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パニック・裸の王様
著者 開高健
とつじょ大繁殖して野に街にあふれでたネズミの大群がまき起す大恐慌を描く「パニック」。打算と偽善と虚栄に満ちた社会でほとんど圧殺されかかっている幼い生命の救出を描く芥川賞受賞作「裸の王様」。ほかに「巨人と玩具」「流亡記」。工業社会において人間の自律性をすべて咬み砕きつつ進む巨大なメカニズムが内蔵する物理的エネルギーのものすごさを、恐れと驚嘆と感動とで語る。
パニック・裸の王様(新潮文庫)
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パニック・裸の王様 改版
2011/07/02 09:11
彼はまだ痩せていた
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第38回芥川賞受賞作(1957年)。第38回芥川賞は開高健と大江健三郎の一騎打ちの様相となった。開高はこの時27歳。一方大江は弱冠22歳であった。
石川達三は選評に「昭和生れの作家が登場してきた。私たちはこの人たちに新しい期待をもっていいかも知れない」と書いた。結果、僅差で開高がこの回の受賞作となった。大江はこの次の第39回に『飼育』で受賞することになる。
開高は受賞の言葉に「やっとトレーニングをやりはじめたばかりだ」と書いた。
まだ痩せていた。
「定型化をさけて、さまざまなことを、私は今後どしどしやってみたいとおもっている」と、続けた。その言葉通り、開高はさまざまな分野で増殖していった。
そして、太った。
受賞作となった『裸の王様』を開高の多様な作品群から俯瞰するとあまりにまとまりすぎているような気がする。
画塾で子供たちに絵を教えている<ぼく>。その<ぼく>のもとに一人の子供、太郎がやってくる。太郎の父親は新興の絵具メーカーの社長。母親は後妻としてはいった継母である。
心を閉ざした太郎は絵筆をとることも少なく、描けば人形の絵ばかりだ。<ぼく>は太郎の心を開けようと、ある日川原に連れ出す。泥にまみれることで徐々に心を開きはじめる太郎。そんな太郎がアンデルセンの「裸の王様」を題材にして描いたのは、「越中フンドシをつけた裸の男」だった。
風刺が効いたシニカルな作品であまりにも優等生すぎる。選考委員の中村光夫が「着想の新しさ、粘りのある腰、底にある批評精神など、作者の資性の長所がはっきりでた小説」と書いているが、あまりにもまとまりすぎて、開高はもしかして受賞すべき方法を学習していたのではないかと思えるくらいである。
もし、このような作品を書きつづけていれば、開高は窒息していたかもしれない。実際、受賞後開高はなかなか書けなくなる。
そのような閉塞感を『日本三文オペラ』で脱却し始める。開高の文学世界は膨張していく。
そして、彼自身もまた太っていくのだった。
パニック・裸の王様 改版
2016/01/31 15:40
痛快さを求めるなら必読の『裸の王様』
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんたん - この投稿者のレビュー一覧を見る
開高健氏の作品4編が収録されています。
『裸の王様』ほど痛快なエンディングの小説も珍しいと思います。
「・・・・・・!」
「・・・・・・!」
の2行がそれを象徴しています。
ただ,単なる娯楽小説ではありません。主人公(絵画教師)の子供達への愛情があふれています。
パニック・裸の王様 改版
2022/09/07 13:17
「裸の王様」は何十年も前から読みたかった作品
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「パニック」は増殖する鼠に苦慮する県庁職員、「巨人と玩具」は懸賞合戦に翻弄されるお菓子会社の社員、「裸の王様」(この作品で作者は1957年度下半期の芥川賞を受賞している、獲得して当然の作品だと思う)では虚栄に満ちた社会から少年を救おうとする絵画教室の男と、それぞれに高度成長期を迎えようとする日本の若者の姿をエネルギーをもって描いている。この3作品は以前から読みたくて初めに文庫本を買ったのは昭和58年のことなのだが、実家においてある古い本棚に放置されたままになっていた。どうして読まなかったのだろう、謎だ。彼の作品としては、徳島ラジオ商殺しを題材にした「片隅の迷路」やアパッチ族をあつかった「日本三文オペラ」など、まだ読んでみたい読んでいなかった作品がまだまだある