自分のことのように怒った
2022/02/03 13:00
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投稿者:のりちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今まで多くの奴隷制度を扱った小説を読んだが、この作品は、なんと奴隷制度がとっくに廃された現代からタイムスリップでやってきた黒人女性を主人公にして奴隷制度を体験させているの特長である。その発想には思わずうなってしまったが、結局力には力でしか対抗できなかったということで残念ではある。
ありきたりなどではない切実な小説
2025/03/28 12:52
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代人が過去にタイムスリップするSFというとありきたりのものであるように思われるかもしれないが、黒人女性であるバトラーが奴隷制下で黒人女性であることとはどういうことか、また白人が奴隷制をいかに理解していないのかを問うもので、ありきたりなどではない切実な小説である。
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1976年アメリカに生きる黒人女性が、奴隷制が存在していた1819年へとタイムスリップします。それも何度も現代に戻ってきては、いつともわからない瞬間にタイムスリップをくり返します。
いかに黒人といえど、20世紀後半に生きていれば奴隷制は学習するだけの過去の制度。それを想像を絶するほどの痛みをともなって実体験し、加えて現代に無事に戻れるのかわからないという不安も絶えずおぼえるというのは、SFということがわかっていても読んでいてつらいです。すなわち、主人公のデイナに同情以上の気もちをおぼえることもあるでしょう。
本書を通じて登場する、白人であり奴隷所有主の息子(のちに主人)であるルーファス。彼の幼稚さや未熟さに対するデイナの感情は、一様ではないです。どんなに彼が横暴にふるまおうと、彼を亡き者にしてしまえば、それは彼女の系譜となる祖先をひとり失うというだけでなく、自らを亡き者にすることにもなるからです。それゆえに最後まで読ませます。
たとえば、かつては命を救ってあげたにもかかわらず、ルーファスについに鞭を打たれたデイナは、奴隷としての実感を次のように述べます。
「顔が汗ばみ、欲求不満と怒りで無言の涙があふれ、汗と混じった。背中の痛みの感覚はすでに麻痺し始めた。恥ずかしいという感覚も麻痺しかけていた。奴隷制とは感覚を麻痺させる長いゆっくりした過程なのだ」
このように感覚を鈍麻させる奴隷制において、デイナは同じく奴隷である黒人女性に次のように言います。
「どうしてだか、私はあの男が私にすることをいつも許してしまうみたい。あの男が他の人々にすることを見るまでは、当然憎むべきなのに憎むことはできないの」。
このように、あるべき感情が失われていく様子に、読者は一喜一憂します。すなわち、ハラハラし、イライラもするでしょう。現代の視点を持ち込んで読んでしまうと、こうすればいいのに、ああすればいいのにと、どうしても思ってしまうからです。そして、これこそが奴隷制の文献資料を読み込んで本作を書いた作者の意図なのでしょう。作者の分身といってよいデイナという一人の黒人は、当時を生きた黒人たちの経験と感情を一身に引き受けるべくして創造されたのでしょうから。
最後のページに至るまで、ほんとうに気が抜けない、そしてほんとうに先が読めない作品でした。
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待ち焦がれてた文庫化。
単行本発売時に読んだけど、薄らとしか覚えてなかったので再読。
改めて衝撃!生々しく伝わる奴隷制時代の描写。
歴史的な名著!と再認識。
バトラーの別の作品の翻訳化に更なる期待。
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長らく絶版で古書価格が高騰していた本作。河出書房さんのお陰でようやく読むことができた。1976年のロスに白人の夫ケヴィンと住む黒人の主人公デイナが、1800年代初頭の過去へタイムスリップし、自分の祖先であるルーファス少年を救うところから始まる。ルーファスが命の危険に晒されるとデイナが過去へ呼ばれ、逆にデイナが危機を感じると現在へと戻る。これを何度か繰り返し、彼女は黒人奴隷制を身を持って体験することとなる。当時の黒人奴隷制と言えば絶対的なものであったろうが、ルーファスはデイナに単なる黒人としてではなく、特別で複雑な感情を抱いていた。最後まで相容れなかったのは残念だが。隠れた黒人差別が再び表面化しつつある現在、読む価値のある一冊。
