電子書籍
出家とその弟子
著者 倉田百三 (作)
一高在学中から西田幾多郎に傾倒し,宗教文学に一境地を拓いた劇作家倉田百三(1891-1943)の代表作.浄土真宗の開祖親鸞を主人公とし,生き方に悩む多くの若い人々の心を捉えた本書は,のち各国語に訳され,海外にも数多くの読者を得た.ロマン・ロランのフランス語版への序文を付す.改版.(解説=谷川徹三 注・年譜=鈴木範久)
出家とその弟子
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紙の本出家とその弟子
2009/11/01 20:28
素直に、やー、いい本だなー、と思える本です。
8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:analog純 - この投稿者のレビュー一覧を見る
えー、今、私の手元に、上記の文庫本が二冊あります。同じ本です。……うーむ。
はは、はははは。
でも、こういう事ってよくあることですよねー。
読書好きのお方なら、必ずや、そんな体験、私にもあるあると、おっしゃってくださると思いますがー、そんなことってないですか?
私の場合、「本」はまだましな方です。同じ本を買ってしまうケースが少なからずあるとしても、買った本の総量に対するパーセンテージで考えれば、(きっと)少ないです。(かな。)
同種の誤謬で、最近、私にとって看過できなくなりつつあるのが、CDであります。
これも、まー、安くなりましたからねー、昔のレコードに比べますと。
えー、話題を、少し元に戻します(放っておけば、戻りませんから)。
『出家とその弟子』が手元に二冊あるということです。
しかし、この本のケースは、わたくし、思いますに、「微罪」だな、と。
「なにが微罪やねん!」と、お怒りの方もいらっしゃろうかとは思いますが、この本の場合は、本棚を探して、無いことを確認して新たに買ったのに、後で思わぬ場所から以前買った本が出てきてしまったというケースですから、罪は軽いですよね。
ほとんど「正当防衛」と紙一重であります。(なんのこっちゃ。)
えー、というわけで、同じ本が二冊ある謎が解けたところで(どこに謎が解けたんやー)、この本の書評ですね。(まっとうな書評になるのかしら。)
私が最初にこの文庫本を買ったのは、おそらく私が高校3年生くらいの時だと思います。(そして読んでいなかったんですね。)
二冊目の本は、ここ一年ほどの間に買ったものです。
この度読んでみて、改めて、
「やー、いい本だなー。」
と、思いました。難しいところの全然ない、とても遠くまで見通しの効く、本当に良い本だなーと思いました。
そして、なぜ私は今までこの本を読んでこなかったのだろうかと考え、さらに、もしもっと若い時にこの本を読んでいたら(まさに高校時代に)、どうであったろうと思いました。
なぜなら、この本には、恋愛と性欲について、極めて繊細に、誠実に触れられてあるからです。
このテーマは、さすがに現在の「人生の黄昏時」に読むと、少し「他人事」になってしまいます。
でももしも、せめて僕が二十歳の時に読んでいたら、きっと別の感じ方をしただろうなと考えると、何というか、少し残念なような、そうでもないような、そんな少し切ない感じがします。
もちろん本書は、優れた古典的作品として、定まった評価を持つ本ですから、今更私がびっくりしたように褒めたところで、どうということもないんですが、とても「爽やかな」、まさに「良書」という言葉に相応しい本でありました。
いやー、読書って、本当におもしろいですねー。
紙の本出家とその弟子
2016/12/26 11:42
青春小説を読みたければこれ!
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:imikuto - この投稿者のレビュー一覧を見る
恋人との愛に悩む、親鸞の弟子・唯円、親子の確執に悩む、親鸞の子・善鸞。
この二人の青春ストーリー。
そして、さらに宗教色が加味されている。
というかタイトルからしても、歎異抄がベースだということからも、宗教小説とも言えるのだろう。
ただ、親鸞や浄土真宗のことを知らないので、なんともいえない。いちおうは納得できるが。
むしろキリスト教的なイメージだけは受け取れる。解説によれば、著者のキリスト教的影響があったとのことらしい。
読み方はいろいろあるだろうが、宗教的な色合いを無視すれば、青少年なら自分の青春と照らしながら、そこそこの大人なら、郷愁に浸りながら読めるはず。
青春小説好きにはたまらない1冊だろう。
紙の本出家とその弟子
2015/10/29 07:00
心に一燈をともす傑作
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
電車の中でこの本を読みながら降車駅を乗り過ごしてしまった。戯曲の中で親鸞が人の業にであい語ります。人間はモータルなのだと。
私たちはどうしても避けられない本能の煩悩をただ押さ続けるというのではなく、ただ受け入れ、それでも救われることを説き歩く姿なのです。
私たちの心の奥底にあるものを鎮めることがきる稀有な本です。理屈や論理ではなくこのような劇の世界で解きそしてしみこませてくれる力があります。
このような稀有な哲学者である倉田百三氏が日本にいたことを心よりありがた思います。多くの人の心に一燈をともすものです。