「ネタがベタになる」が深い
2023/06/20 21:00
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:じゅんべぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治維新を達成するために編み出した庶民を納得させる方便、「復古」はそもそも「よくわからない」神代を持ち出すことで成り立っていた・・・というのが面白かった。そして、最初は方便だったのに、だんだん言い出した方がそれに縛られて・・・・という流れも、的を射ているのではないかなと思います。
そういう意味では天皇家の万世一系もこの類かも。これに縛られて、いつか日本国民は天皇家という存在を手放すことになるのではないかと心配しています。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治維新の西洋化に利用された神武創業の概念が時代が進むごとに下からの参加で事実としてのめり込み天皇や政府の行動もそれに規定されるようになっていった経緯が興味深かった。
神話を侵略に利用した政治家たち
2023/07/03 11:49
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の神話は著者が言うとおり豊穣である、でも日本をどん底に突き落とした戦前の右翼政治家たちは「古代日本を取り戻す」「三韓征伐を再現せよ」「天皇は万国の大君である」と、その豊穣な神話を曲解して利用した、先に銃弾に倒れたあの人も同じ穴の貉だったかもしれない
左派なのが そんなに嫌か? 辻田さん
2024/11/15 21:38
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:清高 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1.内容
右派も左派も、戦前(主に大日本帝国憲法下)について、「都合のよさそうな部分を適当に寄せ集め」(p.6)て論じているにすぎない。本書で検討している神話のような物語も国民国家には必要で、物語を否定しても無秩序になるだけである。肝心なのは過去において物語がどう利用されたかを検討し、それを知ったうえで現在を批判すべきである。また、神話は政府から(上から)押し付けられるだけではなく、企業や国民も(下から)それを利用しているものである。このような問題意識の下、「『原点回帰という罠』『特別な国という罠』『先祖より代々という罠』『世界最古という罠』『ネタがベタになるという罠』という五つの観点で、戦前の物語を批判的に整理」(p.9)したのが本書である。
2.評価
(1)神社や像、宮崎駅の入り口の名称変更など、現在にも神話が影響しているので、戦前において神話がどのように用いられたかを知るのは有益だと思った。
(2)ただ、辻田真佐憲は、どうも自らを「左派」と名乗りたくないようである。本書は「戦前の物語を批判的に整理する」(p.9)ものであるから「左派」にならざるを得ないはずだが。また、辻田が「左派」と思っている人や見解の評価は的外れなものが散見された。p.166-167の記述では、内閣総理大臣の靖国神社参拝すらも「適度に妥協して」(p.167)となってしまうからである(参拝者個人の地位の問題にならざるを得ない)。p.286の「『日本スゴイ』史観」は間違いもあるのに(「植民地支配はしなかった」という歴史学者の見解を知らない)、「ゼロ点史観」(p.286)というものをこしらえてまで辻田自身が左派であることを否定し、日本の近代史と関係ない「共産主義の失敗」(同)まで持ち出している。
(3)以上、(1)で5点、(2)で1点減点し、4点とする。
神話を通して「教養としての戦前」に探った書
2023/12/11 08:25
2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:巴里倫敦塔 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タモリは徹子の部屋で「2023年は新しい戦前」と発言し話題になったが、本書はその戦前とは何だったのかを明らかにした書。神武天皇や万世一系、八紘一宇、教育勅語などが、為政者や軍人、教育者などに都合よくつまみ食いされて、利用・曲解されてきた歴史を振り返る。「美しい国」「戦前回帰」はともに実際の戦前とはかけ離れた虚像であり、現在の右派・左派にとって使い勝手の良い産物と断じる。
政府や軍部、企業、民衆などさまざまなプレーヤーが複雑に絡みながら神話が消費され、国威発揚や戦意高揚に結び付けられてきた。国体や三種の神器は近代国家を急造するための方便として利用された。明治の指導者は神話を一種のネタとわきまえた上で利用した。それがいつしかネタが死守べきベタになり、ネタを守るために国民の生命が犠牲にさらされた。ネタがベタになるリスクを筆者は強調する。
