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日本人のしつけは衰退したか 「教育する家族」のゆくえ(講談社現代新書)
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.1 7件

電子書籍

日本人のしつけは衰退したか 「教育する家族」のゆくえ

著者 広田照幸

「パーフェクト・チャイルド」──しかしながら、大正・昭和の新中間層の教育関心を、単に童心主義・厳格主義・学歴主義の三者の相互の対立・矛盾という相でのみとらえるのは、まだ不十分である。第一に、多くの場合、彼らはそれら三者をすべて達成しようとしていた。子供たちを礼儀正しく道徳的にふるまう子供にしようとしながら、同時に、読書や遊びの領域で子供独自の世界を満喫させる。さらに、予習・復習にも注意を払って望ましい進学先に子供たちを送り込もうと努力する──。すなわち、童心主義・厳格主義・学歴主義の3つの目標をすべてわが子に実現しようとして、努力と注意を惜しまず払っていた。それは、「望ましい子供」像をあれもこれもとりこんだ、いわば「完璧な子供=パーフェクト・チャイルド」(perfect child)を作ろうとするものであった。──本書より (講談社現代新書)

日本人のしつけは衰退したか 「教育する家族」のゆくえ

648 (税込)

日本人のしつけは衰退したか 「教育する家族」のゆくえ

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みんなのレビュー7件

みんなの評価4.1

評価内訳

常識が破壊されるのを見る快感

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みゆの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 僕は親馬鹿だ。「娘に甘い父親」のイメージに「体力不足なのでときどき娘よりも先に寝たり、疲れると、遊ぼうっていう娘の催促を無視して寝たりする」を足すと、ちょうど今の僕になる。二歳の娘よりも寝るっていうのも格好悪いけど、それは措いといて、問題はしつけだ。甘い父親は当然しつけも甘いわけで、娘が食事中に歩き回れば、スプーンと箸を持ってあとを追いかける。テレビやビデオが見たいっていったら、もちろんオーケーして、一緒に見る。そして、あとから「これでいいんだろうか」って反省する。しつけたい気がないわけじゃないけど、娘の自発性を尊重したい気もするし、揺れる親心。その一方で、青少年犯罪をめぐって「近頃の若い者の家庭のしつけはなっとらん」って叫ぶ意見をよく耳にするようになって、僕の混迷は深まるばかりだ。
 この本の著者の広田さんは、家庭の教育力は低下してるっていう「常識」(九ページ)に対する疑問から、明治維新後のしつけの歴史を振り返った。第二次世界大戦前の農村部では、しつけをしてたのは家庭じゃなくて共同体(むら)だった。家庭にとって子供は労働力だったし、子供は放ってても育つと考えられてた。もちろん共同体のしつけには、放任しすぎるとか、余所者は対象から除外するとか、しつけの基準がローカルで閉鎖的だとかっていう問題点があった。大正期の都市部では、サラリーマンなどの新中間層が出現した。彼らは、家庭は子供のしつけの主体であり、子供は教育の対象だって考えた。戦後しばらくはこの二つのしつけ論が共存してたけど、高度成長期に入ると、農村部では青少年流出や農業兼業化や挙家離村が進んで共同体が弱まり、しつけを担えるのは家庭だけになった。一九七〇年代に入ると、都市部でも農村部でも、父兄の富裕化や高学歴化や情報化や少子化が進み、学校に対する家庭の発言力が大きくなった。こうして、共同体にも学校にもしつけを委ねない「教育する家族」が完成した。家庭の教育力が低下したっていう「常識」は間違えてる。こんな常識が広まってる背景には、しつけの全責任を家庭が担うから関心が高まった、しつけは家庭ごとに違う、モラルの基準が世代毎で違う、自主性を重視するしつけや家庭のあり方が孕むディレンマ等等、色々な理由がある。それじゃ僕らが今しなきゃいけないことは何か。それは、広田さんによれば、家庭やしつけのあり方は多様だってことを認識すること、非行としつけの関係を冷静に分析すること、そしてしつけの限度をわきまえること、この三点だ。
 この本のメリットは次の三つだ。第一、世間にはびこる「常識」に疑問を持ったこと。広田さんといえば、「最近は青少年犯罪が凶悪化してる」って主張に疑問を持ち、統計的な手続きを踏んで徹底的に批判したことでも知られてるはずだけど、疑問を持てることってやっぱり一種の才能なんだろう。第二、きちんとした手続きを踏んで、「常識」が正しいかどうかを検証したこと。ここまで丁寧にしつけの歴史を分析されると、「常識」が錯覚や誤解にもとづいてることがよくわかる。第三、「常識」を生み出した原因を考慮したうえで、僕らがしつけに悩まないための処方箋を提示したこと。つまり、しつけには大したことは期待できないって考えること、完璧な親になろうって考えないことが大切なのだ。こう考えると、たしかに気が楽になってくる。肩の力が抜けてくる。
 もちろんこの本には問題点もある。学校としつけの関係の歴史を十分に説いてないこと。提示する処方箋がわりと精神論的で、いまいち具体性に欠けること。でも、いいのだ。僕はこの本を読んだおかげで「親馬鹿でいいんだ」って思えるようになったのだから。もちろん「しつけはやーめた」って考えてるわけじゃないけど。

