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2025年3月1日、丸善 丸の内本店で再会。1階。入口はいってすぐ、1番目立つところにテーブル丸々ひとつ使って大量に平積みされてたので読ませようとしてるわ。
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p165 アップルとグーグルは、タダで働いてくれるサードパーティ関係者が生み出す売上から一定割合をピンハネすることで富を積み上げた。これは利潤ではない。クラウドレントであり、デジタル版の地代なのだ
p167 インドネシアのクラウド企業、ブカラパックが350万軒ものワルンを買収し、サービスをデジタル化した
p168 サービスを俯瞰すれば、世界経済を回しているのは利潤ではなく、クラウドレントになりつつあるのは明らかだ
p203 中国 デジタル人民元を発行 2020/8/14
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ビックテックによるデジタル世界の独占によって現代はすでに資本主義ではなくテクノ封建制へと成れ果てている。その違いはモノの製造による利潤の追求から、ユーザーの関心を奪ってレントを徴収するという根本的な構造の違いである。現代の問題点を構造的に俯瞰して分析し、新たな形を模索する一冊。
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私には難しかったです。ただ、時代は変われど、富裕層と奴隷層は確実に存在しており、そらは我々奴隷層が無自覚であればあるほど、支配層には都合がよいのでしょう。
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少し実感とは異なっていたので、言い過ぎかなーというのが第1感であった。たしかにGAFAMのプラットフォームにのり、個人の様々な情報がデータ化され、アルゴリズムが全てを回していく事実はある。
でも一方で、それが分かっているからSNSに乗ってくる広告はまともに見たことないし、さらにいくらスマホが必需品とはいえ24時間のうち使ってるのは数時間だろう。本書に書いてある世界…クラウド農奴は一面から見れば存在するが、その農奴は全てをクラウド資本に捧げているわけではない。
ただ、いまのクラウド領主が本質的には何も生産していないというのはひたすら同意。ザッカーバーグもベゾスも最初は想いがあってビジネスを立ち上げたのだろうが、それが株式会社となり利益を追求するようになっておかしな方向に行ってしまったのだと思う。自分の仕事は金融系だが、正直社会に貢献しているとは思えず個人的な悩みはさらに深まるばかり。
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【感想】
2020年、コロナ禍による経済活動の停滞とは裏腹に、日経平均株価はバブル崩壊後の最高値圏に達した。その要因は大規模な金融緩和による資金供給量の増加と見られている。
しかし、この現象は直感に反するような気がしてならない。なぜコロナによって生産が落ち込む中、企業の業績を評価する「株価」が値上がりを続けているのか?いったい、何をもって「今までで最高」だと言えるのか?
その違和感への答えは、実は全く違うところにあった。株価の上昇を続けたのは大手テック企業が中心だったが、そうした企業は、もはや利潤を従来どおりの「生産活動」によって生み出していない。彼らは利潤を「レント」、つまり「地代」によって稼ぎ続けている。どこに土地があるのかというと、SNSや検索サービス、動画サイトといった「自社のプラットフォーム」である。テック企業は自社のサービスを利用するユーザーをタダ働きさせることによって、儲けを得ているのだ。
本書『テクノ封建制』は、「現在の経済はポスト資本主義に位置している」と論じる経済書である。筆者のバルファキスは本書の冒頭で「資本主義はすでに死んでいる」と喝破し、それに代わる制度として「テクノ封建制」という概念を提唱する。この「テクノ封建制」がいかなるものなのか、そしてそこから脱却する余地を模索していく一冊となっている。
まず、封建制のそもそもの意味をおさらいしておこう。封建制とは、12世紀のヨーロッパに定着していた主従関係を軸とした社会制度である。領主が農民に土地を貸し与え、そこに縛り付け働かせることで、土地からの収穫物を得る。領主は農民から地代や税を吸い上げて生活している一方で、農民は移動の自由を奪われた「農奴」として暮らしていた。
