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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
余命宣告を受けているからか……。しかし、読んでいて、後半は特に、嫌な感覚にとらわれた。八歳から11年、監禁されても人間としてこんなになるとは思えない。まぁ小説……だけど。何年か前の新潟県監禁事件の少女は立ち直った様だし
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『人でなしの櫻』感想
すごい感動したこんなにも心震えた作品はないですまるで江戸川乱歩の耽美的作品のようだ清秀の描いた絵をこの目で見たくなってしまいましたあなたも読んで感動して下さい興奮して下さい涙して下さい
#人でなしの櫻
#遠田潤子
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清秀の伯父の治親が言った「芸術家の正義は世間の正義ではない」この言葉がこの作品を言い表しているのではないかと思いました。
8歳の時に親元からさらわれて監禁生活を11年送った連子。
誤って、監禁していた康則を殺してしまいます。そして救い出されますが、今度は康則の息子の清秀と逃亡。
康則は老舗料理店の経営者で、清秀は康則とは親子の縁を切った日本画家でした。
命の短いことを知っている清秀は連子の画を命の続く限り描き続けます。
歌は「ジェ・トゥ・ヴ」。
清秀の自死した母が好きだった歌。
蓮子も大好きな歌「ジェ・トゥ・ヴ」。
「あなたが欲しい」。
清秀も、康則も蓮子を欲しがりました。
自分の欲望と狂気ゆえに。
彼らは欲しかっただけで、本当に愛していたのは自分自身だったのではないかと思いました。
自分の作った料理を「美味しい」と言って食べてくれる蓮子。
自分の描く画のためにどうしても必要だった蓮子。
この作品は通常の価値観で読めばとんでもない犯罪の話ですが、この世界観が好きな方にははまる作品かもしれないです。
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遠田さんの作品はどれも謎が謎を呼ぶ展開というか、とにかく先が気になって読み進めてしまうのだが、この作品はそうでもなかった。父親の息子に対する態度には実は深い理由があるのだろうと思いながら読んでいたので、少し残念だった。
芸術のためには様々な犠牲を伴うのも仕方ないことだという人がいるのも分かるが、ちょっと度を越しているような…あまりに現実離れしている気がしてそこまで入り込めなかったのが残念。
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桜の美しさは、散るその時に花びらにある。すでにそれは生きてはいない。けれど死んでもいない。
生と死の間の、その一瞬。
だから、桜の散る下にいるとき、息ができないほど苦しくなるのだろう。
長谷川久蔵の桜図に焦がれる一人の男の、狂気。彼が焦がれ描きたいと、切り取りたいと願ったのは、桜の命の果てる瞬間。
母を亡くし、妻も、生まれ来るはずの娘も無くした日本画家清秀。断絶していた父親が遺したのは、11年間監禁してきた少女蓮子。
殺したいほど憎んできた父親が、執着し続けた少女。彼がこだわるのは父への復讐か、それとも自分が犯した罪への償いか。
少女監禁という、娘を持つ母親としては、どうしても許せない罪が描かれているのに、なぜこんなにも惹かれてしまうのだろう。
そこに芸術性があるからか、父と息子という神話的題材だからか。いや、そんなきれいごとでは言い表せない。ここにあるのは吐き気を伴う罪。無垢な少女の11年間を奪い凌辱し飼いならした汚らわしい罪。
なのに、その絵を見たいと思ってしまう。生臭い血を感じるその色を、命の果てる瞬間の美を、見せて欲しいと、どうしても心が求めてしまうのだ。
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2022/04/02予約 10
日本画家の竹井清秀は、妊娠中毒症にかかった妻と同時にお腹の子(蓮子と名付けられていた)を亡くす。それ以来、生きた人間を描けず、死体画家、などと言われていた。
ある晩、父親の身の回りのことをする間宮からの急な呼び出しに応じると、高校のとき絶縁した、天才料理人と言われる父、康則の遺体があり、全裸で震える少女、蓮子がいた。11年も父が密かに匿っていた。
嫌悪感とともに、どうしようもなく蓮子に惹かれていく自分は、あんなに憎んでいた父親と同じではないか、と悩む。
出てくる料理の美味しそうなこと。
表現される色の名前が素敵なこと。
絵に関する表現が多数だが、門外漢の自分にも分かるようにうまく書いてあるため、理解できて、それもまた楽しい。
蓮子を病院から連れ去り、キヨヒデと二人の逃避行が始まる。あれほど苦しそうな病気の末期だというのに、あんなにも動けて絵が描けるものだろうか、とは感じた。
それほど狂気の中にふたりはいた。
清秀の理解者であったと思われる叔父は結果的に清秀を糾弾するような小説を2冊出す。
それは清秀からしたら、裏切り行為だと思う。
けど、作家はそういうものではないのだろうか。
すべてを創作に活かす、それは文学でも芸術でも料理でも変わらないと思う。
それが手加減無しでできるのが、天才とか、プロと言われる人たちなのだろう。
後半、狂ったようにエロスに走るところは、あまり気分のいいものではなかった。
でも、そう思わせる筆力が、この作家にはあるのだと思った。
