紙の本
『パンに書かれた言葉』
2022/06/27 20:04
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投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
光・S・エレオノーラ
イタリア人の母、日本人の父をもつ、3つの名前がある中学1年生
東日本大震災直後の春休み、母の親戚が暮らす北イタリアの小さな村に一人で行くことになる
そこでノンナ(おばあちゃん)に聞かされたのは、第2次世界大戦でナチスがイタリアでもおこなったユダヤ人虐殺、抵抗して戦った人たちの記録、そしてノンナの兄が残したパンに書かれた言葉
帰国した光は、夏休みにこんどは父の実家がある広島に出かける
祖父母からは被爆の実態とその後の苦しみを聞かされ、祖父の妹が残した日記を手にする
〈イタリアとヒロシマをつなぐ〈記憶〉の旅〉──帯のコピー
ふたつの〈記憶〉から少女は何を考え、何を学んだか
ノンナの兄が死の直前、パンに残した言葉とは
暴力ではなく言葉の力を信じることができるために、主人公の名前でもある“光”に希望を託した物語
〈暗黒の日々のなかでも他者の苦痛や悲しみを分かち持って生きようとした人々の物語が、少しでも現代の読者を励ませるよう心から祈ります。〉
〈どうか世界中の子どもたちが心の自由を奪われることなく、〈希望〉に満ちた未来を生きていけますように。〉
──「あとがき」より
『八月の光』『光のうつしえ』の朽木祥による書き下ろし、2022年6月刊
〈心にまとっている無関心という名のマントを破り捨てなさい〉
このくにのかたちを問う選択を前に、ナチスに抵抗した学生運動「白バラ」が残したメッセージをかみしめたい
※p.9〈ママと話したことをが〉⇒〈ママと話したことが〉
※p.120〈くやりきれない〉⇒〈やりきれない〉
※p.32〈今年のバスクアは四月二十四日だった。〉⇒〈三月二十四日〉でないと〈春休みの旅行〉にならない(ただし、2011年のじっさいの復活祭は4月24日)
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待ちに待った朽木祥・新刊!
予約をして、嬉々として読み始める。
う~ん、正直、盛り込みすぎのような・・・
北イタリアのパルチザンと広島、
そして3.11までがつながるのだけれど・・・
ちょっとムリがあるような・・・
たぶん、ご本人が、よくおわかりのはず。
それでも、これを書きたかったという、その思いに
まずは、心からの拍手を。
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“子供たちたちのために作りたい。歌い出すような明日を”
イタリア人のママと日本人のパパの間に生まれたわたしには三つの名前がある。
光・S ・ エレオノーラ
イタリアのおばあちゃんは真ん中の名前にとても喜んだんだって
鎌倉に住むわたしの今日もいつもと同じだと思っていた
そしてぐらりと揺れた地面は、わたしから日常を奪っていった
・イタリアの親戚の家にしばらく預けられた光は、おばあちゃんにおばあちゃんのお兄ちゃんのこと、仲良しだった女の子のことを聞く
二人はナチスに命を奪われている
おばあちゃんの家で見つけたカチコチのパンに書かれていた文字は…
・日本に帰ってきた光は広島のおじいちゃんの家にやってきた
フクシマの災害から、戦争体験を話すようになったというおじいちゃんが語ってくれたのは、マメちゃんという光と同い年だった妹の話
〇この本で語られるパルチザンはユダヤの人々を助ける活動を行っていたが、やはりその中で…
〇光の気付き。突然日常が奪われる。人ごとではなく、またジブンゴトのように考えていくことの大切さ
〇イタリアでも酷いナチスの侵攻があったことを初めて知った
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主人公の光・S・エレオノーラ(エリー)は、広島出身の日本人の父とイタリア人の母を持つ。
エリーは、母の実家である、エレナおばあちゃんがいるイタリアにしばらく滞在し、そこで、おばあちゃんの子供の頃あったこと、とりわけ、おばあちゃんのお兄さんであるパウロの話を聞く。
エリーがそれまでほとんど何も知らなかった、イタリアでの、ナチスによるユダヤ人虐殺、イタリア人同士のファシスト政権と、それに抵抗する一般市民らパルチザンによる攻防戦の話だ。パウロはパルチザンの一員だった。パウロは捕まり、母が差し入れた1つのパンに、自身の血である文字を書いた後、処刑された。そのパンは、カチカチになって緑色のサテンに包まれ、大切に今もエレナの家に保管されていた。