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子育ての歴史

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:でぃー - この投稿者のレビュー一覧を見る

日本人のしつけは衰退したかというタイトルの本書。この本は、教育について社会学的に考察したいという者だけではなく、子育てについて一人で悩んでいる人にとっても救いとなる一冊であると思われる。家庭において母親に求められる教育する力や学校に過度に要求する、いわゆるモンスターペアレントなど、現代における教育を語る上で、歴史や社会から考えていく意義は大きい。

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大正・昭和初期の子どもに対する家庭教育を検証した良書!

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、大正から昭和初期にかかて顕著になってきた新中間層の子どもに対する家庭教育の状況を再考したものです。筆者によれば、この時代の家庭教育は「童心主義」、「厳格主義」、「学歴主義」といった3つの主義の対立と矛盾という形でとらえるのではなく、こうした主義がお互いに重なり合って、「完璧な子ども」の育成のために各家庭が努力していたと捉えられるべきではないかと説いています。古い時代の家庭教育について知る画期的な書です。

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カミナリオヤジはいらない

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よんひゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

 論の展開に無理がなく、すらすらと読めるが、「いまどきの教育はなっとらん!」的なおやぢ感性の持ち主にはけっこう衝撃的な内容かもしれない。要するに「むかしのしつけはしっかりしていた」というのは、まったく「うそ」ないしは「思い込み」だというのを、ていねいに解き明かしている。

 戦前とかの話じゃなくて、高度成長期まっただなかのわたしの子どものころの母親と比べても、いまの母親は格段にしつけ熱心だし、教育の責任が家族にすべて負わされてご近所とか親戚とかの援助がない中で、よくやっていると思う。子どもに積極的に向かい合っていこうとする父親の姿だって、最近は珍しくもなんともない。もちろん物質的にはとても豊かになっていて、いまの大半の子どもは、父母の愛情と関心、たくさんのモノに囲まれて暮らしている。この本で紹介されている統計では、多くの家庭で「うちのしつけはうまくいっている」と感じているし、凶悪な少年犯罪の割合は先進国の中では日本はごく少ないということだ。統計に関しては、自分でここに書いたように、もとのデータを見られない状況では、あまり言いたくないが、ここで言われている内容は、実際に小学生の子どもを持つわたしの実感とあまり食い違いがない。

 こういう中で、マスコミや識者とやらの脅迫的な言辞が、しつけに対する不安をあおっている、というのは、そのとおりだと思う。「ふつう」が最重要視され、そこから少しでもはずれることに恐怖を覚える心のもち方が、その根にあるのは言うまでもあるまい。別にはずれたって、または、もともとはずれていたって、それはそれでたいしたことにはならないのであるが、そういう実態は目に入ってこず、抽象的な不安ばかりがふくらんでいるように見える。

 教育に対する家族というものの責任が大きくなってくると、家庭が逃げ場のない牢獄のようになってしまう危険もまた大きくなる。教育の危機があるとすれば、それこそが現代的な形であり、「しつけを厳しく」という言説ではまったくその処方箋にならない。では、「むかしはよかった」と声高に言う人々は、いったいなにを目指しているのか。そこのところを考えるには、新書という箱の容量が足りなかったようだ。とても刺激的な本であるだけに、著者のこれからの展開をぜひ見ていきたい。

(初出は「キムチの気持ち」)

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「日本人のしつけは衰退し」ていない!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:BCKT - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者は1959年(広島県)生まれ。卒業大学(学部)不明。東大大学院
博士課程修了(88年,教育学)。現在は東大勤務(助教授)。『陸軍
将校の教育社会史』(97年),『教育言説の歴史社会学』(01年),
『教育には何ができないか』(春秋社,03年),など。手許のは初版。

