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中国語はおもしろい(講談社現代新書)
  • みんなの評価 5つ星のうち 3 2件

電子書籍

中国語はおもしろい

著者 新井一二三

中国語作家として活躍する著者が、中国語の魅力を語る。中国語を知ることは、世界中に伸びる華人ネットワークへのパスポートを手にすることだ。豊富な経験をもとに上達のコツ、言葉を知ることで広がる世界をガイドする。

中国語はおもしろい

702 (税込)

中国語はおもしろい

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紙の本中国語はおもしろい

2004/11/27 12:26

普遍性を持った中国文明のエントリーとしての中国語

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まさぴゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

「中国語を学ぶこと」紹介の機能として、悪くなかった。が、題名がよくない。中国語を学ぶ人間が、90年代後半に驚異的に増えたことで、間口を広くしたのだろうが、ひねりがない。買うのを躊躇したくらい。講談社現代新書の新しい装丁と中国語の初期学習者であるので少しもでも見聞を広めたく手をとったのだが、賭けには勝った。以前、幇(パン)の意味を小室直樹「中国原論」で読んだ時に似て表面的なビジネスのためではなくて、アジア人としての「中国語を学ぶ意義」の一端に触れられて興味深かった。とりわけ、80年代の中国語を学び始めたという同時代性の視点は、共感できました。

ところで新井一二三さん。中国語圏で、外国人(しかも日本人でありながら)コラムニストとして食べられているだけはある。唸った部分は、彼女が欧米人の友人に「なぜ、中国語を勉強するの?」と質問されて、「ヨーロッパでは、教養としてラテン語を勉強するでしょ。それと同じです。」と、答えた部分。
普通語(プートンホア)のベースとなる北京方言が、英語におけるキングスイングリッシュの地位に当たり、美しい北京方言を喋る人は中国語圏で尊敬を受けるそうです。というのは政治的首都が長期間北京におかれ貴族が使う言語であったこと、広大な地域に版図を持つ「大陸国家」である中国は、膨大な異民族を抱えています。方言も言語学的には、異言語です。だから言葉も異なる人々の共通フォーマットが必要なわけで、読書人階級のエリート貴族や皇帝に仕える司政官、官僚たちの教育装置兼ドラフト制度である官吏任用試験科挙のため「官話」が創られました。そのベースが北京方言であり、共通語は「人工的に創られた、異なる言語を話す集団を統合する共通フォーマット」という性格を強く持っているようです。この歴史的経緯はヨーロッパ文明におけるカソリシズムやラテン語の発達経緯と酷似しています。また中国人のアイデンティティが、幾つも層として分かれており、それを統合する機能として働くというのは面白い意見でした。「思想としてのアメリカ」などの本間長世さんらアメリカ研究の第一世代の基本中の基本としてアメリカという空間は、「自分は何者か?というアイデンティティの多層化が起こり」それを「いかに統合するかという人工的な実験国家」であるとする学説と、共通するからです。しかも両者とも大陸国家であること、反目しあう異民族を抱えることなど酷似しています。考えてみれば「地域性を離れると脆弱な文化」とは異なり「文明としての普遍性を備える中国語」は、広大なアジア大陸周辺諸国で、有史以来の統合機能を果たしてきた普遍性あるものです。日本に限っても、福沢諭吉先生の脱亜入欧以前は、聖徳太子の昔から、夏目漱石など明治の文豪すら漢籍の教養を主軸としていました。アジア圏の教養ある人は「四書五経」の基礎素養を持つことは、いわば常識でした。「地方固有文化を発展させる使命」と同時に「文明の普遍性による共通言語を持つ」という知識人の本義にかなうスタイルだと思います。こう考えると、80年代のアメリカで起こったアランブルームらによる「アメリカンマインドの終焉」などという議論が普遍性がある疑問なんだと改めて驚かされます。

といった流れの後に、新井さんが「ラテン語を学ぶと同じ」という答えは、深い教養と誇りを感じさせて僕は、感動しました。そもそも、地域ブロック経済化と文化防衛は、アメリカニズムを中心とした全球化へのリアクションとして今後の歴史を支配するはずです。今後のアジアがEUと同じような親密性を取り戻すには、「漢字」は、素晴らしい共有ヘリテージなのかもしれませんね。新井さんのエッセイにはそういった奥深さを感じさせるものがありました。

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紙の本中国語はおもしろい

2008/02/26 00:03

国辱女が書いた中国へのラブレター

12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:バタシ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書からは最初から最後まで作者の中国語に対する愛が過剰なほどに伝わってくる。ためしに前書きを引いてみよう。

<中国語は魅力的な言葉です。広大な中国を始めとして世界各地で使われている国際語であり、また悠久の歴史を持つ文明の言葉でもあります。そして古くからヨーロッパ人に「音楽的」と形容されてきたように、類い稀なる麗らかな響きを持ち、全身に快感をもたらす優美な魔法の言葉でもあるのです。(P3)>

のっけからこの調子である。「中国語は美しい」と書いた本は数多く目にしたことがあるが、「快感をもたらす」とまで書いてあるのを見たのはこれが初めてである。また別の箇所には「快楽をもたらす」とまである。

著者の新井一二三女史は早稲田大学在籍時に中国語と出会い、そこからずっと中国語の虜なのだそうだ。ただ虜になるだけならいいのだが、いつの間にか言葉に関する感覚までが中国語基準になっているのは困りものである。いくつか例を挙げよう。

