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投稿者:はぐらうり - この投稿者のレビュー一覧を見る
これはわからん!ここまでわからないのは久々。人間そのものに批判的である小説だけど、自信を持って読み解けないといえる。これだから読書は楽しいねえ。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜ読みにくいのかというと、文体の主語・視点がブレている感じで、今ひとつわかりにくい文章なのです。しかし、電車なんかで読まずに、休日を利用して、じっくり読むと、内容の深さがよくわかりそう。
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群像2023年12月号
前作『家庭用安心坑夫』も、本作も、私にはサッパリ理解できませんでした。
どなたかこの小説の良さを解説していただけないでしょうか。
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群像12月号より
小砂川チト氏の作品は前回の家庭用安心坑夫に続く2作目で、正直前作で感じた違和感より、更に強く感じた違和感とでも言おうか、わけわからなさが増し増しでした。今回も芥川賞候補作に選出されたので、読みましたが、そうじゃないのであれば、最後まで読めなかった作品かもしれない。
自分に読み取る能力がまだまだ備わっておらず、この手の作品は苦手である。
どこからが現実で、どこからが妄想なのかわからず、常に足場は揺ら揺らし、不安定な日常の中、壊れていく精神の崩壊。
実際、物語のメインパーソナリティしふみは引きこもり。アスリートでありながら
ある事件で世間を騒がせ、心を病んでいた。そんな中、たまたま観たTVに映った
類人猿ボノボ、シネノに自分の姉を重ね動物園に会いに行く。と言った話だが、最近読んだ中村文則の列で猿の生態や、猿の世界の序列と人間界のシンクロを狙ったものかと思いきや、そうではない。他の人の感想がとかく、気になります。
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独創的すぎる。
自他境界、アイデンティティが曖昧で、ないまぜになって起きる幻想の文芸。
他種とのシンパシーにグラグラする世界観。
その疾走に酔いそうになるけれど読み進める。
前作も主人公は心的現実を生きていたが
言語化できないけれど、ありきたりなさに最後までどう展開するのか全く読めない。
けれど、しふみはきっと大丈夫。
いろいろな読み方ができる本は面白くて好きです。
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ジャケットが気になったのと、著者が岩手県出身とのことで同郷のよろこびで購入しました。
自己と他者を理解.識別できるボノボと、臆病な主人公の女性との邂逅から、心の成長を一歩一歩描く様子がとても心に響きます。
現実と空想?の境目をあえて曖昧に描いているためか、途中で読むのをやめられなくなり、すぐに読み終えることができました。
芥川賞候補作とのことですが、受賞していい本だと私は感じました。
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作者は岩手県出身者。惜しくも芥川賞は逃したが、純文学ならではの分かる人にはわかりすぎる感じ、又吉さんが言っていた本が頭の上でめくれていく感じが最高。
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主人公が檻の外に出る物語。あるいは、虎になりそこねた李徴の話。
自我をとろけさせる心地よい相手もずっと存在するわけではない。自分を呪うわかりやすいトラウマがあるわけではない。不倶戴天のわかりやすい敵もいない。自分を不愉快にさせる相手や知らない大勢の悪意も自分を縛るものではない。頭の中で目まぐるしく移る思考を、身体はどう思うか。
空想の安全地帯を何度もループし、主人公は結論に達する。自分は自分というだけで王冠を戴き、誇りをもてばよい。安全地帯を出て無様にもがけばよい。
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これは…なんというジャンルの物語なのだろう。
登場するのは動植物園にいるボノボのメス、シネノとアスリートの女性、しふみ。しふみはシネノを見て、お姉ちゃんだと思う…というあらすじが気になって読み始めた。
読んでいると、誰の視点なのか?これは現実なのか?夢なのか妄想なのか。わからないところもあって、結局最後まで本当のことは何なのかよくわからなかった。(読み取る力がなくてつらい)
ただ、本当はできることをやらないのは苦しいという文章に、なるほどと思わされた。できないことをやらないのはよい。できることをやらないのは苦しい。確かに。というか、むしろできることから逃げたり面倒だから避けたりしてることで、余計に自分を苦しめていることもあるかもと思った。苦しくならないために、面倒だからやりたくないと避けているのに、避けたことで出来たことによる達成感とか得られる経験とかからも避けてしまっていて、日々がつまらなくなっていないかと考えてしまった。
しかし、シネノとしふみの関係性は幼い頃に実験で会っていたということなの…?なんだかそのあたりがよくわからず、すっきりとはしなかった。
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競歩選手の女性と動物園のメスのボノボ。
女性はボノボに自分を重ねる。
2つの軸で話はすすむ。
現実なのか妄想なのか?こんがらがった。
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どっちがどっちか、度々分からなくなる。
それが狙いなのかもしれない。
人の評価ではなく、自分で自分を認めてあげる事こそが、最大の幸福なのだろう。
でも今の世の中は、生きにくいね。
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最初は動物園に日参する客を観察する猿の視点で、同じ檻の仲間や死んだ子供のことなど語られる。
後にその客が大会で失敗して休養中?謹慎中?のアスリート瀬尾しふみだと分かる。
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なかなかにごちゃごちゃとさせられた本だった。
文体の癖は強いわ、展開が突然飛ぶわ……。
何となく思ったのは、「猿」というメタファーとして現代社会に生きる我々は文化という服を着て歩いているだけで基本は野生の本能に従うだけの低脳で、粗野で、品性の欠けた「猿」そのものなのではないか、という事。
ネットでの炎上が作品内であげられるのにもそんな事を思った。
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面白かったー。
競歩の選手である主人公のしふみはレース中にとある出来事で炎上し休業状態にある。そんな中、しふみは動物園にいるボノボのシネノに自分を重ねて見るようになっていく───
最初シネノの視点で物語が進むのだが、読み進めていくと、シネノが見たり感じていることはおそらくしふみの妄想らしい…と分かってくる。
ボノボはチンパンジーと同様に遺伝子的に人間にとても近い生き物なのだそう。チンパンジーが同種を殺すこともあるほど獰猛な気性がある反面、ボノボは穏やかで同種を殺したりはしない。人間がどちらに近いのかといえば、残念ながらチンパンジーなのだろう。しかし、ボノボのように生きていくことも出来るはずだし、主人公がボノボに自分を重ねるのもボノボのような生き方への憧れがあるのかもしれない。
人間社会に絶望しつつもしねのが再び自分の足で歩きだそうとするラストは、希望を感じさせる終わり方だった。
やっぱり小砂川さんの表現は好きだなぁ。一番印象に残ったのは、「二匹のそれは言語をつかった有形の交流ではなく、もっとブヨブヨした一一一たとえばみずのはいった袋のようなものをふたつ持ち寄って、黙ってそっと押し付け合うような、そういう無音の、おだやかな交流のなかで進んでいった」という文章。すごく良い。
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物語の語り手の視点がいきなり溶け合うような独特な文体で、読みにくさを感じました。
それは本作の試みなのだと思うし作者の狙いは成功していると思います。
後半の疾走感は私も好きな展開です。
けれど、心理面で最後まで共感できなかったので残念でした。
読み手によっては、私が苦手と指摘した点に面白さを見出す人もいるのかもしれませんね。