封建制とはこのように、実体としての土地に根差した社会制度であったわけだが、それが実体の無い「テクノロジー」とどう融合するのか。「テクノ封建制」にあっては、領主(=土地の所有者)は、グーグル、アップル、フェイスブックといった「サービスのプラットフォーマー」を指す。そして、農奴はそれを借りている人物、つまり世界中の何十億ものユーザーを指す。私たちはテック企業に囲い込まれたサービスの中で、領主のためにせっせと利益を生み出す奴隷となっている、というわけだ。
といっても、普段からSNSや検索サービスを利用している身からしてみれば、奉仕活動に参加しているという実感はまるでない。第一、ほとんどのサービスは無料で提供され、私たちはそれを楽しませてもらっている側の立場ではないか。
そうした疑問については、AmazonのAIアシスタントであるアレクサが何をやっているかを想像してもらえば、収奪の実態が理解できると思う。アレクサは私たちのおしゃべりや書き込み、検索履歴を全て収集し、私たちにぴったりのおすすめや興味をそそるトピックを紹介する。アレクサのサービスを利用すればするほど、私たちの個人情報や趣味趣向はアレクサの背後にあるアルゴリズムのネットワークに収集されていく。そして、アルゴリズムの所有者は、自分たちが儲かるように私たちの行動を変えることができる。つまり「自らの情報」という最もカネになる素材を、何十億のユーザーは「タダで」プラットフォーマーに提供しているのだ。
現状では、この情報収集を拒否しようとしても無駄だ。アルゴリズムが提供してくれるひとりひとりに合ったサービスを利用するには、彼らのビジネスモデルに屈するしかないからだ。私たちがいったんこれにしたがうと、アルゴリズムは私たちにモノを売りつける一方で、私たちの興味関心をだれかに売りつけるビジネスを展開していく。
これがテクノ封建制の領主が持つ「クラウド資本」なのだが、それが今までの(=資本主義時代の)資本と大きく違う点は、従来の生産→販売→投資→生産という企業活動のサイクルをガン無視できることだ。クラウド資本を使って農奴から利益を吸い上げる仕組みが出来てしまえば、もはや会社の規模を大きくする必要もない。多くの商品を作るために設備投資をする必要も無ければ、大量の従業員を雇ってやる必要もない。ただ農奴から地代を吸い上げ続ければ会社は儲かるわけであり、そのため、大手テック企業の従業員が受け取っている給料は、企業収益のわずか1パーセントにも満たないという。こうしたシステムは、もはや今までの資本主義とは根本的に力学を異にする。その意味で、筆者は「資本主義はすでに死んでいる」と述べたのである。
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【まとめ】
0 まえがき
資本主義はすでに死んでいる。資本主義の力学は、もはや経済を動かしてはいない。資本主義が担ってきた役割はまったく別のなにかに置き換えられている。その別のなにかを私は「テクノ封建制」と名づけた。
1 資本主義の変容
封建制とは、12世紀のヨーロッパに定着していた主従関係を軸とした社会制度である。領主が農民に土地を貸し与え、そこに縛り付け働かせることで、土地からの収穫物を得る。領主は農民から地代や税を吸い上げて生活している一方で、農民は移動の自由を奪われた「農奴」として暮らしていた。
今、資本主義は終わりを迎え、新たな制度である「テクノ封建制」に移行しようとしている。
しかし、何故資本主義が衰退してしまったといい切れるのか?今でもあたりを見回せば資本が幅を利かせ、労働と雇用の関係は強力に続いているではないか。
その疑問に答える前に、一旦、資本主義が過去から現在までの間にどう変容していったかについて見てみよう。
資本主義は、かつて価格のなかったものに価格をつけるという容赦ない取り組みとしてはじまった。資本家は労働者が作り出す商品に加えて、経験価値(=社員が生んだ独創的なアイデア、ウェイターが醸し出すいい雰囲気、教師が子どもに向ける熱意など、商品に間接的に付随してくる、お金で買えない付加価値)を、根こそぎ交換価値に従属させる方法を編みだした。そして、資本家は商品労働への対価(賃金)と、経験労働のおかげで生み出される商品の交換価値との差額を懐に入れている。言い換えると、労働の二面性が利益を生み出しているのだ。
