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なんでこんなにも明菜ちゃんが好きなのか?
明菜ちゃんはアーバン音楽が多くて、わたしはそのアーバン音楽が好きだからなのかも。
ただ明菜ちゃんが好きじゃなくて、こういうふうに分析するともっと好きが深くなっておもしろい。
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明菜ちゃん1982-1991の音楽評論本。
元々曲選びやレコーディング、作詞家作曲家編曲家演奏家などとの交流エピソードが希薄な明菜ちゃんなので、部外者が書いても当時の内部者とほぼ同じ感じに仕上がる。まぁまぁの内容。
気になった点をいくつか。
デビュー候補4曲のくだり。筆者の感覚(スロモダントツ、銀河まぁまぁ、あなポよし、Tサン古過ぎはまさに私の感想と同じ。私の友人のアイドル基地外(1968生まれ。本人は聖子世代と言い張るけどどう考えてもキャンピンク宏美裕美世代。要はジジィ。)も似たような感じ。銀河安い条件でも?とのこと。てか本の感想に戻っていい?
少女Aについてのやりすぎギター。百恵の3曲(プレ絶対ロックン)を「矢島x百恵」、曼珠沙華を「これはもう百恵VS矢島」と評したのもさすが。
スロモ、もう逢えないかも、セシルを「80年代3大影歌謡」とまとめるのもGood
スタ誕での曲選びや初期の真っ直ぐボーカルから、「ひょっとしたら岩崎宏美や大橋純子路線になる可能性があったのでは」としているが、これはどうでしょうね。明菜ちゃんはそりゃ歌うまいです。上手いですけども。上記2人はミュージカルでもいけそうなほどのマジの発声歌唱でしょ?対して明菜ちゃんは色、手触り、匂い、感情の揺れというか「テクスチャー」を伝える人。
前者は「歌うために生きてる人」明菜ちゃんは「生きるために歌う人」似て非なるもんだと思うんだけど。セカラブが純子用だったってことも併せてこう書いてるのかもね。
改めて気づいた細野晴臣の1983-4天キッス、1983-8ガラ林、1983-9禁区。この辺当時の島田氏はどう思ってたんだろか。作詞家、編曲家が違うとはいえ聖子のシングルが2枚続いてんのにね。
十戒、売野の前にユーミン作詞verがすでについてたなんて知らなんだ。「ガードレールに腰掛けてポニーテールをほどいた」これはこれでいいじゃんね。アルバムに入れて欲しかったなぁ。
(ワーナーの人、聞こえますか。今発売してもええんやで。。。)
飾りじゃ。「ダイヤと違うの涙は」が前年の聖子への当て擦りとの意見も。まぁ本当にそうならオモロイけど。さすがに当初はアルバム用だったし、歌詞で真珠とダイヤを並べてるから違うでしょ。
でもファンとしてはわざとであって欲しい。
同時期に発売してADHD黒柳に指摘して欲しかった。
赤逃げ、ミアモのくだりで「ハイヌーンは熱くを裸足の季節に変えた若松」ってのがあるがこういうのがプロデューサー、ディレクターの腕の見せどころですよね。ハイヌーンは熱くは流石に1978-1979っていうか、石川ひとみ倉田まりこなんよ。
80年後半の明菜ちゃんを「アーバン歌謡」と評するのも納得。
クリムゾン。山下発言を21世紀の竹内発言でチャラとするのも納得。(山下君はジャニーズに楽曲提供してますからね。仕方ないんですよ。誰だって我が身が一番かわいいのだから。)
難破船。「男は塔、女は孤高の木」「ひばりやみゆきと同様」とする加藤登紀子の明菜評も納得。
Stock 「いいんだけど、何をやってるのか分かってしまうアルバム」っていう評価にのけぞり。
全く声が聞こえないアルバムや全編英語アルバムに対してなんじゃこりゃという意見は数あれど、Stockのようなはっきりとコンセプトを打ち出した統一感ありありのアルバムに「分かってしまう」。
何をしでかすか分からない、いつ壊れるか分からない、割れるぞ割れるぞといいながらガラスのボールでバレーボールみたいな?明菜の魅力のワンカラーを的確に表現してる。好き。
最後の二人静。ここでは「明菜=3通り歌います」「松本=どれもいいけど桜吹雪の中だと思ってやってみて」のプロ同士の殴り合いを評しているが、吃驚なのはレコーディング現場に作詞家松本隆が同席してること。これはワーナー時代明菜に楽曲提供した人達が「授賞式でちらっと挨拶した」とか言ってるのと対照的。松本隆だから同席を許したのか、事件後に明菜の心境変化があったのか。
筆者が言うように2023年になってから聴き始めたのだから何も1991でやめる必要はなく少なくともDIVAくらいまでは曲評論やればいいのに。なんでワーナー時代でやめるんかね。権利関係?お金?