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黒人女性が奴隷制下の19世紀へタイムスリップ。読んでいて辛くもあったが、その中に入り込み漠然としか分からなかったその当時の空気に触れたような感じがした。多くの人に読んでほしいと思う。
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“わたし”であるデイナはまだ無名の黒人女性作家。夫のケヴィンは同じ作家で白人。二人は1976年のロサンゼルスに住む若い夫婦。
しかし、突然デイナは目眩を感じ崩れ堕ちる。そして気がつくと見知らぬところにいた。
そこは19世紀のメリーランド州。南北戦争前、黒人奴隷を多く抱えたトム・ウェイリンが経営するあ農園ウェイリン・プランテーションだった。しかも、彼女がタイムスリップする理由は、その農園主の息子ルーファスと関係があるらしい
しかし現代とは違いこの時代のメリーランド州において、黒人は奴隷、すなわち売買する財産、“物”でしかない。しかもトムは黒人奴隷に厳しくあたり、突然現れたデイナにも敵意を抱いているように思われる、、、デイナはこの時代を生き延びることができるのか?
面白い!そして新鮮。
とても70年代に書かれた小説だなんて思えないほど古さを感じさせない。
タイムスリップがテーマのSF小説(作者はもともとSF作家だったそうだ。但し、あとがきによると作者自身はこの作品をSFだはなく、ファンタジーと呼んだらしい)だが、ここには人種差別、奴隷制度の残酷さが描かれている。
そして、それに抵抗する黒人と、抵抗することによって与えられる罰(鞭打ちや、自分自身、もしくは愛する家族が奴隷商人に売られて離散してしまう)を畏れて屈する黒人が描かれる。
瀕死にまで至る鞭打ちを前にして、それに立ち向かうことなどできる人間はいない。
しかし、それを畏れていては本当の自由、自分らしさは得られない。
しかし、反抗する意思を持つ人間がいたらその黒人は生きていられない。
そんな黒人奴隷のアンビヴァレントな状況を描いている。
とにかくグイグイ物語に引き込まれる。
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人が人を買うという、圧倒的に非常識な常識が存在していた時代。その時代に現代より強制タイムスリップ。それも自分は買われる側のリスクを持つ人種として……。
今も根深く存在する人種差別。どうしたらなくせるのか? それを考えてしまう時点でもうダメなのだろう。いつの日か差別と言う言葉が死語になることを切に願う。
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「私は最後の帰還の旅で腕を失った。左腕だ。」こんな衝撃的な一文から始まる、タイムスリップ物のSF小説(著者は、ファンタジーだといっています)。
時は、1976年6月9日のロサンジェルス。新居に引越してきたばかりの、白人を夫に持つ黒人女性。彼女は夫と荷解きをしているとめまいに襲われ、南北戦争のはるか以前、1815年のメリーランド州にタイムスリップしてしまいます。そう、黒人にとって最も生きづらい、過酷な労働や人間の尊厳を踏みにじる人身売買、そして差別と暴虐が当たり前の世界に。
彼女がその世界に踏み入れてすぐ、河で溺れている白人少年を助けたところ、元の時代にびしょ濡れで泥だらけの姿で戻ってきます。後に、この白人少年の来歴、命の危機と助かったという状況が、何度もタイムスリップする事に関係していることがわかってきます。そのタイムスリップ先の19世紀初頭は、白人ですら本を読めない人が多いのに、20世紀に生きる教育ある女性が行けばどうなるか。しかも、それが黒人であったなら…。周りからの風当たりや当人自身の耐え難い苦痛も、察して余りあります。また、当人の意志では現代に戻ることができないという設定が、絶望感に拍車をかけていて、読んでいてとてもハラハラドキドキします。
この小説、書かれたのが1979年と、随分昔に書かれた小説ですが、まったく古さを感じません。奴隷制や人種差別について、改めて考えるきっかけにもなる、もっと知られていい名作だと思いました。