エリーはイタリアで聞いたこと、そして広島の原爆のことも、もっと知りたいと思うようになる。帰国した後、夏休みには、被爆経験のあるおじいちゃんのいる広島へ行く。そして、今まで経験した戦争について多くを語らなかったおじいちゃんから、沢山の話を聞く。
[心にまとっている無関心という名のマントを破り捨てなさい]という文が強く心に残りました。歴史に対して、他人に対して、無関心でいることに慣れきっている自分にハッとしました。
勝手に男性と思っていた朽木祥さん。調べたら女性でした。被爆2世である作者がどうしても伝えたいことを盛り込んだこの一冊。今まで読んだ(数少ないですが…)戦争物の中で、一番我が事のように胸に響きました。歴史が特に苦手な私でも一気読みでした。中学生くらいから大人まで、多くの人に読まれるべき一冊だと思います。
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夏休み、戦争のニュース見てもっと戦争について知りたいなって思ってた時に出会った本
あとがきにも書いてたけど、物語るのと伝えるのどちらを取るかみたいな話、これはほんとに丁度いい塩梅やった
数字で○:○って出せるようなわけじゃないけど物語の中に戦争の記録が溶け込んで一つになったのがこの本
戦争は誰も勝てない」みたいな言葉、ほんとに誰も勝てないんだよ
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ヒロシマのこともよく知らないのに第二次世界大戦中のイタリアのことなんて知るよしもない。イタリアもなかなか酷い目に合っていたんだなあ…軍に抵抗する人たち、収容所に連れて行かれる人たち、処刑される前に血で書いたのは『希望』。戦争という災害がいかに愚かなのか、イタリアとヒロシマを通して考えさせられる。
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前半のイタリア編を読んでいたときは、まだ少しぼやーっとしていましたが、後半の広島編を読んでいるうちに、朽木さんがこの本に込めた思いがわかった気がしました。
「伝えること」「声を上げること」
の大切さ。
あとがきにも、
「戦争やヒロシマを描こうとするとき、心から去ら
ぬ問いがあります。
物語ることが先か、伝えることが先か。
伝えたい思いが募るあまり物語を損なうことがあ
ってはなりませんが、しかし、どうしても伝えて
いかねばならない〈記憶〉もあります。」
とありました。
将来を担う、一人でも多くの子どもたちに、この思いが伝わりますように。
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今の当たり前だと思っている生活は、実は当たり前じゃないんだ。
世界で起こっていることならともかく、日本で起こっていることさえも自分毎として捉え考えることが難しかったりする。
自分には関係なくて、自分とは違う世界で起こっている出来事として無関心でいる。
それに気づいたとき、皆さんの中でどんな変化が起きますか?
今ある小さな幸せに気づいたり、大事なことを手帳に記したり。
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ホロコーストと、広島の原爆と、福島の津波・原発事故とをリンクさせている物語。
現代の子が、親族から聞く形で戦争、核、人権などを考えていき、違和感なく読むことができそうです。
物語の設定がしっかりしていて、違和感なく、この3つの重大な災害を大雑把に捉えられるように思います。
小学校高学年から読めると思いますが、内容が重いので、中学、高校、大人でも読むと気づく事が変わるかもしれません。
厚みのある本で内容もあるので、これが読める児童には勧めていきたいと思いました。
事実を物語に落とし込み執筆する中で、はまる沼が2つあると著者あとがきにあります。
「文献沼」そして。「推敲沼」。
ホロコーストや広島の本を読み出すと、私も違う立場から、違う角度から、また、同時期に他のところでは?など、知りたくなります。
反対に絶望感が強くて何も読みたくなくなったのは、「あのころはフリードリヒがいた」ですが、衝撃が強いだけに1度読んでおくべき本だとも思います。
人が戦争を起こさなくなるまで伝え続けなければという著者の意志を感じた1冊です。
個人的に戦争の本はノンフィクションが読みたいのですが、文章が読みにくいものもあり、文章の面では創作物語の方が、心に響くような気もしますし、読み返したくなる。勧めたくなるというのも良い点と思います。