で。最後に最初の話を。
執筆にあたり「明菜より聖子、みゆきよりユーミン、ていうか洋楽を聴いてきた自分。TV明菜の振り返りとなると少女A、デビューでスロモ、変わり種で飾り、王道でミアモにデザ。選曲狭くね?ソリとかFinとかライとかあんだろ?」っていうのがモチベの始まりのように書いている。まぁ嘘じゃないでしょうし想定する読み手(この本を読むことくらいしか金と時間の使い道のない高齢者明菜ファン。きゃっ。呼んだ?)に向けてのちょっとした迎合というか、「そうそう!そうなんだよね!」っていう扉を用意して次を読みやすくしてる。
分かるんだけど。
TVってのは私のようなパッパラパーのオッパラピーを想定して作ってるでしょ?過払金だのボートレースだのCMがバンバン流れてくる時点でどんな人間が観てると思われてるかはっきりしてるわけよ。電通の有名な言葉の通り「バカが理解出来るものを作らなきゃダメだ。」と。だから百恵といえばプレバだし、亜紀ちゃんでも舟に雨、あってなみ恋にもう逢いに愛終着駅か。紅白でもさゆりの津軽超え(もしくは天城海峡)無限ループじゃん。そのうち1曲にマッシュアップしてくんじゃないかな、あの女。
要は明菜紹介すんのにいきなりFinとかブロンドとか流すバカはいないって分かってて書いてるでしょ?あなた。あとFinとかライとかってなんでそこで今夜流れ星とかDaysとか書けないかね。(これにはまぁお金とかお金とかお金とかの事情があんのかな)最低でも月華とか。そこがちょっとだけイラっとした。まぁちょっとね。
長々書いちゃったけど好きよ、この本。
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「歌う兼高かおる」「アーバン歌謡」「純粋音楽」…
サンド流に「ちょっと何言ってるか分からない」。
だが、読み進めていくと、なんかストンと腑に落ち、明菜が本当に目指したのかは定かでは無いが、たしかにそれに向かっていたような気がしてきた。
リバーブ(音に残響を加えるエフェクト)つまり、こもって聞き取りにくい音楽のアルバム「不思議」を初めて聴いた時、「なんなんだこのアルバムは!」と憤ったものだが、歌声も楽器の一部という解釈からみれば、なるほどな〜と感心した。好きではないが…
やはり私も「機能音楽」に近い「北ウイング」や「DESIRE」の方が、完成した「純粋音楽」の「水に挿した花」より好きな大衆なんだと感じた。
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テレビで、ラジオで、音楽番組(週間ランキング形式)で見ていた小学生時代を思い出しつつ読了。
歌詞を味わうような年ではなかったのに、明菜ちゃんのセルフプロデュースの高さ(曲の世界観を一目でわからせる衣装やダンス)に改めて脱帽。スージーさんのアルバム解説が良かったので聴き直したいと思った。
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マキタスポーツさんとされている番組「ザ・カセットテープ・ミュージック」(BS12)をいつも楽しみに見ているので、その番組の特集が詳しい本になったかのような内容、語り口に、たいへん親しみを感じながら読ませてもらった。中森明菜のデビューの頃、私は小学校高学年。「スローモーション」から「DESIRE」あたりまで(この本で言う<出現>から<飛翔>まで)は、その七変化の世界観や衣装をはじめとする曲ごとの演出に魅せられ、夢中で歌番組を見ていた。が、それ以降のアーバン志向強めの曲は、当時の私には大人っぽすぎて、彼女がどんどん遠いところへ行ってしまうようでさみしかった。けれど、いろいろあったのち発表されたこの曲には、雷に打たれたように感動したのを覚えている。「水に挿した花」。なんて美しく儚く脆く寂しい。支えなしでは立てないような不安定だが優しい女性の歌声。憑依というより身の内から絞り出して歌っていた気がする。スージーさんもこの曲を愛しておられることを知り、あのイケイケの音楽が流行っていた1990年には、あまり人に言えなかったこの曲への思慕をやっと口に出せて嬉しい。