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本書は仏教、儒教、朱子学、古文学など一般以上の知識が無いと「面白い」とは言えないが、徳川光圀がツッパリでヤンキーだったこと、歴史を古代の歴史書(六国史等)を鵜呑みにせず正しく理解し「大日本史」を完成、子孫に残した偉業は素晴らしい。何故歴史に興味を持ち「大日本史」を作成し始めたのか、それは出会いである。明朝の遺臣王朝の血筋を保つ朱舜水とある。明の皇帝復興を目指した中で本物の儒学の理想を体現したことだ。本書に出る他の11人もノイローゼになったり、貧乏で苦労、悪いレッテルを貼られた人々だが、宗教、文学に目覚め著名な出版物を世間に多く出している。著作作品を遺すことへの思想家たちの志は素晴らしく、それが明治以降の文化継承にもつながったことだ。
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朱子学、国学の思想家の生い立ちの紹介。儒学を金にならないながらも藤原惺窩、中江藤樹、熊沢蕃山らは武士だったり、在野だったりと追及してきた林羅山のように幕府お抱えになったのはごく一部であり、まさに有志。
水戸光圀が、大日本史の編纂をおこない国学の元をつくり、契沖、賀茂真淵が、万葉集、古事記、特に、本居宣長が尊王論につながる国学の形をつくった。
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明治維新の基盤は江戸時代にできていたよねと、そのバックボーンになった思想家たち12人を軽妙な語り口でわかりやすく解説する。江戸時代は今まで関心があまりなかったので、これはありがたい。
朱子学の導入ということも思想家たちに影響を与えていると思うので、家康もいう存在のデカさも書かれてないけど感じた。
徳川光圀、藤原惺窩、林羅山、中江藤樹、熊沢蕃山、契沖、伊藤仁斎、荻生徂徠、富永仲基、賀茂真淵、本居宣長、上田秋成の12人。
光圀は家督と兄との関係がきっかけで儒学にのめり込んだ。朱子学を林羅山や朱舜水について学び、和歌なども学び、大日本史の編纂を始めた。尊王思想の原点となり明治維新を準備した。
藤原惺窩は別所長治に実家を攻められ、以後は京で儒学をおさめ林羅山の師となり京学派のリーダーとなる。
林羅山は秘伝のようにされてきた儒学を広く公開した。藤原惺窩に代わって家康と謁見してから家康の命で僧となり、訓点を付けたり孔子廟をつくって儒学の枠組みを作った。
中江藤樹は武士をやめ琵琶湖の辺りで自分の生き方を通して儒学を人々に伝えた。朱子学だけでなく王陽明の研究もした。
熊沢蕃山は中江藤樹に入門し岡山藩に召し抱えられる。しかしトラブルに巻き込まれ各地を転々、改革プランが幕府に警戒され最後は古河に幽閉された。
契沖は真言宗の僧だったが、光圀に頼まれて合理的で科学的なテキスト読解で万葉集の註解に当たり、国学の原点となった。
伊藤仁斎は京の商家に生まれたが、勉強が好きすぎて家を出た。訓点なしで漢籍を読んだ。大学が孔子の作でないことを証明し、朱子学の根底を揺るがした。
荻生徂徠は唐話で漢文を読み、朱子学の矛盾をついた。中国びいきとして尊王の志士からは評判が悪かった。
富永仲基は元祖オタク青年、短い生涯で大乗非仏説を論証した。
賀茂真淵は古学を学び、国学のビッグネームとして万葉集の研究などで名を馳せた。
本居宣長は松坂の商家に生まれたが商売に向いておらず医師をやりながら学問に励んだ。源氏物語に夢中で、賀茂真淵と出会ってからは古事記の研究に取り組んだ。
上田秋成は宣長と論争したり、型にはまった江戸時代に自由な生き方を追求した。
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江戸時代の思想史をうすーく述べたもの。仏教から別れるようにして儒学が育まれ、儒学のアプローチを転用して国学が醸成される知のリレーは読んでいて面白かった。一方、古事記や万葉集の読み解きがなぜ困難なのか、みたいな前提の説明が薄く、ちょっとなあという感じ。
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江戸思想の豊かさを掘り起こす。朱子学、国学、陽明学、仏教、儒教、民間信仰など、江戸期に花開いた多様な思想を扱いながら、それらが当時の社会秩序や人間観にどう結びついていたかを紐解く。本書の魅力は、単なる思想史の解説にとどまらず、江戸の思想家たちが「人間はいかに生きるべきか」「社会はどうあるべきか」と真剣に悩み、考えていたことを、現代の我々の問いに重ねて語る点にもある。そして、この思想家たちがそれぞれ時代を超えて繋がっている点も面白い。
本書では、徳川光圀、藤原惺窩、林羅山、中江藤樹、熊沢蕃山、契沖などの思想家を取り上げる。先に述べた<朱子学、国学、陽明学、仏教、儒教>を考えた時、江戸市民に普及していたのはやはり習俗・儀礼、寺請制度などにおいては仏教であったはずだ。しかし、江戸幕府は、国家統治の理念として儒教、とりわけ朱子学を採用し、将軍から大名、武士に至るまでの支配秩序・家父長制を正当化するために利用したのだと考えられる。
そこで本書で取り上げられる林羅山らが活躍したという話だ。朱子学は「忠」「孝」「礼」を中心とする封建的道徳の体系で、武士階級の倫理として強化されていく。だが、それだと“御用思想”という何だか嘘くさい印象を受けてしまう。
この御用思想たる朱子学に対し、アンチテーゼとしての陽明学。特に本書でも取り上げられる熊沢蕃山は中江藤樹の弟子として、実学・経世済民(庶民救済)を重視し、武士道徳ではなく「政治の倫理化」を追求し、幕藩体制の正当化思想としての朱子学と真っ向から衝突した。
では、陽明学は反逆思想だったのか。朱子学では、理(宇宙の秩序・道徳法則)は外部に存在し、それに個人が従うべきとする。一方、陽明学は、理は自己の心の中にあり、それを直感的に知る良知こそが道徳の源泉とし、これは外から与えられる秩序に服従せよという朱子学と、根本的に対立するものだった。また、朱子学では、知識と行動は別個であり、「理を学び、徐々に行動に移せ」という慎重主義に対し、陽明学の知ったことは必ず実行せよという「知行合一」は有名だ。
つまり、陽明学は惰性的で形式的な道徳遵守に対し、能動的で反体制的な行動原理につながり得た。熊沢蕃山はこの思想に基づいて「現実の政治の不正を変えよう」とした。また、昌平坂学問所では、陽明学は異端・邪学として排除された。
この御用思想、御用宗教的な考えというのは、昨今のオールドメディアなどの偏向、自虐史観的教科書のような思想教育にも通ずる興味深いテーマである。そういう目線で本書を読むとまた面白さが広がるのではないかと思った。