序章「家庭のしつけは衰退してきているのか?」,第1章「ムラの世界,
学校の世界」,第2章「『教育する家族』の登場」,第3章「変容する
家族としつけ———高度成長期の大変動」,第4章「変わる学校像・
家庭像———1970年代後半——現代」,第5章「調査から読むしつけの
変容」,第6章「しつけはどこへ」。

『教育には何ができないか』の新書版というべきか。本書の論旨は
これとほぼ同じ。学界ではまだ若手に属するからであろうが,典拠の
明示が各所にあり,勉強ぶりがうかがわれる。小さいフォントで
7ページを越える参照文献・引用文献の巻末リストは新書では
異例だが,読者にはありがたい。

要するに,高度成長期を境に,それまで無関心だった学校教育に対して,
子弟を教育する責任を負う主体としての「教育する家族」が出現し,
半面で教員が児童に「教えさせていただく」立場になり,子供が事件を
起こせば,親はその教育責任を世間的に追及される時代になった,
と言っている。半面で,高度成長期前後を一貫して,青少年期の
犯罪件数はどちらかというと減少傾向にあり,世間的評価が
どうあろうと,親というのは子供に対してそこそこの愛情を
注いでおり,愛情が特に大きく注がれなくとも,子供は立派に
育っているということも併せて述べてある。評論家とマスコミと
一部の学者が騒ぎ過ぎなのだといっている。一言で言って,
「日本人のしつけは衰退し」ていない!というわけだ。

昔の教育事情は,つねに郷愁の念を持って想起されるのが
不可避だから,どうしても美化されて現状と比較されてしまい,
対比による現状分析はつねに捏造されてしまう。さらに言うと,
家族が学校に対して突きつける要求は矛盾しているために
(しつけの主体やたとえば宿題),学校側はなかなか統一的な
行動を取れないでいるということも指摘してあった。だいたい,
学校なんぞに自分の子供の教育をまかせっきりにしてしまうこと自体,
自己責任の放棄に等しい。とくに公務員教員など勤務時間を
消化することに(のみ?)関心がある大人しかいないことくらい,
小学生で理解していいはずだ。それに公立学校は税金で
運営されている以上,誰でもが入ってくるという意味で雑種の
世界だ。雑種の世界で生きるのは,知見を広める上でとても
効果があるけれど,人生の目的を追求するには不自由な場所だ。
だから,みんな野球やサッカーのエリート校を,もしくは進学校を,
それぞれ選んで進学しているんだ。

(しつけ)教育パターンが,児童主義(児童中心主義),厳格主義,
学歴主義などという要素に還元されているのには興味を抱いたが,
分析上興味深いだけであって,実践上は余り役立ちそうにはない。
だが,教育社会学という研究分野を知る材料にはなった。

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こんな本、書かないほうが良かったと思う

16人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書の著者は最近、巷で起きている「家庭の子供のしつけ力が落ちている。家庭はもっと子供の教育、特にマナー教育に責任を持て」という「当たり前」の声が不満で不満でしょうがないようだ。「学校は読み書きソロバンを教える場」「マナーや躾は家庭の責任」という役割分担が著者の目には乱暴な議論に映るようで、やでもたってもたまらず本書を書いたんだそうだ。そして言わんとすることは、「そもそも日本人の大半は昔から子供のしつけなんかしていなかった。だから別に日本人のしつけ力は最近衰退したわけではない。ずっと昔から大して変わっていない。各家庭に子供のしつけの責任を負わせるのは酷なこと。子供は『社会』で育てましょう」ということらしい。ここまで読んで常識のある普通人なら著者の感覚に疑問を持つだろうし、こういう感覚の人が「教育学者」をしていることに慄然とすらするだろう。そして著者はこの結論を導かんがために次々と戦前の文章を引き合いにだしては自分の推論が正しかったことを証明しようとするのだが、それ自体が、ある意味「お笑い」となっている。

著者が「しつけなんかしていなかった日本人の家庭」の代表として選んでいるのが「農村の貧農」や「都市の最下層労働者」で、彼ら戦前の日本社会の底辺層が如何に育児に興味を持たず、子どもの躾を放棄し、それを社会に丸投げしていたかを延々と述べては「だから昔から大半の日本人は子供のしつけなんか家庭で行なっていなかった」として「故に、それを家庭に期待するのは間違い」と結論付けようとするののである。んな、アホナ。著者がそもそも意図的に?無視しているのは、日本の社会が戦前と戦後でまるで別の国のように大きく変容したということである。戦前の日本は今とは大きく違う階級社会だった。戦前の中流家庭は今でいう上流で、昔の「上流」は今の日本には無くなった「貴族社会」だったのである。所得格差がものすごければ、教育格差はもっとすごくそもそも義務教育は小学校6年で終わりで旧制中学に進学するのは生徒の1%程度に過ぎなかった。