資本主義が根本的に姿を変えたのは、人の心の奥に潜む経験価値を探り出し、それすら大衆向けの商品として売り出したときからだ。あらゆるものがすでに商品となった時代に、どうすれば利潤を生み出し続けることができるのだろう?それは私たちの心の奥深くにある、商品化されていない感情を刺激することだった。
インターネットの登場によって、資本主義は驚くほど成長を遂げた。といっても、それは最初の数十年だけで、資本主義を揺るぎないものにはできなかった。何故ならば、インターネットは新しい形の資本を育て、その結果、新しい資本の所有者たちに、資本主義から抜け出してまったく新しい支配階級となる力を与えたのだ。
2 クラウド資本
資本は他者に命令することができる不思議な力を持つ。
封建制から資本主義への移行とは、要するに土地の所有者から資本財の所有者へと支配力が移行したことにほかならない。そこに至るまでには、まず小作農が共有地へのアクセスを失うという過程が必要だった。土地への立ち入りを制限した囲い込みによって、資本は生産性向上という本来の役割を超えて、支配し、命令する力を急激に増大させていった。すると世界中で共有地だった場所が商品化されるようになり、地球上のあらゆるところで資本は覇権を握った。
今日、前例のないほどに命令する力を持った新しい資本が出現している。私はこれを「クラウド資本」と呼んでいる。
クラウド資本を理解するためには、アレクサについて考えてみるといい。私たちが電話でしゃべったり、移動したり、家でなにかをしたりするとそのたびに、アレクサは耳を傾け、観察し、私たちの好みや習慣を学んでいく。私たちのことを知るにつれ、気味が悪いほどの能力を身につけて、ぴったりのおすすめや興味をそそるトピックを紹介して私たちを驚かせる。そして私たちの知らぬ間に、アレクサの背後に隠れたシステムが強大な力を獲得し、私たちの現実を編集し、選択を導く。
この無限ループによって、アレクサとその背後のクラウドに隠れた巨大なアルゴリズムのネットワークは、アルゴリズムの所有者が儲かるように私たちの行動を変えることができる。私たちの欲望をつくり出す、または少なくとも編集するアレクサの力を自動化したことで、アルゴリズムの所有者は私たちの行動を操作する魔法の杖を持つことになった。それは大昔からすべてのマーケターが夢見てきた力だ。これこそが、アルゴリズムによるクラウドベースの支配・命令する資本の本質だ。
クラウド資本の誕生は、封建制から資本主義への移行と驚くほど似た順序で起きた。まず、インターネット・コモンズ(ネット上の共有地的な領域)が略奪された。インターネット・コモンズとは初期のインターネットのことで、だれでも無料で使える言語、すなわち「オープン」プロトコルを採用したウェブ・ネットワークのことだ。その後、検索エンジンから今日のありとあらゆる便利なAIアプリケーションまで、目覚ましいテクノロジーの発明が続いた。
18世紀に大衆から奪われたのは、土地へとアクセスする権利だった。では21世紀に奪われたのは?それは自分のアイデンティティへのアクセスだ。私たちのデジタルな身分証の所有者は、民間の金融機関、フェイスブック、グーグルだ。彼らは私たちのIDコードも購買履歴も閲覧情報も何を読んでいる��も、すべて知っている。日々、どこかのクラウド企業があなたのアイデンティティの一部を所有することになっても、あなたはその所有者を知るよしもない。「新たな囲い込み」によってデジタル・コモンズは略奪され、これによってクラウド資本が驚異的な勢いで台頭することになったのだ。
オンラインでアルゴリズムのサービスを利用するたびに、アルゴリズムの所有者と私たちは取引をするしかない。アルゴリズムが提供してくれるひとりひとりに合ったサービスを利用するには、彼らのビジネスモデルに屈するしかない。それは、私たちの個人情報を収集し、私たちの行動を追跡し、私たちのコンテンツを気づかれないように編集することを前提としたモデルだ。私たちがいったんこれにしたがうと、アルゴリズムは私たちにモノを売りつける一方で、私たちの興味関心をだれかに売りつけるビジネスを展開する。
クラウド資本が今までの資本と決定的に違う点は、クラウド資本は賃金労働者がいなくても再生産できることだ。それは、人類のほぼ全員に、少しずつ「タダ」働きさせることで実現している。