筆者は「原点回帰という罠」「特別な国という罠」「祖先より代々という罠」「世界最古という罠」「ネタがベタになるという罠」の視点で、神話を批判的に整理する。各地に点在する神武天皇像や八紘一宇の碑などを訪れたエピソードも楽しめる。神話を通して「教養としての戦前」に探った書でお薦めである。
本筋からは外れるが
2023/05/22 14:21
21人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は皇紀より西暦の方が「合理的」だと書いているが、同じ講談社現代新書から出ている「聖書vs.世界史」を読んでいるのだろうか?西暦なるものは「教会の迫害者」であるディオクレティアヌスの即位を元年としてディオクレティアヌス暦を使って、年ごとに日にちが変わる復活祭の表が時間切れになるので、新たに「教会の迫害者」ではなく「主イエスの誕生」から年を数える紀年として生まれた暦だ。「聖書vs.世界史」にあるように当時の伝承を元にして算出された暦であり、新約聖書には何の根拠もない。おそらくタイムマシンでも出来ない限りはナザレのイエスの誕生年度は分からないのではないか。著者は「聖書vs.世界史」を知らないのか、それとも長谷川三千子とは大学の同僚で、「バベルの謎」のあとがきに名前が出て来るので忌避したのか。西暦の根拠の無さには気がついているらしいが、それならキチンと書くべきだ。
それ以外は幻冬舎新書から出ている本に比べれば穏当なところだ。右も左も宗教も自分達が「理解」する範囲で「戦前」を語っているのだから。それに加えて左ならマルクス主義やソ連に対する認識も加わる。スターリンの独裁体制を批判しているのに、「日本革命が起こった方がよかった」とでも思っているらしい人もいるようだ。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんな解釈で神話を読み、政治に利用していたとは。驚くことばかりでした。しかし、こうして、令和の世だから言えることかも知れませんが、そのときの国民は、心の底から、信じていたんでしょうか、だとしたらコワイですね
投稿元:
レビューを見る
日本神話をほとんど知らなかったので読むのに苦労しましたが、いかに神話が都合よく解釈され、利用されてきたかよく分かります。
東西問わず様々な宗教に共通することですね。
投稿元:
レビューを見る
昭和40年代半ば(1970年代)に小学生だった私の感覚では、戦争とは「第二次世界大戦」のことであり、それ以前のことは歴史の教科書やドラマなどで印象的なものは知ってるつもりだったけれど‥先ずは「戦前」の「戦」がどれなのかを定めないと話が混乱するし先に進まないという大事なことに気付かされる。それにしてもいい大人になるまで天皇と神話の関係を深く考えた事もなく、近・現代史をいかに学んでこなかったかに気付いて愕然とするばかり。(本筋とは違うのだけど)本書を読んだら、ますます町田康さんの『古事記』読むのが楽しみになってきた。
投稿元:
レビューを見る
わたしの個人的な思想はリベラル寄りで、いわゆる「歴史修正主義」的な動きなど、右派論壇に対してはつねに批判的な視線を向けてきた。関聯する記事などもよく読むのだが、そこでしばしば用いられるのが「戦前」という言葉である。「戦前回帰」といった形で眼にすることも多いが、しかしその実、われわれは「戦前」という言葉をイメージでしか捉えておらず、正しく理解できているとは言いがたい。そこで今回は、正しい「戦前」像を理解するために、「新書大賞2024」で第7位になった本作を読んでみた。内容的には、「創られた『伝統』」という、よく知られた言いまわしがあるが、たとえば「八紘一宇」というキイワードがいかに「創られた」かを解き明かすなど、それほど目新しさはない。それでも知らなかった智識もあってなかなか刺戟的な読書体験であった。とくに、著者は「『ネタ』が『ベタ』になる」と表現しているが、いわゆる「戦前」ムードが形成されるにあたっては、もちろん「上」が「あえて」利用して煽ったことが要因としてはもっとも大きいけれども、「臣民」の側がときにはそれ以上に「暴走」した結果、しだいに天皇の言動にまで影響を与えるほど大きな存在になっていったということは衝撃的であった。著者は「戦前」という言葉が安易に使われすぎていると指摘し、また「戦前」を全否定するような言説にも顔を顰めており、それはそうなのだが、「『ネタ』が『ベタ』になる」危険性を考えてみれば、やはり警鐘を鳴らさずにはいられない。大事なのは本作を読んでただ終わりにするのではなく、現実世界にも確実にある「戦前」の実を摘んでゆくことではないかと切に思った。その理解の第1歩として本作があるのだと思う。
投稿元:
レビューを見る
筆者が得意とする「歌」を引用した部分が、民意への影響として大変分かりやすい。「国体」について、そうだったのか、と思わされるところが多く、非常に勉強になった。
投稿元:
レビューを見る
題名に強く惹かれ、入手して紐解き始めると、なかなかに愉しかった。出逢えて善かったと思える一冊だ。
研究成果や論考を、幅広い読者に向けて判り易く説くという、「新書」らしい感じの一冊だ。題名から受ける、少し厳めしい感じでもない。6つの章が在るが、各章での話題は何れも面白い。