<(中国語は)一人称単数が「我」の一種類に限られており、(中略)それにひきかえ日本語ときたら、「わたし」「わたくし」「ぼく」「おれ」、(中略)等等と、人称代名詞が豊富なようでいて、実際の使用は性別や年齢によりひどく制限されているのが実情である。私も日本の会社に勤めた二十代のころは、相手を「あなた」呼ばわりして叱られた経験が数知れない。 しかし、「あなた」と呼んでは失礼で、「~さん」では無礼だからと、「~副部長」だの「~主任」だのと肩書きを敬語的にしか使うことしか許されないのでは、そもそも平等な立場での会話など成り立つはずがない。(P138)>

<日本語という言語は平等な個人対個人として話すことを許さない仕組みになっているのだから、個人が育つ場も、生存する空間もあるわけはないのである。(P140)>

言いたい放題である。日本語に対する憎しみや蔑みが行間からひしひしと伝わってくる。「人称代名詞の使用が制限されている」とはなかなか出てこない発想だ。さらにすごいのは上司に「あなた」と呼びかけるという下りだ。まともな日本語の感覚を持っていれば、とても上司に対して「あなた」なんて呼びかけはしない。呼びかけられた上司が怒るのも無理はない。妻が夫に対して使うのを除けば、一般に「あなた」には相手を見下したニュアンスが含まれている。例えば「あなたって人は…」とあった場合、読者諸兄はどのようなニュアンスを感じ取るであろうか。たとえ述語が省略されていても、「あなた」という単語が入っていれば、それは絶対にプラスの意味ではないと、感じるのではないだろうか。

また肩書きに関してだが、元々これにやかましいのは中国である。中国人の名前に関する規則は非常にややこしく、一般的に言って身分が高い人ほど名前(というか身分や役職)が増え、代わりに本名を呼ばれる機会は減っていく。例えば昔の中国で本名を公的な場で呼ぶのは、ものすごく失礼なことである。今だってそんなに状況はかわってない。部長なら「部長」、社長なら「総経理」と役職をつけて呼ぶのがルールである。たとえ役職がなくても「先生」などと敬称をつける。だいたい肩書きにうるさくない欧米諸国だって、例えば大統領に向かって「おい、ブッシュ」なんて言えば、さすがに失礼だ。程度の差こそあれ、洋の東西を問わず、相手の名前をみだりに呼ぶのは失礼なことなのである。

そもそも「日本語に平等な関係はない」といっているが、友人だって家族だって、親しい間柄ではふつう敬語は使わないで会話している。この著者だってきっとそうだろう。そうでなければこの人がここまで敬語を使えない理由がわからない。この著者の文章を読んでいると、 自分が敬語を使えないもんだから、日本語が嫌いになったのではないかとしか思えない。著者はよく日本人から中国人と間違えられて「日本語が上手ですね」と言われるらしいが、それは中国語をしゃべっているからだけではなく、敬語がうまくしゃべられないことにも原因があるからではないかと、つい邪推してしまう。

この本は一事が万事この調子である。中国語の良さを語る本なのだから、中国語を良く語ることはまったく問題ない。だがその過程で日本をこき下ろすのは問題があるだろう。しかもおまけにその内容のほとんどが首をかしげるものばかりなのである。

<中国語の世界でもコンビニエンスストア「便利店」で普通にお握りが売られる時代となり、各地に出回っている「御飯団」。(中略)中国語で握り飯を指す「飯団」にも「御」をつけてみました、どう、日本風でしょ? というネーミングである。しかし「御飯団」となった時、もともとの日本語の「お握り」というネーミングの貧乏臭さをからかわれたようで、赤面してしまう。(P161)>

<「御雑煮」と「御煮染」。ご丁寧な「御」の字を除けば、実に殺風景な「雑煮」と「煮染」。千数百年も漢字を使ってきて、もう少ししゃれたネーミングは考えられなかったのだろうか?(中略)控えめが悪いとは言い切れないだろうが、それにしても「雑煮」とか「煮染」は、地味を通り越して、あまりにもぱっとしない気がするのだが。(P162)>

大きなお世話である。別に「雑煮」が特に殺風景だと感じたこともないし、ぱっとしないと感じたこともない。おにぎりにしたって、シンプルで実にいいネーミングではないかと私は思う。「貧乏臭い」と言ったって、別にそれは中国人に直接言われたわけではなくて、「あなたが勝手にそう思い込んでいるだけでしょ!」とつっこみたい。あ、いま「あなた」という言葉を使ったが、「あなた」はこういう文脈で使われるのだよ、新井女史。上司に使ってはいけないってことがわかったのではないだろうか?

本書はもともと中国および中国語の世界に対する興味を促進させるために書かれた。確かに中国のいいところを挙げたり、べた褒めしたりすれば、興味を持つ人は増えるかもしれない。ただその過程で自国をけなしたりするのはやはり良くない。外国や外の世界を理解するためには、自分・自国というものをある程度しっかりと理解し、それに誇りを持たなければならないだろう。ただただ外国を礼賛するのは文化的植民地根性丸出しの、非常に恥ずべき態度である。最後に新井女史が書いたこの本の前書きを引用してこの文の結論としたい。

<二十一世紀の世界で、英語が世界の共通語の地位を占めることは明らかです。けれども英語的な物事の考え方だけでは、広い宇宙を、人類の歴史全体を、見渡し得ないこともまた確かではないでしょうか?>

まったくそのとおりである。ただしこの文は「英語」を「中国語」に改めると、それはそのまま新井女史にも当てはまることなのだ。しっかりとわが身を省みていただきたいものである。

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