クラウド資本に蓄積された最も価値ある部分は、物理的なものではなく、フェイスブックに投稿されたストーリーであり、TikTokやユーチューブにアップロードされた動画であり、インスタグラムの写真であり、ツイッターのジョークや悪口であり、アマゾンのレビューであり、私たちの位置情報だ。私たちは、自分の物語、動画、画像、冗談、そして行動を差し出すことで、どんな市場も経由せずにクラウド資本の蓄積を生み出し、再生産している。
これは今までになかったことだ。GEやエクソンモービルやゼネラルモーターズや、そのほかのコングロマリットで働く人たちは、企業の収益の約8割を給与や賃金として受け取っている。規模の小さな会社なら、その割合はさらに大きくなる。一方、巨大テック企業の労働者が受け取る賃金は、企業収益のわずか1パーセントにも満たない。なぜなら、賃金労働者が果たす役割は、巨大テック企業が拠って立つ仕事のほんの一部にすぎないからだ。仕事の大部分は、数十億もの人々が無料で行っている。クラウド資本が人類にもたらした真の革命とは、何十億もの人々を、無償で労働をするクラウド農奴へと変貌させたことだ。アマゾン・ドットコムやグーグルといった「デジタル封建領地」の小作人として。
3 資本主義の終焉――利潤はあってもなくてもいい
2008年の金融危機のパニックで投資のための資金需要がパタリと止まり、通貨は供給過剰状態に陥り、金利も暴落した。金利が下がれば下がるほど、投資家はますます、こんな最悪の状況で投資するなど愚の骨頂だという思いを強めていった。大企業は投資には目もくれず、自社株買いをして株価をつり上げた。それなのに、中央銀行は無限に金融市場へと資金を注ぎ込んだため、悪循環が続いて金利はますます下がり、ゼロまたはマイナスの水準に陥った。貨幣が「マイナス」の価格になるという、ありえない状況がずっと続いた。
中央銀行の資金がタダで入ってくるようになった結果、資本の蓄積、つまり市場や経済全体の規模を大きくすることによって富を創造する過程が、利潤から切り離されたのだ。
ではこの状態で、クラ���ド資本家は利潤をどう追求したらいいのか?その答えは「追求しない」ことだった。ベゾスもマスクも、利潤などはどうでもよく、重要なのは市場の完全な支配を確立するチャンスをつかむことだった。クラウド領主は上昇する株式を担保にして、金融システムの中に注入された莫大なカネを吸い上げていった。そのカネでサーバー・ファーム、光ファイバーケーブル、人工知能の研究所、巨大な倉庫、ソフトウェア開発者、世界屈指のエンジニア、有望なスタートアップ、そのほかありとあらゆるものを購入した。利潤があってもなくてもいいものになった環境で、クラウド領主は中央銀行を金づるにして新たな帝国を築いたのだった。
また、利潤追求の効率性も変わった。資本主義が資本を原動力にしていた時代は、生み出される作物の利益は地代(レント)よりも上回っていた。しかし、中央銀行の資金供給によって地価や株価の「全て」が上がり続けるようになると、資本家は利子や配当といったレントを享受するだけで莫大な儲けを得られるようになった。
4 レントが利潤を凌駕した
レントは、肥沃な土壌や化石燃料を埋蔵する土地など、供給量が固定しているものへの特権的なアクセスから生み出される。こうした資源にいくら投資しても、生み出される資源は増えない。一方、利潤はエジソンの電球やジョブズのiPhoneのように、投資がなければ存在しなかったものに対して投資を行った起業家の懐へと流れ込むものだ。
資本主義が栄えるのは、利潤がレントを凌駕している場合だ。生産労働と所有権を、それぞれ労働市場と株式市場を通して販売される商品へと変えることで、利潤はレントに対して歴史的な勝利を収めた。あらゆる資本主義的大企業はレントを上回る利潤を創出し、資本主義を支配的な地位に押し上げた。
2000年代、利潤に対するレントの逆転のきっかけが生まれた。それが「クラウド・レント」であり、その立役者はアップルだった。社外の「サードパーティ開発者」にアップルのソフトウェアを無料で使わせ、開発したアプリケーションをアップルストアで販売するという斬新なアイデアだった。これによって、たちまちタダ働きの労働者と封臣資本家が生み出された。サードパーティ開発者は、主に少人数のグループか中小企業であり、アップルストアを通して事業を運営するよりほかに生き残る道はなかった。その代償は?総売上の30パーセントのレントをアップルに支払わなければならない。こうした彼らのタダ働きから一定割合をピンハネすることで富を積み上げた。これは利潤ではない。クラウド・レントであり、デジタル版の地代なのだ。