第2次大戦の前後で「戦前」、「戦後」という言い方を広くしていると思う。両者は、何となく「別」であるかのように感じさせられているかもしれないようにも思う。「戦前」の範疇に産れた人達の人生が「戦後」にも続いている例は多く、「戦前」に定着したようなモノが「戦後」に在り続けている例も多いであろう。更に「戦後」の中だけでも、様々な変遷が在って、「そう言えば以前はもっと様子が異なった?」も多々在るのだと思う。漫然とそういうような問題意識も在ったので、本書で取上げている話題は何れも非常に興味深かった。
明治期以降、「中世」を「キャンセル」して、神武天皇に起源を有する古い時代の「神話」を半ば創出し、それに依拠した考え方を推し進めたと言える面が在るのだと本書は説く。そしてその「神話」の扱いを巡って様々な展開が在る。色々と言われるように、国家が様々な事柄を主導しようとした一面は在るが、「下からの」とでも呼ぶべき、民間から起こった動きが国家の中に採り入れられたというような事柄も在る。「国家が打ち出した物語」とでも呼ぶべき「神話」が時代を牽引していたような様子を「戦前」とすべきなのかもしれない。そういう柱で、幾つかの話題が展開しているのが本書であると思う。
「戦前」というモノは、強い批判という目線で取り沙汰される場合も在れば、大いに賞賛、称揚するという目線で取り沙汰される場合も在る。が、両者の何れにしても、少し考えてみると「本当は?」というような、考える余地が大いに残るかもしれないというのが、本書で論じられている数々の内容だ。言わば「大いに誤解されているのかもしれない“戦前”なるもの」というようなことが、一口で言う本書の主題かもしれない。
或いは、本書のようなテーマを考えてみるということが、「歴史を学ぶ」という上で有益であり、求められることなのかもしれない。非常に興味深い一冊なので、広く御薦めしたい。
投稿元:
レビューを見る
昨今、警告のように言われる戦前への回帰。
「教育勅語」や「八紘一宇」という言葉に秘められた理念を、敗戦によってその真の価値が歪められたものとして、復活を叫ぶ人たちもいる。
筆者はその意見に与するでもなく、また頭ごなしに批判するでもなく、その言葉がどのようにして生まれ、どのような目的のもとに発せられたのかを解き明かす。
投稿元:
レビューを見る
明治維新後、新しく国を統一するために神話が利用され、それが暴走していった経過がよくわかった。
非常に興味深い切り口だった。
中国やロシア、北朝鮮等の語る身勝手で誇大妄想的な物語が、つい数十年前の日本でも語られていたことを再認識した。
非常に中立的に書かれているように感じながら読んだが、日本によって戦場にされた国々への言及がほとんどないので、あくまでも日本視点で見た分析だと思う。
投稿元:
レビューを見る
明治維新から太平洋戦争敗戦まで77年。戦後から2022年まで77年。戦前と戦後が並び、現代史が近代史を凌駕しようとしている、われわれはいま新しい時代のとば口に立っているのだ、と始まる。ああ、そうなのか。なにかというと、「戦前は・・」という言葉が躍り、よかった、悪かった、人それぞれの思い込みで「戦前」を語っている。そこで、一体「戦前」とはどういう実態だったのか、それを説く。
明治新政府は自身を正当化し西洋近代社会に追いつくため、それ以前の中世から近世武家社会を否定するところから始まった。それには天皇を押しいだき、「日本神話」から連なる、という、天皇の系譜を利用したという。
しかし政府だけが神話をもとに旗振りをしたわけではなく、それに乗り儲けようとするジャーナリズムや民衆の力もあったのだ、とする。たとえば、軍歌などは、「プロパガンダをしたい」当局と、「時局で儲けたい」企業と、「戦争の熱狂を楽しみたい」消費者、三者が絡み合ったという。
やがて国体論というネタがベタになり、政府をも拘束するようになった、この「神話国家の興亡」こそ、戦前の正体だった、というのが氏の見立てである。その構成要素の教育勅語や軍事儀礼をバラバラにみて、「日本スゴイ」、「戦前回帰だ」というのは生産的な議論ではない。
戦前の物語にあえて点数をつければ65点だという。100かゼロの視点では、マイナス要素が出ると瓦解する。
日本神話を「日本書紀」「古事記」からわかりやすく説明してくれたのもよかった。ほとんど分かっていなかったのがわかった。
メモ
宗教の否定は醜悪な疑似宗教を生み出す(フランス革命における最高存在の祭典や、ソ連におけるレーニンの遺体保存やスターリンの個人崇拝)ように、物語の否定は戦前的な物語の劣化コピーを生成する。物語は排除ではなく、上書きされるべき。
また教育勅語は「忠孝の四角形」が根底にあり、それを踏まえるべきという。歴代の臣民(国民)は、歴代の天皇に忠を尽くしてきた、当代の臣民も当代の天皇に忠を尽くしている。またこれまでの臣民は自らの祖先に孝を尽くしている。また当代の天皇も過去の天皇に孝を尽くしている。
この忠孝の四角形は日本にしか永続しておらず、他の国は君主が倒され臣民が新しい君主になっていて、忠が崩壊している。日本は忠孝が保たれているので、万世一系が保たれている、という世界観を教育勅語は「国体の精華」と呼んでいる。
2023.5.20第1刷 図書館