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とにかく描写がいい意味で生々しい。
不完全な2人が出会い、心の穴を埋めるように互いを求め合う。
主人公は理性と本能の間で葛藤しながら画家としての欲望を抑えきれずにヒロインの絵をさながら獣のように描き続ける。主人公から見たヒロインの表現が緻密で繊細で色鮮やかな主人公のフィルタを写し出しているかのようなイメージを掻き立てられた。芸術家というのはみんなそんなものなのだろうか。
1つのことを突き詰めて納得のいくまで自己を表現し続ける芸術家は、自分の中で羨望の対象であったが、この物語を通してむしろそうとしか生きられない可哀想な生き物のようにも見えた。
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冒頭から圧倒されるというか言葉が出ない。苦しくなるような描写がたくさんある。一人の少女の人生を壊した男。その男を憎んだ息子。憎んだはずがいつしか同じことをしてるのではと苦しむ。少女を描きたいと筆をとる。そこには強烈な業がある。命をかけて描いたもの、その描写に圧倒され、そこに至るまでの少女の人生、画家の絶望や苦しみがあってもラストは美しいと思ってしまった。冒頭で感じたことと読み終わってから感じたことの落差がすごい。
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不遇の画家が、憎む父に抗いながら自身も少女に惹かれ、破滅なのか究極の表現の追究なのか、突き動かされていきます。
遠田作品特有の「不穏」「不条理」「人間の性(さが)」が溢れ、頁をめくる手が止まらないのですが、読後感の個人的満足度は、もう少しかなと感じました。
『雪の鉄樹』の衝撃以来、遠田作品がクセになっていますが、慣れなのでしょうか、それとも期待し過ぎなのでしょうか…。
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狂気を孕んだ芸術家モノが好きなので、この作品はかなり好きだ。大衆に嫌悪される要素がこれでもかと盛り込まれてるけど、好きだ。
読み応えのある文章力のせいかもしれない。そして女性が書いてる、というのも一因かもしれない。
好きだ。
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歪な愛の形に惹き込まれて、壊れていく様をもっともっと読んでいたくなる。後半の清秀と蓮子のやり取りは今にもお互いの命を奪い取ってしまいそうなほど激しく、でも生命力が溢れて力強いようにも感じて蠱惑的。そう感じるということは自分も「人でなし」なのだと頭を過ぎるが、そんなことは気にせずに没入。絵のことは疎いが一場面ごとに色や表情、背景が浮かぶ描写が沢山あり、読みながら情景が目眩く変化していくようだった。帯にあった「圧巻」を感じることができた。
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過剰なまでの愛憎劇は遠田さんの真骨頂だけど、ここまでの救いのなさは久しぶり。少女を誘拐し長期にわたり監禁する罪は、その深い洗脳が解放後も少女の生涯を変えてしまうことだろう。その意味で、康則と清秀のしたことに全く弁解の余地はない。そこに愛などなく、あるのはただ身勝手なご都合主義のみ。
親の愛に恵まれなかった過去も、何かを残したいという芸術家としての焦がれるほどの思いも、その行動を正当化する理由にはならない。あとに残るのは胸糞悪くなるような苦い思いだけ。
清秀父子のみならず、秘書も伯父も兄も、男が揃って自らの欲のために少女を利用しているのが不快で仕方ないし、犯罪に立脚した清秀の行為を、芸術の名の下に美化するような物語に徹頭徹尾気持ちの悪さがつきまとった。
被疑者死亡で不起訴?その作品をニューヨーク近代美術館が購入?ふざけるなだわ。
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遠田さん、銀花の世界からずいぶん冒険…文章から浮かぶ色彩と香りにうっとりしてるうちに急展開!芸術家の生き様は、確かに凡人には狂気を孕んでいるとしか思えないが、それでも誘拐、監禁という犯罪を肯定してまで芸術語るのはいかがなもの。美しいエンディング、「ひとでなし」という軽い言い回しにさらに大きな違和感。背徳、不条理と貶しておきながら、この評価…人間、理性・理屈では理解できない。渋谷大型書店のポップ“令和の失楽園だ!”大丈夫かぁ?でも手にしてしまったが…。
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修復不可能な康則、清秀親子の関係性は、康則の腹違いの兄、治親の書いた暴露本『蓮情』で明らかになる。特異な世界観であった。
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余命宣告を受けた若き日本画家と、彼が描きたいと願った少女の物語。要約すればそんな話なのだが、あの遠田さんの作品である。
父親との確執や幼い頃に亡くなった母の記憶、さらには子を宿したまま亡くなった妻への思いが絡み、なんとも重苦しい。少女については8歳の時に誘拐され、以後11年間に渡り飼育されていたのである。そんな2人が出会ってしまい、彼はこの世に自分が生きた証を遺したいと望む。それは芸術家の業だろうか。
遠田作品に繰り返される主題に既視感を感じなくはないが、これまでの作品とは一線を画す仕上がりとなっていると思う。