フォード、エジソン、ウェスティングハウスと同じように、アマゾン、テンセント、アリババ、フェイスブック、アップル、グーグルなどのクラウド領主は研究開発、政治、マーケティング、労働組合潰し、カルテル戦術などに投資する。だが、それは商品を売って利潤を最大化するためではなく、利潤を追求する資本家からできるだけ多くのレントを徴収するための投資だ。
封建制から資本主義へという「大転換」が起きたのは、レントに代わって利潤が社会経済システムの原動力になったからだ。だからこそ、それを資本主義と呼ぶことははるかに有用で意義��あった。ゆえに今、社会経済システムが利潤ではなくレントで動かされる時代になったという基本的な事実に基づいて、「テクノ封建制」と呼ぶべきなのだ。
5 テクノ封建制がもたらすもの
●大インフレ
賃金は、生活に苦しむ人たちによってすぐ使われる。利潤は、資本家が利潤を得る能力を維持するために、資本財に投資される。だが、レントは財産の中にとどまり、流通せず、投資にも回らない。不況はますます深刻になり、中央銀行はさらに貨幣を発行し、収奪が増えて投資は減り、新たな悪循環を呼ぶ。パンデミックという実体経済の大ブレーキが起こりながらも、株式市場が過去最高値を記録し、インフレが起きたのは、これが原因だ。
●アメリカと中国の冷戦
全世界のクラウド領主はほとんどがアメリカに位置する。アメリカが世界で覇権を維持するためには、それを脅かす存在として台頭してきた唯一のクラウド領主階級と直接対決するしかない。つまり中国のクラウド領主だ。
シリコンバレーの企業と違って、中国の巨大テック企業は政府機関と直接結びつき、クラウド資本の集積を政府機関が社会のあらゆるところで利用している。都市生活を規制し、銀行口座を持たない市民に金融サービスをすすめ、人々を国立の医療機関につなげ、顔認証を使って国民を監視し、自動運転車を走らせ、国外でも「一帯一路」構想に参加するアフリカ人やアジア人を中国の巨大クラウド封土に接続する。
ここで鍵になるのは、通信、エンタメ、Eコマース、海外投資、そのほか多くのサービスが、オンラインの金融サービスとシームレスに統合されていること、つまりそれらがクラウド・レントのポータルになっていることだ。中国のクラウド領主はシリコンバレーの企業よりもはるかに大きなクラウド資本を積み上げている。
中国のクラウド資本がアメリカにとって脅威的なのは、貿易が行われない結果、ドルとの兌換が発生しないことだ。1トンのアルミニウムを中国からアメリカに輸出するときは、アルミニウムのコスト+利潤を含めた価格を支払ってくれるアメリカの顧客が必要になる。この過程で貿易収支が発生する。一方、TikTok上でアメリカ人がターゲット広告を見せられることは、アメリカ市場から中国へとクラウド・レントを直接吸い上げることになる。これによって、「ダーク・ディール(物品の生産国が対米貿易で儲ける代わりに、利潤をアメリカの金融、保険、不動産に投資することを約束する取り決め)」の影響力が低下していく。
トランプ政権はファーウェイやZTEといったテクノロジー企業をほぼ完全に排除し、アメリカでTikTokの新規ダウンロードを禁止し、あと戻りできない道を進みはじめた。禁止の名目は「国家安全保障」上の懸念とされたが、これは偽装にすぎない。ひと皮むけば、本当の動機が浮かび上がる。それは、中国のクラウド金融の台頭がウォール街とシリコンバレーの脅威になっていることであり、それによってダーク・ディールの相対的な優位性がアメリカから中国の支配階級に移ることへの深刻かつ合理的な懸念だった。
テクノ封建制が広い範囲を二分した結果、世界は2つの超大国の大陸に分断されつつある。
6 テクノ封建制からの脱却方法
入社時にすべての従業員が一株を所有できるようになる企業を思い浮かべてみよう。この株は売却も貸し出しもできないが、各従業員に一票の議決権を与える。すべての意思決定――採用、昇進、研究、製品開発、価格設定、戦略――は、各従業員のイントラネットを通した議決権の行使によって、集団で行われる。つまり、社内のイントラネットは恒久的な株主総会の機能を果たすことになる。ただし、所有権は全員平等でも、報酬はみな同じとは限らない。
給与は会社の売上から税金分を除いた収益を4つのカテゴリーに切り分けたうえで、民主的なプロセスによって決まる。ひとつは会社の固定費(設備費、ライセンス料、公共料金、家賃、利払いなど)の支払いに充てる分。次のひとつは研究開発費に充てる分。もうひとつは社員やスタッフの基本給に充てる分。そして最後はボーナスに充てる分。その4つのカテゴリーにどう配分するかも、ひとり一票の投票によって全員で決める。