戦前の下層階級や農民(小作農)は、まあ、今で言うホームレスみたいなもので、彼らの子弟はそもそも中学以上には縁の無い労働力として社会に放り出されていたのである。こうした下層階級の子供達は、確かに日本社会がしつけ、育てたのだが、それがどういうものかというと戸塚ヨットスクールや相撲部屋みたいなところと言えば分かり易い。いじめやいびり(いわゆる「可愛がり」「いじり」)は当たり前で、中にはいじめが過ぎて死んでしまう子供も多かったことだろう。ただ当時はそれが当たり前だったので今みたいに事件とはならなかっただけである。

戦後、日本はGHQの指導もあって極端な財産税を課して貴族から財産を巻き上げ、地主から土地を巻き上げて貧乏人にばら撒いた。その結果、日本は世界でもまれば平等社会と成り、戦前の水呑み百姓は戦後は大地主となって大金持ちに化けた。そして戦前は文字すら読めるかどうかあやしかった連中が、その子や孫を上級学校たる高等学校に進学させるようになったのである。そもそも高校は義務教育ならぬ高等教育である。本来、そこは大学に進学するための準備を行なう場所でもある。そこへ今や日本人の90%が進むのである。戦前とは大きく事情が変わったわけだから、戦前の事例を持ち出して「だからこいつらに家庭でも子供の躾をさせるのは無理」と論陣をはることは出来なくなるんである。社会の階級差が薄れ、教育格差が薄れ、所得の上昇が起きたのなら、自ずと戦前の都市の下層階級や農村部の貧農も、昔のままではいられなくなる(こんなことは、私には三歳の子供でも分かる話だと思うのだが)。所得が上昇し、子供を以前は小学校卒で労働力としてこき使っていた連中が子供を高校まであげるようになれば、自ずとその子等に対しても、戦前の中産階級が行なっていたような「厳格な躾」を行なうことが求められるのである。もしそれが出来ない、やりたくないというのなら、それこそ相撲部屋や戸塚ヨットスクールみたいなところを作って、そこへ放り込むしかあるまい。時代背景も社会事情もまったく異なる戦前と戦後を比較しても意味が無いし、そこから自分に都合の良い「事実」のみを切り取っても、それでは何も証明なんかできないことに広田くんは気がつくべきだった。

戦後、我々は「権利」を手にした。それがうれしくて権利の行使ばかりに関心が行って、権利の裏側についている「義務」を忘れてしまったようである。社会の構成員であるということは、行政を突き上げては要求を貫徹し成果を勝ち取るだけでは駄目で、市民として当然行なわなければならない様々な義務も果たしていかなければならないのである。このことから逃げ回るのが習い性になると広田くんみたいな発想になってしまう。広田くん、学者として生きていくつもりなら、こんな本、書かなければ良かったのではないか。

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子育てに不安を感じる母親には、ほっとさせる1冊です。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ルーシー=マネット - この投稿者のレビュー一覧を見る

 子育て真っ最中の親にとっては、「しつけ」は避けて通れないことだと思います。特に、核家族化が進み、地域のつながりが薄くなってきた現代においては、親の育て方ひとつで、子どもがかわるのではないかとさえ、思えてきます。
 この本は、そんな悩める親達に、「昔のしつけはどうだったかちょっとのぞいてごらん?」というように、昔の様々な子育ての様子を紹介しながら、今の家庭に負わされている、子育ての責任の重さを、問題として提起しています。
 最近の少年の犯罪も、マスコミ報道の発達によって、さも増えてきたかのように思えるが、少年の殺人事件は今よりも多かった事実などが、示されています。

 また、学校と家庭との関係も、戦前・戦後から随分と変化しています。どのように人々の意識がかわっていったのか、学校の役割が変わっていったのか、面白い発見がありました。

 著者の広田さんが書かれたあとがきは、子どもをもつ親にとっては、とても心温まるメッセージです。「わが子とはいえ、しょせんは他人−その他人と人生をともにし、格別なふれあいの瞬間をもつことができたという喜びこそ、親としての醍醐味…」という文を目にし、なんだか肩の荷がすっとおりたような気がしました。

 内容としては、現代新書にはおさまりきれていない気がするので、あらためて、より深い内容を読みたい気持ちになりました。

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