曽祖父をモデルにした史伝
2023/06/06 02:36
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治維新の頃に淡路から北海道開拓に入った人々。その中に1人である宗像三郎がアイヌの人々とともに牧場を拓き、栄え挫折していった経緯を語る。開拓ということは無人の野を開いたのではなく、私達「和人」が先住民のアイヌ人を押しのけていったことでもある。三郎がそのアイヌに手を貸すが、周囲に押しつぶされて牧場は和人に呑まれ切り刻まれる。語りは客観的なもので盛り上がりには欠けるところもあるがそれが重厚感も出して読後の満足感は高い。ここで語り役になっているのは作者の祖母に当たるそう。史実と創作がないまぜになった快作。
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明治時代から200年経った今のこの世の中だったら、アイヌとシャモは、もっと良い意味で、違った運命を辿ることができているだろか。人は歴史から何かを学び、共に歩むという選択肢を選べているだろうか。ひとつの文化を滅ぼさずに済んでるだろうか。いつも、人は失ってから、その文化の大切さ、高貴さに気付く。
(2008年12月11日 記)
まずはパートナーと共に生きるということからかしら。
本当に感動した本だったと思い出す。
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「静かな大地」とは人間の住む土地、世界のことでアイヌを題材に扱った話です。朝日新聞に連載されていました。アイヌのひととなり、和人との関わりを描いた本です。アイヌの歴史や今の現状をみれば話の結末はどこにたどり着くのか自ずと分かるのですが、それでも心がきゅーうっとなりますね。
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北海道開拓とアイヌの話。当時、蔑まれていたアイヌと共に土地を拓き、事業を興したものの、妬みや策謀によって離散という結末を辿るという、なんともやるせない。しかも実話に基づいている。
人間は自分至上主義というものから逃れられないものなのか、さらにそのおかしな考え方が強ければ強いほど力を持ってしまう、追従してしまうのはどうしたらこの世から消滅させられるのか、考えさせられる。
物語という形式ではなく、父親の問わず語りを後に娘が回想しながら文字化するという形式なので、途中の娘たちの会話に著者の考えが書かれているのが気に障ると感じる人もいるかも。
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明治維新直後、淡路島から北海道開拓を志し、静内に移り住んだ一族の歴史物語。
静内は今でも馬産地として有名であり、自分の生まれた町からもそれほど遠い場所ではない。おそらくは自分の祖先も、同じような道を歩んで来たのだろうと思うと、とても興味深く読む事ができた。
でも、もし自分が主人公の宗形兄弟の立場だったら、アイヌの子供と友達になれただろうか。周囲の反対を押し切ってまで、アイヌの人々と事業を起こす事が出来たのだろうか、と考えさせられた。
考えても答えは出ないが、もしかしたら他の和人同様にアイヌの人々を蔑んでいたかもしれない。
残念ながら自分は宗形兄弟やイザベラ・バードのような、立派な志は持ち合わせていないが、せめてクラーク博士が札幌農学校の生徒に説いたよう、紳士でありたいと思った。
現在、何かと領土問題で騒がしい世の中だが、国内にも存在した占領と搾取の歴史について、日本人の一人として決して忘れてはいけないと思う。
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明治維新で北海道開拓移民となった旧淡路藩の武士宗形三郎、志郎とアイヌとの交流。アイヌの価値観や宗教観に共鳴。インディアンやアボリジニなどの先住民族との共通点が多く人類の向かうべき方向性を示唆していると思う。
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宗形三郎=原條新次郎のモデル
宗形志郎=原條迀のモデル
フィクションだが、なるべく史実に基づいて書かれたお話し
原條迀は作者(池澤夏樹)の曽祖父(母の母の父)
北海道開拓の苦渋
アイヌの悲哀
和人の葛藤と裏切り
※『北の零年』の稲田家だ!