会社が使う金額を4つのカテゴリーにどう配分するかを決めたら、基本給の部分を従業員全員で平等に分ける。ボーナスの大小は投票制にする。従業員に毎年100トークンが与えられ、同僚にそれを分配できる。前の年に最も貢献したと思う社員に自分のトークンを与えるだけだ。
これに従うと、まず、賃金と利潤の区別がなくなる。企業は集団によって所有され、利潤やレントを徴収して所有する階級と、時間を貸して賃金を稼ぐ階級との構造的分断がなくなる。また株式市場も廃止される。株主は社員だけになり、全員が一株だけを所有していて売買や貸し借りもできないため、金融と株式投機の固い結びつきも消える。
よき社会をクラウド資本から守るための保護の一つとして、アプリの開発者が私たちのデータを欲しいときには、提供に合意したユーザーに料金を支払ってデータを取得する。ユーザーは「デジタル権利章典」によって保護され、自身のどのデータをだれに販売するのか選択する権利が保障されている。マイクロ決済のプラットフォームとデジタル権利章典の組み合わせによって、現在の関心争奪戦モデルは消滅する。同時に、アプリのユーザーもまた、開発者に利用料金を支払うことになる。
中央銀行は、国民全員に無料でデジタル・ウォレットを配り、ベーシックインカムのような給付金を払う。加えて商業銀行の口座から預金を新しいデジタル・ウォレットに移した人には中央銀行が利息を支払うことにする。そのうちに、全員でなくても大半の人が、民間銀行から新しい公共のデジタル決済・預金システムに預金を移す。
ここで起きるのは、民間銀行の危険な帳簿から中央銀行の安全な帳簿へのカネの移動だ。このシステムを使って人と企業がお互いに決済をはじめたら、すべてのカネが中央銀行の帳簿にとどまり、取引のたびに一方から他方へ移動するだけで、銀行や株主がそのカネを投機に使えなくなる。そうすると、中央銀行は民間銀行の言いなりになるしもべではなく、金融の共有地のような存在になる。システム内の通貨量や各個人の取引のプライバシーを含む運用については、中央銀行は無作為に選ばれた市民と幅広い職業の専門家からなる貨幣陪審員に対する説明責任を負い、かつ監督される。
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今の世界情勢を、背景の政治・経済の歴史を振り返りながら喝破する書。
「資本主義」「社会主義」の真の理解を深めながら、提示された「テクノ封建制」というワードの意図・意味を徐々に認識していく文章構成。
前半部は独特の言い回し・表現にとっつきにくさを感じたが、後半になり、巨大テック企業の真の姿が見えてきた。
我々は意図するしないに関わらず、クラウド領主の掌の上で踊らされるクラウドプロレタリアート・クラウド農奴となっている。。
なお巻末の斎藤幸平氏の解説は分かりやすかった。
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寓話、森永卓郎よりも面倒臭いけど、意味はそれなりにわかるし、参考にもなる。
要は、もう資本うんぬんではない、ということになる。
分配でも互酬でもない世界に生きることになるからかな。
調整されているのに、こちらからは、調整が効かない、と。
それでいて調整の素材、情報は、こちらが提供している、と。
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どうにもすんなり読めなくて、ものすごく時間がかかってしまった。
分厚いわけでもないし、内容が特別に難しいわけでもないし、文章自体も比較的軽い。なのに、全然すっと読めない。
「翻訳が悪いのか」とか、「語りかける系の文章が苦手なのか」とか、いろいろ原因を考えていたけど——これは、アレだな。
根本的にこの本の内容と、自分の価値観が合ってないことに尽きるのかもしれない。
この本で書かれているのは、
「資本主義はすでに一部、いやかなり多くの部分で終焉していて、次なる『テクノ封建制』の時代に移行している」
ということ。
GoogleやAmazon、Appleといったビッグテックの領土の中で、我々はレント(地代)を支払う存在となり、もはや資本主義の本質は失われている。
これは疑いようのない事実で、普段の仕事でも確かに、GoogleやAmazonやApple(最近はAI企業も)にレントを納めるために働いている感覚はある。
そしてこの本の主題は、
「テクノ封建制」から再び自由を取り戻そう!
