投稿元:
レビューを見る
「死」を考えることから哲学が始まる。
しかし「死」は常に他人のものであって、自分の「死」は自分で確認することができないから、「死」することはできない。
だれかに強制されてこの世に生を受け、そして「死」を待つだけ。その生も死もやがて誰の記憶にも残ることなく、無意味に消え果てるのを怠惰に見守るだけ。
ってことらしい。
フン。
投稿元:
レビューを見る
自分自身に固有であって、万人に共通する体験は「死」。誰も自分の代わりに死ぬことはできない。自分が体験できるのは「他人の死」のみで、自らの死を体験することはできない。誰もに訪れる「死」をもって、「生」に意味がないと捉えることもできるが、自分で意味を与えることもできる。
「意味を与える力」を意識していこう、と捉えるべきだろうか。100ページ弱の本であるが、たしかなことと問いを突き付けられるような内容だった。
=======
・「すべてのものに根拠がある=根拠律」ということ自体になんら根拠はない。
・「生まれてくることを強制されて、それ以上は死なねばならず、そしてその生き死には誰にも記憶されず、無意味に消え果てるばかりである」ということを見つめ続ける、ということが「生」そのものであり、「倦怠」そのものである。
・生きている以上はいつかは死なねばならない。(中略)ただ、われわれには藝術があり、そこでこの定めを笑うことを学ぶことができる。この定めを悲劇ではなく喜劇とsることができる。そこから、陽気に、快活に、哄笑しつこの定めを生き抜くことができるようになるかもしれない。藝術こそが、「遥か彼方で瞬いてくれる燈火」(アーストロフ)なのです。
投稿元:
レビューを見る
「万人のための」は「死というテーマ」に繋がっていました。
文体は少し硬めですが難解では無いので読みやすかったです。
投稿元:
レビューを見る
欲望はみな他人の欲望のコピー、自分だけのかけがえのない、オリジナルな欲望のなど存在しない。ところが、自分自身にのみ固有であって、万人に共通する体験、それは死のみ。
自分の生に意味があるかは問題ではない。意味は与えられるものではなく、大切な誰かに意味を与えること、それが愛するということ。