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第3回親鸞賞
著者:池澤夏樹(1945-、帯広市、小説家)
解説:高橋源一郎(1951-、尾道市、小説家)
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北海道ツーリング中に読んだ一冊。
内地を追われた侍による、アイヌ迫害・馬やジャガイモを使った開墾の歴史が伺える。
熊送りは北方民族資料館(網走)によれば北方民族共通の習慣だという。
足るを知っていたアイヌの生活の基盤を和人が奪っていく中、アイヌへの憧れから彼らとの共存、むしろ飢饉時にジャガイモをアイヌに配るなど、和人を裏切る側にたち、力尽きて妻子を追ってアイヌ装束で自害した一人の才人の物語。
幕府の近視眼的な政策(奴隷ですら資産だったのに)やシャクシャインの乱での和人のだまし討ち、榎本武揚がオランダを模して独立しようとしたという解釈など、教科書からは知れない解釈も随所に。
文字を持たないながら独特の言葉を作り上げた文化の記録は貴重なんだろう。
目黒「静内」にまた行こうと思う。
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幕末、明治から大正にかけて時代は巡るが、概要は明治における北海道、アイヌに関わった三郎の物語を姪である由良が語るというもの。内容は非常に美しく、儚い。物語は複数の語り部が存在しており、章ごとに異なる。そのため、語り部の感情が物語へ反映されることとなっている。
史実を取り入れたフィクション、となっているのが特徴で、北海道開拓やアイヌの歴史、考えなどが様々に取り込まれている。その中を物語の主人公である三郎が駆け抜けていく姿は非常に心地よい。だが、常にどこか暗い何かが物語を覆っているのは、その後のアイヌ、そして三郎に何らかの不幸が訪れることが語り部は知っており、読者も感じているからだろう
物語は語り部を通してとなるので、読みやすい。だが三郎の気持ちが終盤から語られず、第三者からみた三郎の姿のみが語られている。それが非常に痛々しく、読み進めるのが辛くなってくる
アイヌ文化、歴史については、ここで記するのはやめておくが、日本とは、日本人とは一体何かということも考えさせられたとだけ記す。これは別の本を読みながら考えていこうと思う
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かつてそこはアイヌの地だった。
エスキモーやインディアンにも共通する自然に対する畏怖と感謝、共存の世界がそこにはあった。
その地に和人が住み、暮らすようになり次第にアイヌは追いやられ、和人は自然を蔑ろにしていく。
私利私欲の世界の始まりだ。
自然界の仕組みのごく僅かな事しか知らない人間はテクノロジーによって自然を制御できると思い込む。
そうで無いことに気付かされるのが自然災害だとすればそれはあまりに皮肉な事だ。
今だからこそ、彼かに学び直す必要がある。そんな一冊。
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読み応え満載の1冊!
アイヌ絡みもあり、作者の熱意も読んでいるうちに伝わった!
もう少し一気に読みたかった…。
もう一度心が余裕あるときに一気に読みたい!
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数年前に熊野古道を訪れた際、松浦武四郎という人の存在を知った。そこからアイヌという人たちについての本を読むことが増えた。
淡路島から幕府御一新のために北海道に入植した内地の人間が話の軸だ。
続く
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明治維新後に北海道に入植した和人とアイヌの民の話。
文明と文明が出会うとき、多数派、科学文明の力の強い方が相手を押潰してしまう。これまで何度も繰り返されてきた。
語り部である由良の言葉にある「もっと深い恐れか憎しみか、何かとても暗くて嫌なものがあったような気がする。姿と言葉の異なる人に対する恐れと憎しみ。人間の心の中に棲むいちばん忌まわしい思い」これが人の心の中にある限り、これからも起こるのだろうか。
アイヌの民と牧場を開き、共に生きた宗形三郎の生きざまに人としての理想の姿を見る。
だからこそ結末があまりに衝撃的で哀しい…三郎のこともアイヌの民のことも。
けれどこれが現実なのだろう…つらい。
アイヌの民の気高さ、自然と共の生きる思想の深さが伝わってきた。
熊の神が語った「大地を刻んで利を漁る所業がこのまま栄続けるわけではない。いつかずっと遠い先にだが、和人がアイヌの知恵を求める時が来るだろう。神と人と大地の調和の意味を覚える日が来るだろう」それが生かされる時が来るのでしょうか。
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北海道の開拓とアイヌのことを
少しでも知るために
この本を読んで本当に良かった。
池澤夏樹さんの語り口は
アイヌの伝承を
一層美しく引き立て
哀しくも儚い物語を色どり
心にすぅっと染み込んでくれた。