というもの。
テクノ封建制を倒し、人々の手に民主主義を取り戻すためには、プロレタリアート(労働者階級)だけでは力不足。
クラウド農奴と、少数であっても封臣の資本家たちが力を合わせ、連合を作るべきだ、と説かれる。
……でも、ここがどうにも自分にはピンとこなかったんだと思う。
もちろん、この社会が健全じゃない部分はあるとは思う。
だけど、「それを変えたい」と心から思えるかというと、正直そうは思えない。
これはたぶん、自分の根本が非常に保守的な人間だからなんだろう。
革命を怖がるタイプの性格なんだと思う。
不健全な社会ではあるけれど、革命でゲームのルールが大きく変わるより、
今の不健全なゲームルールを小器用にハックして、いい思いをしたいと考えてしまう。
根が小悪党なのだ。
レ・ミゼラブルで言えば、
革命家アンジョルラスでもなければ、革命に参加するジャン・バルジャンでもない。
テナルディエなのだ、俺は。(決してジャベールではない。)
うーん。このままじゃ老害化していくのは明確だなぁ。どうしたものか。
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・資本主義を媒介していた市場は封建領地たるデジタルプラットフォームとなり、資本主義のエンジンたる利潤は封建制における地代・小作料にあたるレントに主役の座を取られつつある。これはクラウドやプラットフォームにアクセスするために支払わなければならない場所代のようなもの。クラウド資本は、世界中の人々を無償で労働するクラウド農へと変貌させた。
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バルファキスによれば、現代資本主義は変容し、資本主義とは異なる支配体制=「テクノ封建制」になりつつある。以下、本書に出てくる新しい用語の解説。
「クラウド資本」: ビッグテックが独占的に所有する、目に見えないネットワークで繋がれたハードウェア、ソフトウェア、アルゴリズムの総体。これが新たな生産手段であり、支配の基盤となる。
「クラウド領主」: クラウド資本を支配するビッグテック企業。彼らは自らが構築したプラットフォーム(クラウド封土)上で、ユーザー(クラウド農奴)にサービスを提供し、その対価として直接的・間接的にレントを徴収する。
「クラウド農奴」: ビッグテックのプラットフォームを利用する一般ユーザー。彼らはプラットフォームを利用するために、個人情報や行動データといった形で無意識のうちに「クラウド・レント」を支払い、また、コンテンツ生成やレビュー投稿といった形で無償労働を提供しているとされる。
産業革命以前の封建制では、土地が経済の主体だった。貴族が土地を所有し、それを農奴に耕作させてレントを徴収していたわけだ。資本主義でもレントは残った。資本家が利潤の一部をレントとして地主に与えていたのである。資本論には地代の詳しい分析があるし、機械のレンタル費用も借金の利子もレントだ。
バルファキスは、資本主義がその原動力であった「利潤」から、封建制の原動力であった「レント」へと主役が交代したことで、資本主義は実質的に終焉し、テクノ封建制へと移行したと主張する。
要するに、クラウドレントとは、AWSやAIのAPIに支払うお金のことだ。
クラウド領主にとって、利潤は重要ではなくなった。クラウド・レントがあれば、利潤は必要がない。彼らはいまや不可欠な社会インフラを提供しているのだから、中央銀行による資金の直接提供を受ければいい。重要性が高ければ高いほど、ほかにも資金提供者は現れる。不安定な利潤よりも安定したクラウンド・レント収入のほうが重視されるようになるのは当然だろう。
クラウド農奴たちは、ただで個人データをクラウド領主に提供する。情報も売買されるので情報も資本になる。スマホなどのインターネットに接続された電子機器を日常的に使うことで、私たちは、クラウド資本のために無償で労働していることになる。
クラウド封土を利用する現代の資本家であるクラウド封臣たちは、利潤の一部をクラウド・レントとしてクラウド領主にとられる。
資本主義は変容し、ルールが変わった。中世に逆戻りしたかのようだ。しかしなぜ私たちはそれを知らないのか。ゲームのルールが変わったときに、ルールが変わったことを勝者たちは教えないものだ。秘密にしておいたほうが得をするからだ。
バルファキスが本書で提示しているテーゼは、とても斬新である。ここ最近起こった出来事や身近で感じている社会の変化に対して、説明を与えてくれる内容になっている。しかし本書には批判も出てきているようだ。資本主義は本当に変わったのか。現体制は封建制ではなく資本主義のままなので、バルファキスがここで「テクノ封建制」��呼んでいるものは、「テクノ資本主義」と呼ばれるべきである、という批判だ。
