根幹、考え方が参考になりました。
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「ウェルビーイング」を西洋基準で考えるのではなく、日本の昔話や文化・風俗から考えて、日本的な「ウェルビーイング」を考えるヒント集みたいな本。
昔話の分析から、日本は「ゼロに戻る」というオチがおおいことに、なるほどなぁと思った。結果プラマイゼロが、まぁ安心なのかもしれない。
「推しはライトな宗教」という言葉も、わりとすんなり受け入れられた。
精神論でウェルビーイングを語るとか、手前味噌なtipsでウェルビーイングを消費するとか、そういう本ではなかった。
素人でもある程度納得できる根拠と例えがあって、自分の心地よい生き方を考えさせる本だった。
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日本人のウェルビーイングとは何かのついて視野が広がったような気がする。これでいいのだ!と思えただけで、余裕が出てくる。
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ウェルビーイングとは⁈幸せに生きるとは?そんな疑問を随分理解させてくれる本でした。居ることの大切さを教えていただきました。
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ウェルビーイングとはなにものか?
ビジネスでは因果を重視し、ウェルドゥーイング、パーパス、さらに上を目指すのをよしとするが、因縁を重視し、ただ「いる」「ある」ことをよしとしとする。
ウェルビーイングとは、人生全体に対する主観的な評価である「満足」と日々の体験に基づく「幸福」が影響。
さらに奥を目指し、ハプニングを受け入れ、首尾一貫した人格でなくても良い、自己肯定感は低くても良い、自他に寛容になる、ゼロ地点に戻ること。日本昔ばなしがいい例。
東西文化で異なり、アイドルも天皇も仏も推し、何がよいかは人それぞれで人のを見て憧れはあってもハックできず。
なるほど、どれも腑に落ちた。
169冊目読了。
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旅がウェルビーイングに繋がる、日本人は、昔話からも元々ウェルビーイング(話の後と後で、人のゴールがかわらない)などの話が新鮮だった