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1976年に生きる黒人女性が奴隷制度の時代にタイムスリップするSFスリラー
黒人文学の中ではかなり有名どころで、いろんな作家が影響されたって公表してるからずっと読みたかった
話しんどすぎて読むのに3週間かかった
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19世紀初頭へのタイムスリップを70年代に描いたSFということで、現代を生きるわたしにとっては二重の新鮮さがあった。
冒頭思わず惹き込まれる設定から続くのは、予想よりはるかに辛くままならない旅路。命を助ける未来の存在なのだから…と甘い期待をしたが、事態は変わらずハードな展開を見せる。人の希望を打ち砕き服従させる方法が読者にも沁み込んでいく。
一方で、現代に戻ってくるとどこか生の実感を得られず、過去で愛憎入り混じる濃い絆が生まれてしまうのは、まさに戦争体験のように感じられる物語だった。
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1976年に生きる黒人女性が高祖父の生きる時代にタイムスリップしてしまう。
その時代は人種差別が〝当たり前〟の時代。
自らの祖先からの差別に耐え、元の世界に戻れるのか。
SF作品の枠に収まらない深い含意があちこちに。
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現代社会で生きている人々が、何百年か前の社会にタイムスリップしたら、というプロットはありがちなものだ。
日本でも『戦国自衛隊』や『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』のように戦国時代に戻るものもあれば、『あの花が咲く丘で君とまた出会えたら』のように戦時中にいってしまったら、なんてものもある。
どんな展開を見せるか想像してみると面白いが、そこに恐怖はあるだろうか?
現代に生きる我々がタイムスリップしたとしても、生命に関わるような恐怖にいきなり苛まれることは恐らくないはずだ。
だが、これが現代に生きる黒人が奴隷制時代のアメリカにタイムスリップしたら、とするとどうだろうか?
現代で自由に生きている黒人が、いきなり奴隷制時代の南部アメリカにいってしまったら、自由に生きるなんて無理だ。いきなりリンチに遭ったり、撃ち殺されてもおかしくない。
そんな危険な社会で主人公の黒人女性デイナはサバイブしていく。
白人に見つかったら、返答を間違えたら、態度を損ねたら、鞭を打たれ、首を括られ晒し者になるかもしれない。
そういう恐ろしくて、息も詰まるような瞬間がいくつもある。
SFとしても、黒人文学としても傑作だった。
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南北戦争、リンカーン、風と共に去りぬ等々確かに強者目線で書かれた世界でしか奴隷制というものに触れ得てこなかった。
多分そうできる素地が近年になってやっと出来上がってきたからなのだろう。
だからこそ感情を廃してこのことを考えてみたいと思う。名前を変えた奴隷制度は今でもきっとそこかしこにあるはずなのだから。
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希望が一瞬、あらわれてみえることがある。手を伸ばすと消えてしまう。
人のなかには潜在的に「優しさ」が宿っているのではないか。丁寧に教育すれば間違えた道に進まないのではないか。少しの出会いでも種をまくことになり、やがて人生の中で芽を出しその人の生き方を一変させることができるのではないか。どんなに暴虐な人格であっても、愛を与えてやることさえできれば、人間として生きていくことができるのではないか。夫婦という愛で結ばれていればなにごとも分かり合い、分かち合うことができるのではないか……そういった思いが物語に希望を生み出す。
それらの希望が、物語のなかで、ひとつずつ否定されていく。
それでも読み進めるたびに、また光明を見出したくなってしまう。実際希望のようにみえる幻は確かにそこに実在している。しかしそれは虐げられてきた人が更なる譲歩を強制される形でしか存在を保てない。だから物語は、何度も何度もその希望の幻を否定し続けないといけない……自ら抱いた希望を抱いたそばから。