資本主義か封建制かという議論はおいておくとしてもクラウド・レントが重要性を増してきているのは事実のようだ。今後の社会を占ううえでも読んでおいて損はない本だ。
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現代の資本主義が、すでに「資本主義」という範疇を逸脱した支配体制に――GAFAMなどの巨大テック企業が支配する”テクノ封建制”に移行していることを喝破した本。クラウドの領主たちは自らは何も生み出すことは無く、しかし地代を要求しつつ農奴を働かせることで利益を得て富を集中させている。その「農奴」とはもちろん私たちのことで、テック企業のテクノロジーを使用しているほぼすべての人が例外なく当てはまる。
本書では前半部分でその状況がどのように形成されてきたのか、実際の中身がどうなっているのかの詳細を語り、後半からはさらに深く切り込んでその打開策をいくつか提案していく。一例として、プラットフォームを公共財にすること、あるいは巨大テック企業の独占を解体し、かつての競争状態を取り戻すなど。しかしどの案にも何らかの問題や欠陥はつきまとい、各国で、そして各経済学者間で意見の相違があり、容易にすべてを解決するような魔法の杖はいまのところ存在していない状況だ。
だが本書によって、資本主義がなぜいまのこの状況に至ったのか、その要因と現在地点を知ることはできる。農奴である私たちにまず必要なのは、何を持ってもまず「知る」ことであり、そこからしか解決の糸口は見いだせないのだと、そう言われた気がした。
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テクノ封建制の構造は以下のようなものか
封建領主=プラットフォーマー(アップル、グーグル、アマゾンなど)
封建家臣=プラットフォームにレント(地代)を払い製品・サービスを売る企業。資本主義社会では自由市場で商売が出来たが、テクノ封建制ではこの領地でしか商売が出来なくなった。アップルではiPhoneで使用するアプリをせっせと開発し、アップルストアという封土で高額なレントを支払い、アプリを販売させてもらっているアプリ開発者。その意味でGoogleはAndroidで使用するアプリをGoogleストアという封土で売らせてやる事で高額のレントを稼いでいるので、テクノ封建領主のライバル関係。テスラは電気自動車のアプリから情報を吸い上げているが、電気自動車というハードも製造しているので、テクノ封建制領主と資本主義社会の企業との両面を持つ。イーロン・マスクがX(旧Twitter)を買収したのも、よりテクノ封建領主の性質を強化する為であろう。これはiPhoneというハードを製造販売するアップルも同じ。しかしGoogleはAndroid搭載のスマホをメーカーに製造販売させているので、封土からのレントが主な収益。
農奴=スマホなどを日常使いする庶民。プラットフォーマーから色々な自分の嗜好にあった情報をタダで提供してもらって喜んでいるが、テクノ封建制では封建領主がレントを稼ぐ為に最も必要とする労働(プラットフォーマーが必要とする情報)をせっせと無償で(タダ働きで)提供し続ける。
中世の農奴はこの領主への賦役は苦役であったが、テクノ封建制の農奴はこの賦役が快楽のように思われるからタチが悪い。
クラウドプロレタリアート=アマゾンの倉庫従業員のようにテクノ封建領主のもとでアルゴリズムによってこき使われる労働者。
アメリカの封建領主と違い、中国の封建領主(アリババなど)のプラットフォーマーは中国政府が一元管理下に置けるので、さあ、このテクノ封建制のもとでクラウド領土をめぐる米中対立ではアメリカが中国の急激な台頭に最も危機感を持ち、それを潰す為に現在、躍起になっている。現在の米中対立の最も中心的な要因。
シリコンバレーのテクノ封建領主がアメリカのキング(ひょっとしたら皇帝かも)になりかけているトランプを支持し出したのも、中国の皇帝である習近平のもとに結束する中国のテクノ封建領主と対抗するためか?
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父が娘に語るーーの筆者ということで、装丁の割には語り口調で読みやすい。そもそもの封建制度への理解が、現代においてなおのこと縁遠いために、間接的に現代のデジタル搾取の構造がそれに似ているというアナロジーでの看取が捗った面もある。
とはいえ、構想的な提言がどれほど実現性があるのかには疑問符も残り、同時期によんだ 「デジタルの皇帝たち」のほうが、リアルな事情が垣間見れる点では残るものが多かった。再読したい。
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予想通り面白かった。後半の近未来の箇所は今ひとつよく分からない。金融緩和が駄目なことはよく分かった。